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扉を開けて中に入ったリアムの雰囲気は、隣の部屋にいた時と明らかに違うとサブリナは思った。久し振りに会う人物へ笑みを浮かべて歓迎を示す好青年といったところだ。本当のところは、獲物を前に陰で笑みを浮かべる肉食動物に近いのだろうが。それにサブリナとデリシアの会話を聞いていないことになっているリアムが心配の表情を浮かべては不自然。この表情こそ今に一番相応しいのかもしれない。
因みにサブリナが肉食動物と表したリアム。もしもそれを薫が傍で聞いていたなら間違いなく『ちょっとたれ目で人懐こそうな顔をしているからハイエナ。サビィもそう思うでしょう』と追随していただろう。デズモンドが色気で人に取り入る、否、魅了するなら、リアムはこの人懐こそうな顔で人に安心感を与えていた。デズモンドと恋を楽しむ主人にハラハラしている侍女に安心感を与え言いくるめてというわけだ。
そして久し振りに会う知人に喜ぶ雰囲気のリアムを見て、デリシアも類に漏れず安心感を抱いたよう。応接室の重い雰囲気から、これで解放されると感じているのは明らかだった。しかしこの重い雰囲気を作り出す要因の一つ、ノーマンの怒りはデリシアへ対するものではない。オランデール伯爵の提案へだと知るサブリナは、それをデリシアへ伝えてあげられないことをもどかしく感じずにはいられなかった。けれど今はこちらが多くを知る番、それならばノーマンの怒りの圧も都合良く作用するとサブリナは素知らぬ顔をし続けたのだった。
不安と安心。二つ並べられれば大抵の人間は安心を取る。サブリナの思惑通り、デリシアはこの中での唯一の安心、リアムへ少しだけ近付いた。確信はない。けれど、その歩み寄りを見てサブリナは、リアムが必要なことを全てデリシアから聞き出してくれる気がしたのだった。
「馬は大丈夫だったよな?」
「ええ。でも、本当にいいの」
「勿論。折角会ったんだ、送りついでに飯でもご馳走してやるよ。ファルコールの飯はどこも旨いだろ」
「まだパンしか食べてないけれど、ええ、美味しかったわ」
早速リアムが聞き出したデリシアに関する情報。直接サブリナに関係することではないが、そこにいた三人は不思議に思った。勿論隣にいる二人も。プレストン子爵から聞いていたデリシアの宿は、ファルコールでよくある形態の一階は食堂になっているタイプだ。下に降りれば手頃な価格で美味しい食事を提供してくれる。しかもピザもパングラタンも取り入れ、最近ではキノコとベーコンを炒めたものを挟んだサンドイッチが人気の食堂だ。女性一人でも気軽に食べられる量を提供することが可能だというのに、まだパンしか食べていないとはどういうことだろうか。
「結婚が近いから、ドレスの為に食事を控えているのか」
「ううん。結婚の予定どころか、相手もいないわ」
小さく首を振りながら、リアムの冗談口調を否定したデリシア。そしてその態度から、これ以上の質問をここではしないで欲しいという気持ちをリアムは察した。だから、デリシアの滞在する宿の食堂にやってくると改めて尋ねたのだった。
「どうしてパンしか食ってないんだ」




