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夕食後、薫はケビンとノーマンをお茶に誘った。勿論目的はお茶を飲むことではない。
「それで、二人は知っていたのよね、ドミニクが話したことは」
「はい。ですが、キャロルさんの生活は変わりませんのでご安心下さい。今のまま、キャロルさんとして自由にお過ごしいただけます」
「でも、新たにやって来るという役人が未知数よね」
「恐らく、業務に没頭するあまりこちらのことなど気にする余裕もないでしょう」
薫と接する時の顔付きとは違うケビン。あからさまに何か悪いことを考えていそうな目をしている。
「国境検問所は重要な機関なのだから、彼等が困るようなことはないでしょうね?」
「今まで代官所と共にキャストール侯爵から仕事を引き受けていたプレストン子爵は既に書類を見やすいよう配置し、国への報告方法を纏めた手順書も作り、彼等を迎える準備を始めております。ですので、仕事に関しては問題ないかと思います」
その言い方、と薫は思った。仕事で問題はなくても、他であると言っているようなものだ。
「ところでケビン達は新たにやって来る役人が誰か知っている?ううん、教えてちょうだい、誰が来るの?」
「マーカム子爵です」
「えっ、でも、マーカム子爵は…、だって、マーカム子爵はキャリントン侯爵家の」
「はい、それでもファルコールへやって来るのはマーカム子爵です」
マーカム子爵家はキャリントン侯爵家の分家筋。現マーカム子爵は二十代後半で、キャリントン侯爵からの信頼も厚く仕事も出来る人物だとスカーレットの記憶には記されている。それが故に、キャリントン侯爵領内でマーカム子爵は農地改革等重要な仕事を引き受けていたはず。
それなのに、何故ファルコールへ。しかも、お門違いな国境検問所の仕事など。
「どういうこと?」
「お詫びだと聞いています」
「お詫び?」
「キャリントン侯爵はご子息の貴族学院でのスカーレット様への振る舞いを知り、キャストール侯爵家へ正式な謝罪と共にスカーレット様へお詫びをしたいと願ったそうです」
「もういいのに」
「はい、キャストール侯爵も謝罪を受け入れるのみにし、スカーレット様に関しては療養中なのでそっとしておいて欲しいと伝えました」
「でも、貴族の面子ってやつかしら、それで終わりにはならなかったのね」
「その通りです。そこでキャリントン侯爵はご自身の腹心をファルコールで使ってくれとマーカム子爵を送ることにしたそうです。ご自身の身を削る為にも」
「でも、侯爵の腹心ということで、寧ろマーカム子爵こそが諜報員扱いされないかしら」
「疑わしい行動を取れば、すぐさまマーカム子爵は拘束され爵位もはく奪される条件です」
「それはそれで、マーカム子爵には過ごし難いわね。だって疑わしい行動ってあまりにも曖昧だわ」
「ファルコール領の兵達、いえ、準騎士達は厳しい目でマーカム子爵を見ることでしょうから、おっしゃる通りです」
マーカム子爵は文字通り四面楚歌だ。厳密に言うと楚の歌があらゆる方向から聞こえるのではなく、準騎士達の鋭い視線が至る所から降り注ぐのだが。
しかもマーカム子爵の職場は国境検問所。当然、準騎士達が常駐する環境だ。確かにケビンが最初に言ったように、マーカム子爵は些細な疑いも持たれないよう、仕事を誠心誠意こなし、信頼を少しずつ得ていかないことにはどうしようもないだろう。
「それにしても、キャリントン侯爵も態々ファルコールを選ばなくてもいいのに」
「そこは、別の理由もあったようです。殿下を諫める立場のご子息がその役割を果たせなかったので、国の機関があるこのファルコール選んだと聞いています」
「そう」
薫の脳裏にアルフレッドの側近であり同級生だったテレンスの顔が浮かんだ。
シシリアの養女先が決まり、全てが上手く動き出していたのならマーカム子爵がファルコールに来ることもなかったし、キャリントン侯爵が詫びることもなかったのかもしれない。
スカーレットは悪のまま、シシリアだけが持て囃され、世の中が進んでいったのだから。
でも、創造主に保証された世界は終わった。
人は優遇され続けることに慣れると、それが少し減っただけでも冷遇されたと勘違いする。減っただけで、まだ優遇されていたとしても。
ところが、この世界はあの日を境に想像主からの全ての優遇が無くなった。
薫はファルコールでの生活が楽し過ぎて、アルフレッド、ジョイス、テレンスのことをすっかり記憶の彼方へと押しやっていた。しかし、テレンスの父であるキャリントン侯爵の名を聞いて、三人が今どうしているのだろうかと考えずにはいられなかった。
そろそろ新たな菌を…。次は放線菌かなぁ。いや、菌より恋愛!




