旅立つは数多の想いを受け取った若者なり。
いつも読んで下さりありがとうございます。
今回でアンジェが村を旅立つまでの物語の終了となりました。
今後は、温かな家族や親友の元を飛び出してからの物語を更新していきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
両親へと心の内を打ち明けた明くる日の朝早く、決めたからには決意が鈍る前に即座に行動すべし、とばかりにアンジェは旅装束にその身を包んでいた。
「うふふ! やっぱり私の思った通り、良く似合っているわ!」
「流石は、俺の自慢の娘だな。」
「すごい……姉さん、すっごく格好良い!!」
両親へと話しをするより前から少しずつ身の回りを整理整頓し、旅立つ準備を進めていたアンジェ。
「グウェン、褒めてくれてありがとう。 お父さん、お母さん、旅装束とこの護身刀。 本当にありがとうございます。」
旅装束を身に纏うアンジェを憧憬の眼差しで見詰め、抱きついて来る弟に苦笑しながら、いつかはアンジェが旅立つと分かっていた両親が用意してくれていた旅装束と武器に対し、心よりの感謝を伝える。
アンジェが身に纏っているのは、若かりし頃の冒険者として現役だったマークが倒した敵の中でも一、二を争う実力であった魔物の皮を鞣して作った黒革のロングコート、揃いで作られた手袋とブーツ。
その手に持つのはマークの冒険者仲間である誼で東方にある特殊な一族の出であった者に、アンジェが生まれると同時に頼んで作って貰っていた一振りの“刀”と呼ばれる剣であった。
「では、そろそろ……」
「アンジェェェェェェっっ!!!」
居住まいを正し、旅立つことを告げようとしたアンジェの声を遮るように玄関の扉を荒々しく開く音が聞こえたかと思えば、怒りに肩を震わせたクリスが居間へと鼻息荒く姿を現した。
「……え、クリス? そんなに怒ってどうしたんですか?」
反対されることを予想し、クリスには旅立つことを告げないつもりでいたアンジェは何とか誤魔化そうと背中に刀や荷物を隠そうとする。
「どうしたじゃないわよっ! この私に別れの挨拶も告げずに旅立とうなんて、随分と水臭い真似をするじゃないっっ!!」
そんなアンジェの姿にますます怒りを炎を燃え上がらせたクリスは、分厚い筋肉に覆われたアンジェの腹部へと何度も拳をぶつけていく。
「馬鹿っ! アンジェの馬鹿っっ!!」
「ちょっ、クリス! 叩くのは構いませんが、このまま続けると貴女の手が赤くなって……」
何処で己が旅立つことを聞いたのかと、戸惑いながらもクリスの手を掴んで止めようと試みるアンジェへと、ふんわりと微笑んだリーシャがおっとりと呟く。
「あら……アンジェったら、クリスちゃんに言わないつもりだったの? お母さん、クリスちゃんのお母さんに今日の朝ご飯のおかずを多く作り過ぎちゃって、お裾分けに言った時にポロッと言っちゃったわ。」
朝早く、気合いを入れて旅立つアンジェのために沢山の料理を作りすぎてしまったリーシャは、他の家はまだ寝静まっていることに気が付かずに普段の感覚で行動してしまい、お隣さんに声を掛けてから日が昇る前であるというその事実に気が付いてしまったのである。
「……お母さん……いつも姉さんが言ってるじゃん。 もっと、周りを見ないと駄目だって。」
「……グウェン……これでも、昔に比べればしっかりした方なんだぞ。……昔は何も無いところで転ぶし、すぐに面倒ごとに巻き込まれていたからな。」
珍しく料理の味付けに失敗していないと思えば、別の部分でうっかりさんを発動させていたリーシャに、アンジェを含めた家族達は脱力してしまう。
「えっと、ごめんなさい……クリスは、きっと優しいから私のことを心配して反対すると思ったんです。」
両手をアンジェに痛みを感じないように細心の注意を払って掴まれているクリスは、涙の膜の張った瞳で睨み付けながら叫ぶ。
「反対なんかしないわよっ!……アンジェがこの村にずっと居るとは思っていなかったもの。 この村しか知らない私にだってそれくらい分かるわ……!」
「……クリス……」
掴んでいる腕から力が抜けていく事を感じたアンジェがクリスの腕を解放すれば、大粒の涙を流しながらクリスはしっかりと親友の身体を抱きしめる。
「……ひっく……わたしの我が儘で止めたりしないから……見送りくらいさせてよ、ばかぁ……」
「ごめんなさい、クリス……ありがとう……」
華奢な身体を壊さないように、けれどしっかりと別れを惜しんで涙を流す親友を抱きしめ返したアンジェの瞳にも熱いものが込み上げるのだった。
街道へと続く村の入り口へと家族と親友に伴われ移動したアンジェは、もう一度己という存在を恐れることなく受け入れてくれた大切な人達の顔を心へ刻み込むようにしっかりと見詰めていく。
「……名残惜しいですが、見送りは此処まででお願いします。」
涙を流したためか目元を赤くしたアンジェへと、見送る者達はそれぞれに別れを惜しみ、悲しげな笑みを浮かべ、涙を堪える。
「アンジェ、私ね……これを渡そうと思ってたの。」
「これは……」
アンジェと同じように目元を紅く染めたクリスが取り出したのは、群青色に微かに金や銀色が浮かぶ石の原石だった。
「あのね、オババ様に教えて貰ったの。 あんまりお金持ちの人達は好まない石だけど……この石はね、邪気を退けて、正しい道へと導いてくれるんですって。 そして、持ち主に幸運を招いてくれる守り石って呼ばれているらしいの。」
クリスが差し出したのは、前世では“ラピスラズリ”と呼ばれていた宝石に似通った石だった。
「それにね、女の子一人の旅路には危険が一杯だから、わざと男みたいな格好をしなきゃいけないのはしょうが無いわ。 でも、この色合いの首飾りくらい身に着けてても可笑しくは無いでしょう?」
にっこりと微笑んだクリスの手から首飾りを受け取ったアンジェは、おそらくクリス自身の父親と相談して作ったであろう丈夫な太い紐の輪に首を通す。
「ありがとうございます、クリス。 大切にします。」
「うん!」
微笑み合うクリスとアンジェの姿を見ていたグウェンは、己だけが旅立つ姉へと何も用意できていないことに唇を噛みしめる。
「姉さんっっ!」
「グウェン、どうしたんですか?」
瞳を彷徨わせていたグウェンだったが何かを考えついたのか、親友と微笑み合う姉へと真剣な声を上げ、その声に首を傾げたアンジェは視線を向けた。
「僕は姉さんのために何も用意できなかったけど、その代わりに約束します!
姉さんが帰ってくるその時までに、絶対にお父さんや姉さんを超えるような強い男になって見せます! そして、姉さんの代わりに父さんの背中を、母さんと姉さんの親友を必ず護って見せます!!」
強い意志を燃え上がらせた瞳で決意を語るグウェンの言葉に、アンジェだけでなく両親もまた柔らかな笑みを浮かべる。
「グウェン……よろしく頼みます。」
「はい!!」
幼いと思っていた弟の成長を感じて、今度こそ旅立とうと別れの言葉をアンジェが告げようとしたその時……
「ほっほっほっ。 アンジェ、そう急ぐでないわ。 リーシャのうっかりもこういう時には、いつも役に立つ物じゃのう。」
「まったく! お前さんを取り上げたこのオババに旅立つことを報告せずに行こうとするとは! これだから最近の若いもんは……!!」
村の中をゆっくりと杖を付きながら二人で一緒に台車に乗せた何かと共に歩いて来たのは、この村の長老である人物達だった。
「オジジ様っ、オババ様っ?!」
予想外の人物達の登場にキョトンとした表情を浮かべるリーシャ以外の者達が驚きに眼を見開いてしまう。
「あらあら、オジジ様、オババ様、おはようございます。 私ったら、何かお二人の役に立つことを致しましたか?」
「……相変わらずの性格じゃな! お前さんがクリスの母にポロッとアンジェが旅立つことを告げただろう。 そのことを、クリスだけでなく村中に知らせてくれたんじゃ!!」
おっとりと何かをしたかしら、と首を傾げながら問いかけるリーシャにオババはため息を付きながら応えた。
「ほっほっほっ! そのお陰で、儂らも見送りに間に合うことが出来たんじゃよ。」
好々爺とした雰囲気で笑うオジジの姿に、アンジェは思わず苦笑を漏らしてしまう。
「アンジェ、本当に間に合って良かった。 これはの、儂らこの村人一同からの心ばかりの贈り物じゃ。」
「お前さんが旅立つと聞いて、皆で慌てて集めたんじゃ! じゃから、ぼけっとしておらんでさっさと受けとらんかっ!!」
正反対の雰囲気を纏うオジジとオババの夫婦の言葉に、差し出された大の男が両手で受け取らねば落としてしまいそうな皮袋を片手で余裕で受け取り、中身を確認してみれば沢山の銅貨と幾らかの銀貨がずっしりと存在を主張していた。
「オジジ様っ、オババ様っ! これは受け取れませんっっ!!」
慌てて突き返そうとするアンジェだったが、ほけほけと二人は似たような笑い声を発するだけで決して受け取ろうとはしなかった。
「ほっほっほっ! 一度受け取った物を突き返すのは、ものすんごく失礼じゃと思わんか、アンジェよ?」
「一度受け取っときながら、突き返すんじゃないよ! このバカちんがっっ!!」
手に持った貨幣の重さに、どうしたものかと真剣に悩むアンジェへと二人は慈愛に満ちた眼差しを向ける。
「受け取るんじゃ、アンジェ。 言ったじゃろ? それは村人全員が自ら進んで出し合った贈り物じゃと。」
「みんな本当はね、分かっているんだよ。 お前さんの心根の優しやさ、素直さを。 お前さんが拳を振るうのは、何時だって誰かを護るため。 村のチビ共がお前さんをからかっても、決して手を上げることなど無く唯々黙って耐えるだけじゃっただろ。」
オジジとオババは、村人を代表してアンジェを見送るだけで無くずっと伝えることが出来ていなかった言葉を告げるために自ら進んでこの場に来たのだ。
「只の村人にとって、お前さんの姿は確かに恐ろしい。 じゃけど、内面は決してそうでないことなどみんな知っておる。 しかしのう……それをどうやって伝えれば良いのか情けないことにわからんかった……一体、誰に似たのかみんな不器用なのじゃ。」
「何でオババの方を見るんだい、このクソ爺!」
横に立つ長年連れ添った妻へと意味深な視線を向けるオジジへと、オババは間髪入れず悪態を返す。
「儂がクソ爺なら、お前さんは頑固婆じゃ!
……何処まで言ったかのう?……そうじゃ! アンジェ、儂らはみんなお前さんを好いとるよ。 それを素直に現せんだけじゃ!」
「あの下らん言葉を言った馬鹿たれも、しっかりと躾け直したわっ! じゃが、あんな言葉を吐いた馬鹿たれ相手にリーシャやクリスのようにすぐに動けんかったことを気にして、合わせる顔が無いなどとほざいとる!」
アンジェはオジジとオババの言葉により、花祭りの一件以来村人達が己へとよそよそしかった本当の訳を知る。
村人達は、決してアンジェを恐れるがゆえによそよそしい態度を示してしまった訳では無かったのだ。
「此処は、アンジェの故郷じゃ。 何時だって、儂らはお前さんの帰りを待っておる。」
「次に会うときは、皆で必ずお前さんを笑顔で迎えるよ。」
孫の成長を見守るように、穏やかな表情で見上げる二人の長老の姿と伝えてくれた真実を噛みしめ、アンジェは激情に耐えるように歯を食いしばる。
「オジジ様、オババ様……みんな……ありがとうございます……有り難く受け取らせて頂きます……!!」
立ち並ぶ家の影や、木立の気配を探れば沢山の人の気配がアンジェには感じ取る事が出来た。
「行ってきますっっ!!!」
みんな合わせる顔が無いからと、隠れて見送ろうとしてくれている人々にも聞こえるように叫んだアンジェは今度こそ村へと背を向けて走り出す。
家族や親友だけで無く沢山の人々の愛情を背に感じながら、アンジェは勢いよく広い世界へと向けて飛び出したのだった。
まるで旅立つ若き乙女を祝福するかのように、朝靄の晴れた蒼天は何処までも輝いていたのである。