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ジョイスが不敵な笑みと評した表情は、好都合な人物を手元に残すことが出来たとつい喜んでしまった薫の本音が漏れたものだった。
恐らく、そう間を開けずにマーカム子爵が到着するだろう。ハーヴァンにはその時に従者の一人として付いてきてもらいたいと薫は考えたのだった。ケビンとノーマンでは力不足とは言わないが、リプセット公爵家に仕えるクロンデール子爵家の次男であるハーヴァンの方が何となく相手に圧を掛けられるだろうと思い。
勿論生命の危機に関する圧ならば、ケビンとノーマンだけれども正式な初顔合わせでそれはちょっと…。
「ナーサ、お皿を下げてもらえる?その序にノーマンにここに来るよう声を掛けてきて。あと、人数分のお茶もお願い」
「はい」
スープ皿の乗ったトレイをハーヴァンの上からナーサに渡したときに、薫は放った言葉以外にも小声で囁いた。『お茶の数は任せるわ』と。
ナーサは理解しただろう。薫がこれからジョイスと話し合いをするから、喉を潤すお茶が欲しいと言ったことを。
そして、ノーマンを呼ぶように言った理由も。更には、お茶の数を任せたのは、ナーサは好きにしていいと言いたかったのだと。
薫はハーヴァンのベッド横の椅子に座り直し、これからの話し合いで鬼が出るか蛇が出るかと考えた。しかし何が出ようと、薫のスタンスは変わらない。これからもファルコールでスカーレットの希望を叶えつつ楽しい生活を送るだけだ。
いざとなったらマーカム子爵に結婚してもらえるという保険付きの生活を。まあ、保険がおりるのは事故等あまり思わしくない状況なので、避けたいが。
兎に角、楽しい生活を送る為、リスクを回避するのに有用な情報をジョイスからなるべく多く引き出せればいい。
少しすると、ナーサがノーマンと共に戻ってきた。二人の手には三人分のお茶とお茶菓子が。
お茶菓子は、アップルプレザーブ入りのパウンドケーキ。新鮮な卵とバターを作った薫の自信作だ。
「ハーヴァンさん、パウンドケーキは食べられそう?」
「少しいただけますか?」
薫はハーヴァンにお茶とパウンドケーキが一切れ乗ったトレイを差し出すと、わたし達はあちらへとセンターテーブルセットへ移動した。
「ジョイさん、どうぞお掛けになって」
そしてジョイスにはハーヴァンへ背を向け座らせると、薫も席に付いたのだった。まるでマフィア映画で見たような構図。ケビン達は直立のまま、薫の後ろに控えた。ナーサ達が三人分しかお茶を持ってこなかった理由はこの位置関係を望んだからだろうが、これではスカーレットの顔が美し過ぎることも手伝って悪の組織感が否めない。
しかし、目の前に座るジョイスは借り物の服を着ていても生まれながらの公爵子息。圧など無いかのように、こちらに真っ直ぐ視線を向けゆったり座っている。
昨夜の儚げ濡れ鼠姿も特定の感情をそそる姿だったが、ジョイスにはこの余裕のある美少年姿が一番しっくりくるのかもしれない。『さあ、いつでも質問をどうぞ』という雰囲気を醸し出すような。
流石公爵家の人間と薫は思いながらお茶を口に含ませたが、ジョイスもまたスカーレットを観察していた。
ハーヴァンの利き手を見抜き、馬の交換をせざるを得ないよう追い込んだスカーレット。今は微かな笑みを浮かべているが、騙されてはいけない。感情を見せないようにすること同様、一定の表情を保つこともスカーレットには造作ないはずだから。昨夜ジョイスを信じることは出来ないと言ったスカーレットが、本当の笑みを見せてくれることなどないだろう。
昔のような屈託のないスカーレットの笑みを見たい、そして信用してもらえる関係を築きたいとジョイスは心から願った。まるで悪夢のようだったこの数年を無かったことに出来ない以上、ジョイスはマイナスからのスタートを切り、少しでもゼロに近付くしかない。しかしジョイスは、今はまだアルフレッドの側近。
目の前にいるスカーレットとは少しでも昔のようになりたいが、遠く王都にいるアルフレッドとは現在も王族と家臣としての主従関係。
ジョイスは心の中で願った、どうかスカーレットからの質問が全て話しやすいものであるようにと。そんな馬鹿なことはないと知りながら。




