脳裏に思い浮かべるは幼い姿。
漆黒の美しい髪を風に靡かせ、黒曜石のように煌めく強い意志を宿した瞳を持つ、凛とした佇まいの黄金の魔力を纏った少女。
そんな双黒の少女がオスカーへと振り向き様に、励ますような笑みを浮かべる。
「……君は……!」
何故かオスカーの脳裏から離れることが無かった優しい微笑を浮かべた少女の姿に、思わず眼を擦ってしまう。
「……な、見間違い……か……?」
しかし、瞼を閉じて眼を擦った後に再び開いた視界の中に映ったのは、勇ましいアンジェの姿であった。
思わず周囲を見渡したオスカーは、己の願望が見せた幻かと首を傾げてしまう。
「おい、どうしたんだよ? まるで狐に化かされたかのような顔をしてるぜ?」
アンジェを見ていたかと思えば、周囲を見渡して首を傾げるオスカーの行動にアンジェは不審そうな表情を浮かべて声を掛ける。
「……一応……確認なんだが……あんたは、男だよな?」
何とも言えない複雑そうな表情を浮かべたオスカーがアンジェへと念のためといった様子で問いかけた。
「……こんな容姿の俺が女に見えるか?」
「……悪い……他意は無い。」
一瞬だけ言葉に詰まってしまったアンジェだったが、成人男性よりも大柄な体躯を持つ己が女に見えるのかと、逆に問い返せば、オスカーは視線を反らして謝罪する。
「あんたは生死よりも、気になることが有るみてえだな。」
「べ、別にそんなことはないっ!!」
ムキになって尚更怪しい、とアンジェは笑い、オスカーは満身創痍の身体でアンジェを睨む。
一頻り笑ったアンジェは、真面目な表情を浮かべてジッとオスカーを見詰め、オスカーは居心地悪そうな表情を浮かべてしまう。
「……俺はあんたの死んでも誰も嘆くことが無いだとか、問題無いんだと叫ぶ気持ちなんざ分からん。 俺が死ねば泣いてくれる奴らがいるって知ってるからな。」
「……何が言いたい?」
オスカーはアンジェの言葉に剣呑な眼差しを浮かべ、睨み付ける。
「簡単なこった。 そんな言葉を吐くあんたが知らないだけで、少なくともあんたを助けに行くと言っただけで顔をグシャグシャにして餓鬼みてえに泣いたお嬢ちゃんを知ってるってだけだ。
そうだな……あんたの、オスカー・シュバルツの命は俺がしばらくの間預かるぜ。」
「待てっ?! 何故そうなるっっ!!」
己を睨み付けるオスカーの視線など気にも留めないアンジェは、ニイッと口角を上げて良いことを思い付いたとばかりに言い切った。
「おいおい、説明するまでもないだろう?
あのアラクネの大群に囲まれていた際にまずあんた達を助けたよな? 次にあんの逃げてきたお嬢様を保護して助けて、グラウ・グリズリーからもあんたを助けた。」
アンジェは今までの出来事を指折り数えるように、オスカーへと告げていく。
「普通に考えてみろよ。 あのアラクネの大群を相手取ることが出来るほどの護衛を雇えば、それなりの金額は飛んでいくだろう? その上、俺はグラウ・グリズリーまで相手にして無事にあんたらを助けてる。
……初対面の俺を人食い熊扱いしたことを差し引いても、あんたの小さい財布に入っている金では払い切れんだろう。」
「ぐっ……そ、れは……エルネオアまで行けばお嬢様の旦那様が払って……」
相場なんて知りませんけれど、という言葉を心の中だけで呟いたアンジェのジトッとした眼差しを受けたオスカーは詰まりながらも言い返す。
だが、その額には冷や汗が滲んでいた。
「そのエルネオアへ到着するまでの道中をあのお嬢ちゃんの子守をして過ごせと? 普段にも増して、あんたが死んだことで泣き喚き、あんたの敵を取るまでは死んでも帰らないと主張する可能性の高いお嬢ちゃんを引きずって行けと?……何処からどう見ても、嫌がる餓鬼を無理矢理連れて行く人攫いか奴隷商人じゃねえか。」
「…………」
アンジェの語るお嬢様の言動を脳裏に色鮮やかに浮かべることが出来たオスカーは沈黙してしまう。
「そんな部外者から見れば犯罪者にしか見えねえ俺に、あの嬢ちゃんの親父さんが笑顔で事情を聞いてくれた上に素直にお礼だと言って金を払うのか?」
「……すまん……」
声を荒げている訳ではない淡々とした声音で語られる内容に、オスカーは小さく謝罪の言葉を口にした。
「普通に考えて払う訳がねえだろ。 お礼どころか牢屋にぶち込まれて終わりだ。 俺はそんな事はごめんだね。
だから、あんたには生きて貰わなけりゃ困るんだ。 責任もってあんたの命を預かるからよ、俺を犯罪者にしないために生きてくれ。」
忌避感や侮蔑の色の浮かんでいない、何処までも静かな眼差しを向けるアンジェの姿に、何故か漆黒の少女の幻が重なる。
髪と眼の色以外、漆黒の少女とは真逆の容姿を持っているはずのアンジェ。
「……俺の気持ちを無視して勝手な奴……だが、今しばらくは生きてやる。 勘違いするなよっ! べ、別にお前のためでは無いからなっっ!!」
本能的な部分で何かを感じ取る物があったのか、気が付けば生きるという言葉が口を突いて出ていたオスカーは誤魔化すように早口で捲し立てる。
「おう、分かった!」
オスカーの言葉を受けて笑ったアンジェは、取り敢えず若い命を散らせることなく済んだことに安堵するのだった。
「さて、ランス達の所に帰るか。 あんた、立てるか?」
「……問題無い…………あんたじゃなく、名前で呼べ。 俺も……アンジェと呼ばせてもらうからな。」
ぷいっとそっぽを向きながら徐々に小さくなる声で応えたオスカーの言葉にアンジェは苦笑する。
「おう! 分かったぜ、オスカー。」
フン、と鼻を鳴らすオスカーの姿を反抗期の子供を見守る母親のように、暖かな眼差しで見守るアンジェだったが、いつまで経ってもオスカーが立ち上がらないことに首を傾げてしまう。
「……もしかして……自分じゃ立てないのか?」
腕の傷以外は其処まで深くは無くとも、魔力の減少に伴う疲労感が強くて脱力感に襲われているオスカーは中々動けずにいた。
しかし、それをアンジェに気付かれたくなくて無理矢理動こうとしていたものの、違和感なく動き出すことは出来ずに四苦八苦していたのだ。
「……うっ……そんなことは無いっ! 少し休憩をしているだけだっ!」
その努力虚しくアンジェに気が付かれてしまったことに図星を指され、オスカーはバツが悪そうな表情を浮かべる。
「くっ……ふ、ははっ! 動けないなら、動けないと素直に言えば良いじゃねえか!」
「う、うるさいなっ! 動けない訳じゃないっ、動かないだけだっ!!」
顔を赤くしてしどろもどろに言い訳のような言葉を呟き続けるオスカーの姿に、アンジェの顔に笑みが浮かぶ。
堪えきれない笑い声が漏れてしまえば、益々赤くなった顔でオスカーが素直ではない言葉を発する。
「(なんというか、天の邪鬼な反抗期の男の子みたいですねえ。 ランスとはまた違った可愛らしさと言いますか……。 あっちのお嬢さんの方も精神年齢は幼いように感じましたし、そう思えば可愛い物なのかもしれません。)」
アンジェは幼稚園児の制服を纏った素直なランス、天の邪鬼なオスカー、猪突猛進なノエルの姿を脳裏に思い浮かべながら、微笑ましいと益々笑みを浮かべてしまうのだった。




