マレプラス平原を行く旅人達。
ファモリットの森を抜けた先には、時折緩やかな丘陵が点在する以外は平らで広々と広がる平原がある。
無事にファモリットの森を抜けた旅人や商人達は徐々に姿を現す目的地を囲う高い壁を視界に映し、多少の安堵を覚えながらももう一踏ん張りだ、と気を引き締めて歩き続けるのだ。
そんな多種多様な魔物が生息してはいるが、ファモリットの森に比べれば比較的に安全だと言える平原の名を“マレプラス平原”という。
「いっやあぁぁぁぁぁっっ!!!」
「お嬢さんのばかあぁぁぁぁっっ!!!」
そのマレプラス平原を一生懸命に走る二人の人影があった。
「自分っ、何とかするっすよぉぉぉぉっっ!!!」
真っ直ぐな亜麻色の髪に、浅葱色の眼を持つ可愛らしい顔立ちの少年が泣きそうな顔で一生懸命に走りながら、隣を併走する少女へと叫ぶ。
「ふみゃっっ! ご、ごめんなさいぃぃぃっっ!! 無理ですぅぅぅっっ!!!」
少年の隣を走る黄金の髪を肩よりも短く切り揃え、涙で潤んだ碧眼の美少女が涙混じりの声で叫び返す。
叫び続ける少年と少女が走っているのには理由が有った。
「ひっ?! ふ、増えてやすよっっ!!」
「いっやあぁぁぁぁっっ!!!」
その理由である存在が、ブゥゥゥンッ、と個々では小さくとも、数十、数百と集まった羽音は想像以上に大きな音を立てて、二人の背後へと迫っていたのだ。
どんどん大きくなってくる羽音に思わず振り返った少年の視界には、すぐ其処まで迫ってきているマレプラス平原に生息するジカバチの一種である“マレプラス・ワスプ”の大群が映った。
涙混じりの悲鳴を上げて必死の思いで足を動かし続ける二人の背中へと、マレプラス・ワスプの鋭い毒針が突き刺さろうとした時、激しい烈風が吹き荒れる。
「うわっ」
「きゃんっ」
少年達とマレプラス・ワスプの間に吹き荒れた烈風はマレプラス・ワスプを吹き飛ばし、あまりの強い風に少年達は前のめりになって倒れてしまう。
「……大丈夫ですか、お嬢様、ランス。」
「「オスカー(さん)っっ!!」」
二人を追いかける形で現れ、マレプラス・ワスプへと魔法を放ったのは漆黒の髪を目元が隠れるほどに長く伸ばし、深紅の瞳を持つ麗人、オスカーだった。
「……驚きましたよ。 俺がほんの少しだけ周囲を警戒しに行っている間に消え去っていましたから。」
いったい何が有ったのですか、と真っ直ぐに少女、ノエルをオスカーは見詰める。
「……どうして私を見詰めますの? まるで、私が原因だと十中八九分かっていると言いたげな眼差しですわ。」
無言のオスカーの今度は何をやらかした、という視線にノエルは小さな抵抗を試みた。
「全く持ってその通りっすよね。 普通、転んだ拍子に普段は地面深くに巣穴を作って滅多なことでは攻撃なんてしてこないマレプラス・ワスプの巣に、手に持っていたロットを突き刺してしまうなんて有り得やせん。」
「あうっっ」
全速力で走り続けて乱れた呼吸を整えた少年、ランスが胡乱げな眼差しをノエルへと向けながら、冷静に何が有ったのかを口にする。
「……お嬢様……貴女という人は……」
「違うのですっ! 決して態とでは有りませんわっっ!! 偶然の出来事で、私だって驚いているのですっっ!!!」
何とも言えない眼差しを己に送るオスカーへとあたふたとした様子でノエルは弁明する。
「分かっています。 お嬢様がそのようなことを態とされないことくらい。」
「オスカー……」
あたふたとした様子のノエルに対してオスカーは苦笑を浮かべて呟き、ノエルは不運な事故による出来事であったのだと理解して貰えたと、表情に喜色を滲ませた。
「貴女の護衛となって数ヶ月。 最初は本気で態とかと疑っていましたが……転んだ拍子に残り少ない頭髪の持ち主である司祭様に手に持っていた蜂蜜の瓶をぶちまけたことも有りました。
教会の賄いを手伝えば外は黒こげ、中は生の状態に焼き上げるばかりか、異臭騒動をお嬢様は勃発させましたからね。
……態と狙って出来るような器用な性格ではないことくらいは、すでに理解致しております。」
ノエルと出会ってからの数ヶ月を走馬燈のように脳裏に思い浮かべたオスカーは遠い目をして答える。
「はうあっっ?!」
「お嬢さん……自分、どんだけ被害者を量産しているんすか?」
オスカーの言葉にノエルは喜色を滲ませていた表情を一変させ、雷に打たれたような表情を浮かべた。
そんなノエルへとランスはジトッとした眼差しを送ってしまう。
「まあ、お嬢様のどじっ子な性格は、おそらく今に始まったことではないのだろうな。」
違うんです、そんなつもりは本当に無かったんです、と涙眼で叫ぶノエルへと、ランスは満面の笑顔を浮かべる。
「お嬢さんがどじっ子だろうと、態とだろうと、僕は兎も角アンジェさんに迷惑を掛けなければそれで良いっすよ。」
「……うっ、うぅぅ……ランスさんが厳しいです……迷惑掛けてごめんなさいです……」
お嬢さんに興味なんて有りやせんし!、と満面の笑顔で告げたランスへと、がっくりと肩を落としたノエルの目に涙が光る。
「……それよりも、どうしてランスは俺のいる方へと逃げずにこっちに向かって走ったんだ?」
相変わらず、お嬢様には厳しいが良い薬かもしれない、と心の中で密かに思ったオスカーはいつもと同じように勝手に復活するだろうからとノエルへと向けていた視線を、ランスへと向けて疑問を口にする。
「簡単な理由っすよ。だって、こっちには……」
「おいおい、何で街道沿いから離れてんだ? もう少し行けば、宿屋が有ったつーのに。」
ランスの声に被せるように別の人間の声が聞こえ、三人は一斉にその方向へと視線を向けた。
「アンジェさんっ!」
「うおっ?! ランス、急に飛びついてくると危ねえだろ。」
その声の持ち主の姿を視界に映したランスは心より嬉しそうな笑顔を浮かべ、勢いよく飛びつく。
危なげなく受け止めた人物、アンジェは苦笑してランスの頭を撫でながら呟いた。
「それよりも、本当に何が有ったんだよ? 俺が“コッコ”を狩ってたら、急に俺のいる方に向かってランスとお嬢ちゃんが近づいて来る気配を感じて来てみりゃ、なんかお嬢ちゃんは泣いてるしよ。」
「アンジェざあぁぁぁぁんっっ!!」
頭を撫でられて嬉しそうにしているランスをそのままに、あうあう……と涙を流すノエルへと注意を向ければ、トボトボと己の名を呼びながらノエルが近付いて来る。
「……いつもの如く、お嬢様のドジが遺憾なく発揮されただけだ。」
「あー……なんか、何が有ったかなんとなく分かっちまった。」
ドサリ、ドサリと普通の鶏よりも一回り以上大きな鳥の魔物である“コッコ”を地面へと下ろすアンジェは頬を引き攣らせ、オスカーの言葉に微妙な表情を浮かべてしまう。
街道沿いの道をノエルやランスの体力に合わせてゆっくりと進み続けるアンジェ達は、野宿することの方が多かった。
それゆえに、空腹を満たす食料を求めて狩りをするのは体力の余りあるアンジェの役割となっていた。
体力があまり無い二人に合わせて歩くために何度か休憩を挟みつつ進む一行の中で、特に休息する必要性の無いアンジェは休憩時間に狩りをすることが日課となっていたのだ。
「……申し訳ありません……でも、態とではありませんの……」
「まあ、態とじゃなけりゃしょうがねえだろ。 なんつーか、ドジッ子には慣れてるから気にしなくても良いぜ。」
シュンと肩を落として謝罪の言葉を紡ぐノエルへと、アンジェは苦笑してしまう。
「(……ドジッ子属性に関して言えば、幸いなことと言えるかは分かりませんが……慣れているんですよねえ。 お母様も似たようなものでしたし……)」
故郷の空の下にいる母を想い、アンジェは遠い目を思わず浮かべてしまった。
そんなフォローとも言える理解を示してくれるアンジェへと、出会ってから早数日が経ったノエルの心は尊敬の念が強くなり続けており、それを感じ取ったランスがムスッと唇を尖らせるのだった。




