悪夢と言われしは黄金の乙女 前編。
濃淡様々な灰色の形を整えられた大きな石が堆く積み重なった重厚な壁に囲まれた城塞都市エルネオアへ入るための大門近くにおいて、一人の老騎士が腰を押さえながらも己の前に立つ男へと鋭い眼差しを送っていた。
「例え、このエッケルハルト・アクス・カーレルスマイアーっっ! 我が腰が砕け折れようともっ!! 我が剣を捧げし主への忠節を示すため、お嬢様を拐かせし貴様を討ち果たすの、みょぎょっっ?!」
一般的な成人男性よりも高い背丈とガッシリとした体格を持ち、油断無く周囲を見渡す猛禽類のように鋭い眼光、何処か魔王の如き貫禄を有する漢。
そんな今までに出会ったどんな強敵よりも強いと確信せずにはいられぬ漢を前にして、老騎士エッケルハルトは気合いの籠もった雄叫びを上げる。
だが、老身には重い剣を天へと大きく掲げた途端にゴキリと嫌な音が再び腰の辺りより響く。
「……つーか、俺は其処のお嬢ちゃんを送り届けただけだしなあ。 ま、他の街にも冒険者ギルドは有るから、此処に拘るつもりもねえし……。
ご老公さんも調子が悪そうだから、俺はさっさと退散させて貰うぜ。」
腰があぁぁぁっっ!!、と再びあまりの痛みに悶え声を上げるエッケルハルトへ対し、困ったように頬を掻きながら討ち果たすと言われてしまった漢ことアンジェは苦笑する。
「待ちぇええぇぇぇっっ! きしゃまあぁぁぁっっ!! 漢たる者、敵に背を向けるとは何ごとじゃっ……ぐぎゅっっ……こ、腰ぎゃ……」
背を向けようとするアンジェに対し、エッケルハルトは眦を吊り上げて怒りの声を発するが、己の声が腰に響くのか苦悶の表情を浮かべてしまう。
「こ、こりゃっ……お前達っ! 儂の腰が落ち着くまで、無理をせん程度に闘って見たいという者はおらんのか?」
激痛の走る腰を押さえて蹲るエッケルハルトは、己の周囲でおろおろと声を掛けてくる若い兵達へと問いかける。
「……え?! お、俺達があの人とですかっっ?!」
エッケルハルトを囲むように数人いる若い兵達は、恐る恐るといった様子でチラリとアンジェへと視線を向けてみた。
「ああん? てめえら、俺とやるつもりか?」
普段から鋭く恐ろしい眼光を放つアンジェの双眸に殺気の籠もった妖しい光が宿り、獰猛な笑みが口元に浮かんだ…………ように、若い兵達には見えた。
「無理ですぅぅぅぅっっ!!」
「俺の帰りを待つ可愛いインコのピーちゃんがいるんで危険なことはちょっと……」
「俺、可愛い彼女が最近やっと出来たんでまだ死ねません!」
「ちょっと、俺ってば腹痛いんで早退しても良いですか?」
「あっ、お前狡いぞっ! カーレルスマイアー様、俺も頭痛いですっ!!」
アンジェの放ってもいない殺気を感じ取った若い兵達は、口々にエッケルハルトへと闘いたくないと口にする。
「……何なんすか、あの人達……。 一応、兵士さんっすよね?」
特にアンジェが眼光に殺意を宿らせた訳でも、威嚇した訳でも無いのに及び腰になっている兵達の素直すぎる反応に、ランスは口元を引き攣らせてオスカーへと問いかける。
「……あいつらは……その、な……武芸に関する実力は今ひとつなんだが、一芸に秀でているというか……使いようによっては役に立つ奴らなんだよ。」
「……思い出しましたわ。 カーレルスマイアー部隊と言えば、生涯現役を掲げるカーレルスマイアー卿を部隊長に編成された部隊で、その……と、特殊な任務をこなされるとか……」
ランスの視線から目を逸らしながら居たたまれない様子で答えるオスカーの言葉で、オスカーの側に避難してきていたノエルが思い出したように呟く。
「……特殊な任務……まあ、そう言えなくもありませんが……要するに“何でも屋部隊”と言われています。」
「“何でも屋部隊”っすか?」
オスカーの言う“何でも屋部隊”の特殊な任務が思い付かないのか、首を傾げるランスに対して部隊の事情を知っているノエルとオスカーは何とも言えない表情を浮かべてしまう。
「……その……街の困ったことが有ればどんなことでも、大抵の事は引き受ける部隊なのです。」
「……迷子の犬猫探しに始まり、酔っぱらいの保護、夫婦喧嘩の仲裁……一番の任務は、生涯現役を掲げるエッケルハルトのじーさんの相手だけどな。」
何とも言えない表情で任務内容を口にするノエルとオスカー。
「……それって兵士さんの仕事じゃないと思いやす。」
何かさせてないとあのじーさんは暴走するんだよ、と返すオスカーに、益々ランスは微妙な顔を浮かべてしまうのだった。
「聞こえておるぞっっ、シュバルツの小童っっ!!
お前達もっ、何でも屋部隊と言われぬように少しは奮起せぬかっっ!!!」
オスカーとノエル達の会話がしっかりと聞こえていたエッケルハルトはギロリと剣呑な眼差しをオスカーにのみ向けて怒鳴り、続けて何でも屋部隊と言われている己の部下達を叱咤激励しようとする。
「えー、無理ですよ。 カーレルスマイアー様、俺達正直な話し武芸は向いてないですもん。」
「だよなー。 親兄弟が五月蠅いから一応止辞めてないだけだし。」
「何でも屋部隊の方が性に合ってる気がしますもん。」
しかし、若い兵達は困ったように笑いながら口々に無理です、と答えていく。
「バッカもぉぉっっん!! そこで諦める奴があるかっ!!!
漢には無理と分かっておってもやらねばならぬ時が有るじゃろうっっ!!
……それと、いい年した漢が“もん”とか言うんじゃな、あたたたたっっ!!!」
顔を怒りで赤く染めるエッケルハルトの言葉に、若い兵達はやれやれまた始まった、とばかりに腰を擦ったり、荷物の中から湿布を出したりと慣れた様子で聞き流している。
「なんつーか……俺のことは気にせずにさっさと医者に行った方が良いんじゃないか?」
「儂を年寄り扱いするでないわっっ! こ、このくらいのギックリ腰など屁のカッパじゃっっ!! 見ておれ、今より儂の華麗な剣術を披露して、貴様を牢にぶち込んでやるわっっ!!!」
困ったおじーちゃんですねえ……、と内心苦笑するアンジェは早く医者のいる場所へと行くように促すが、その言葉が余計にエッケルハルトの自尊心を刺激したのか剣を杖代わりに立ち上がろうとし始めた。
「カーレルスマイアー卿っ! 本当にその方は、アンジェさんは魔物に襲われていた私達を助けてくれたのです!
一見すれば、確かにアンジェさんは獲物を求めて流離う凶悪犯や獰猛な魔物のような姿をしています。
ですが、身勝手な理由で街を飛び出してしまった愚かな私を諫め、金品での十分な対価をすぐに渡せぬと分かっていながらも、此処まで護衛をして下さったのです!! だから、私の恩人たるアンジェさんに剣を向けてはなりませんっっ!!!」
街を飛び出した己の所為でエッケルハルトはアンジェを悪人と勘違いして、闘おうとしているのだとちゃんと理解しているノエルが叫ぶ。
『………………え?……えっえぇぇぇぇぇぇっっ?!』
勘違いなのだと一生懸命に誤解を解こうと叫ぶノエルの言葉に周囲は暫し沈黙に包まれ、エッケルハルトと若い兵達は驚愕の叫び声を上げてしまう。
「……まさか……儂、お迎えが近いのかのう……」
「……お嬢様が……あのお嬢様が……」
「え?……あの人って本当にあのお嬢様ですよね?」
「ちゃんと理由を言えてる……」
「まさか……そっくりさんか、強く頭を打ち付けたのか……?」
「……ああ! 夢だな、きっと! なんて質の悪い夢だっ!!」
ノエルの叫びを聞いたエッケルハルトと若い兵達は、それぞれに悪夢だ、終末が近いのだと愕然とした様子で狼狽えてしまうのだった。




