王都キャストール侯爵家26
キャストール侯爵は執務机の上に置かれた手紙と報告書を見つめた。一つは既に目を通し、一つは内容のみを把握している。そして内容の把握のみしかしていない手紙は、スカーレットがアルフレッドに王宮の担当官に検められることなく届けて欲しいと願うもの。
ダニエルが次の会議へ参加する時に持たせてもいいが、さりげなくアルフレッドに手渡せるかは怪しい。だったら理由を作って自ら届けるのが一番確実だと侯爵は考えた。少し経ってしまったが、ダニエルのファルコール行きの礼という妥当な理由もあることだ。それにこの理由を使えば、周囲はこの時間経過を勝手に侯爵の怒りがまだ収まりきれていないからだと推測するだろう。
間も無くキャリントン侯爵家で隣国からも客を招いて大きな晩餐会が催される。アルフレッドもそれに参加するので、訪問伺いへの返事は遅くなると侯爵は考えながら一筆認めたのだった。
しかし、アルフレッドからの返事は直ぐにやって来た。そして思わずにはいられなかった、どうして今なのかと、そして自分相手になのかと。この迅速な対応を貴族学院在学中のスカーレットにしてもらえていたならば…
アルフレッドの返信とスカーレットの手紙を見比べながら、侯爵はあの日の会話を思い出した。
『これだけは確認させて欲しい。スカーレットは、本当はアルフレッド殿下が好きだったのか?』
『好きかと聞かれれば、好きでした。ただ、それは国を発展させる為のパートナーとして。恋情とは違います』
アルフレッドからの婚約破棄に対しスカーレットが考えた策を聞いた時、侯爵は気になったことを尋ねた。アルフレッドのことを本当に好きだったのかと。
幼なくして婚約したあの日から貴族学院に入学した頃までは、周囲の誰の目にも互いに思い遣り上手くいっているように見えた二人。それなのに、その後の数年でそんなにも関係性は変わるのだろうかと侯爵も思ったほどだ。けれど自由に恋をすることなく、否、そのような状況など未来の王子妃に与えられることなく十八になったスカーレットには『好き』という段階が天辺だったのではないだろうか。
伝説の生き物、人魚が海の底から水面をいつも眺め、そこを空だと思うように。その天辺を突き抜けないことには、先の世界の存在も本当の空も知らないままだ。どうやらアルフレッドは先に天辺から顔を出し、その空気を吸ってしまったようだが。
侯爵はもう一度ケビンの報告内容を思い返した。
『時間の経過と共に、王太子殿下に対する以前のお気持ちが現れたようです。大切な幼馴染の周囲から人が去ることにお心を痛めたのでしょう』
『閣下が気にされていた、何か、をわたしとしては認めたくありませんがデズモンド・マーカムは持ち合わせているようです。それも、その種類の中では一番持って欲しくないものを』
アルフレッドにはキャリントン侯爵家で晩餐会が開かれる前に手紙を渡せることになってしまった。皮肉を言うべきか、気遣いを見せるべきか。スカーレットが望むのは後者だろうが、ここ数年の貴族学院でのことを細部まで知れば知る程、侯爵は前者を選択したくなる。そして、あのケビンがデズモンドにスカーレットへの確かな愛情があると知らせてきた。ケビンを信用していないわけではないが、侯爵は自分の目でそれを確認したいと思った。しかし立場上簡単に動けないことをもどかしく思う他無かったのだった。




