王都オランデール伯爵家36
セーレライド侯爵家との取引が解消された後、ジャスティンは数日間部屋に引きこもってしまった。オランデール伯爵はそれをジャスティンに必要な気持ちを切り替える為の時間、再出発に向けた準備期間として許した。しかしいつまでもそれを許す訳には行かない。ジャスティンはオランデール伯爵家の後継であり、これからはしっかりと執務に当たらせなければならないのだから。
しかもジャスティンはオランデール伯爵家の代表としてこれまでの数年間他の貴族や大きな商家と取引を行ってきたことになっている。そのジャスティンが今更みっともない間違えを犯すなど許されようがない。メイド長が担当する使用人絡みのことや食材を納入させている商人への支払いのように多少の間違いならば誤魔化せることではないのだ。尤も、そのメイド長の仕事のレベルもまだ多少には程遠いが。
伯爵がジャスティンを呼んだのは、手間だとしても他家と結んだ契約内容を二人で再認識し共有したかったから。そして、その契約を何故結んだのかその時に考えていたことを知っておくべきだと感じたからだった。
しかし蓋を開けてみて伯爵は驚いた。出て来たものがあまりにも良い品で驚けたならどれだけ良かったか。
「どうして、この豆を選んだのだ?」
「サブリナがこれを選びました」
「その理由を聞いているのだ」
「父上がセーレライド侯爵家との取引量を増やすことを望んでいるから、そうなるようにしろとサブリナに指示をしたところこの豆を選んだのです」
「サブリナは選んだ理由をおまえに伝えなかったのか」
「何か言っていたとは…思います。確か、隣国のことを」
サブリナが近隣の貴族家と結んだ五年契約は豆の苗を買い付けるというもの。種からよりは、苗での栽培。それは発芽率等を考え、そうしたのは分かる。しかし、どうしてこの豆を選んだのか肝心な理由がサブリナの頭の中にしかないとは。ジャスティンもその時は聞いていたのだろうが、覚えていないのでは話にならない。
オリアナの実家の商家のように、貴族家との契約を一方的に解消することは難しい。オリアナの家だって、娘の不始末を理由に言い切ったようなものだ。既に結ばれてしまっている五年契約。買い取ってもらうはずだったセーレライド侯爵家との取引が消えた以上、どう利用すべきか。隣国でこの豆が売れるならば、他家を当たるのもいいかもしれない。しかしそれには隣国の言葉を話す必要がある。通訳を雇えば、サブリナが目を付けたこの豆が隣国で売れることが瞬く間に知れ渡る可能性もあるだろう。
…そういうことか、サブリナは予防線を張ったのだ。五年は苗をこの金額で仕入れられるよう。この豆を他領が欲せば種も苗も代金が上がるだろうから。
伯爵は使い物にならないジャスティンを見ながら考えた。話を聞けば聞く程、今迄の仕事の形跡を見れば見る程、サブリナが優秀だったことが分かる。それなのに、何の文句も言わず働き続けたのはジャスティンの愛に溺れたからだろうかと。
この世にジャスティンは一人だけ。これを餌にサブリナを釣ればいいのではないだろうか。離縁された可哀そうなサブリナに優しいオランデール伯爵家が救いの手を差し伸べたとするように。しかし、後継作りを考えると新たに迎えるジャスティンの妻が嫌がるだろうからここに置くことは出来ない。
日々の業務と並行して何か策を考えなければいけないと伯爵は思った。まさかサブリナが紛い物の愛から目を覚まし、人として、女性として愛される喜びを知ってしまったなどこの時の伯爵には考えようもなかった。




