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一度押したら、押し続ける。薫は小さな力士が大きな力士を只管押し続け土俵際まで追いやった前世のテレビで観た相撲の試合を思い出した。肝心な結果は忘れてしまったが、あの取組は多いに観客を沸かせていた。
ここに観客はいないが、薫も今はあの小さな力士のように、強い意思でスコットを押し続ける時だろう。
「やっぱりバレていたか」
しかし折角意気込んだのに、薫の決意は肩透かしに終わった。スコットは簡単に貴族であることを認めたのだ。
「隠すつもりはなかったんだけど、言う必要もないことだから。でも、君みたいに貴族の目を持っている人には簡単に見破られるよね」
「今更だけれど、ここでのこんな生活でもいいのかしら?」
「それは心配いらないよ。貴族と言っても僕は三男で、もうずっと家を出てケレット辺境伯領で医師見習いとして暮らしてきた。料理だって自分でするくらいだ」
「スコット…サマも料理を?」
「キャロル、呼び方も接し方も今まで通りで。違うな、これからはスコットと呼んで欲しい。僕は今の自分が好きなんだ、医師見習いのスコットが」
「分かった。だからあなたは今のわたしを何の不思議もなく受け入れていたのね」
「不思議は沢山あるよ。どうしてこんなに綺麗なんだろうとか、料理が上手いんだろうとか、それに活発なんだろうとか。挙げればきりがない」
「やっぱり貴族ね。口が上手いもの。でも、ずっと家を離れていたらご家族は悲しまない?」
「同じことを君に言おう。そして、君の父上もきっと子供が自分の意思で突き進もうとしている姿を見守りたいと思っているともね」
「それもそうね。ところでスコットはどうして医師になろうと思ったの?」
「これから話すことを聞いても、僕を嫌わないと約束してくれるなら教えてあげる」
こんなにも好感を持てるスコットを嫌うことなど難しいと思いながら、薫は小さく頷いたのだった。
スコットの話はやんちゃだった十代中頃のものだった。話の中でスコットはさらっと公爵家生まれだと話してくれた。高位貴族家であることをひけらかすでもなく、ただ話の流れの一環として。
「僕は当時とても傲慢だったんだ。従者に傅かれて当然、護衛に守られて当然だと。従者や護衛の賃金は親が、その元は領民達が働き納めた税が元だというのにね。兄達のように領地に貢献するべく勉強も何もしていなかった」
スコットが話す声のトーンは徐々に深刻さを含んでいった。恐らくこの話の先に待っているものは『転機』。スコットが傲慢さを捨て医師を目指すようになった。
だから、これから先の話はとても重要なのだろう。しかし、薫にとっては今までの内容で確認したかったことの半分が黒だと確定してしまったことの方が重要だった。
誰かが医師を目指す時にその動機はなんだろう。安直な発想かもしれないが、身内に病人がいるとか世の中に貢献したいとかそういうことのような気がする。特にスコットは医師家系ではなく、稼業を継ぐためという理由がないのだから。
薫は何となくその先の話が怖かった。スコットが自分には病気の家族、それも妹がいると言ってしまったらと思うと。でも、ここで話を止めるのは不自然極まりない。
だから、覚悟を決めるように薫はスコットを見つめ話の先を促したのだった。薫が立てた夢への仮説が当たってしまおうとも。




