31
あの三人がどうしているのか。考えたところで、薫の心が動くことはなかった。しかも考えたのはたった数十秒。至った結論はここで考えてもしょうがない、というあっけらかんとしたものだった。
それに薫が考えたところで、既に切れた縁。冷たいようだが、どうにか出来るものでもない。
こう言っては失礼だが、そんなことよりもその内必ずやって来るマーカム子爵への対応を決めるのが先だろう。
「マーカム子爵にはわたしから挨拶へ行った方がいいのかしら?」
「それは不要だと思います。スカーレット様はお心を病んでしまい、外には出られないことになっていますから。わたしの目の前にいるキャロルさんは日々忙しいし、お貴族様に知り合い等いないでしょう、ドミニク様は別として」
「ふふ、なかなか言うわね、ケビン。わたし、そういうの嫌いではないわ。寧ろ、好きよ」
「ありがとうございます」
「こちらこそありがとう、わたしが知らないところで色々動いてくれていて。あ、そうだ、スコットさんと騎士の皆さんにここに住むよう言っちゃったけど、問題ない?」
「問題どころか、その方が良いと思います。」
「と言うと?」
ケビンの話では、スコット達がこの館に滞在することでケレット辺境伯家がいつでも動けることを示すという。万が一にもスカーレットが王都へ呼び戻されない為に一役買ってくれるだろうとのこと。
「スカーレットにはもう何の価値もないでしょうに。王子に貴族の子女達の面前で婚約破棄を突き付けられた傷物令嬢よ」
「貴族間のことは俺には分かりません。分かるのは、目の前にいるキャロルさんはとても素晴らしい人物ということです」
それなりに顔が整っているワイルド系のケビンの言葉に、薫はつい顔を赤らめてしまった。スカーレットの容姿が良いことは分かっている。でも、ケビンはその中の人物、即ち薫の為人を褒めてくれたのだ。
中身はアラフォーの薫だが、そんなことを言われれば嬉しいし、照れもする。
「…ありがとう。今のわたしをいつも傍にいてくれる人にそう言ってもらえるのはとても嬉しい」
「俺だけでなく、ノーマンもナーサも思っています。そんなキャロルさんの毎日を俺達は守りたいんです。だから、これから話すことは常に心のどこかに留め置いて下さい」
ケビンは予想されるマーカム子爵の役割を話してくれた。国境検問所に居るということは、逸早く隣国へ向かう者とやって来る者の情報を知ることが出来る立場だと。
今迄のキャストール侯爵家の国境管理方法は、出入国の記録と税収を定期的に王宮へ送るものだった。他の国境検問所で国が行っている方法を、キャストール侯爵家でも倣って行っていたに過ぎない。
しかしスカーレットがアルフレッドから婚約を破棄された以上、今迄のようにキャストール侯爵家で代行し続けるのもおかしな話になってしまう。だから、本来治めるべき国へその機能が移されるのは当然のこと。しかし、その場合役人は他の国境検問所から来るのが普通の流れ。
それなのに、やって来るのはマーカム子爵。
「マーカム子爵は特定の人物の動きを把握する為に送られて来るのでしょう」
「調べるのではなく、知る立場を利用するということね」
「その通りです」
「話の流れからすると考えるまでもなく、その特定の人物は言いたくはないけれど、もう価値のないスカーレット、それにケレット辺境伯家やお母様のご実家の人間といったところかしら」
「それも、その通りです」
スカーレットは長きにわたり王子妃教育を受けてきた。様々な国の言葉や作法、国内の貴族の勢力図。薫はその膨大な量を引き継いだのだが、これらを学んだスカーレットの努力は凄まじいものだったろうと簡単に想像が付く。
当然、中には重要事項も含まれている。
そんなスカーレットが親族とはいえ、隣国の貴族と接触するのを監視する役割をマーカム子爵は請け負っているのだろう。
「いくら様々な教育を受けたからといって、心が病んで王都を離れたスカーレットにそこまでする価値があるかしら?」
「あるから、キャリントン侯爵は腹心のマーカム子爵を送ってくるのです。最後は仮令爵位を手放すことになろうと、お嬢様に直に接触して欲しいと」
「そんな、子爵位を手放してまでだなんて。やっぱり挨拶がてら伝えた方がいいかしら。わたしは、これ以上療養の為にどこかへは行かないと。特に隣国へは」
薫にはスカーレットとの約束がある。キャストール侯爵家の為になることをしながら、自身のこれからの人生を楽しむという。それがある以上、隣国へ渡る可能性はほぼゼロなのだが。
「いえ、国としてはスカーレット様が隣国の貴族と婚姻を結ぶことを恐れているのです。貴族どころか、スカーレット様ならば王族とも婚姻を結べます」
「殿下にあんな風に婚約破棄されたわたしを欲する貴族なんていないわよ。ましてや王族なんて」
「今回ばかりはその通りですとは言えませんね。何より、あなたが今、このファルコールにいることが国にとっては脅威でしょう。持参金として水源のあるこのファルコールを持って行かれるやもしれませんから」
「…」
「お気付きですね、キャリントン侯爵は国の為に動く。マーカム子爵はお嬢様を説得する最後の砦です」
薫がファルコールを選んだ理由は畜産研究所や山間部で温泉が出るかもしれないという単純なものだった。しかし、国にとってはまさかの場所だったのだろう。
蝶よ花よと王都で育てられた侯爵令嬢が好んで住みたがる場所ではないし、何より娘を愛して止まないキャストール侯爵が手元から放すとは誰も考えていなかったはずだ。
「ということは、わたしが足繫く隣国へ遊びに行ったら、マーカム子爵が求婚してくれるかもしれないわね」
「それは否定出来ませんね」
「え、そこ、否定しないの?」
思いっきり政略ありきの求婚になりそうだが、十歳くらい年上のマーカム子爵との恋もいいかもと思う薫だった。




