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悪役令嬢・令嬢もの

それは今言うことですの?おバカな王子に婚約破棄された傷心令嬢ですが、直後に言い寄ってくる殿方たちに辟易するしかありません!

 これはもうずいぶんと前の話なのですけれど、良ければ聞いてくださらない?

 私はアドリアという王国の侯爵家の生まれです。

 当時私は王太子のアンドリュー殿下と婚約関係にありました。


 情熱的な愛情があったとは言えません。

 王妃となる責務と熱意の方が勝っていたと言えるでしょう。

 それでも私なりに彼のことは大事に想っていました。 


 けれど、自分が想うほどに相手から想われていないことってありますよね。


 これはそういうお話です。


***


「侯爵令嬢ルイーズ=ロティス、君との婚約を破棄する」


「アンドリュー様?」


 それは卒業パーティの真っ最中でした。

 大勢の来賓客も集まるホールの中心で彼は大声を張り上げます。


「君に王妃となる資格はない。己の立場を利用しての悪行非道、男爵令嬢ミナ=アルカナに対する嫌がらせの数々、知らないとは言わせないぞ!!」


「嫌がらせとは、一体何の話です?」


「ふざけるな! こちらには彼女からの証言がある!」


「アンドリュー様ぁ、怖いですぅ」


 彼の傍らで甘い声を震わせる一人のご令嬢の姿がありました。

 学園で最近何かとお騒がせの男爵令嬢です。

 アンドリュー様と最近随分と親密なご様子との噂はうかがっていました。


 彼とも話をしなくては、と考えてはいました。


 王妃教育や今夜の卒業パーティにおける来賓来客への挨拶。

 今後の予定など頭が色々なことでいっぱいで、後回しにしていた感は否めません。


 まさかこの非常識なタイミングで騒ぎを起こすとは思いませんでした。

 

「アンドリュー様、この場は人目がございます。どうぞ別室で話をしましょう」


「この場でなくては意味がないのだ! 貴様の罪を白日の下に晒してやる!」


 全く聞く耳持たない。 

 彼の悪いところが出ています。

 幼い頃から思い込みが激しく、一度そうと決め込むとひたすらに頑固なのです。


 そこから先のやり取りは酷いものでした。

 来賓来客の目のある中で、大声で私を罵る言葉の数々。

 眉根をしかめたくなるのを必死で抑えます。


 穴だらけの証言、事実確認の不備。

 原因不明の魔術が介在したと思える加害行為と思しきものもありました。

 私の関与については全く証拠とも言えないようなものばかり。

 ほとんどが苦も無く論破してしまいました。


 しかし、現実を相手に理解させることが容易かと言えばそうではありません。


 特に理解力の乏しい相手に説明するのは骨が折れます。

 まるで幼子に教え聞かせるように懇切丁寧に語っていきます。


 彼の思い込みと、理不尽さ。

 そしてこれから受けることになるであろう罰を。


 今夜は私と殿下の卒業記念パーティです。

 学生のための小規模な催しなどではありません。

 各地の有力な貴族、他国からの来賓も大勢出席されています。

 次期国王と王妃である私とアンドリュー様の顔見せとしての意味。


 婚約破棄などと騒ぐことへとの愚かしさ。

 私たちの結婚は国王陛下の名のもとに交わされた契約です。

 殿下のお母上は子爵令嬢でした。


 身分の上で彼が王子となるには侯爵家の後ろ盾が必要不可欠。

 私との婚姻によってはじめてアンドリュー様は王位継承の資格を得ること。

 国王陛下もほどなくこの会場へとやって来ます。


 一方的な言い分で婚約解消したとなれば、アンドリュー様は恐らく廃嫡される。

 その後の処罰や、殿下が至るであろう末路。


 事細かに説明して差し上げたところ、徐々に意気消沈していきます。

 顔色が面白いくらいに悪くなられました。


 かくいう私自身も、相当に気分が悪いです。


 周囲からのただならぬ好奇と哀れみの視線。 

 この日のために、どれだけ準備を重ねてきたか。


 何もかもが一瞬で砕け散ってしまった。

 もはや怒りとも言えない何かで胸の内が焼き焦がされてしまいます。


 ミナ様も「話が違う」と喚いていますが、こちらはそれどころではありません。

 彼女も何らかの悪意に晒されていたと思われるのは確かなようです。

 この日この場でなければ、誤解を解くための話も出来たでしょうに。


 しかし、あまりにタイミングが悪かった。

 最悪と言って良いです。


 こちらも、話を穏便に収めることは出来ませんでした。

 取り乱したアンドリュー様は衛兵に抱えられるようにしてご退出されます。

 ミナ様も尋問のため連れていかれました。


 疲れた。

 一方的な言いがかりに公衆の面前での婚約破棄騒動。

 なぜこのパーティの真っただ中でそれを行いますの。

 学園を卒業し、晴れて成人を迎えようという記念すべき場で。


 確か殿下の伯父上もまた、同じような騒ぎを起こし廃嫡されたという話でした。

 そのことについては彼も知っていたはずなのに。

 都合よく、自分には関係ないとでも思われていたのでしょうか。


 振り返ればアンドリュー様は座学でもその他の方面でもあと一歩という方でした。


 私も常日頃より次期国王としての自覚を求めていました。

 彼にとっては口うるさい姉のように思われていたかもしれません。


 けれど、だからといって。

 こちらの気持ちも少しは伝わっていると信じていましたのに。

 怒りと呆れを通り越し、もはや疲れしか感じません。

 元から不満を抱かれているのは感じていましたが、ここまでとは。


 これまで私なりに歩み寄りはしてきたつもりです。

 多少の遊びや気の迷いなどを責めようとは思いません。

 誠心誠意謝罪していただければ、許す余裕はあるつもりでした。


 だけど、心とはほんの短い時間でも擦り切れるものなんですね。

 心の支柱が音を立てて砕けた気分です。

 何より自分が彼の信頼を得ていなかったことがひどく虚しい。

 あまりの無力感に目の前が真っ暗になりそうでした。


 もう何も考えたくない。

 用意された部屋に一度戻ることにします。

 今だ喧騒の収まらないパーティ会場。


 あぁ、執事はどこでしょう。


「ルイーズ」


 急に名前を呼ばれ、立ち止まります。

 振り返ると、美しい金髪の殿方の姿がありました。 


「ステファン様?」


 アンドリュー様の弟君です。

 ご兄弟そろって、王妃様譲りの美しい金髪と空色の瞳をされています。

 まるで兄と似姿のような麗しい容貌でした。


 以前はとても素敵だと好ましく感じたものでした。


 けれど今は、あまり顔を合わせたくない方です。

 あまりに彼に似すぎているから。


「大変だったな、ルイーズ。わが愚兄ながら馬鹿なことをしたものだ」


「そうですね。それで何か御用でしょうか」


 話をする気分ではなく、力なく聞き返します。


「あぁ、大事な話がある。君は今回の件で兄との婚約を恐らく解消される」


「そうなるでしょうね。それが何か」


「私の妻になってほしい。君を愛している」

 

 芝居がかった仕草で右手を握られます。


 指先と指先が絡み、彼の体温と汗が伝わってきます。

 無断で身体に触れられたことへの生理的な嫌悪感。

 ぞっとして、反射的にその手を振り払います。


「一体、何を」


 抗議する間もなく、ステファン様は突然私を抱きしめてきました。


 一瞬、何が起こっているかわかりませんでした。

 理解した途端、全身に鳥肌が立ちます。

 恐怖と嫌悪と怒りが同時に襲ってきました。


「やめてくださいっ!!」


 彼を力任せに突き飛ばします。

 残念ながら非力な私では、彼を一歩後ろに下がらせる程度の効果しかありません。


「すまない、だが自分の気持ちに嘘は吐けない」


「それは、それは今言うことですの? 婚約も交わしていない女を突然抱きしめて、あまりに無礼です。申し訳ありませんが私ひどく疲れているんです。貴方のお兄様のおかげで」


「えっ」


 なぜか鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしておられます。

 私はつい先ほど、婚約破棄を突き付けられたのですよ?

 他でもない貴方の兄から。


「どうしてそんな他人ごとのような顔をされていますの? あなたはアンドリュー様の弟でしょう。もちろん彼の振る舞いにステファン様は関係ないかもしれません。ですが、なぜあの騒ぎの直後に、他でもない貴方がこのような真似をなさるのですっ!」


 とても惨めな気持ちになり、気が付けば涙声になってしまいます。


「それは、その。傷ついた君を見ていられず」


「私が傷ついているかですって? それなら先ほどまで、一体何をされていたのです? のんびりとあの方に恥を掻かされる私の姿を見物されておられたのでしょうか。私のことを想ってくださっているのでしたら、なぜ割って入ってでも彼を止めてくださらなかったのですか?」


「うっ」


 別に本当に助けてほしかったわけではありません。

 ただ、耳心地の良い言葉とは裏腹に、彼には誠実さなどが感じられないのです。


「様子見、されていたのでしょう? この女がどのような展開を迎えるのか。あるいは裏で私のために何か動いてくれていたのかもしれません。急なことで口をはさめない空気だったこともわかります。しかし、それ以前の話です。何より私に恥を掻かせたあの男性の弟と縁続きになれと?」


 胸の中にくすぶる怒りに火がついてしまいました。

 私も動揺しており、アンドリュー様に対する憤りなども再燃してしまいます。


「それは……あ、兄は兄。俺は俺だよ。それに家の問題もある」


「それはその通りですわ。けれど、私は先ほどとても気を張っていたので今少し休みたいんです。誰かに助けてほしいとか、求婚してほしいとか、少なくともこの夜には求めません。何よりも、まず私の気持ちも考えていただきたいと思います」


 自分の身体を抱きしめて、身体を震わせます。

 何とも思っていない男性に触れられることがこんなにおぞましいとは知りませんでした。


「その態度はなんだ。もう少し言葉を選ぶべきだろう」


「え?」


 ステファン様はハッとした様子で口元に手をお当てになります。

 さすがに自分の振る舞いの不味さに気付かれたようです。


 私も相応に厳しい口調になっているのは自覚しています。

 けれど、あの騒動の直後。

 気も荒く、感情的にもなろうものです。


「君は、お、俺のことをどう思っているんだ。それだけを聞きたい!!」


「ご立派な方だと思います。けれど私はつい本日まで婚約者であるアンドリュー様のことだけを考えておりました。急に他の異性のことを心に置くのは難しく感じます。いえ、はっきりとお伝えすべきかもしれません。貴方のことは少しも好きではありません。侯爵家の娘としては問題かもしれませんが、今後王家の方と縁続きになることも出来ればご遠慮したいと考えます」


 口にして初めて、自分が深く傷ついていることに思い至る。

 アンドリュー様の代わりに彼と結婚しろと言われても、気持ちがとてもついていきません。

 私の心は既に半ば折れています。


「こっ、この俺と結婚したくないと?」


「はい、微塵も」


 ステファン様は口をぱくぱくとなさっていました。

 まるで予想もしていなかった言葉をぶつけられた顔でした。

 異性関係が派手だとは聞き及んでいますが、拒絶されることに慣れておられないようです。

 

 何か言われる前に彼の前から離れることにします。

 追いつかれないように、とにかく急ぎ足で進みました。


「お嬢様、申し訳ありません」


 執事のダルタニアスが遅まきながらこちらに向かって駆けてきます。

 一体どこへ行っていたのか。

 あぁ、早くこの場から離れたい。

 

「ルイーズ嬢」


 そうこうしているうちにまた別の誰かに声をかけられます。


「チャムカ様?」


 彼は隣国のシャルハから留学に来た王太子です。

 ゆるくウェーブのかかった赤銅色の髪に褐色の肌。

 見ている者を魅了してやまない、異国情緒的な雰囲気をまとった男性です。 


「今夜はいつにもまして美しいね。先ほどの騒ぎ、見せてもらったよ」


「はい、それが。どうかいたしましたか」

 

 感情を込めず、淡々と言葉を返します。


「よければこの後、二人で会えないか。僕の下へ来てほしい。どういう意味かはわかるよね」


 この方は今しがたのやり取りを見ておられなかったのでしょうか。

 近くに寄らなくとも、何かトラブルが起こっていたことはわかると思います。


「申し訳ありませんが、ご遠慮いたします。どういうお気持ちかもわかりません」


「つれないことを言う。君のことが気になっているんだよ」


 その口調に妙に苛立ちを覚えます。


「哀れな女の愚痴をお聞きしたいのですか? チャムカ様のご興味を満足させるようなお話は出来ないように思います。失礼します」


「まぁ待ってくれ。僕は君のことが好きなんだ」


 その場を離れようとして、腕を掴まれました。

 どうして殿方はこちらの許可なく他人の肌に触れるのでしょう。

 まるで先ほどのやり取りの再現です。


「それは今言うことですの? 私、つい今しがた空気を読まない殿方に言い寄られて辟易したところなんですの」


「いや、それはあの男が」


「ステファン様だけに限った話ではありません。私は今誰ともお話ししたくないんです。若干男性不信気味になっています。空虚な愛の囁きなど耳にも入れたくありません」


 腕を振り払い、顔を隠します。

 じんわりと、目頭が熱い。

 涙がにじんでいないか、頬が赤くないか気になりました。

 時間を追うごとに、気持ちが揺れていくのがわかる。


 君のことが好きだと、アンドリュー様もいつだったか言ってくれました。

 今よりもずっと幼い頃でしたが、私にとっては誇らしい勲章のような思い出でした。

 それが一夜にしてただの石ころのような記憶になってしまうなんて。

 誰かに好きと言われても、もはや心は動かせません。


「これは随分と重傷だな。僕が君のことを癒してあげたい。一緒に国に来ないか? 出来れば妃として迎えたい。優秀で麗しい君のことをずっと以前から狂おしいほどに欲しいと思っていたんだよ」


 幸い彼は無作法に抱き締めるような真似はしてきませんでした。

 ステファン様に比べればまだしも多少はマシと考えます。

 呼吸を整え、毅然とした態度を意識します。


「何ですの? 土産として地元の特産品でも持ち帰るようなお気持ちでしょうか。そもそもいきなり現れた隣国の侯爵令嬢を、国で温かく迎え入れていただけるとでも?」


「僕が望めばそうなるよ。何よりも君の美しさだもの。誰もが良い土産を持ち帰ったと喜んでくれるさ」


 私が口にした例えとはいえ、物扱いされているような気がして気分は良くありません。

 あぁ、この方は私の見た目だけがお気に召したのですね。

 そんな意地の悪い考えがよぎります。


「チャムカ様は母国に婚約者の方がおられると聞き及んでおります。加えて、私を側妃に迎えるか正妃に迎えるかではありません。国内での政治・貴族の力関係、何より婚約者の方の精神面での影響、そうした諸々の事情を考えた上で、今のお言葉なんですの?」


「大げさだな。そこまでの話ではないさ」


 それはどうでしょうか。

 たとえ政略の婚約関係と言えど、傷つくものは傷つくんですよ。

 相手の気持ちをもっと深く考えていただきたいものです。


「そこまでの話ですわ。婚約者に裏切られた女を前に、婚約者を裏切る話を持ち掛けないでくださいませ」


「あっ」


 もうこれ以上会話を続ける気にもなれません。

 足早に離れます。

 

 場合によっては良いお話だったかもしれません。

 これから先のことを考えればどこか異国で過ごすのも悪い話ではないと感じます。

 けれど、よりにもよって今夜言うことなのでしょうか。

 傷ついた女なら簡単に引っかかるとでも思われたのでしょうか。

 

 彼なりの善意や厚意ではあるのでしょう。

 ただ、彼の気持ちに応える元気はありません。

 私には余裕などない。

 

 チャムカ様自体がどうこうというよりも、今は殿方とあまり会話したくありません。


 疲れた。

 一刻も早く自室のベットに戻って眠りたいです。

 よほど気分が悪そうに見えたのでしょうか。


「大丈夫ですか? 何なら私の肩に」


 傍を控えるように歩くダルタニアスが身を寄せてきます。


 「今は結構です」と首を振りました。

 指摘する気力はありませんが、少し距離が近く感じます。  

 そういう性分なのか、彼は私に対してやや過保護気味です。


「ル、ルイーズどの」


 再び声をかけられます。


「アズベル様」


 王宮魔術師のアズベル様でした。

 突然目の前にぬっと現れ、少し驚きます。

 長い黒髪を腰まで伸ばし、頭からフードを被ったいでたち。

 高身長と相まってどこか異様な空気を漂わせています。

 相当に目に付く姿ですが、今まで接近に気づきませんでした。

 気配を消す魔術を使っていたのかもしれません。


「き、君は、今とても困っているんじゃないか」


「はい? どういうお話でしょう」


「あの王子と、男爵令嬢の件をずっと観察し、記録していた。これから国王に訴えるのであれば、証拠の提出をしたい」


「それは助かりますが……」


「だから、詳しい話を別室でしないか。積もる話もある」


「申し訳ありませんが、今はそれどころではないのですが。あ、魔術の使用はお控えください」


 彼の周囲か淡い光が溢れたので、何かをしようとしたことを察します。

 私は魔術は使えませんが、感覚は鋭い方です。


「いや、この場から離れようと」


「急に姿を消しては周りの噂になります。お話ならここで伺います」


「オレは、君の助けになりたい。その、ずっと前から君のことを想っていた、オレと付き合ってほしい!!」


「はい?」

 

 思わず聞き返してしまいました。

 おっしゃっている意味はわかりますが、今夜はあまり聞きたくない言葉です。

 どうして次々殿方からのお声がかかるのでしょう。

 そんなに、尻軽な女にでも見えるのでしょうか。

 少し悲しくなります。


「君が望むならあいつらに制裁を与える。秘密裏に、誰にも気づかれないよう。君が彼らの断罪を強く求めるのならば毒や麻痺等の苦痛を与えることも出来る。憂さを晴らすなら協力する」


 話が不穏な方向へ流れていくのを感じます。

 若干恐ろしくなり、彼を押しとどめました。

 もしも急に抱き締められたりしたら、と思うと背筋に冷たいものが走ります。


「いえ、結構ですわ。私は彼らが今後受けるであろう罰だけで十分です。本当なら、ここまで話が拗れるよりも前に解決するのが私の望みでした。ご親切には本当に感謝いたしますわ。証拠を頂けるのは後々大変助かります。ですが、今は非常に気分が良ろしくありませんので……」


「すまない、俺が手をこまねいていたせいで。あの男爵令嬢には魔術で警告は発していたのだが、多少の痛みを与える程度では生ぬるかったようだ」


「は? あの、ひょっとして彼女に何かされていました?」


 そういえば、原因のわからない嫌がらせを受けていたというような話を聞きました。


「あぁ、君の婚約者にすり寄っていたのを知っていたから。様々な呪いをかけていた」


「ミナ=アルカナ男爵令嬢に色々と仕掛けていたということは。あのそれは、アンドリュー様や彼女の誤解を加速させる原因の一つだったのではないでしょうか」


 ことと次第によってはこの方にも詳しい話を聞く必要がありそうです。


「あの女が悪い。婚約者が居る男に近づき、あまつさえ恋人のように振舞っていた。あぁ、男の方にも一刻も早く呪いを」


「申し訳ありませんが、無関係の方が余計な手を出すことで拗れてしまう場合もありましてよ」


「それは、オレは君のためだと思って」


「お気持ちは嬉しいのですけれど、状況が複雑化したのはその嫌がらせも一因だったかもしれません。ハッキリとお伝えさせていただければ、若干迷惑に思います」


「め、迷惑……?」


 どうもこの方、いささか他者との対話力が不足しておられるようです。

 悪人と言うよりも少し厄介な人と言うべきでしょうか。

 というか、これで王宮魔術師が務まるのか地味に心配です。


 焦ったように、あわあわと何やら話をまくしたてられました。

 どもりながら、切れ切れの言葉を紡がれます。

  

「元引きこもりで女神様から与えられたチート能力を持たされた転生者? はぁ、それはすごいですわね。でも、今はそれは特に関係はないと思います。私は貴方に特に好意は抱いておりませんので、申し訳ありませんが、一切のお誘いはお断りしますわ」


「あ、うぅぅぅぅぅ」


 何なんでしょう。元引きこもりとかチート転生とか。

 よく意味はわかりませんでした。

 ご自分のことばかり話されても、困りますわね。

 一連の騒動の黒幕、としては何だか子どものようで力が抜けてしまいました。


「すみません、気分が悪いのでこれで」

 

 ともあれ部屋へと戻ります。

 親しんだメイドの姿を見つけると心底ホッとしました。

 椅子に腰かけ、飲み物で喉を潤わせます。


 目を閉じて、しばらく気持ちを静めることに致します。

 頭の中でぐるぐると不穏な音が響いています。

 しばらくすると、不意に声をかけられました。


「お嬢様、大事なお話があります」


「なんですの、ダルタニアス」


 額に手を当てながら周囲を見渡すと、何故かメイドの姿がありません。


「私はお嬢様をお慕いしております! どうか私の想いを受け入れていただけはしないでしょうか!」


 お前もですの。

 唖然としてしまい、何も返せませんでした。


 ダルタニアスは聞いてもいない己の半生について語り始めます。

 

 彼のお父上はかつての王位継承者。

 皮肉にも今夜の婚約破棄と同じような出来事を経て、廃嫡に至ったと。

 地道な農作業に、泥臭い日々の暮らし。


 家族は貧しい生活を余儀なくされ、幼い頃から苦労の連続だったと言います。

 特にお父上から聞いた王族の暮らしに昔から強い憧れを抱いていたとのこと。


 そして幼い頃に出会って以来、ずっと私を慕っていたらしいです。

 だからこそ、アンドリュー様に対してより深い憤りと憎しみを覚えるそうです。


 まるで物語のような彼の素性は、あまりに現実味がありません。

  

 ひょっとするとこれは夢なのでしょうか。

 執事が王族だったり、婚約破棄された直後に四人の男性から求愛を受けるなんて。


 受け入れ難い現実に頭痛がしてきます。


「お嬢様の存在が、日陰者である自分にとってどれほどの大きさであったことか。貴女との出会いは運命であり、全てはこの日のためにあらゆる不幸があったのだと感じています」


 訥々と、言葉を並べ立ててきます。

 どうしましょう。

 大事な話をされている気がしますが、少しも頭に入って来ません。

 とはいえ頭ごなしに拒絶してよい雰囲気ではないですわね。


 懸命に頭を働かせます。

 ダルタニアスの言うことが真実なら、彼は国王陛下の兄の息子?

 つまり、アンドリュー様やステファン様の従兄弟ですわよね。

 王妃様似の二人にはあまり似ていません。

 よくよく見れば確かに国王陛下と鼻筋や髪の色などは似ているかもしれません。

 

 それがなぜ私の執事などしているのでしょう。


「お嬢様の美しい顔立ち、宝石のような瞳、流れるような輝く銀の髪。そして、そのしなやかな手足。そのすべてを私は何よりも尊く感じていました。その髪の毛一本一本から吐息に至るまで全てが私にとっては、まさに伝説の女神様のような存在です。愛しています、海よりも深く」


 うっとりと陶酔したような目を向けてきます。

 少々想いが強すぎませんか。


 私は女神様なんて立派な存在ではありません。

 だって私は、こんなにも暗い感情で今にもはち切れそうなのに。

 ただ感情を抑え込んで、我慢をしているだけ。


「いつも細やかな気配りで何かと世話をしてくれるあなたには本当に感謝しています」


「あぁ、身に余る光栄です」


「でも私が今とてもとてもとても疲れているのは見ればわかりますよね?」


「はい?」


 つい、本音が漏れてしまいました。

 咳払いをして、落ち着いて言葉を紡ぎます。


 彼なりに真剣に愛を伝えようとしているのだから。

 せめてその気持ちだけは汲まないといけません。


「幼い頃のことは良く思い出せません。恐らく当時の貴方に対して、深く記憶に残るような印象はなかったのでしょう。薄情と罵ることも許します。申し訳なかったわね」


「い、いえ。そうではなく、私は」


「幼い頃から今まで大変な人生を送っていたことはよくわかりました。とても気の毒には思います。貴方が歩んできた道のりを思うと、とても心苦しいです。けれど私は、王家に連なる人間とは今は深く関わりを持ちたいとは思いません。ごめんなさい。私に貴方の気持ちを受け入れることは出来ませんわ」


「わ、私は、私は貴女のために生きてきました。これから先もずっと共に生きたいと強く願っています。許されるなら貴女と……」


 そこから先に続く言葉は何となく察せられます。

 ただ、受け入れることは出来ません。


「ありがとう。その気持ちは嬉しく思います。今このときでなければもう少し違う話も出来たかもしれないわね」


 私の気のない態度に失望したのか、ダルタニアスは表情を無くします。


 本当に、今このときでなければ。

 婚約破棄、ぶしつけな求愛に次ぐ求愛。

 私が今望んでいるのは、それではないんです。


「とにかく今は休みたいのです。今日は酷く疲れました」


「はい……」

 

 がっくりと肩を落とす彼に少し申し訳なさを感じました。

 ただ振り返ると、あまり良くない思考が働いてしまいます。


 常日頃から彼に向けられる、どこかねっとりとした視線。

 身近な存在からよくわからない感情を向けられていることの怖さ。

 そんな風に考える自分も少し嫌になりました。


 気まずいです。

 もう後のことは他の誰かに任せて屋敷に戻ってしまおうかとも思案します。

 今夜は本当に疲れました。


 少し意識を中空に飛ばしていると、扉が開く音に気づきます。


「ルイーズ、大丈夫か?」


「お兄様?」

 

 シュタール=ロティス。

 8歳年上の私の兄です。


「ひと騒ぎあったようだな。迎えに来てよかった」


「ありがとうございます」


 普段は少し苦手な相手ですが、今この時はとてもありがたいですわ。


「ついにこの日が来た。ようやく俺の想いが遂げられる」


「は?」


 何やら背筋にぞっと冷たいものが走ります。

 聞き違いでしょうか。

 まさかとは思いますが、まさかですわよね。

 だって私たちは血のつながった兄妹ですわよ?


「ルイーズ、俺はお前のことを愛している。妹としてではなく、一人の女として」


「シュタール様、何を」


「黙っていろダルタニアス。お前は妹に仕えることが出来ればそれでいい、だな?」


 ダルタニアスは押し黙ります。

 いえ、そこで引き下がらず、もう少し頑張ってください。


「わ、私、お兄様のことは血のつながった兄としか見ておりません」


 震えながら、かろうじて言い返します。


「俺はかつて侯爵家の養子として迎えられた。お前とは血がつながっていない」


 もはや絶句するしかありません。

 またそんな都合の良い。


「話は数十年前にさかのぼる。現国王の兄が婚約者を裏切ったことからすべては始まった」

 

 先ほどダルタニアスから聞いた話ですわね。

 お兄様とも何か関係があるのでしょうか。


「当時女神の祝福を受けて異世界から転生した男爵令嬢が居た。それが俺の母だ」


「は?」


 いささか唐突ですわ。

 アドリアの神話で女神様と言えば誰だったかしら。

 そういえばアズベル様も女神さまに力を授かったと言っていたような。


 理解出来ないなりに話をまとめますと。

 女神の祝福を得た男爵令嬢は奔放に振舞い、当時の王太子を誘惑。

 王妃となるはずだった女性に婚約破棄を突き付けたそうです。 

 しかし、国王陛下の定めた契約でもある婚約を一方的に破棄したことで廃嫡。

 その後は男爵令嬢と共に追放されて片田舎に追放されたとのこと。


 元王太子も男爵令嬢もお互いに愛情は消え失せていたようです。

 形の上では夫婦関係のまま、それぞれ別の相手と結ばれます。

 そして生まれたのがダルタニアスとお兄様でした。

 

 二人は近しい立場で友誼を結びます。

 いつか自分たちを王家から追放した現国王やその子供たちに復讐をする。

 幼心にそう誓ったそうです。

 微妙に逆恨みのような気がします。


 お兄様はお母上から受け継いだ特殊な能力を持っていたようです。

 他人の感情を増幅して、様々な気持ちを動かす、そのような力らしいです。

 元から抱いている感情をより強く刺激するような力。

 親しみをより深い共感へ、穏やかな愛を激しい愛へ。

 

 そんな力があった割にはなぜ男爵令嬢は追放されたのでしょう。

 つまりはその程度の力ということなのかもしれませんね。


 そして男児を授からなかった侯爵家のお父様に上手く取り入り養子になった。

 ダルタニアスも執事として呼びよせたようです。


 そういえば昔から妙に他人を動かすのが得意な方でした。

 妙に自慢気な態度に辟易し、私はこの兄に苦手意識を感じていました。

 どこか無意識に不自然さを感じていたのかもしれません。


 お兄様いわくいずれ王妃となる私を利用する心づもりだったと。

 ゆくゆくは国を牛耳ろうという目論見があったようです。

 何とも壮大なお話ですわね。

 情報量が多くて眩暈がしてきます。


「美しく成長していく義理の妹の姿。気が付けばお前の虜になっていることに気づいた。あんなくだらない男にお前は渡したくない。だから人を使い、アズベルを利用してアンドリューにあの女をあてがった。すべては奴が婚約破棄をお前に突きつけることを狙ってのことだ。俺の父がかつてそうしたようにな」


「またそんな、回りくどいことを」


 婚約破棄に対する妙な執着心を感じます。


 そしてなぜ事細かに私に説明するのか。

 その意味はお兄様の得意げな顔を見れば何となく察せられます。

 要するに、自分がこれまで頑張ってきたことを語りたくて仕方がないのでしょう。

 

 あまり聞きたい話ではありません。

 だって、私の人生は、それでは一体何だったのかということになります。

 今夜のパーティを成功させるために、どれだけ予行練習を重ねたか。


 アンドリュー様やミナ=アルカナ男爵令嬢。

 彼らがどこまでお兄様の力に影響を受けていたかはわかりません。

 あるいはお兄様が余計なことをしなければ、全てはつつがなく終わっていたのかも。


 お腹のあたりで熱いものが膨らんでいきます。

 名状しがたい暗い感情がふつふつと沸き上がってきます。

 つまりこの男のせいで。


「アンドリューを廃嫡し、ステファンたちもいずれ消えてもらう予定だ。後継者不在の玉座に王家の血筋であるダルタニアスを据える。当初の予定としてはコイツとお前に結婚してもらうつもりだったが、それはしない。お前は俺の物だ。一緒に幸せになろう」


 お兄様と目が合います。

 その瞳の奥に吸い込まれそうな暗い輝きが浮かんでいました。

 瞬間、これが女神から得た能力なのだと感じます。

 相手の心を刺激し、感情を増幅させる。


「お前は俺を愛するんだ。敬愛する兄への慕情を最上の愛へと変えてあげよう。心配はいらない。すぐに俺のことを誰よりも愛するようになる」


 あ、ダメだこの人。

 全く何もわかっていない。

 少しは考える頭があれば、そんな言葉は絶対に出てこないでしょう。

 胸の中でくすぶっていた感情。

 それが突如として、抑えきれないほどあふれ出して止まりません。


 私の心は私の物。

 誰かのために都合よく存在するわけではありません。


 思えば今夜はずっとこんな気持ちを抱き続けている気がしました。


「先ほどまで兄と思っていた相手から、突然愛を告白される女の気持ちにもなってくれません?」


「ん? どうしたルイーズ」


「どうしたもこうしたもありませんわよ。私の婚約破棄を計画し笑いながら眺めて、その挙句血がつながらないとはいえ幼いころから見てきた妹を自分の物にする? とんだド変態ですわね。この××××」


 あらあら、妙に唇の滑りが良いですわ。

 お兄様の能力は相手の感情を増幅させるものでしたわよね。

 もしも刺激されるとするならば、今私の中で最も強いのは負の感情です。


 お兄様のお母上が失敗した理由もわかります。

 人間は正の感情ばかりの生き物ではない。

 扱い方を間違えれば、抑えの利かない憎悪に駆られる人間が簡単に出来上がってしまうのです。

 

 もちろん幼い頃からその能力を扱うお兄様もそれは熟知していたはず。恐らく本来はある程度加減が出来る力なのでしょう。

  

 それをよりにもよって「最上」の出力で私に使ったのです。


 私がお兄様のことを素直に慕っているに違いないと思い込んで。こちらが今どういう状態なのかも考えず。


 そうですわ、私このお兄様が生理的に嫌いなんですの。

 傲慢で自意識過剰で何でも自分の思い通りになると考えて。

 何より長く兄をやっていて、私のことを少しもわかっていない。


 更に言えば今夜顔を合わせた男性全員に深い苛立ちを覚えます。

 連鎖的に感情に火が付き、怒りが止まりません。


 この日、私は全身全霊で忍耐をし続けてきました。

 すべては己の立場を守り、みっともない姿を誰かに見せたくなかったからです。

 もちろん八つ当たりは良くありません。

 他人を必要以上に罵倒せず、傷つけることなどするべきではない。


 でも、でも、でも、でもです。

 誰か一人として、私の気持ちを考えてくれた方はおられたでしょうか。

 みんな、誰も彼もが自分の気持ちばっかり。

 私のことなんて少しも考えてくれていないんですわ。


「心底気持ち悪いですわ。過去がどうとか親がどうとかどうだっていいです。私にはそんなこと関係ありませんよね!? あるなら言ってください!!」


「ルイーズ」

「お嬢様」


「うるさい!! 私に話しかけないで!!」


 自分でも信じられないような乱暴な声が喉の奥から出てきました。

 荒れ狂う熱が、怒りが、憤りが、不快感が、生理的嫌悪感が、どこまでもどこまでも高まって、抑えきれない。


「気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。誰も彼もどうしてそうなんですか!!!!!」


 なぜ執事と兄に告白をされなくてはいけないのでしょう?


「私は疲れているんです!!!!」


 頭の中で大事な糸が何本か切れるのを感じます。

 おバカな王子に婚約破棄で恥をかかされた挙句、なんで立て続けに求愛されなくてはいけないんですの?

 

 兄そっくりのバカな弟王子に隣国の浮かれ王子に陰気な魔術師に自己陶酔執事に変態の兄。

 愛している、愛している、愛している、愛している、愛している。

 揃いも揃ってそれは今言うことですの?

 私が疲れているのは見ればわかるでしょう?

 

 婚約破棄を突き付けられたんですよ?


 公の場で冤罪まで吹っ掛けられて、どれだけ傷ついているか。

 ひょっとして、真に想う相手を待っているのだと誤解されたのでしょうか。

 殿方って。


 どうしてこう空気を読まないのでしょう。

 自分を物語の主人公か何かと勘違いされているのかしら。


 気が付けばお兄様の頬をぶっ叩いていました。

 どこからそんな力が湧いてきたのかわかりません。


 体勢を崩したところを殴りかかり、床に膝をつかせます。

 非力な女であろうとも、動揺した相手に勢いで掴みかかればどうにかなるものです。


 お兄様に馬乗りになり、何度も頬を叩きます。爪で引っ掻き、拳で殴りつけます。私の手も痛みます。だけど構わず続けます。


「がっ、やめろ、ルイーズ!! お前の愛するお兄ちゃんだよ!!」


「うるさい!! 気色悪いと言っているでしょうがぁぁ!! 元はと言えば全部お兄様のせい!! 私がこの日のために! どれだけ! 頑張っていたと思っているんです!! 婚約破棄なんてされたくなかった!! 大勢の人前であんな!! みじめな思いをするなんて!!」


 見ないで、私を見ないで。

 恥ずかしい、みっともない。


「お嬢様やめてくださいっ!!」

 

 ダルタニアスに羽交い絞めにされかけ、カッとなって彼の頬を手のひらで打ちます。


 近づかないで。

 怖い、気持ちが悪い。

 私の身体に勝手に触れないで!


 力任せに手足を振り回し、誰にも近づけさせません。


 私の中で今日もっとも強かった負の感情。

 それらが連鎖的に増幅し、跳ね上がり、もはや抑えは利きません。

 女神様の授けた力ならもう、仕方がありません。


 無断で触れて来る男に対する嫌悪感。

 少しもこちらの気持ちを考えてくれない殿方への失望。


 誰も彼も、私のことなんて本当はどうでもいいんだ。

 猛烈に孤独を感じてしまいます。

 この苦しみを、誰とも共有することが出来ない。

 誰もわかってくれない。

 ただそっとしておくこと。

 どうしてそれすらしてくれないのでしょう。


 遠くで聞こえるメイドの叫び。

 開かれる扉の音。


 背後に近づく複数の人の気配、多数の視線を感じます。


「ルイーズ、まだ話が」

「ルイーズ嬢、先ほどは」

「ル、ルイーズどの」


 一方的に愛を囁くばかりの有象無象。

 影のようにゆらゆらと揺れて、私に迫ってくる。

 

 ステファン様やチャムカ様たちが追いかけてきたのかもしれません。

 認知能力にも影響が出ているのか、現実と妄想の区別がつかなくなりつつあります。

 

 もはや誰も彼もが私の神経を逆なでする獣としか思えなくなりました。


「俺は、君のことが」

「ただ君が欲しくて」

「オレはただ」


 同時に話しかけてきました。

 もういいですわよね、いちいち相手にしなくても。


 私は深呼吸をして、お腹に力を籠めます。


「殿方は相手の顔色や状況を見て話が出来ませんの!? いい加減にしてください!! 私は貴方たちの物じゃない!! お土産物でもなければアクセサリーでもありません!! 誰かを見返す道具でもなければ理想のお姫様でも女神様でもないんです!!! 勝手に触らないで、欲しくもない気持ちを寄せないで!! 嫌い嫌い嫌い嫌い、誰も彼も大嫌い!!」


 自分でも驚くほどに大きな声が響き渡りました。

 それから何をしたのかはちょっと記憶にありません。

 まるで幼子の駄々のようなもの。

 感情的で、荒れ狂っているだけのみっともない女。


 かろうじて覚えているのは誰かの悲鳴だけです。

 どう考えても私が暴れ狂ったとしか思えないですわよね。

 深く考えると不幸になるので止めておきましょう。



***


「ということがあったんですの。もう十年ほど前のことですわ」


 親しい知人と交わすお茶の時間。

 この静けさが何よりも心地よく身体の染み渡ります。


 今思い返しても訳のわからない出来事でしたわね。

 悪夢か何かのようで、全く以て現実のこととは思えません。

 こんなこときっと誰も信じない。

 当時の状況も細部は良く思い出せないので、不自然な部分もちらほら。


 でもまぁいいですわ。

 彼は私が嘘をついているか否かくらいわかるでしょう。


「それはなかなか、稀有な体験だね」


「本当に。何かの冗談なら良かったのですけれどね。今思い返せば私だってもう少しうまく立ち回れたかもとは思わなくもないです」

 

 振り返ってみれば私の精神状態もまともではなかった。

 目の前のことで頭がいっぱいで、全てが敵に見えていたような気がします。

 彼らが全員揃って邪悪な人間だったかと言えば、決してそんなことはないと思います。


「好いていただけたことはありがたいことだと思いますのよ? 彼らには彼らのタイミングがあったのでしょうし、それが究極的に私の都合と噛み合わなかっただけ。ただ細やかな気配りや配慮と言ったものには致命的に欠けていましたけれどね」


「ところで君の話にあった、アドリア王国はどのあたりにある国なんだい? 全く聞かない国名だけど」


「ありませんわね。この世界には」


「え?」


 気にせずお茶を味わいます。

 ほのかに漂う異国の香り。

 この味わいも随分と慣れ親しんだものですわね。


「君は一体、本当は何者なんだい?」


 少しだけくすぐったい物言いでした。

 別にこちらを本気で追求するでもなく、面白がるような声音です。


「別の世界の人間なんですの」


「どういうこと?」


 彼は子どものように首をかしげます。


「私を哀れに感じたのか、女神様が助けてくださったんです。まぁ、一連の出来事を考えればその女神様の慈悲が全てを招いたようなところもありますけれど」

 

 また冗談のようなことを口にすることになりました。

 私が妄想を語っているようで地味に嫌ですわね。


「婚約破棄の夜、夢の中でお告げのようなものがあったんです。このままだと求愛してきた男性たちのせいで騒ぎが起こるので別の世界に逃がしてあげると言われました。そして、気づけばこちら側に投げ出されていました。あれが女神様だったのだと思います」


「なんと言うか、随分大雑把な女神様だね」


「えぇ、本当に。特に前任の女神様は、いえ。親切な方だとは思うのですけれどね。多分私に対する労いはあったのだと思います。こちらに来る際に色々いただきましたし」


 おかげでこちらの暮らしは特に困ることもなく、穏やかに過ごすことが出来た。

 彼に話しませんが、その他の細かい内幕のようなものもあります。


 女神様の授けてくださった『天眼』という力。 

 望めば世界中の全てを見渡し、元の世界にもその目は届きます。

 彼らのその後についてもある程度は把握しています。


 アンドリュー様は廃嫡され、田舎に追放されたようでした。

 彼も愚かではありましたが、周囲の思惑に振り回されていたところもあります。

 それなりに元気そうに過ごしているようで少し安心しました。

 

 男爵令嬢のミナ様ですが、幸いにも大した罰は受けなかったようです。

 王家によって背後関係を調査され、お兄様の策略やアズベル様の呪いなどについても露見しました。

 終始影は薄かったですが、その分あまり深く関わらなかったことが幸いでしたわね。


 ステファン様は女性関係で身を持ち崩してしまった様子。

 慰謝料や養育費の支払いなどに奔走されているようです。

 王太子はまだ幼かった第三王子が後釜に就いたようでした。


 チャムカ王子は国に戻りご結婚されています。

 奥様は彼とは幼馴染でかなりのお気の強い方のご様子。

 不幸にも私への求愛も護衛などを通じて筒抜けだった模様。

 国に戻ってからこってりと絞られ、今では完全にお尻に敷かれているようでした。


 アズベル様は女神様に与えられた能力の大半を没収されてしまわれました。

 加えて男爵令嬢へ呪いをかけた罪に問われ、国外退去を命じられます。

 その後は残った魔力を生かして冒険者となっていたようです。

 ただ、持ち前の思い込みの強さ等が原因でパーティを追放されてしまったようです。

 

 ダルタニアスは故郷へ戻り、私の姿を模した石像を彫っています。

 少し怖いです。

 一応身近に女性の姿もあるようなので、いずれ別の幸せを掴んでくれることを祈ります。


 お兄様については、アンドリュー様やアズベル様への教唆などが露見し、大分立場が悪くなったご様子。能力についても女神さまに没収されており、おかげでこれまで築いてきた人脈やお父様からの信頼なども失ってしまったようでした。

 その後は離縁され、今では平民として生きているようです。


 加えて、女神様についても余談があります。

 お兄様やアズベル様に力を与えていた女神様は、どうやらお立場を追われたようです。

 私とコンタクトを取ってくださったのは後任の女神様でした。


 異世界への転生や能力付与などで、何かと大雑把な対応が目立ったことから上の方からだいぶ問題視されたらしく、能力を奪われ人間として転生送りになったとか。


 神様の世界もいろいろあるのですね。


 まぁ、今となってはあまり関係ありませんけれどね。

 私も人生を狂わされた面もありますが、天のなすことに恨んでも仕方ありません。

 

 目の前の、彼との会話に意識を戻します。 


「故郷に戻りたいとは思わない?」


「うーん、特には。もうお父様にも合わせる顔がありませんからね。それにあの殿方たちと再びまみえるのは出来ればご勘弁していただきたいですわ」


 別に彼らのことが憎んでいるわけでもない。

 こちらの方が恨まれている可能性もありますからね。


「誰かに愛を囁かれるのは苦手かい?」


「決してそんなこともありませんわ。あの時はこちらに本当に余裕がなかったんです」


 当時は私も若く、様々なプレッシャーを感じながら迎えた日でした。

 アンドリュー様を言い負かしてそれでスッキリ、とはいかず。

 これまでの努力や描いてきた未来。

 それらが全て崩れ去り、目の前が真っ暗になっていました。 

 本当に、婚約破棄の直後でなかったらと思います。


「そうか。それは良かった、のかな?」


 彼とも長い付き合いですけれど、今日は随分と曖昧な物言いをしてきます。

 この世界に来てからほどなくして知り合った男性。

 少しくすんだ、栗色の髪。

 容姿端麗とまではいかないまでも優し気な表情。

 穏やかで控えめなところがとても可愛い人。


 当時は男性不信気味で、彼に対しても最初は冷たく当たってしまいました。

 それを長い年月をかけて、こうして二人きりでお茶を飲むまでに親密になりました。

 けれど、そこから先はなかなか進みません。


 少しじれったくも感じます。

 長い付き合いですから、お互いの気持ちは何となく伝わっています。


 ――それで貴方はどうですの? こんな面倒な過去を持つ良い年をした女性を前にして何を言おうとしていましたの? さぁさ、早く言ってください。


 そんな風に詰めよるような言い方をしたい気持ちも少しあります。


 彼の控えめさは美点です。

 こちらがもどかしく感じてしまうほどに。

 時にはあの男性たちのように勢いに任せて強引に行っていただきたいところはあります。


 私の顔色や空気を読んで。

 表情や仕草を見ていれば、何をどう思っているかわかるはずです。

 彼の方も、とてもわかりやすいので、色々と微笑ましく感じます。

 柱の影に隠した真っ赤なバラの花束が零れ落ちそうですわよ。


「それで、僕が言いたいのはね。その、女神様の持つ力がなぜこの世界を転移先に選んだのか」


 話をそらしましたわね。

 ふふ、なら私もちゃんと伝えましょう。


「それは今言うことですの? 貴方の気持ちが知りたいです。私のことをどう思ってらっしゃるの?」


 もはやここまで、と観念するような顔を浮かべた彼。

 椅子から腰を浮かせ、いそいそと柱の影から花束を取り上げます。

 少しぎこちない動きと、恥ずかしそうにはにかんだ笑顔。


 いつかの誰かの顔が浮かびそうで、でも彼の顔しかもう見えません。


「君のことが好きだ。愛している。結婚して欲しい」


 率直で、ぎこちなく、だけど愛しい言葉。

 その飾り気のなさを、とても好ましく思います。

 

「私も貴方を愛しています」


 愛の囁きは決して嫌いではありません。

 だけど、やはり自分が好いた相手の言葉が一番うれしいですわね。


 世界で一番幸せなこのとき。

 全ての過去に対して、ようやく笑顔を向けられそうな気がします。

 そして今になって、ひどく申し訳なく感じる。

 彼らの勇気も、愛も、決して偽りや傲慢ばかりではなかったと思います。

 ただ、こちらの気持ちを考えてほしかっただけ。


 かつて私を愛してくれた方も、そうでない方にも、等しく女神さまの祝福が降り注ぎますように。

お断りするのも気力を使いますよね。

ギリギリまで理性を保とうと努力したご令嬢のお話でした。


恋愛ゲームで終盤の告白イベントはお約束。

好感度が低いまま告白するとひんやりした言葉で切って捨てられたりすることも。


そんなシチュエーションを告白される側の視点で見ると……?

と、いうのが物語の着想のきっかけでした。

連続で告白してくるのは、少しレトロなゲームをイメージしました。


少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


いつも評価やブックマークなどをしていただき心から感謝しております。

しばらく執筆から遠のいておりまして、今作は復帰第一作目です。

今後も皆さんに楽しんでいただける作品を書けるよう精進いたします。


もしよろしければ、下部の☆☆☆☆☆に色を付けていただけると飛び上がるほど喜びます。

最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

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[一言] 自分は婚約破棄されてすぐに求婚されて結ばれる展開があまり好きではないので このお話ではしっかり断っている事、断る理由もしっかりしていてよかったです 普通恋愛感情がなかったとしても友愛敬愛して…
[一言] ただでさえ体力が尽き気力も限界なタイミングで相手が全く見えない野郎どもの相手お疲れさんです お互い大事だと思っている相手とお幸せに
[良い点] 詰め込みましたね.ありとあらゆる婚約破棄後に言いよる男性が一度に近寄ってプロポーズ。これは盛り沢山で楽しめました。主役の気持ちも凄くイライラが感じられて一気に読めました。ちゃんと素敵な伴侶…
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