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「伯父様、どうか助けて下さい」
「ナタリア、この者は?」
「わたくしを子爵家から救い出して下さったベンジャミン様です。こちらのケレット辺境伯様の従妹、スカーレット様の忘れ形見の」
「それでメラニーは?」
「お母様はもう起き上がることも出来ません。ですが、お父様がお母様を訪ねることもなく…」
「分かった。それが断り続けたメラニーを両国の為と無理やり妻にしたジョイス・クルセット子爵の振る舞いなのだな。更にはナタリアまでをも…」
夢とは一体何なのだろう。古の時代には予知夢を見る巫女がいたなどという話を聞いたことがある。けれど、薫のこの世界での役割は巫女ではなく、国や領地を愛するスカーレット。異世界へイービルに魂を連れて来られたという点では巫女よりは珍しいだろうが、それが不思議な夢を見ることには繋がらない。
しかも夢は前回同様とても鮮明だった。そして、これも前回同様目覚めてから何の情報も抜け落ちることはない。
ただ違うとすれば、もう感情整理の為に見た部分は何もなかったと言い切れること。何故なら、始まりから終わりまで数人を除いて薫の知る人物はいなかった。その数人も今よりも年齢を重ねた姿。だから夕方に久し振りに会ったスコットを含め感情の整理をすることなどありえない。
そう、今回の夢は不思議なことに誰かが本のページを一枚一枚捲り、読み聞かせてくれるようなスカーレット没後何年も経った世界だった。
前回は幼い姿で出てきたベンジャミンは成長しより一層デズモンドに近付いていた。夢の中でナタリアと呼ばれていた少女はスコットにどことなく似た面差しを持ち、そのナタリアが話し掛けていたのは間違いなく今より年齢を重ねたスコットだ。
夢の中でスコットが幾度となく口にしたメラニーという名は、隣国の公爵家出身のご令嬢のもの。小さい頃から体が弱かったせいで婚約者を決めることが出来なかったところに、スカーレットとアルフレッドの婚約破棄で急遽両国の為にジョイスへ嫁ぐことになったのだ。
しかしメラニーはもう少し体が丈夫になったら、両親に専属医師との結婚許可を貰うつもりでいた。メラニーの兄弟達はそのことを知っていたので、両親にジョイスとの結婚を断ることは出来ないか何度も意見していたのだ。メラニーでは元気な子供は産めないと言い。
けれど、アルフレッドが婚約破棄に至ったのは隣国の別の公爵家の血筋を持つスカーレットが原因。それをカバーするには公爵家で唯一適齢期のメラニーを差し出すしかないという結論に至ってしまったのだった。
両国を繋ぐ子を誕生させる。その目的の為だけに、メラニーはジョイスに与えられたクルセット子爵家に嫁ぎ命を削るようにナタリアを産んだのだった。否、本当に命を削ったのだ。メラニーはその後まともに起き上がることは出来なくなった。
そして用済みとでもいうかのように、ジョイスが子爵邸に立ち寄ることはほとんどなくなってしまったのだった。




