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「夫人、ハーヴァンのこと以外にもう一つ、わたしの願いを聞き入れてはくれませんか?」
「ええ、わたくしに出来ることなら喜んで」
「ファルコールで療養中のスカーレットの話し相手になるよう、王都へ戻ったらサブリナお姉様に手紙を書いて下さい。勿論、社交シーズンが終わってからで構わないと」
「スカーレット様の?」
「はい」
薫は夫人にこの新鮮な空気と広々した雰囲気のファルコールで、サブリナに少しの間心の休暇を取ってもらったらいいのではないかと提案した。しかし、子爵家から伯爵家へ嫁いだサブリナには普通に考えたらそんなことは出来ない。そこで、心を病み療養中のスカーレットを使うことを提案したのだ。
夫人の手紙とは別に、薫はスカーレットから敢えて封蝋をしない手紙を出すことも伝えた。封蝋が無ければ、差出人にいくらスカーレット・キャストールと記入してあっても伯爵家の執事が内容改めの為に開封することを期待して。
「それは何故?」
「読んでもらいたいからです。スカーレットはサブリナお姉様に会いに行きたいけれど、貴族学院で辛辣な言葉を浴びせてきたオランデール伯爵令嬢がいるオランデール伯爵邸には恐怖で伺えないという文章を」
「クリスタル様がそんなことを?」
「ええ、彼女、貴族学院では陰湿な上攻撃的でした、スカーレットへ対して。だから心配なんです、子をなしていない子爵家出身のサブリナお姉様を酷い言葉で追い詰めていやしないか。貴族学院でのことは様々なことが明らかになってきていると聞きました。オランデール伯爵令嬢のことも調べればすぐに明らかになるでしょう。一人の元ご令嬢が修道院へ送られた今、スカーレットの言葉はある意味強い力を持ちます。そして、その後、キャストール侯爵からもサブリナお姉様に話し相手になってもらえないかという手紙が来たら?」
「オランデール伯爵家はサブリナを送り出さざるをえないわね」
「スカーレットの手紙にはちゃんとサブリナお姉様と旦那様を引き離すわけにはいかないという旨のことも書きます。上手く、お姉様と旦那様のお二人にファルコールへお越しいただけるよう。一週間でもお二人に伯爵家から離れるという休暇をプレゼントすることに、どうか協力してくださいませんか?」
「ありがとう。それはキャロルさんから頼まれることではなく、わたくしがお願いしなければいけないことよ」
「では、ご了承いただけたのですね」
「勿論よ。キャストール侯爵からここにいるあなたはキャロルさんだと伺った時にはどうしてと思ったけれど、実に上手く使い分けているのね」
前リッジウェイ子爵夫人は名前の使い分けに感心しているが、これは本当に結果がそうなっただけ。ファルコールに来る時に名前を気安く呼んでもらいたいと決めたことがこんな風に役に立つとは、あの時の薫は微塵も考えていなかった。
夫人の『サブリナはオランデール伯爵家でとてもかわいがってもらっているのよ』という言葉。嘘偽りないと言った夫人には確かに嘘はないだろう。でも、クリスタルの陰湿さは、クリスタル一人だけと言えるのかは分からない。
子供はいくらサブリナが努力しても一人ではどうにもならないことだ。そこに夫の協力がなければ。サブリナと夫が共にファルコールへやって来られるよう手を回すと夫人に伝えはしたが、それは薫が二人の関係を見極める為でもある。
スカーレットの記憶にある優しくまじめなサブリナが足元を見られていやしないか薫は心配でならないのだ。本当は社交シーズンの終わりまで待ちたくはないが、直ぐにサブリナを呼び寄せることは悪手に繋がる。夫人達がスカーレットやキャストール侯爵に何か言ったのではないかと思われてはいけない。だからもどかしくても待つしかない。スカーレットの手紙にはファルコールで前リッジウェイ子爵夫妻から見舞いの訪問を受け、サブリナのことを思い出したとでも記せばいいだろう。
成る程、夫人が言ったように『病気療養中のスカーレット』はその姿を実は誰も見たことが無いと言うのに良く働いてくれている。




