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薫がデズモンドに依頼した作物は『コクがあるのにまろやかな醤油になる大豆』、『大粒枝豆が出来る大豆』、『灰汁のない砂糖大根』の三つだ。勿論こんなに長々とした名前の作物名は伏せ、大豆が二種と砂糖の原料になる根菜と伝えた。
どれも今年は諦めていた作物なので作付け時期は逃してしまった。だからこそ、デズモンドには試験的に育て様子を見て欲しいとお願いしたのだ。
「試験的ということなら、尚更キャロルの目の届くところで植えて様子が見られるようにしたほうがいいね」
どんどんデズモンドが薫に近付いてくるような気がするが、これも醤油と安定した砂糖供給の為。デズモンドとの距離が縮まったくらいで薫は恋に落ちないし、妊娠の心配もない。だから種の用意同様場所も確保するとデズモンドに微笑んだのだった。
「じゃあ追加条件に双方納得ということでいいね?」
「ええ」
「そうだ、俺としたことが肝心なことを忘れていた。こんな素敵な女性にプレゼントを持ってくるのを忘れるなんて」
「気を使わないで。ここは王都と違ってファルコールだもの。手に入るものは限られているわ」
「それでも、美しい女性には少しでもそれに似合うものを贈りたいと思うのは男のサガだよ」
薫はサガという漢字は性と書くなぁと思いながら、目の前のデズモンドを見つめ続けた。そして、プレゼントは態と持ってこなかったのだろうと当たりを付けた。何故ならデズモンドのことだ、それを口実に食事以外でも訪問を企んでいてもおかしくないように思えたのだ。
「キャロルのその美しい髪には黄緑のリボンが似合いそうだ」
「えっ」
デズモンドが何となく口にした言葉に最初に反応したのはナーサだった。
「黄緑も、リボンも…。キャロルは既に沢山持っているので…」
「いくつ持っていても困るものじゃないだろうから、是非贈らせて欲しい」
「あのね、デズ、わたし、男性に贈られたリボンに縛られるのは嫌なの」
「違うよ、キャロル。縛るんじゃない、結ぶんだ。俺の気持ちをその美しい髪に。第一、君は自由だろ。俺に縛られるような女性じゃない、残念だけれど」
「「…」」
薫もナーサもどうしてよりによって黄緑色のリボンとデズモンドは口走ったのだろうと考えていた。
スカーレットの侍女だったナーサは黄緑色のリボンをアルフレッドが何度か贈ってくれたことを覚えている。だからそれが二人にとって特別な色であることも理解していた。
しかし、それを理由にデズモンドの申し出を断るわけにはいかない。ここにいるのはキャロルなのだから。
薫にいたっては、再びあの忌まわしい婚約破棄を突き付けられた瞬間を思い出していた。本物のスカーレットがこの世から心を手放してしまった瞬間を。
スカーレットはアルフレッドから婚約破棄を突き付けられる直前、シシリアの胸元を飾る大ぶりのペリドットが付いた首飾りを目にしてしまったのだ。それは二人の幸せな秘密が消えてしまったことを示していた。
「ねえ、キャロル。俺にはそれなりに経験があるから分かってしまうんだけど、どの贈り物にもその時々の思い出が付き物だ。それは時間の経過と共に更なる喜びになる時もあれば、辛いものとなってしまうこともある。でも、思い出は過去のもの、縛られてはいけない。君は過去に縛られることなく、未来という自由へ向かえる人だ。そうでないと俺が困る」
「どうしてデズが困るの?」
「だって君の進む未来は楽しそうだ。こんな辺境の地にやってきた俺を楽しませる君であって欲しい」
「買い被ってくれているのか、褒められているのか、それとも道化になれと言われているのか…どう捉えていいのか難しいところね」
「難しく考えないで。君は自由に楽しく暮らせばいい。リボンもただ結べばいいんだ。新緑のような瑞々しい黄緑色の美しいリボンを贈るから」
気付けば薫はリボンを受け取るとデズモンドへ頷いていた。




