ラクダの背骨が骨粗鬆症!
第14回書き出し祭り、会場内14位、全体61位の作品。
岩崎裕太はやけに早い時間に目が覚めた。
先日仕事から帰宅したのは深夜二時だというのに。見事に白く偽装された黒い企業に就職してしまい、毎日毎日終わらない業務と正にパワハラを中山という体現したクソ上司に苛まれながら、胃を痛くしているというのに。
けれど今日の目覚めは不思議とはっきりしていた。胃痛もない。それどころか、気力が心の底から満ち溢れていくようだった。
そしてまた、すべき事ははっきりとしていた。
企業に蝕まれた精神を表すかのような、ゴミが散乱する部屋。その物置から就職するまでの趣味だった登山の道具、愛用のピッケルを取り出した。
「俺は今日、俺自身を取り戻す」
そう呟くと、早速出社の準備をし始めた。
この登頂は、誰にも邪魔されてはならない。
佐藤拓也は早朝に登校するや否や、理科準備室に向かっていた。
運動も出来なければ、勉強も基本はからっきし。見た目も平凡であれば、これと言った特技も持ち合わせておらず、人と喋るのだって苦手だった。
そんな彼には友達と呼べる人も居らず、いじめられていた。
毎日毎日の学校は憂鬱で仕方なく、けれど理科だけは出来た。いつも殴ってくるリョウタのヘソにアルコールを流し込んだらどうなるのだろう? 毎日のように僕の靴を隠すアキオに対して、その靴にフッ酸を塗りつけておいたら触れたその手を切断してくれるだろうか?
そんな妄想ばかりをしていた。けれど今日はどうしてだろう、それを実行に移すだけの勇気が湧いてきていた。
窓ガラスを小さく割って、鍵を開ける。中に入ってから、外からは修理中と見せかけるようにガムテームとダンボールで穴を塞いだ。
数多の薬品の臭いが飛び込んでくる。胸の高鳴りを抑えて、欲しいものを一つ一つ袋に入れていく。
詰替え用アルコールとマッチ。塩酸と硫酸。他にも毒性のある薬物を幾つか。流石に中学校の準備室ではそこまで危険なものは揃っていなかったが、それでも十分だった。
外に誰も歩いていない事を確認して、何食わぬ顔で部屋を出る。
まず、何から始めようか。下駄箱にトラップを仕掛けるところからか。
ワクワクは既に沸点を超えていた。
一ノ瀬翔子は一流企業の会社員であったが、不祥事を起こしてしまいクビになった。その禍根はとても大きく、再就職はすぐには叶いそうにない。また見栄っ張りであった彼女には蓄えもなく、今はコンビニでのバイトで食い繋いでいた。
事の発端は身から出た錆だとは言え、エリート街道を突っ走ってきた彼女がそんな日々を平々凡々に過ごせる訳もなく、しかしこれ以上落ちぶれてならぬものかと言うプライドだけで最後の一線は超えずにいた。
昼に比べれば有象無象の接客など基本する必要もなく、時給も高い深夜のバイト。すべき事は持ち前の能力の高さでさっさと終えている。
返り咲いてやる。ただそれだけを胸に後の時間は求人誌を読んでいれば、唐突にバイクの音が鳴り響いてきた。
こんな早朝に近所迷惑など微塵も考えない騒音を鳴り響かせながら、コンビニの駐車場に一つ一つ止まっていく。
「…………」
派手なジャケットを着た、見るからに柄の悪い青年達が降りてくる。彼等はガヤガヤと騒ぎながらコンビニに入ってきた。
その中の一人が聞いてきた。
「おねーさん、からあげサマある?」
「今から揚げる事になりますので、十分程頂ければ」
「んー、わかった」
スマホを見ながら青年はどっちとも取れるような曖昧な答えを返す。
けれど翔子は黙ってフライヤーを点火し、冷凍のからあげサマを取り出し始めた。
一気に賑やかになった店内。もう一人のバイトが黙って接客を始め、翔子も営業スマイルを貼り付けて接客を続ける。
「マルボロちょうだい」
「はい、少々お待ちを」
「あ、ちょっとまって、ついでにこれとこれも」
客が離れた間に、トイレ用の掃除用具をどうしてか側に置いた。
油が湧いてくる。からあげサマを流し込む。
店内で大声で騒がれる。雑誌を乱雑に立ち読みされている。
「からあげサマまだ〜?」
「もう少しお待ちを」
声からは感情が消えていた。
そしてじゅわじゅわとした美味しそうな声が聞こえてきた頃。翔子はゴム手袋を身につけ、バケツを手に取った。
「え、翔子さん、何を?」
ざぶぅ、と音がした。それはトイレ用のバケツをフライヤーに入れた音。
「からあげサマおまちどうさまぁぁぁぁぁああああああ!!!!」
翔子は大声で叫びながら熱された油とからあげサマを、レジの前でスマホを弄っていた、ちょうど顔を上げた青年にぶちまけた。
「いぎゃああああああ!!」
朝の登校時間、唐突に悲鳴が響き渡った。それは今日も上履きを隠してやろうと拓也の下駄箱を開いたアキオのものだった。
開いた瞬間にゴムを使った仕掛けが作動し、塩酸と硫酸が体に掛かったのだった。
「あーっはっはっはっはっは!!」
それを隠れて近くで見届けていた拓也は腹を抱えて校内中に響き渡る程に笑い始める。
「あづいっ、いだいっ、だれかっ、だれかたすけてぇっ!!」
「ははははははっ、げほっげほっ、あははは、あははははっ!!」
「お、おまえ、なにしやがった!!」
近くに居たリョウタが胸ぐらを掴んで壁に叩きつけてくる。それに対して、拓也は詰め替え用アルコールのボトルを叩きつけた。
既に傷を付けてあったプラスチック製のそれは容易く破れて、共にアルコール塗れになる。
「え、おい」
思わず離れたリョウタは、近くにアルコールランプが、火が付いた状態で置いてあるのに気付いた。
自分もアルコール塗れなのに、躊躇なくそれを手に取る拓也。
「うわああああああ」
背を向けて逃げ始めたリョウタに狙いを定める。外す気は微塵もなかった。
「ぎゃあああああああああああ!!!!」
「あははははっ、あーっはっはっはっはっは!!」
一瞬にして火だるまになったリョウタを見て、拓也はまた腹を抱えてごろごろと転がりながら笑い続けた。
「中山さん、話があるのですが、お時間よろしいでしょうか?」
「何だ、ここで話せ」
「すみません、誰の耳にも聞かせたくない事で……」
そう言うと、クソ上司の中山は周りに見せつけるように大きく溜息を吐いた。
「俺の時間を奪う価値があるのか? お前に」
「はい。そうでなければこんな事しません」
言葉が淀みなく出てくる。そんないつもと違う反応に中山は半ば驚きながら席を立った。
「良いだろう、付き合ってやる」
そうしてオフィスの隅まである会議室まで歩いてその扉を開けると、中山は愕然とする。
「お、おい、何だこいつらは」
「良いから入れ」
裕太は中山を突き飛ばし、扉の鍵を閉める。
「ほら、裕太」
中に居た同期が裕太のピッケルを渡してきた。その同期はチェーンソーを持っていた。ある者は包丁を。ある者はハンマーを。
考える事は皆一緒だったのだ。
「ありがと。一人一発ずつな!」
中山は既に猿ぐつわを嵌められ、手足も縛られている。
それに対し、満面の笑みで裕太はピッケルを太腿に突き刺し、ぐりぃと捻った。かっと目を見開いた中山将吾は、チェーンソーが音を鳴らし始めるのに今までにない顔を見せ、それを見た誰もが入社当初の輝きを取り戻していた。
名家の跡取りとして生まれたジェイムズ・スコットは日々の習い事の多さのストレスから母親をクリケットバットで撲殺し、家を燃やした。
清掃員であるルーカス・ブラッドは嫌味を言ってくる社員を窓から突き落とした。
警官になって数ヶ月であるイ・ユジュはセクハラをしてくる巡査長に対してヘッドショットを決めた。
スーパーの精肉担当であるラファエル・モローはモンスタークレーマーの全身をミートテンダライザーで穴だらけにした。
ギャンブルで闇金を溜め込んだカビーア・アガルワルは、やってきた借金取りをドアに挟んで首を折った。
支持率の低い総理大臣である安田清太は、唐突にネットにスキャンダルをばらまいた後に首を吊っていたところを発見された。
育児に疲弊した母親はその手に殺意を込めてしまった。社会に不満を抱えていた低所得者層が高級住宅街を荒らし回った。倦怠期に入っていた夫婦が各地で殺し合いに及んだ。反省という言葉を知らない恥知らず共が目の上のたんこぶを殺して回った。いじめっ子が、ブラック企業が、見下していた人間達に残忍な復讐を遂げられた。唯我独尊な人間達が考える身勝手な思想が一向に叶わない事に腹を立てて無差別に殺意を撒き散らした。
*
*
最後の一藁が乗せられる前に、全人類のストレス耐性は突如として骨粗鬆症となったように脆くなり果てた。
昼過ぎにはどこに行こうが煙が立ち上り、インフラは崩壊し始める。
力で民衆を押さえつけていた国家は一日も経たずとして国としての形を喪った。
治安を守るはずの警官や軍隊も苛立ちを抱え込んでいた人達によって内側から致命傷を受け、法は瞬く間に形骸化する。
日本国内での死亡者数は百万は下らないとされ、全世界での死亡者数は億を越えたとも言われている。
復興はしかし、既存の社会が余りにもストレスが多い事によって一向に進まず、元の生活が戻るには百年以上の歳月を必要とした。
だが。
岩崎裕太はクソ上司の血と肉片をこびりつかせたまま、同期と共に屋上へと赴いた。
至るところでは黒煙が立ち上っているが、からりとした清涼な風が吹く中、何よりも満ち足りた心身で叫ぶ。
「今日は良い天気だ!」
その日は、何よりも笑顔でいる人間の数が多かった日でもあった。
第一章 横たわるラクダの空虚な笑顔
岩崎裕太
タイトルが先に決まってて、そこから内容を考えていった作品。
スピード感やらインパクトやらを重要視するばっかりで、先が良く分からないのとか、ワクワク感が無いのとかが原因でそこまで票を集められなかったのかなぁ、と言う印象。