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「駄目、侯爵家の力では駄目なの。このままではいけない。わたくしはまた上手く出来ないのだわ、伯爵家の一員として」
前世で手の皮が剥ける程手を洗わずにはいられない人、外出したくてもガスを止めたか気になり外へ出られない人がいると聞いたことを薫はサブリナの様子を見て思い出した。彼らは強い不安や恐怖からそうなってしまい、脅迫症とか強迫性障害と呼ばれるとも聞いた。薫には詳しいことが分からないので、確かなことは言えないがサブリナの今のこの状況もそれに近いのではないかと思える。
サブリナは駄目とか出来ないという言葉を何度も繰り返し、強い恐怖を感じているようなのだ。
スカーレットの記憶にあるサブリナは、外国語で書かれた本を読んでくれる程外国語能力は優れていた。それに貴族学院でも優秀な成績を修めたと聞いている。駄目や出来ないという言葉とは縁遠いはず。それなのにどうして。
けれど『また上手く出来ないのだわ、伯爵家の一員として』というサブリナの発言。これは今までもサブリナが伯爵家の嫁として失敗、若しくは役割を果たせなかったことが何度もあったということだ。俄かには信じ難いが。
ツェルカが心配したようにサブリナは伯爵家という言葉に縛られている。縛られることで安定していたから、伯爵家からこんなに距離が離れ不安定になってしまったのだろうか。
「お姉様は、今、とっても伯爵家の役に立っているわ。わたくしの、侯爵家の娘の話し相手という大切な役目で」
良い方法とは思えないが、薫はサブリナの欲求を満たすことで落ち着かせるよう試みた。侯爵家の娘の要望を満たす、役に立つ伯爵家の嫁だと。
「本当に?」
「ええ、勿論」
「じゃあ、このまま伯爵家に居ても大丈夫?石女かもしれないのに」
石女という酷い言葉を自らに用いたサブリナに薫もツェルカも驚いた。長いことそのことで悩んだだろうサブリナが何でもないように使う言葉ではない、それは。
「お姉様、当分このファルコールの館で休養しましょう」
「でも…、駄目よ、せめて他のことでお役に立たなければ…。どうせ孕まないのだもの、コルセットをきつく締めて、せめて美しくいなくては…」
サブリナは結局取り留めのないことばかりを話し、最後には泣き崩れた。しかし薫にもツェルカにもどうしてこうなってしまったのかは分からない。『バザー』という言葉が鍵となり、何かをこじ開けたのは事実だろうが。
「子爵家のお邸に居る時のお嬢様はとても理知的な方でした。人前でこんな風になるなんて」
部屋に戻り泣き疲れてしまったサブリナが眠りについたのを見ながら、ツェルカが小声を漏らした。
「伯爵家を出て数日はこんなことは無かったのよね?」
「はい」
「一昨日が初めてでした、取り乱したのは」
「ねぇ、もしかしたらこれは良いことかもしれないわ。サブリナお姉様の心が叫んでいるのだもの。わたし達に何かを聞いて欲しいって。伯爵家から離れることで、わたし達にも何かが見えるかも。きつく締められたコルセットの理由も何となく見えたしね」
「はい…」
薫はその日、先ずはバザーが何を意味するのか調べなくてはいけないと思ったのだった。




