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「ここがこんなに良いところだなんて思ってもみなかったわ。一週間がとても短く感じられるもの」
「そうおっしゃっていただけて、とても光栄です。こちらはお二人のランチボックスです。使用人の方達用も既にお渡ししてあります」
「何から何までありがとう」
「いえ、わたしこそお二人に甘えてハーヴァンをお願いしてしまい申し訳ございません」
「いや、それはこちらも有り難い。王都まで馬の世話をしっかりしてもらえるのだからな」
「ええ、そうよ、キャロルさん」
「夫人、もう一つのお願いも」
「勿論よ、キャロルさん」
前リッジウェイ子爵夫妻はファルコールでの滞在を非常に喜んでくれたようだった。共にやって来た使用人、特に女性陣からは温泉で肌の調子が良くなった気がするとの有り難い声も聴けた。
なかなかバーデンバーデン推進活動は進まないが、温泉が良さそうだという噂が使用人達の間でどんどん広がれば薫としては願ったり叶ったり。王都での有効な宣伝活動になる。
しかも、今回の使用人達は医師のスコットが温泉の効果を調べようとしている姿を見ているのだ。きっと話は『なんとなく良さそうだ』ではなく、『医師が調べる程良いらしい』になるだろう。
スコットが予定よりも早くファルコールへ来てくれて本当に良かったと薫は思った。
そして、薫のもう一つの願い。食い気味に返事をしてくれたことから、夫人は王都へ戻り次第打ち合わせ通りの手紙をオランデール伯爵家のサブリナへ送ってくれることだろう。
どうしてかは分からない。けれど、薫にはサブリナが気になって仕方がないのだ。それは、サブリナのことを聞いたときの夫人の表情、それともオランデール伯爵家があのクリスタルの育った家だからなのか…。思い過ごしで終わればそれでいい。その時は、子供がなかなか出来ないサブリナへちょっとした気晴らしの滞在をしてもらうだけのこと。
兎に角会って話をしてみないことには何も分からない。そう、スカーレットは話し相手のサブリナを望んでいる。
「キャロル、短い間だったけど、色々ありがとうございました」
「過去形にしないで、ハーヴァン。待ってる、わたしじゃケレット辺境伯領から来た馬を増やせそうにないわ」
「ありがとう。言葉じゃ言い尽くせないから、いつかキャロルの役に立つよう戻ってくるよ」
「うん」
怪我の治療に病気の看病。それにハーヴァンがこのファルコールの館にいる意味まで作ってくれたキャロル。しかも滞在中は、一緒に働く仲間として扱ってくれた。ジョイスが去った後はどんな扱いでも受け入れるつもりでいたが、それは見事に杞憂に終わった。
「そうだ、ランチにはハーヴァンの好きなものを入れておいたわ。それと、前リッジウェイ子爵夫妻へのお土産とは別に、ジョイスの分も積んでもらったから。あなたがしっかり砕いてくれたクルミ入りパウンドケーキよ」
「ありがとう。この言葉しか出てこないけど、本当にありがとう」
「こちらこそ、沢山ありがとう」
ハーヴァンは次のキャロルの行動に驚いた。ジョイスとは握手をして別れたキャロルがハーヴァンを抱き締めたのだった。




