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ダニエルは特別と言った。オランデール伯爵家ではサブリナを大切と言い、嘗て薫は最高のパートナーと表現された。
真に特別、大切、最高のパートナーになれる女性も勿論存在する。けれど残念なことに、スカーレット、サブリナ、そして薫は違った。三人ともある時点で過去を振り返れば都合が良かっただけだ。
スカーレットに至っては金と力がある侯爵令嬢ということで、子爵令嬢シシリアとの対比用に物語上とても便利な存在だった。薫が読んだことのないその物語の中でスカーレットは性悪に描かれ、読み手から総スカンを食らうよう正しく悪役令嬢だったことだろう。
既にアルフレッドの婚約者ではなくなったスカーレットに対しダニエルが使った特別ではないという表現。しかし、創造主に決められていた役割を担っていたという点ではスカーレットは特別で、その存在理由は特別ではなく最悪だった。
ダニエルの質問内容は良く分かる。それにスカーレットの記憶の中でも一際ペリドットのエピソードは思い出されてならない。けれど、不思議なことにあのペリドットの首飾りがシシリアの胸元で光る様子を見た瞬間のスカーレットの気持ちや思いは深い湖の底に沈んだかのようにそこにあるのは分かるのに見え辛い。大まかな感情は分かるのに、細部まではスカーレットの記憶や体を受け継いだ薫ですら難しいのだ。
「その意味…」
「キャロル、そんなに辛そうな表情を浮かべないで欲しい。見ている俺まで辛くなるから。けれど、出来れば俺もその意味を知りたい。君をそんな表情にするペリドットのことを、君に涙を流させた理由を。話すことで君自身の気持ちを整理して、内容を共有した俺達と乗り越えていこう」
「乗り越える?」
「殿下が贈ったのには何か理由があるはずだ。乗り越えなければ君はまた同じようにそれに囚われる」
薫はデズモンドの言葉に、視線を正面のダニエルから隣に居る声の主に移した。その瞬間、デズモンドはいつもの色気が漏れる美しい笑みを見せてくれたのだが、不思議とそこには安心感もあった。
どうしてなのだろうか。デズモンドの笑みのどこに安心を覚える要素があるというのだろう。薫は不思議でならなかった。けれど、短い期間ではあるが知らず知らずの内にデズモンドという人物を理解したからこそ、笑みを通して心を見たのかもしれないと薫は考えた。
ファルコールで心穏やかにのんびり楽しく暮らす。その為にも不安要素は取り除かなければならない。薫は『二人の幸せな秘密』を、ただの過去に聞いただけの言葉にするならば今だと思った。秘密は守るもの。けれど、守られなかった秘密はただの言葉、しかも今のアルフレッドとスカーレットの関係ならば戯言に過ぎなくなる。
そう考え話をしようとした時だった、扉がノックされたのは。そしてホテル風スクランブルエッグを利用したエッグサンドをサブリナがノーマンと共に運んで来てくれたのだった。
頭の中を整理する為にも話すことは重要だと教えてくれたサブリナ。しかし何より薫にとりサブリナの姿を今目にすることは、クリスタルからの贈り物の意味を理解した上でお礼だけを手紙にすると言ったあの姿勢を思い出させてくれた。
乗り越えたのなら、その先のアクションも取れるはず。
「ダニエル、デズ、先に折角のエッグサンドを食べてみて。わたしの自信作なの」
「姉上の自信作?」
「わたし、ここでは料理もしているの。お腹を満たしたら、さっきの質問に答えるわ。そして、お願い、その解答はわたし側から見たことだけ。出来れば男性のあなた達にそこに殿下は何を思っていたのか考えて欲しいの」
アルフレッドが意味もなく『特注品』を作ってもらうことなど考え難い。何かの布石であるのならば、考えられる可能性は知っておきたいと薫は思ったのだった。




