その者、か弱きも意思強き者なり。
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今回は残酷描写が含まれていますので、苦手な方はご注意下さいませ。
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沢山の愛情に見送られて旅立ったアンジェは一路、己の生まれ育った国境線にある小さな村から一番近く、栄えている都市である城塞都市“エルネオア”を目指していた。
そんなアンジェの行く手を阻む……ことも無かったが、常人にとっては充分に脅威と言える大きな森がある。
“ファモリットの森”と呼ばれる城塞都市“エルネオア”と国境近くの町や村の間にあるその森は様々な魔物だけで無く、盗賊達も隠れていることで有名であった。
「……来る日も、来る日も……一人歩き続けるのは寂しいですね。 せめて、誰か話し相手が欲しかったです。」
そんな森の中を通る街道とは名ばかりの道をアンジェはため息を付きながら歩き続ける。
しかし、ため息を付いていたアンジェの高性能な耳がピクリと動く。
「これは…………面倒ごとですかね?……積極的に首を突っ込んで関わりたいとは思いませんが、簡単に見捨てるという選択は良心が痛んであんまり気が進みません。」
暫し顎に手を当てて考え込んだアンジェは、街道の先へと向けていた爪先を森の中へと向ける。
「致し方有りませんね。 両親の教えと、己自身に恥すべき真似は出来ません。」
小さく呟いたアンジェは街道を外れ、森の中へと歩を進めるのだった。
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「ちっ! 湿気た野郎だなあっ、大した金も持ってねえし、こんな細っこいモヤシ野郎じゃあ売っても大した金にゃあならねえしよぉっ!!」
ファモリットの森と呼ばれる街道を外れた森の中で、荒らぶる乱暴な声を上げるのは如何にも盗賊と言った風体の大柄な体格の髭を生やした男だった。
その男は足下に転がるまだ少年の域を出ていないであろう傷だらけの旅人の腹部に、苛ついた口調で容赦なく蹴りを放つ。
「……げほっっ……うぅぅ……」
「奴隷商にも買って貰えねえとなりゃ、何の価値もありませんねえ。 こいつ、どうするンすか?」
数人の破落戸のような男達は足蹴にされて苦悶の声を上げ、身体をくの字に曲げて悶える少年を囲い下卑た声で笑い合う。
「おっ、フリットさん! こいつ少しは売れそうなモンを持ってますぜ!!」
盗賊の一人が悶える少年の継ぎ接ぎだらけの上着の下に隠すように持っていた一振りの短剣を発見する。
「ほぉ……まあ、無いよりはマシか!」
少年の懐から取り上げたその短剣を髭面のフリットと呼ばれた男に渡せば、無いよりマシかと腰のベルトに挟んでしまう。
「あぁ?……何してんだ、ガキィ?」
そして、これ以上金になりそうにない少年の相手などしてられるかと背を向け立ち去ろうとするが、そのズボンの裾を掴む手が有った。
「……ねが……しやす……!……それ……だけは……」
フリットのズボンを掴んだのは、苦痛に悶えていたはずの必死な表情をした少年だった。
「……もってかな、ぐふっっあぎゃっっ……」
「っるせえんだよっっ!! 金にもならねえ、価値もねえ、ガキがっ! 俺の邪魔をするんじゃねえっっ!!!」
しかし、少年の必死の懇願も虚しく額に青筋を浮かべたフリットは何度も己のズボンを握り歩みを邪魔する手だけで無く、頭部を含めた傷だらけの身体に何度も足を振り下ろす。
「……うっ……あ゛……おね……が、しや……げほっっ……」
何度蹴られ、踏みつぶされても頑なに離そうとしない少年に焦れたのか、フリットは更に容赦の欠片も無い蹴りを放つ。
小さく細い少年の身体はフリットの蹴りの衝撃に耐えることなど出来ず、地面を何度も転がり襤褸雑巾のようになってしまう。
「けほっっ、う゛っ、うぅぅ……かえし、て……」
それでもなおフリットに対して奪われた短剣を取り戻そうと少年は痛む身体に耐えて手を伸ばし続ける。
「ちっ! 気味の悪い糞ガキじゃねえかっっ!!
おい、後はてめえらが嬲るなり、ぶっ殺すなり好きにしなっっ!!!」
へーい、と数人の子分達の返事を聞きながら、フリットは少年へと背を向けて根城へ戻るために歩き出す。
「……まっ……かえ……して……」
霞む視界の中で己の短剣を腰にぶら下げたフリットが遠ざかっていく姿を見詰め、少年は痛む肺腑から必死に声を絞り出すがその声は掠れ、フリットの歩みを止める事は出来なかった。
消えていく背中を見詰め、手を伸ばす少年の視界を遮るように複数の黒い影が差す。
憐れな弱い獲物の姿を満足気にニヤニヤと下卑た笑顔で取り囲むのは、フリットに少年を好きに嬲って良いと許可を得た三人の盗賊達だった。
「おいおい、どうするよぉ? 殺すか?」
「へへっ、女じゃねえのはあれだが、むさい顔って訳じゃあねえしなあ……フリットさんはああ言ったが、労働力以外の理由だったら売れるんじゃねえか?」
嗤いながら己の暗い未来を話す盗賊達に抗う力は少年にはもう残っていなかった。
「……じゃあよぉ……身ぐるみ剥いで、売りモンになるか確かめてみるか?」
一人が提案した言葉に他の二人が賛同し、ゲラゲラと少年を貶める言葉を吐きながら手を伸ばす。
「………………」
己に伸ばされる汚い男達の手を振り払うことも、抗うための言葉も、心が諦念の情に支配されてしまった少年は発することが出来なかった。
理不尽な暴力の前に大切な物を奪われ、世界に絶望して光を失い虚ろになっていく少年の瞳。
……だが、そんな絶望に染まった少年の霞んだ視界に一人の漢の姿が映り、その漢がもたらす結末を見ること無く意識を手放す少年の耳には強者の声だけが届いたのだった。
「大の男が雁首揃えてお稚児趣味たあ笑わせるぜ。 女に見向きもされねえからって少年愛に走っても、てめえらみてえな汚ねえ奴らは少年もお断りだろうよ。」
突然、少年を取り囲んでいた盗賊三人の内の少年の正面に立つ盗賊の背後から二本の逞しい腕が現れる。
「ぎゃひっっ」
そのまま逞しい片方の腕は正面に立つ盗賊の首を極め、残った片方で嫌な音を立てて本来人間の首が向かないはずの方向へと容易く向けてしまう。
抵抗する暇もない鮮やかな手際で盗賊の首の骨を砕き絶命させた漢。
いつの間に忍び寄ったのか、突然闇より姿を現したかのような漢の登場に、何よりも一瞬で仲間を殺された盗賊二人はその存在に恐怖する。
「ひっ?! て、てめえ……な、ななな、何モンだっっ?!」
ドサリと脱力し命を失った仲間の身体が血に横たわり、簡単に自分たちの命を奪える実力者の登場に狼狽と恐怖しながら疑問の声を上げた左側の盗賊。
「お、俺達をここら一帯を縄張りにしてる“鮮血の爪牙”のモンと知ってん…………」
何とか威嚇しようとして命だけは助かろうと叫んだ右側の盗賊達……しかし、その言葉は途中で不自然に途切れてしまった。
「知らねえな。 つーか、興味もねえし、ついこの間までただの村人その一だった俺が知る訳ねえだろ。」
いつの間にか抜刀したのか白刃を一閃させた漢の一太刀で首が鮮血を舞い散らせながら飛ぶ。
空中に跳ね上がった右側の盗賊の首は呆然と己を無くし鮮血を吹き上げ、大地へと倒れる身体を見詰め地に落ちる。
「…………ひっ……あぁ……あっ……」
嫌そうに顔を歪めながら行われる一方的な行為に、ただ一人残されてしまった左側の盗賊は生首だけになった仲間の首と眼が合い、恐怖で引き攣った喘ぎ声のような声を出す。
そして、腰を抜かして鮮血の飛んだ地面にへたり込み、力の入らない足で漢から少しでも距離を取ろうと足掻く。
「俺はよう、ついこの前まで本当に人殺しもしたことねえ只の村人だったんだよ。
……だけどな、てめえらのようなクソ野郎どものおかげで超えちゃあいけねえと思ってた一線を越えちまった。」
世間話でもするかのように話しながら、ゆっくりとした足取りで残された盗賊との距離を詰めていく漢。
「そんな一線を越えた俺でもな、愛してるって抱きしめてくれた人達に救われた。
ずっと、闘う心得を説いてくれていた父も、俺が落ち着いた頃を見計らって言ってくれた言葉がある。」
己を見て怯える盗賊を前に漢は足を止める。
「“敵を師と敬え。殺すからには殺される覚悟を決めろ。”」
悲しげに、苦しそうに、それでも覚悟を決めた凪いだ眼差しで目の前の敵の姿を見詰める漢、アンジェ。
旅立つ時に両親から女一人旅は危険だからと、男の振りをするように言われていたのだ。
だからこそ、口調も変えて盗賊どもと対峙したが、消え去る存在にこれ以上は不要かと本来の口調に戻す。
「既にこの手は血に染まりました。 命を奪ってしまったことも正当化するつもりもありません。
……ただ、私の手が赤く染まろうとも、貴方達のような身勝手で、理不尽な暴力を振るう相手に容赦などしないと決めたのです。」
残された盗賊の命を刈り取るために構えるアンジェの白刃に迷いなど無かった。
「……た、たすけっっ……」
「お前は、お前の謂われ無き暴力を前に怯え、助けを求めた者をどうしましたか?…………それが答えでしょう。」
再び白刃を一閃させ、残された盗賊の首を斬り飛ばしたアンジェは血と脂で汚れた刃で宙を一度斬り、汚れを跳ね飛ばしてから鞘へと戻す。
「……さて……この子はどうしましょうか?」
盗賊達の亡骸に囲まれるように気絶している細い少年の姿に、絶対に盗賊の仲間と勘違いされますよね……と思考を巡らせる。
しかし、血の臭いに惹かれて魔物が集まり始めているこの場に少年を残しておけば絶対に命は無いと分かっているために、アンジェは少年の身体を持ち上げ歩き出す。
予想以上に軽い少年の体重と、全身にある痣や擦り傷に顔を顰めながら、アンジェは足早に血の臭いの充満した場所を立ち去るのだった。