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新たな調理器具の使用感確認とサンドイッチの試食が終わり、薫がナーサとあれこれ話していると手紙を携えたサブリナがやって来た。
「この手紙を通常の方法で王都へ出して欲しいのだけれど」
通常の方法、即ち急ぎではないとサブリナは言っていると薫は理解した。そして目に入った宛先に驚いてしまった。
「この修道院は…」
「ええ、クリスタル様が奉仕活動をされているところよ。頂いた贈り物にお礼の手紙を出さなくてはと思って」
クリスタルからの贈り物はサブリナに圧を掛ける為のもの。それだというのに、サブリナはそんな贈り物に対しお礼を書いたのだという。
「安心して、離縁に関しては何も触れていないわ。離縁を家と家との問題として片付ける為にも、その方が良いでしょ。わたしから個人的にクリスタル様へ離縁の意思を伝えては、折角の段取りがおかしくなってしまうもの」
「そこは心配していないわ。ただ驚いただけ。お礼をするだなんて…」
「家族として過ごした時間があったのだもの、筋は通さないと。それに、本当にお礼の手紙なのよ」
サブリナは笑みを見せながら『中身を見る?』と封筒を掲げて見せた。
「ううん、その必要はないわ。でもあなたはどこまでも優しい人なのね」
「どうかしら。クリスタル様の意図を理解しているのに、有難く頂戴しましたという文章を綴っているのよ」
「ううん、クリスタル様に最後になるからと願いに応えてしまうことの方が悪いもの」
「わたしもそう思う。この手紙を読んだら、クリスタル様はわたしが贈り物の意図を理解しない愚図だと憤るでしょうね。でもそれでいいと思うの。早くにわたしという存在を切り捨てた方がこれからの為になるわ。第一、クリスタル様はいつか伯爵家を出る方だもの、嫁ぎ先にわたしはいないわ。用事がある度に伯爵家に戻って来ては、相手のお家が訝しむでしょう。まさか嫁ぎ先に兄嫁を度々呼ぶのもおかしいし。だから、ちょうど良かったのよ。そんなことにすら気が回らないなんて、わたしも迂闊というか、どうかしていたのね」
サブリナがどうかしてしまう状況に追い込まれる環境だったことに薫は胸を痛めた。あの瞬間に生を手放したスカーレットも、結果的に薫を死に至らしめてしまったなっちゃんも周囲の環境が違っていればまた違う未来があったかもしれない。群集心理とは恐ろしいものだ。
スカーレットの記憶を辿ると、極端な言い方をすれば正しく一対多。スカーレットはアルフレッドとシシリアの純愛を妨害する悪だと貴族学院では見做されていた。しかも身分が故に不遜だとか尊大だと陰で言われる始末。
薫もまた女子社員の中ではお局と言われているわりには、攻撃対象だった。仮令反応がなくても攻撃することで、鬼の首を取ったような気分になりそれが女子社員達の結束に繋がった。その環境の中にいると、どんなにおかしなことも正しいことになってしまう。
「たまたまとはいえ、クリスタル様が伯爵家にいないことも良かったのかもしれないわね。サビィからの手紙を修道院で読むことが出来るのは。腹を立てようと、癇癪を起そうと、伯爵家の中のように大切なお嬢様に同調する使用人はいないわ」
「そうね、伯爵家の中でクリスタル様は大切なお姫様だったから。腹を立てたりするようなことが起きないようにするのが、使用人のそして嫁であるわたしの務めだったわ。それを思うと、修道院での奉仕生活は大丈夫かしら」
クリスタルの修道院での生活を心配するとは、やっぱりサブリナは優しい人なのだと薫は思った。そしてサブリナの優しさをジャスティンも良く知っている。だから、こんなにも都合良くサブリナは使われてしまった。
離縁の話し合いを王都にいる前リッジウェイ子爵夫妻に任せたのは正解だろう。当人同士が顔を合わせてしまったら、ジャスティンはサブリナの優しさを突いてきた可能性があっただろうから。
「ああそうだ、サビィ、実は明日の夕方にダニエルがここにやって来るわ。良かったら少し会ってあげてちょうだい」
「まあ、久し振りだわ。もうダニーなんて呼べないわね。でも…」
「もう大丈夫よ」
作られた環境という縛りが無くなった今、ダニエルは姉との関係を取り戻したいだけの弟だとは言えない代わりに薫は微笑んだ。




