辿り着くは高き壁に囲まれし都。
「やっと着いたなあ……。」
濃淡様々な灰色の切り出されて形を整えられた大きな石が、堆く積み重なった重厚な壁の如き、目の前の塀を見詰めてアンジェは何処か安堵した様子で呟く。
「アンジェさんよりも大きいっすねえ……」
生まれて初めて見た城塞都市エルネオアを囲む塀の高さに感嘆の声を上げるランス。
「うふふ! 此処が私の生まれ育った街なんですよ!」
生まれ故郷を前にして平坦な胸を張って嬉しそうに語るノエル。
「……まさか、無事に生きて帰ってこれるとは……」
五体満足で生きて戻って来れたことが信じられないのか、見慣れた高い塀を見上げるオスカー。
「そうっすねえ……誰かさんが魔物の尻尾を踏んだり、巣穴を壊したり、ぼや騒ぎを起こしたり……気が休まる時が有りやせんでしたからね!……ねえ、そこで胸を張っているお嬢さん。」
何処か黒い物が漂う笑顔を浮かべたランスが、ニッコリとノエルに向かって何か言いたげな視線を向けた。
「はうあっっ?!」
衝撃を受けた様子で仰け反ってみせるノエルへ、アンジェとオスカーの視線も集まる。
「……思い返せば、確かにこの数日はお嬢様のドジが遺憾なく発揮されましたね。 本来、徒歩であったとしても、此処まで時間が掛かるはずは無いのですけれど。」
「オ、オスカーまで……あうぅ……ご、ごめんなさい……」
遠い目をして何かを思い出すオスカーの言葉にノエルはビクリと身体を震わせ、がっくりと項垂れながら謝罪の言葉を口にする。
「……まあ、確かにお嬢ちゃんのドジは一種の才能かもしれねえな……悪気は無いとはいえ、あそこまで頻発すると困っちまう。 だが、無事にエルネオアに到着できたから良しとしようぜ。」
黒い靄を発生させるランスと遠い目をするオスカーの姿に苦笑したアンジェは、大きな被害を受けることなく済んだしな、と呟く。
「あんじぇさあぁぁぁんっっ」
そんな己の言葉にノエルが嗚咽を上げながら泣きついて来たため、アンジェは自身の母よりもドジッ子かもしれない、と心の中で思いながら、幼子をあやすように何の気なしに金色の頭を撫でてしまう。
「……むうっ!」
「……お前は本当にアンジェが好きだな。」
アンジェへと抱き着くノエルの姿を視界に収めたランスは頬を膨らませ、オスカーは何とも言えない表情を浮かべる。
しかしその時、そんな彼等四人にとってはここ数日のお決まりと成っていると言っても過言ではない状況を壊す声が響き渡った。
「貴様っ! お嬢様を離しゃんかっっ!! その御方が誰か分かっての狼藉かっっ!!!」
年齢を感じさせる嗄れた男性の声が響き渡り、アンジェ達がその声の聞こえた方向へと視線を走らせれば、数十人の兵達の姿とその先頭に立つ全身を鎧で覆い、顔だけを出した状態の老人の姿が其処にあった。
「……おいおい、何の冗談だよ。」
「一体何が、どうしましたの?」
明らかに己へと向けられている兵の先頭に立つ老騎士の言葉や武器の切っ先にアンジェは頬を引き攣らせ、ノエルは困惑した表情を浮かべる。
「ちょ、オスカーさん?! 何なんすか、この人達っっ!!」
「……エッケルハルトのじーさんと守備兵……っ! 間違われたんだな……その、何と言うか……人攫、じゃなくて悪い感じ的な人に……」
もう大丈夫だよ、怖かったね、と何故か自身を保護しようとしてくる兵の手から逃れ、オスカーの背後へと隠れたランスは困惑した声を上げ、問いかける。
ランスの問いかけに対し、最初は困惑した様子で周囲の兵達を観察していたオスカーだったが、己は既に慣れたアンジェの容姿に関して思い出し、バツが悪そうに答えた。
「目茶苦茶失礼っすよっっ!!」
「……すまん」
威嚇する子犬のように叫ぶランスへと、オスカーは申し訳なさそうに視線を逸らす。
「あ、あのっ! この御方は決して悪い方では無くて……」
「ご安心下さい、お嬢様っっ! このエッケルハルト・アクス・カーレルスマイアーっ!!
例え差し違えることとなろうとも、お嬢様の御身と名誉を傷付けた極悪人を必ず打ち果たして見せますぞおぉぉぉっっ!!!」
戸惑いつつも制止しようと口を開くノエルの言葉を遮るように無駄に気合いの入った炎を背負う老騎士、エッケルハルトが興奮した様子で天へと剣を掲げ、唾を飛ばしながら叫ぶ。
「……嬢ちゃん、危ねえからオスカーの所に行ってろ。」
「ですがっ! それでは、アンジェさんがっ!!」
己を取り囲む老騎士や兵達を油断無く見据えるアンジェの言葉に、ノエルは悲鳴のような声を上げる。
「このくらい大丈夫だ。 良い子だから避難しとけ。
……それに、あの騎士さんをこれ以上興奮させると血管が切れちまいそうだしな。」
己を見上げてくるノエルへと、安心させるようにニイッと笑って答えたアンジェ。
「聞いておるのかっっ!!
そもそも、その御方は何を隠そう、この城塞都市エルネオアの領主で有らせられる“オスニエル・グラン・エルンスター”様が一の姫様で有らせられるぞっっ!!!」
一同頭が高いっ! 控えおろうっっ!!、と今にも叫び出しそうな老騎士エッケルハルトの興奮した様子に、アンジェは困ったように視線を送り、そっとノエルの背中をオスカーへと向かって押す。
「……分かりました。 私がアンジェさんの側にいることは彼等を悪戯に刺激するだけでしょう。」
暫し逡巡した後、自分がアンジェの側にいることで余計に老騎士を初めとした兵達を刺激するかもしれないと考えたノエルは、唇を噛みしめてオスカーの元へと足を進めていく。
オスカーの元へと辿り着き、まずはどうすればアンジェへの誤解を穏便に解くことが出来るのかをノエルは相談するつもりだったのだ。
「おいおい、ご老公さん。 そんなに興奮してたら血管が切れてしまうぜ?」
ノエルが無事にオスカーの元へと辿り着いたことを確認したアンジェは兵達の先頭に立ち、興奮したようにいきり立つ老騎士エッケルハルトへと軽口を叩く。
「じゃかましいっ、小童がっっ! この儂をボケ老人扱いするでないわっっ!! 貴様のような輩などっ、片手で軽く捻っ、あぐおっ?!」
グキリッと、興奮した様子で腕を振り回し、叫んでいた老騎士エッケルハルトの腰の辺りより嫌な音が響き、突然腰を押さえて倒れ伏す。
「……こ、腰が……」
持病のギックリ腰が……、とぷるぷると震える四肢を大地に付ける老騎士エッケルハルトへと周囲の兵達が狼狽え騒ぎ出す。
「カーレルスマイアー様あぁぁぁっっ?!」
「だから、あれ程興奮しちゃ駄目ですよ、って言ったじゃないですかっ!!」
「おいっ! 誰か担架を持ってこいっ!! カーレルスマイアー様のいつものギックリ腰だっ!!!」
蜂の巣を突いたように騒ぎ出した兵達の様子に、ぽりぽりと頬を掻いて何とも言えない表情を浮かべたアンジェはボソリと呟いた。
「……ギックリ腰は癖になるのですから、重く身体に負担の掛かる鎧甲は流石に年を考慮するべきでは無いかと思いますけれど……」
どうしたものか、と苦笑するアンジェへと、腰の痛みに耐えながら周囲の兵達へと喝を入れた老騎士エッケルハルトが再び叫び出す。
「狼狽えるではないわっっ!
……うぐっ……こ、腰に響くじゃろうっ……うぅっ……おにょれぇぇっ……小童、これを狙っておったなっ!!」
「まったく持って狙ってねえよ。」
腰を押さえながら絞り出すように己へと恨み言を呟く老騎士エッケルハルトへ、アンジェはため息混じりに突っ込みを入れるのだった。




