拠点の村づくりの相談
私とメグミとウォーレン、エルフのヴェロニカ、ドワーフのドク、ドワーフのショーティーの6名で、拠点の村づくりの相談をしている。
現状は、コテージ4棟、テント20張り、10人用寄宿舎1棟、獣舎1つ、倉庫1つとなっている。
あまり、住宅環境が改善しているワケではない。
希望としては、上下水道の完備、住宅の建築、道路の整備をして欲しいのだ。
「早速だが、この拠点の村の現状を説明する。見てもらった通り。何もない。だが、ここに、立派な都市を建設したいと思っている」
≪目標は、江戸時代の江戸なのだ≫
東京の基となった江戸は、徳川家康によって開かれた都市だとされている。
北条氏が治めていた土地だが、家康が移封されて来たのである。
当時の江戸は、ただの漁村であったとされている。
しかし、ただの漁村だったとされるのは、家康を神格化させる為の方便だと考えられる。
家康には、『見ざる』・『言わざる』・『聞かざる』など様々な【噂】も多い。
そもそも、村岡素一郎の『史疑』により、世良田二郎三郎元信だとも言われている。
江戸時代の東京は、江戸と呼ばれ、100万人都市として世界最大の人口を誇っていた。
上下水道が完備していたので、世界一の都市となったと言われている。
同時代のヨーロッパでは、石畳でキレイな街並みであっても、路上に垂れ流しにするのが基本だったのだ。
また、上下水道が通るまで、1800年頃のパリ市民であってもオマルを使用して、オマルの糞尿を窓から捨てていたのである。
ハイヒールについても、なるべく路上の汚物を踏まないようにするため普及したという説もある。
こういった状態が、コレラやペストなどの伝染病の蔓延させていた原因だとも言われている。
糞尿の垂れ流しが、文明的かと言われると、否と答えるだろう。
上水道は、ヴィエラ山脈から流れている横の川を使うことで、意見は一致している。
村のある上流から、川を分岐させて、上水道とするべきと決まった。
木管を使って、綺麗な水を運べるように考えて欲しいと伝えている。
将来的には、上水道の木管を地中化して、文化的なインフラとしたところだが、それはまだまだ先の話となる。
トイレについては、糞尿を肥料として使えるようにして欲しいことを伝えている。
汲み取り式を採用することも有りだとしている。
どうしても、トイレの糞尿を下水に組み込むと、肥料として使えなくなるからだ。
下水については、生活用水と雨水を管を通して流し、ろ過をして、川に戻すことになる。
垂れ流しにすると、川の下流での汚染が酷くなる。
下水がしっかりとしていれば、汚れることも少ないし、悪臭がたつことも少ない。
この辺りの技術については、ドワーフがお手のモノだ。
住宅の建設をしなければならないが、問題なのは、区画わけと道路の設置になる。
無秩序に住宅を建築してしまうと、人の流れが悪くなる。
そして、見た目も悪くなる。
村としては、機能的であり、見た目も良くなければならない。
この問題を解決するように議題を持ってきている。
住宅については、ドワーフがこれだけいれば、バンバン建築可能なのだ。
材料である木も、大量に伐採したので確保している。
だが、それでは、効率的・機能的でもなく、美しくならない。
道路と建物は密接に絡みあっているので、設計図が必要になる。
実際の工事は、ドワーフが指揮を取ることになるが、村の設計図は誰がかいても構わない。
私では、工事の設計図をかくことが出来ないので、エルフでもドワーフでも大賢者でも得意な者がすればいいと思っている。
もしくは、全員の意見を取り入れた設計図をつくってくれればいい。
ランドルフに指示を出して、68名のゴブリン隊を土木作業員や建築作業要員として使うことも可能となっている。
また、新しい村ができれば、荒廃した村からの転入者が増えるかもしれない。
それらの人員を開発行為に使うことも可能なのだ。
住宅を建築して、人が増えれば、また違うことが問題となる。
ひとつひとつ課題を解決することが大切となるのだ。
エルフについても、ドワーフ同様に10名を勧誘する予定である。
まずは、村にしてから、町にして、都市にして行かなければならない。
先は、まだまだ長い道のりがある。
「ふむふむ。課題が多いな」
「じゃあ。どうやったらその課題を解決できるか考えてくれ」
「一人でわからなければ、皆で考えればいい」
「皆で協力をして行こう」
「かしこまりました」
打ち合わせをして、各自に色々な宿題を与えるようにした。
丸投げと言われても仕方ないかもしれないが、結果が大切なのである。
自己満足で、自分なりの仕事をしていいと勘違いをしていれば、良い結果は出ない。
「なんでもかんでも、リーダーがやらなければならないワケではないのだ」
『領地経営』では、自分がやらなければならないことを徹底する。
逆にいえば、自分でやらなくても、他の人ができるのならば、任せると言った方法もある。
なんでも、かんでも、自分自身がチェックをして、自分自身で行動をしていれば、時間がいくらあっても足りないのである。