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人間生きていれば、大なり小なり不思議だと思うことはあるだろう。けれど、大抵の不思議は毎日の中で自然に忘れられていく。そんな程度だ。それが、不思議ではなく不都合から目を逸らしたいが故にそう思いこもうとしたことは、忘れられず心の中に留まる。気にしない為に不思議だと置き換えたというのに。
デリシアから出てきたいくつかの不思議。心に留まっていたそれらは、今回のお遣いとは無関係のものから始まった。けれどそれがデリシアを苛んできたことは事実。だから心を軽くさせる為にも、薫達は一つ一つの話を聞き続けた。これは尋問ではなく、デリシアを知りこれからを考えてもらう大切な時間なのだから。
そして分かったのは、デリシアは家族からも利用されているということ。そうし続ける為に、心をコントロールされていたのだ。
オランデール伯爵家に奉公へ出るのは本来ならば次女のはずだった。けれど次女は愛する人と結婚したいと、その役目をデリシアに譲ったのだという。男爵家内では、デリシアが重要な役割を次女から譲ってもらったのだから喜べと言われた。父も母も当然のように、次女の分もしっかり働くようにとデリシアを送り出したのだ。
でも、どうしてみんな口を揃えて重要な役目を譲ってもらったことに喜べ、良かったではないかと言うのか。それがデリシアには不思議だった。好きな人と一緒にいたいから、伯爵家で働くことが出来ない姉。だからデリシアが代わりに働く。それも姉が働き始める予定だった時期を変えない為に、デリシアは貴族学院を諦めて。
「ジョイさんが言ったように、不思議だとわたしは置き換えただけです。そうでなければ今の自分が報われないから。好きな人と結婚したいから、姉は伯爵へ奉公に行きたくなかった。譲られたのではなく、押し付けられたのだと思います。両親と姉の間でどういう遣り取りがあったのかは分かりませんが、わたしは何故か、いいえ、不思議なことに姉の分も働くように言われ、貴族学院に入る機会を失った」
貴族学院への入学がなくなれば、その分の費用が浮く。その上、次女に代わり働き始めることでデリシアは、金を生み始める。恐らく次女は自分の分の口減らしが予定より早く出来る上に、消費するはずのデリシアが生み出す側になるとでも言ったのだろう。それは男爵家の経済状況には良いことかもしれないが、デリシアには違う。
その上勤め先の伯爵家では次男がデリシアに不思議を与えた。掃除程度の誰でも簡単に出来る仕事だと、他のメイドの分も手伝うように兄に言われたのだという。そうすれば、そのメイドはデリシアには出来ないような重要な仕事がその間行えると。けれどその重要な仕事が何かは不思議なことにいくら尋ねても兄は教えてくれなかった。それどころか、最初に仕事を手伝ったメイドから他のメイドの仕事も手伝うよう言われる始末。その内デリシアは伯爵家内で要領が悪いメイドと言われるようになった。どんなに一生懸命働いても、不思議なことに仕事が終わるどころか増えるのだから仕方がない。
「これも兄さんの言葉を不思議だけれどしょうがないと諦め、飲み込んでしまったから今がこうなってしまったのだと思います」
「デリシア、おまえ、あいつからもそんな扱いを…。だからか、今回の仕事をおまえの兄貴も簡単なことだからさっさと済ませてこいって言ったのは」
「本当は、遠く知らない場所に行くから兄さんにお金を借りるつもりでした。でも、その話をする前に、『楽な仕事でいいな』と言われてしまい…、それなのに時間が掛かってしまった場合の話なんて出来なくて。結局お金を借りる話をする前に、伯爵家に迷惑を掛けないよう早く仕事を済ませてこいと兄さんには言われてしまいました」
「なあ、その重要な仕事をするメイドとあいつは仲が良いんだろ?」
リアムの言葉にデリシアは小さく頷いた。
「メイド仲間はみんなわたしにあんな優しいお兄さんがいて羨ましいって。でも、不思議ね、わたしは兄さんを優しいではなく厳しいとしか思えなくて…」
その後も出て来るデリシアの不思議を聞き終わると、薫は『あなたも一人で辛いわね。でも、それでは駄目。無理はいつか…』と呟いた。
耳が良いリアムでなくても拾えるその声。けれど耳の良いリアムでも最後だけは聞き取れなかった。そしてジョイスは聞き取れない代わりに想像したが、どれもネガティブなことばかり。『自分を壊す』、『不幸に繋がる』、『全てを終わりにしてしまう』などと。どうしても『いつか報われる』とだけは思えなかった。




