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言葉もなく見つめ合ったのは恐らく数分。冷たい印象を与えがちで、人によっては突き放されるような印象を受けてしまうジョイスのアイスブルーの瞳。それが薫にはその美しさに吸い込まれ、囚われるようだった。
「そろそろ行かないと。ここの料理人も準備があるでしょうから」
「ああ」
見つめ合った後はどうすればいいのか。もっと深い関係の相手とだったら、その後は決まっている。抱きしめ合い、そして口付けを交わすのだろう。しかしジョイスは幼馴染みで、今の立場はスカーレットを身近で守る護衛騎士。この視線にどういう意味があるのか分からない以上、薫は言葉で流れを切るしかなかった。
アイスブルーの瞳から解放され横並びに歩き始めれば、薫はジョイスといつものように話をすることが出来た。
「みんな美味しいパンを作ってくれるかしら」
「大丈夫だと思う。パン屋は既に納入先があるし、余ったとしても当面は騎士宿舎で買い取ることになっているんだから」
「そうね、わたし達は当分オニオンスープやパンブレッドを食べる覚悟を決めているものね」
「宿舎の騎士達は上手いものが食べられるって喜んでいたけど、俺はそんなに買い取らなくてもいいんじゃないかと思ってる」
「そう?」
「温泉施設のお陰で、ファルコールに滞在する者達が増えているんだ。隣国へ向かう商人達はここで宿泊し英気を養っているから、旨い食べ物は売れるよ。しかもケレット辺境伯の入口までを考えたら、サンドイッチを多めに買って持って行きたいだろうし。それに最近では、近隣の町の者が温泉の噂を聞いて遊びに来ている。丁度良いタイミングだと思う」
前世の会社では何でも一人でやらなければならなかった薫。立案、営業訪問、営業先への説明に社内の役員への説明、そして費用対効果の算出に経理処理。
今回パンの作り方説明を自分でやろうとしたのも、過去の状況がそうさせたのかもしれない。どうせ数字を出すまで、誰も手伝ってくれない環境、そして上手くいかなければ薫の責任になり、成功すれば役員達の報酬に繋がるという。
でも、今回のパン作り教室ではみんなが助けてくれた。考え、意見を出し、計画を立て、準備をする。しかもジョイスは前世言うところのマーケット調査もしていてくれたようだ。
「そうなるとパン以外にも、新たなことを広めるチャンスね」
「ピザはどう?」
「うん、わたしもそう思っていた。デズモンドのお陰で野菜も上手くいっているし」
「トウモロコシ粉のように加工方法がない野菜は出来るだけ早く消費した方がいいだろうから」
話している内容はこれからのファルコールにとり重要なことだ。パン屋達には今後の需要が見込めるというその理由と、在庫を抱えるリスクはとらなくてもいいという。しかし、この会話では何かが物足りないと薫は思った。




