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「ええ、どうぞ、お察しの通りわたしはスカーレットでもあるもの。本当はスカーレットとして挨拶に来て、キャロルとして失礼しようと思っていたのだけれど、忘れていたみたい、スカーレットだったことを」
「それじゃあ、スカーレット、取引するモノは何?金、情報、それとも行為?君が取引を交渉と見做してやってきたなら、俺は女性とは言葉での交渉より、体での交渉を好むんだけど。まあ、最初はおしゃべりも、唇を寄せ合うことも必要だけど。言っている意味、分かっているよね?」
「ええ、勿論。だってあなたのその少し日に焼けた肌、そしてしっかりしていそうな体躯を見たら女性は肌を合わせてみたいと思うでしょ」
デズモンドの狙いは見事に外れた。刺激の強めな話をすれば怯むと思っていた無垢な侯爵令嬢が話についてきたのだ。しかもそんな話はたいしたことではないと笑みを浮かべながら。
案外その手の話もしっかりと叩き込まれているのだろうかとデズモンドは考えを改めた。アルフレッドと婚姻を結んだ後、不貞を犯せばスカーレットは即刻姦通罪を適用され刑場の露と消える人物だったのだ、言葉巧みに近付き親しくしようとする者の目的くらいは知っていて当然なのかもしれない。
ここに来るまではお子様のお守りだと思っていた仕事。これくらいの年齢の令嬢が好みそうなやりたくもない恋愛ごっこをして、なりたくもない希望の王子様になる。序に言いたくもない甘い言葉を浴びせて、砂糖で出来た沼に嵌らせる。そこまで行けば、スカーレットはデズモンドの虜になるはずだった。砂糖の沼で溺れないよう差し出された手を取った瞬間には、デズモンドの仕掛けた罠という沼に嵌る予定だったというのに。
どうやら目論みは外れたようだ。筋書きを書き換えなくてはいけない。
面倒だけど簡単だと思っていた仕事は、案外楽しめる予想がつかない仕事のようだ。
「ちょっと色気がない場所だけど、執務室っていうのもまあ有りかな。それじゃあ、君も試す?それとも、壁があまり厚くない宿だけど、今から行く?」
「壁は厚い方がいいからここで。だって、声を、誰かに聞かれたくないわ」
「へぇ」
「だって大切なことをこれから話すのだから。子爵、どうぞ食事を続けながら聞いて下さい。わたし、交渉は言葉でする方が良いと思うわ。体での交渉はどう考えてもわたしには不利、あなたの経験に負けるでしょ」
ああ本当に面白いとデズモンドは思った。夜な夜な狩りへ出かければ、狩って下さいと言わんばかりに獲物自らやって来る。狙っていない獲物まで。王都では何の苦労もない、夜の狩りを楽しみ気怠い朝を迎えればいいだけだった。それがどうだ、王都を離れてファルコールまでやって来たのに獲物は姿を現さない。ところが突然手が届きそうな所に現れ、涼しい顔をして狩りをしては駄目だと言っている。
「君も俺を利用して経験値を上げれば?」
「今は遠慮しておく。それだけの為にあなたを使うのは失礼でしょう。だって、その肌の色も体格も本当のあなたの姿をわたしに見せてくれている。ねぇ、子爵、あなたはスカーレット・キャストール侯爵令嬢が住む館傍の騎士宿舎に住みたいのよね、それは何の為?まさか毎日スカーレットに愛を囁く為じゃないでしょう。本当は監視よね?だから好きなだけ監視出来るよう、宿舎に住むことをわたしなら取りなせるわ、キャストール侯爵に。しかも、王都に『お見舞いにやって来たマーカム子爵を気に入ったスカーレットが侯爵に子爵を騎士宿舎へ住まわせるようお願いした』という噂も流せるわよ」
「どうして君がそんなことをするの?」
「取引だからよ。先ずはわたしがあなたに提示できる条件を伝えないと。あなたが喜ぶ条件をね」
「俺が喜ぶ?目の前にいる薔薇を摘む以外に、俺に喜ぶ条件はないと思うけれど」
「それはあなたが切る最後のカードでしょう?」
デズモンドは思った、この薔薇は飾られる前に棘処理などされはしないと。
『薔薇を摘む』はここでは本当にお花を摘む意味ではありません。




