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大豆が届くまでに夕食の下ごしらえは全て終わった。そしてトビアスの怪訝な顔も終わった。
「驚いた、この豆はこの状態だと茹でるだけで食べられるとは」
「備蓄や運搬にはこの状態は向かないけれど、産地ではこうして食べれるわ。トウモロコシも産地ならではの美味しさだったでしょう」
「ああ。ここは旨いものが沢山あるし、温泉もあって滞在するには良い所だ。ところで、サビィは良く自分達の国の習慣まで知っていてくれたものだ」
「実はわたし不妊に悩んでいたの。それで隣国の習慣に行き着いたのよ。豆飲料は子宝に恵まれるという縁起物だから、あなた達の国では女性が良く飲むという」
「そうだったのか。子宝は別にしても、髪が艶やかになるとも言われている」
「ええ、それも色々調べていく内に知ったわ。だから…、あっ」
「どうしたの、サビィ?」
「実は…」
サブリナはセーレライド侯爵家との取引量を増やす為に、次なる輸出品を既に用意し始めていたことを話した。それは大豆。しかもこの国でも最高品質の一つだと思われるものだった。
「どうしよう、既に取引先の子爵家と五年契約を結んでしまったのに…。オランデール伯爵家で上手く活用してくれるかしら。本当に良い商品なの」
「サビィ、ありがとう。自分達の国の為に良い商品を見つけてくれたなんて。出来ればそれを買い付けたいな。君は信用出来る人だから。しかし、まだ何の取引も告げられていない商品をこちらから名指しで指定すれば、オランデール伯爵家はこれ見よがしに高値を吹っ掛けそうだ」
「トビー、国に戻ったらあなたのお父様がオランデール伯爵と今回どういう話をしたか聞いてきてもらってもいい?場合によっては、キャストール侯爵家がその豆をどうにか出来るかもしれないから。だってサビィの努力を全てオランデール伯爵家に吸い上げられるのは癪でしょう」
「伯爵家のことはもうどうでもいいわ。でも豆の苗を渡される領民には困って欲しくない。彼らがあの大豆という豆を上手く育てて、利益を得られると良いのだけれど。本当に品質の良いものだけに、無駄にだけはしたくないわ」
「そうね、トビーの国では縁起物の豆だもの、この国にも良いことを届けてくれるわ」
セーレライド侯爵家が既にオランデール伯爵家との取引を解消したことを知らない薫達はこれからオランデール伯爵領で育つ品質の良い大豆の未来を話し合った。そしてそこからトビアスの国の風習や、更にその先の国の特色なども。
「キャァリントン侯爵のご子息、テレンス様が末姫の婚約者に選ばれたようだから、これからはあちらの国までの交易も盛んになるはずだ」
「実はそのテレンスは幼馴染みなの。前に話した貴族学院の時のことで関係が悪くなってしまったけれど。あなたが目指す事業が進めば、人もモノも移動し易くなる。過去に縛られて未来を無駄にするのは、馬鹿馬鹿しい。だから移動し易くなった時には、わたしもテレンスに会えるかしら?ね、ジョイ」
不意に話を振られたジョイスは心の中で『スカーレットの笑顔の為』と唱えてから、トビアスに『トビアス、戻ってきたら、具体的に話を進めよう』と伝えたのだった。




