心に灯るは覚悟の灯火。
盗賊の頭の胸板を突き破り、背中へと貫通したアンジェの血に塗れた太い腕。
ぐちゅり、と音を立てて貫通した腕を引き抜けば、絶命し脱力した盗賊の頭の身体は支えを失い、ドサリと音を立てて大地へと倒れ伏した。
「…………。」
腕を抜き去ると同時に舞った血飛沫により純白だったアンジェのワンピースは血に染まり、赤黒いシミで汚れてしまう。
頭に被っていたはずの白い花冠も神速の速さに耐えることが出来ずに白い花びらを散らして壊れてしまい、花びらを舞い散らせながら小さな音だけを残し大地に落ちる。
アンジェは己に向けられた畏怖と恐怖の混じった眼差しを背中に感じながら、無感動な瞳で血に汚れてしまった己の片腕を、その手の平を静かに見詰め立ち尽くす。
「……ひっ……ば、化け物っ……?!」
村人の一人が思わず呟いてしまった小さな声は、今までの喧騒が嘘だったかのように静まりかえった広場に嫌に響き渡った。
「(…………化け物……か……)」
思わず口にしてしまった村人の言葉通り、血に染まった化け物じみた力を持った己の姿に自嘲の笑みを浮かべ、流石にこんな醜態を晒してしまえば家族といえど己を見る眼が変わるだろう、と諦めにも似た空虚さを覚えたアンジェ。
それでも、一縷の望みを捨てきれず己を見る家族の眼差しを確認したくなくて、背後を振り向くことすら出来ずアンジェは唯々立ち尽くし続ける。
アンジェの心が絶望にも似た悲しみに覆い尽くされそうになった時、化け物と呟いてしまった村人の声を上書きするようにバシンッ、ドスッと立て続けに二つの音が響いた。
「私の可愛い娘に巫山戯たことを言わないでちょうだいっ! 二度とそんなことが言えないように、この私がその口を縫い付けてあげましょうかっ!!」
「盗賊に怯えて何も出来なかった情けない野郎が、家族を護るために闘った私の親友を侮辱しないでっっ!!」
その音の発生源は、烈火の如く怒りを纏ったリーシャとクリスであった。
二人はアンジェを化け物呼ばわりした村の若い男相手にそれぞれ平手打ちと、腹部に重い一撃を与えたのだ。
「…………え?」
アンジェは二人の怒りの籠もった叫びと、その信じられない内容に目を瞬かせてしまう。
「アンジェ! 怪我はないの? 痛いところは無い?」
「あんまり無理をしてはダメよ、アンジェ。 でも、貴女のお陰でマークとグウェンも無事だったわ。 本当にありがとう。」
驚いているアンジェの元にクリスとリーシャが駆け寄り、力一杯抱きついて来る。
思わず二人の身体を抱きとめたアンジェだったが、血に汚れた己の身体を思い出して身体を離そうとするものの、それを二人は許さないとばかりにますます抱きつく力を強くしていった。
「……お母さん、クリス……駄目ですよ、貴女達まで血で汚れて……」
「そんなこと気にしないわ!」
「うふふ、そうね。 血は落ちにくいけど、お母さん頑張って洗濯して真っ白にしてみせるからなんの問題も無いわね。」
アンジェの微かな抵抗を物ともせずに普段通りの様子で抱きしめ続けてくる二人の存在に、アンジェの心が熱を取り戻し始める。
「アンジェっ! すまん、怪我は無かったか?……ごめんな、アンジェ。 父さんがお前を護ってやりたかったのに、結局はお前に無理をさせてしまった。」
「……姉さん……姉さんっ……ごめ……なさい……」
リーシャとクリスに続くように、近寄ってきたマークとグウェンもまた血に汚れた手をしっかりと握り、怯えた様子など微塵も見せずに唯々アンジェの心を心配し、謝罪の言葉を口にしていく。
「……お父さん……グウェン……みんな……ありがとうございます……。」
大切な家族と親友の温もりを感じ、大粒の涙を流しながらアンジェは大切な存在をしっかりと抱きしめ、涙を流し続けたのだった……。
※※※※※※※※※※
……花祭りの一件より数日が経ち、アンジェに対する何処かよそよそしい村人達の態度にも慣れた頃、アンジェは一つの決意を胸に自宅の居間で両親と向き合っていた。
目の前に座るアンジェの様子から只ならぬ気配を悟ってしまっているのか、アンジェの決意を語る前から心配げな眼差しをリーシャは浮かべ、マークは静かに見詰め続ける。
「お父さん、お母さん……私は、出来るだけ早くこの村を旅立とうと思います。」
「……アンジェ……」
「……そうか……」
アンジェの決意が固いことを既に悟ってしまっているリーシャは、母の腕より飛び立とうとしている我が子を止める言葉を必死で胸の中へとしまい込む。
同じくマークもまた、常々アンジェという望まぬにしろ大きな力を宿す存在に取ってこの村という狭すぎる世界の中に、何時までも押し留めておくことなど出来ないと理解していた。
「アンジェ、旅立つことを反対はしない。 だが、一つだけ答えてくれ。……お前が旅立つ決意を決めたのは、花祭りのことがあったからか?」
「……それもないとは言えません。 ですが、一番の理由はずっと心に燻り続けていた物の答えがはっきりと示されたからです。」
責める訳でなく、凪いだ海のような静けさを伴ったマークの問いかけにアンジェはしっかりと己の心と向き合いながら答えていく。
「私は、この強すぎる力と容姿が受け入れたくないほどに大嫌いでした。 今なおそれは余り変わっていません。 そのうえ、あの花祭りの時に見せてしまった強すぎる力は、誰が見ても畏怖の対象にしかならないでしょう。……狭い村の中では特に目立ってしまうと言うことを理解できないほど子供ではないつもりです。」
頭ごなしに否定することなく、黙って娘の言葉を聞き続ける両親へとアンジェは感謝しながら言葉を続ける。
「ですが、そんな私の血に汚れた恐ろしいはずの姿を見ても、決して変わることのない想いに、私に向けられた愛情に……出来ることならば私自身もこの力と容姿を受け入れて、生きて行きたいとそう思ったんです。」
神に押しつけられるように与えられた力と容姿すらも、丸ごと愛してくれる家族と親友の存在に、アンジェの心は何時だって支えられてきたのだ。
「それに、私が大好きなお父さんやお母さん、グウェンに、クリスが好きだと言ってくれる私自身を受け入れて、誰を前にしても誇れるような存在になりたいと思いました。」
アンジェは覚悟を決めた真っ直ぐな瞳で愛する両親を見詰めて、決意を言葉にしていく。
「私は、私自身を受け入れることが出来るように成長するためにも旅に出て、広い世界を見聞し、様々な人と出会いたい。 なかには悪意を持って近づいて来る人も少なくは無いでしょう。 ですが、それもまた私の経験となる。」
テーブルの下で強く握り締めた拳に更に力を込めて、アンジェは高らかに己の覚悟を宣言する。
「お父さん、お母さん……私は冒険者となり、この世界を生きて行きたいと思います。」
アンジェの言葉にマークとリーシャは、目の前に座る大切な娘の姿を目に焼き付ける。
生まれ落ちたその時より、アンジェは生まれ持ってしまった呪いとも言える神より与えられた天賦の才と言うべき物の数々の所為により、年頃の娘が味わうことの無いような悲しみや、苦しみを背負っていたことを二人は充分に分かっていた。
だからこそ、アンジェの心に少しでも寄り添うことが出来るように有りっ丈の愛情を籠めて、大切に育て上げてきたのだ。
その強すぎる力に振り回されぬように身体と心を育て、好奇の視線や悪意を受けてアンジェの柔らかな魂が曲がることがないように導き続けたのだ。
「……アンジェが、花祭りの出来事を気にしてこの村を去ると言ったならば、俺達は全てを捨ててでも共に旅立つつもりだったが……その目ならば大丈夫そうだな。」
「お父さん……」
大きく曲がることなく育った我が子の姿に眩しい物を見るかのように目を細め、穏やかな笑みを浮かべるマーク。
「だから言ったでしょう? アンジェならば絶対に大丈夫だと。 だって、私達の自慢の娘だもの。」
「お母さん……」
普段と変わらぬ優しい笑みを浮かべ、無条件にアンジェの願いを受け入れてくれるリーシャ。
温かな愛情に涙するアンジェの元へと移動した両親は、しっかりと抱きしめて旅立つことを決めた我が子の旅路に幸が多いことを祈り続けるのだった……。