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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異常

作者: ハタラキバチ

異常ってなんだろうか。

何が異常で、何が普通なんだろうか。

普通の俺には分からないけど、俺が愛したあの子は、間違いなく異常だったと思う。









俺には、恋人がいた。

大学の同級生で、ふわふわと向日葵のように笑う、左目の下に泣きぼくろがある、栗色の髪と瑠璃色の瞳が魅力的な、俺には勿体無いくらい美人で。引っ込み思案で臆病で、だからこそ誰よりも優しい、愛に溢れた素敵な人。

世界で一番愛しい人。


でもそれも、過去の話だ。


彼女には姉がいた。顔も名前も年齢も知らないが、彼女と異常なほど仲が悪いということだけは知っていた。

悪口なんて口にしたこともなく、誰かが他人の陰口を叩いているのを目にするだけで嫌そうな顔をするほど、人を嫌うことを嫌っていた彼女が、唯一心から憎んでいたのが姉だった。

ストレス発散になれば、とよく愚痴を聞いてやっていたが、彼女の姉に対する言いようは酷いものだった。

顔が嫌い、声が嫌い、髪の色が嫌い、瞳の色が嫌い、ほくろの位置が嫌い、自分の意見を言わない引っ込み思案な所が嫌い、些細なことでも怖気づく臆病な所が嫌い。同じ空気を吸うのが嫌、同じ国に住んでいるのが嫌、同じ血が流れているのが嫌。

わざわざこんなくそ田舎の大学に来て独り暮らしをしているのも、姉から少しでも離れたかったからだと言う。

それほどまでに彼女は姉を忌み嫌っていて、余りにも酷く言うものだから、会ったこともない彼女の姉に少しだけ同情した。

しかしおそらく、姉も彼女のことを同じくらい嫌っていたのだろう。好いていたらここまで恨まれはしない。とにかく、彼女と姉は互いに憎しみ合い、恨み合い、敵視し、嫌悪していた。それこそ、目が合っただけで殺し合いが始まりかねないほど。


でも、そんな彼女を殺したのは、姉ではなく、俺だ。


原因はやはり彼女の姉の話だった。いつものように彼女の部屋で、愚痴を聞いてやっていた時だった。何気なく呟いた、俺の言葉がきっかけだった。

「しかし、お前も大変だなあ。そんなに酷いお姉さんがいて。話を聞く限り、相当クズだもんな。お姉さん。」

その言葉を聞いた瞬間、彼女の美しい顔が醜く歪んだ。

「はあ?何ふざけたこと言ってんだてめえ。」

「え。」

穏やかな彼女とは思えないほど、乱暴すぎる言葉遣い。その異常な豹変ぶりに、俺はたじろいだ。

「あの子のことこれっぽっちも知らねえくせに、好き勝手ほざいてんじゃねえぞ!!!」

いきなり立ち上がったかと思うと、キッチンに置いてあった包丁を手に取った。

「!?おい、ちょ、落ち着けって!どうしたんだよいきなり!なんか俺悪いこと言ったか!?」

「うるせえ!私とあの子の世界に、勝手に入って来んじゃねえ!!!」

思考が追いつかない。なぜこんなことに。彼女の姉を悪く言ったことが原因だろうか。いや、彼女はいつも比べ物にならないくらい、姉を罵っているじゃないか。

いつもは慈愛に満ちている深い瑠璃色の目からは、殺意しか読み取れなかった。異常なまでに、爛々と輝いて、包丁を構えたまま、俺を刺すように睨む。

「殺す!!!!」

包丁を振り回し、暴れる彼女。切っ先がこちらに向いた。殺される──…!本能が威嚇した。

目の前が真っ暗になった。


気がつくと、包丁が腹に深々と刺さった彼女が、床に転がっていた。


頭が、真っ白になった。

何も分からないし、何も考えられなかったが、とにかく遺体を隠さなければ、とだけ思った。彼女の遺体を車に積んで、山に向かった。生まれて初めて、田舎に住んでいて良かったと思った。

不思議と罪悪感は無かった。彼女が死んでしまった悲しみも混乱もなくて、異常なほどに冷静だった。ただ、明日からは彼女と話をしたり、一緒にご飯を食べたりは出来ないんだな、という、胸に大きな空洞ができたような寂寥が、ふつふつと込み上げてくるだけだった。

彼女の死してなお美しい、整った横顔を眺めながら、淡々とスコップを動かした。

そうして俺は、彼女を埋めた。


彼女は失踪したという扱いになった。

彼女の家族が喚き立てることもなく、田舎警察のずさんな捜査と、周りの友達がいかに俺と彼女が愛し合っていたかを証言してくれたおかげで、俺が疑われることは無かった。いや、疑われていたのかもしれないが、とにかく、俺が彼女を殺して埋めたことが周りに知られることは無かった。

山が深く広かったおかげで彼女の遺体が発見されないまま、数日が過ぎ、数週間が過ぎた。

例の寂寥は、相変わらず俺の胸を深く抉ったままだったが、彼女がいないということ以外に、俺の生活には変化も異常も無かった。

この時までは。


ピンポーン。呼び鈴が鳴った。聞くこともなく聞いていたラジオを切って、よっこいしょと身体を起こした。宅配便でも来たのかな、と考えながら、扉を開けた。

そこに立っていたのは、左目の下の泣きぼくろが印象的な、栗色の髪と瑠璃色の瞳を持つ、美しい女性だった。ふわふわと向日葵のように微笑んで、

「こんにちは。」

と言った。

「え…。」

まともに声が出なかった。どこからどう見ても、彼女だ。俺が間違いなく殺して埋めたはずの彼女が、目の前に立っている。この異常な状況で、何をすればいいのかてんで分からなかった。

「ど、どうして…」

驚く俺を見て、彼女はなぜか嬉しそうに目を細めた。

「はじめまして。私、あの子の姉です。妹がお世話になったようですね。」

「あ、姉…?」

「ええ、そうです。あの子と私は、双子なんですよ。一卵性の。」

まさか、彼女がいつも話していた姉が、双子で、ここまで彼女と瓜二つだったとは。彼女が生き返ったのかと思ってしまった。

「あの、あの子について少々お話があるんです。中に入らせて頂いても?」

「あ、ああ、はい!ど、どうぞ…」

混乱してまだ頭が回らないが、とにかく姉を部屋に入れ、茶を出した。

美味そうに茶を飲む姉を、失礼だとわかっていても、じっくりと見てしまう。見れば見るほど、彼女とそっくりだ。双子だからと言われればそれまでだが、だからと言って、髪の長さ、ウェーブの仕方、ほくろの位置、着ている服の趣味まで同じだなんて。それほど、姉は彼女に異常なまでに酷似していた。

「双子って、不思議な繋がりがあるって言うじゃないですか。」

彼女と同じ声で、ぽそりと呟いた。

「えっ?ああ、はい。聞いたことあります。」

「私とあの子の間にもそういうのがあって。」

「はあ。」

「だから分かっちゃうんですよね。」

「何がでしょう?」

顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見据えて、はっきりとした口調で言った。

「あの子を殺したの、あなたでしょう。」

「は…?」

全身の血がぶわりと沸き立つような感覚が、肌を走っていった。

「どうして俺が…?」

「だってあなた、私を見て、『どうして』って言ったじゃない?普通行方不明になってるはずの人を見たら、無事だったのか、とか、今までどこにいたんだ、とか言うでしょう。」

くすくすと、彼女と同じ笑顔で笑う。冷たい汗が、背中を流れる。

「そんなの言葉のアヤですよ。そもそも、あの子が死んでるかどうかも分からないのに──」

「死んだわ。あの子は死んだ。私には分かる。だって双子だもの。私には、分かるの。」

姉の顔から、微笑みがすっと消え失せた。私、という言葉を異常に強調しながら、食い気味に話す。自分と妹の絆を知らしめているようだった。

「ああ、勘違いしないで。別に、私はあなたに警察に行ってほしいとか、そういうわけじゃないの。」

肩にかけていたトートバックに手を伸ばし、

「ただ、私に殺されてくれさえすればいいのよ。」

包丁を取り出した。

「んなっ…」

ぞわりと肌が粟立ち、思わず後ずさる。

彼女は包丁を手にしたまま、うっすらと笑みを浮かべて、ゆっくりと立ち上がる。しかしその笑みからは、楽しそうな感情は少しも感じなかった。暗い暗い海の底のような瑠璃色の瞳が、不気味に光る。

「ど、どうして!ほ、ほんとに俺が殺したんだとしても、あの子はあんたのことあんなに嫌ってたじゃないか!!あんただってあの子を嫌ってるんだろ!」

「ええ、嫌いよ。大っ嫌い。世界で一番。」

「じゃあ、なぜ…」

肩をどんと強く押され、バランスを崩して床に倒れ込む。起き上がろうとする俺の上に跨り、馬乗りになり、包丁を掲げた。腕の間から見える顔は、なぜか今にも泣き出しそうだった。

「だって!あの子は私が殺すはずだったのに!!!」

「な…」

「私とあの子は生まれたときからずっと一緒なのよ!だから死ぬ時も一緒で当然じゃない!!大嫌いだからこそ、あの子を殺していいのは私だけだし、私を殺していいのはあの子だけなのよ!!でも、お前はあの子を殺した!!私が!私が!殺すはずだったのに!!!なんてことを!お前のせいで、一緒に死ねなくなってしまった!!!」

大粒の涙を零しながら、狂ったように叫ぶ。俺の頬に、ぽたぽたと水滴が落ちた。血の気がすうっと引いていく。生まれて初めて感じる、心の底からの恐怖。

この双子は、異常だ───

「正気じゃない…!」

かたかたと震えながら、彼女をぎっと睨みつける。

「なんとでも言え!!私たちの世界を滅茶苦茶にしたお前を、許せるわけないだろうが!!!」

鋭い切っ先が、肉を切り裂く鈍い音を伴って、勢い良く俺の胸を貫いた。

「が…っふ」

全身に駆け巡る電撃のような耐え難い痛み。声にならない苦しみが、喉の奥で次々に生まれては融けていく。もがく俺を、彼女は依然として流れ続ける涙を拭うこともせず、虚ろな眼差しでぼんやりと見つめていた。

「ごめんね、ごめんね、悪いお姉ちゃんだよね。あなたと一緒に死ねなくてごめんね。殺してあげられなくてごめんね。許してね…」

ぐずり、先程の不快な音が聞こえた。彼女は、俺の血がべったりとついた包丁を、自らの腹に突き立てていた。小さな小さな、蚊の鳴くような苦しみの喘ぎ声がしたかと思うと、どさりと俺の横に倒れ込んだ。腹に包丁のささったその姿は、あの子を殺したあの日の光景にとてもとても、異常なまでに似ていて、まるであの日が蘇ったようで、まるで彼女を2回殺したみたいで、双子ってそういう所まで似るんだ、などと馬鹿みたいなことを考えた。

もうほとんど機能を失った耳に、か細い声が届いた。


「ごめんね、ごめんね、大好きだよ…」


なんか、彼女に告白されてるみたいだな、とほんの少しだけ嬉しくなった。


それにしても、なんで俺がこんな酷い目に合わなくちゃならないんだろう。なんでこんなに異常な奴らに振り回されて、あげく殺されなくちゃいけないんだろう。なんでこんな異様で異質で異常な奴らに──…


ああでも、この世で一番大好きな人を殺すことが出来たし、この世で一番大好きな人に殺されることが出来たみたいなもんだし、俺ってある意味幸せ者かもしれない。

はは、そんなこと考える俺も、ある意味異常かな。


薄れゆく意識の中で、俺はそんなことを思った。










異常なのは、誰?

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