中世初期の支配者
マナ教
魔力抽出の話は後ほどもう一度扱うので今はこの程度の説明にとどめ、次は中世初期から順に魔術史を追っていくことにする。
その前に一言だけ、古代について断っておこう。古代魔術というものについて、学者によっては近代魔術以上に発達していたと主張するものもいる。しかし古代帝国の崩壊による歴史の断絶により、この時期の魔術についてはまるで研究が進んでおらず、本著で解説することは不可能に近い。少なくとも中世初期よりは発達した魔術を保有していたようだが、その程度の情報しか確かと言えるものはないのだ。
このため、本著では中世初期から、魔術史の解説を行って行きたい。
さて、まずは中世初期から話を始めよう。
この時代の魔術の立場は現代と大きく異なっていた。その理由としてまず挙げられるのは、”マナ教”と呼ばれる宗教の存在である。中世中期まで広く侵攻されていたこの宗教は、魔術を神からもたらされた祝福、奇跡ととらえ、信仰するというものだった。
マナ教は魔術を神の証明として多くの民衆に周知させていったが、一方で戒律により魔術の使用は厳しく禁じられていた。神の祝福を無闇やたらと使うのはけしからんというわけである。その結果魔術の使用法、つまり当時で言えば呪文や魔法陣、触媒、あるいは魔力が高まるとされる時間等の、一切の魔術技術はマナ教により独占されていたのである。
そしてマナ教自身、神の祝福に手を出すことは避け、魔術の解析などは行おうとしなかったため、マナ教のもとでの魔術研究はまるで進められなかった。
隠れ魔術組織
これが中世初期から中期までの状況であるが、ではこの時代での魔術研究は一切行われなかったのかというと、そうではない。あちらこちらでマナ教の監視を逃れて、秘密裏に小規模な魔術組織が営まれていたようだ。マナ教が幾度か大規模な”魔術狩り”を行っていたこと、そしてわずかに残された文献からそれは推察される。
その貴重な文献の一つに、エルヴェス国王シウス二世の日記がある。この日記において、シウスはこう述べている。「……最近の魔獣の被害は本当に大変なものになっていて……とても困っています。先月はついにアホーロ山脈を超えて、王都の守備隊にまで損害を与えてきました。……(魔獣の被害に対し)もはや何も手を打たないという選択肢はありえません……今日は魔獣駆除隊を編成しました。彼らがどうにかこの被害を止めてくれることを信じるしかありません……」
当時は死因の半分が魔獣によるものだった、という計算もあるほど魔獣の被害は深刻なものであり、この日記においても苦悩している様子が伺える。そして日記に出てくる”魔獣駆除隊”というものが、まさに隠れ魔術組織のことを指しており、マナ教からその実態を隠すため名称を分かりづらくしていたことが分かる。
”魔獣駆除隊”は厳重に秘匿されながら、文字通り魔獣駆除のための研究を行った。魔獣というのは言うまでもないが魔法を扱う獣のことを指し、魔獣駆除のための研究というのは即ち彼らの扱う魔法に対しどう対抗するか、という研究を行うことを意味する。魔法ニアリーイコール魔術、という認識はすでに当時から存在し、魔法の研究もマナ教の弾圧の対象とされていたのだ。
マナ教が崩壊したのち、ようやく大手を振って魔術研究を行えるようになったときには、”魔獣駆除隊”はすでに何度かの再編成や名称の変更を経験し、発足当時の資料はほとんど残っていない状況だった。しかし現代までその系譜の残る彼らの魔術の傾向を読み解くと、魔獣の用いる魔法への耐性魔術を中心に研究が行われていたようだ。