無視できない魔術研究
魔術の目覚め
各国が魔術組織を立ち上げ、マナ教標準派が西の地に立てこもり、かりそめの均衡を保っていたのが中世初期~中期の様相だった。
しかし水面下では次の時代に移る準備が着々と整っていた。
中世を通じ、人々の一番の悩みは常に魔獣被害でありつづけた。特に初期はマナ教が魔獣への抵抗手段、すなわち魔法を禁じていたため、その被害は一層深刻なものであった。
結局各国は独自に、かつ秘密裏に魔術研究を行い始めるのはすでに言ったとおりであり、マナ教への背信行為はやがてマナ教への信仰心そのものを削っていくこととなる。
魔術の研究がゆっくりとだが進みに従い、魔術には一定の法則があることが次第に解明されてきたころだった。かの魔術王リフィス一世にあてた手紙には、こう記されている。「……つまりこの魔術という恐るべき偉大な祝福は、ただそれ単体で存在するものなのではなく……薪をを増やせば火は大きくなり、水をかければ火は消えるように、行為に従って結果を生み出す……道具ともいえる現象であるのです」
「道具」という言葉が出てきたという点で、この手紙は画期的なものだった。つまり魔術を「神聖にして侵すべからず」祝福から、人間により制御し行使される存在として認識するようになったのだ。
これもマナ教にとっては逆風となった。信仰の対象の神秘性が失われることは、信仰自体の揺らぎに直結する――標準派が今日まで残っていることを考えると必ずしもそうとは限らないが、少なくとも彼らはそう考えた。
カルメスの宣告
耐え切れない魔獣被害の増加、信仰の揺らぎ。物質面・精神面の両面からマナ教の存続が脅かされ始め、彼らは次第に信仰の強化を迫られることになった。
そしてその具体的行動を決めるため、リフスに置かれたマナ教中央聖堂・エネムリアス=クルユースにおいて開かれた会議をカルメス会議という。11人の枢機卿と111人の司教が一堂に集まり一週間にわたり行われた会議において、マナ教の、ひいては世界の命運を左右する文書が採択された。”カルメスの宣告”である。
カルメス会議において焦点のあてられた議題は、「魔術の使用・研究を認めるか」だった。このマナ教の信仰に真っ向から立ち向かうような議題が、マナ教の本体、マナ教そのものともいえるような会議の場において取り上げられた背景には、マナ教の抱える深刻な矛盾が存在していた。
「我々(マナ教)は祝福を信ずる教理を掲げていながら、誰よりも祝福を知らぬ存在になりつつある」
マナ教枢機卿の一人、アウネルフは弁論の中でそう語った。