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その者、音に聞く益荒男の如き乙女なり。  作者: ぶるどっく
第三章 神に仕えし乙女と予言の英雄。

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黄金の少女は覚悟を謳う。


 潮時かと思っていたノエルの纏う雰囲気が変化した事を感じ取って、アンジェは眼を細めて注視する。


「……私の覚悟といえるかは分かりませんけれど、約束致します!」


 震える足でしっかりと大地を踏みしめて立ったノエルは太ももの辺りに装備していても実践的ではない、只のお飾りとなっている小さな刃物を取り出して構える。


「この先っ! 必ず私自身の手で貴方が納得されるほどの価値ある物を手に入れてお渡しします! そのためにも、私は貴方が嫌う身勝手な己と袂を別つことをっ……この髪に誓いましょうっっ!!」


 ノエルの叫びと共に夜の帳の降りてきた仄暗い森に金糸が舞い散り、風に乗ってキラキラと飛ばされていく。


 仄暗い森に舞った金糸とは、ノエルが左手で無造作に掴んだ己の髪を右手に持った小さな刃物で切り捨てた物。


 ……即ちノエル自身の美しい黄金の髪であった。


「だからっ! どうか、どうかっオスカーを助けて下さいっっ!!!」


 ひたすらに助けを求める言葉を叫びながらノエルは深々とアンジェ達に向かって頭を下げる。


 頭を下げたことで重力に従って、肩よりも短くなった毛先がノエルの頬を掠めた。


 一番の自慢だった腰まで長く伸ばした黄金の髪を失ったはずなのに、ノエルは全く後悔などしていなかった。


「……若い女にとっちゃ、長い髪は大切な物だろうに。 てめえを嫌う従者のために切っても良かったのか?」


「嫌われていることなんて関係ないんです。 私は、オスカーに生きていて欲しい。 今まで沢山迷惑を掛けちゃってるし、きっと誰も指摘してくれ無かっただけでみんなにも呆れられていると思うんです。

 だから、ちゃんと認めて貰えるように頑張ろうと思います。 でも、一番認めて欲しいのは嫌々だったかもしれないけれど、側にいて護ってくれていたオスカーなのです。 オスカーが生きてなきゃ意味が無いんです。」


 ジッと静かな凪いだ瞳で見つめるアンジェへと、ノエルは微笑んで応えてみせる。


 髪は女の命だと謂うように、この世界においても美しく長い髪は女性にとって大切な物だった。


 冒険者であれば、髪よりも命の方が重要だと肩の辺りまでで切る女性もいない訳ではないが、肩よりも上の長さの者など滅多にいない。


 特に裕福な家柄の女性であるならば、余計に世間の好奇の眼に晒されて要らぬ噂を立てられることだろう。


 女性が長い髪を切るということがどういう事なのかなど、深層の令嬢の如く育てられた世間知らずなノエルにだって分かっていた。


 だが、ノエルが示せる覚悟の中でこれ以上に重い手段は思い浮かばなかったのだ。


「……上等じゃねえか……」


 ノエルの示した覚悟にニイッとアンジェの口角が上がる。


「良いぜ、交換条件だ。 金も価値ある何かも俺はいらねえっ! だから、俺が大っ嫌いなあんた自身を変えて見せろ。 てめえ自身を変えるって事は目茶苦茶難しい。 それをやり遂げて見せろよ、嬢ちゃん。 ツケにしといてやるからよ!」


 拳を打ち合わせて了承の言葉を発したアンジェに、オスカーを助けに行って貰えると理解したノエルの足から力が抜けていく。


 己の言葉と覚悟でアンジェの意志を変えることが出来たことに、オスカーのために助けを呼ぶことが出来た安堵から地面へとへたり込んだノエルの瞳から再び大粒の涙が溢れ出す。


「おい、嬢ちゃん。 泣くのは未だ早いぜ。 あの兄ちゃんを必ず助けるから、無事な姿を見てから命一杯泣きな。 出来りゃあ、駆け寄ることが出来るようにその足を治癒して良い子で待ってな。」


 目の前で地面へと座り込んだノエルの頭をポンッと慰めるように優しく叩いて、アンジェはオスカーがいる方向へと歩き出す。


「…………っっふ……うぅっ……!」


 よく頑張った、と労るように優しく叩かれたアンジェの手の感触に言葉が詰まり、今まで感じたことのない熱い感情が心に溢れ出すことを感じた。


「ランス、そのお嬢ちゃんの子守は任せたぜ。 俺自身がお前達からあんまり離れるつもりは無いから、この場所にいれば魔物に襲われる心配もねえだろ。」


「了解っす!…………アンジェさん、絶対……無理はしちゃ嫌ですよ……」


 横を通り過ぎ様に発せられたアンジェの言葉に、ランスは思わず不安そうに瞳を揺らしてその外套を掴んでしまう。


「……安心しろ、ランス。 絶対に無理はしねえよ。」


 わしゃりと己の頭を撫でながら、優しく微笑んだアンジェへとランスはご武運を、と静かに掴んだ外套を離す。


 そのまま後ろを振り向くことなく歩き出したアンジェの背中へと、少女の叫びが追いかける。


「……オ゛ス、カーをっ……よ゛ろしぐお願いしまずっっ!!!」


 鼻水や涙で顔をグシャグシャにした涙混じりのノエルの叫びを背に受けたアンジェは視線を向けることなく、了解したといった様子で片手をひらひらとだけ動かして駆け出す。


 命の危機に瀕している青年を助けるために、大地に罅が入る程に足に力を込めてアンジェは一気に加速するのだった。



※※※※※※※※※※



 怒号を放ったグラウ・グリズリーからの攻撃は苛烈を極めた。


 木々は薙ぎ倒され、大地は抉れ、至る所に破壊の爪痕が残されてしまっている。


「……はっ……はあっ……くそっ……」


 ノエルを無事に逃がしたオスカーは、出来る限りグラウ・グリズリーという災厄の気を己に引き留めるために回復したばかりの魔力を使って戦い続けていた。


「グルゥ……グルゥガアアァァァァッッッ!!!」


 しかし、アラクネとの戦闘で消耗しきっていたオスカーの魔力は、回復したと言っても全開とは程遠く、装備している剣も既に刃はボロボロだった。


 数多の攻撃を避け続け、丸太よりもなお太い豪腕に生えた鋭い爪が微かに掠めた利き腕からは紅い血が流れ滴っている。


 グルグルと唸り声を涎と共に吐き出すグラウ・グリズリーの猛攻を紙一重で避け続けていた満身創痍なオスカーにも、体力と魔力の限界が近付いていた。


「……はっ……ははっ!……このくらい時間を稼げば、あの脳天気お嬢様の足でもっ……あの野郎のいる場所まで逃げ延びているよなっっ!!」


 限界が近付いたことで既に死ぬ覚悟など疾うの昔からオスカーは決めていたからか、その顔に歪な笑みが浮かぶ。


 もう抵抗などしないとばかりに血の滴る利き手を押さえて、ボロボロの剣を大地へと突き立てたオスカーは無造作にもグラウ・グリズリーの前に立ち尽くす。


 もういい、と諦念の情に支配され光を失いかけている、淀んだ瞳に映る残酷すぎる世界を見たくはないのか、オスカーはゆっくりと瞼を閉じていく。


 諦めきった獲物の様子に、グラウ・グリズリーはニンマリと弧を描く細い三日月のように眼を細めて嗤う。


「グゥッガアァァァァッッ!!」


 間を置かずに死を受け入れて棒立ちとなっているオスカー目掛けて、グラウ・グリズリーの豪腕が襲いかかる。


「(…………これで……終われる……)」


 やっと苦痛に満ちた人生が幕を閉じるのだと、恐怖を感じることも無く受け入れていたはずのオスカー。


「ギィッッ?!ギャッギャアアァァァッッッ!!!」 


 しかし、悲鳴を上げたのはオスカーではなかった。


 ……凶悪な獣の苦痛に満ちた声が深い森へと木霊する。


 グラウ・グリズリーの左目には深々とオスカーのボロボロの剣が突き刺さり、鮮血を撒き散らしていた。


「ぐあっっ」


 激痛に悶え苦しむグラウ・グリズリーは、己の頭に飛びつき左目に剣を突き立てたオスカーの身体を掴んで容赦なく投げ飛ばす。


 固い地面を何度も転がり続け、ズタボロになった身体を痛みに耐えながら起こすオスカーは呆然とした表情を浮かべていた。


「……何で……何で俺は……いま、抵抗したんだ……な、んで……何で今更っ! 命を惜しんでしまったんだっっ……!!」


 グラウ・グリズリーの攻撃を受け入れ、死ぬつもりだったオスカー。


 しかし、その一撃を受け入れる直前にオスカーの瞼の裏に浮かび上がったのだ。


 夢現の狭間で会った、オスカーへと優しい微笑みを向けてくれた漆黒の少女の姿が浮かんでしまったのだ。


「……俺は……俺はっ……!」


 もう一度、あんな優しい微笑みを誰かに向けて欲しいと思ってしまったオスカーの心には、生きたいという願いが生まれ、淀んだ瞳に光が戻り、閉じかけていた瞼を再び開かせた。


 その願いに突き動かされるようにオスカーの身体は動き、大地に突き立てたボロボロの剣を掴み、グラウ・グリズリーの隙だらけの顔面目掛けて飛び上がり、渾身の力を込めて両手で急所の一つである眼へと突き立てていたのだった。


「……俺は……生きたいのか……?」


 だが、混乱するオスカーに心を整理する時間は与えられることはなかった。


 目つぶしだけでなく、己の片目を潰した相手を確実に捻り殺そうと苦痛と怒りに苛まれたグラウ・グリズリーの大岩さえ粉砕する本気の連撃が迫っていたのである。


「グルゥッッ!! ガアアァァァァッッッ!!!」


「…………っっ?!」


 生き残るために、軋んで痛む身体で避けようと動こうにも、オスカーの身体は意に反して動かない。


 そんなオスカーに出来ることは精一杯グラウ・グリズリーを睨み付けることだけであった。


「邪魔だっ!! クマ公っっ!!!」 


「ギャフゥゥゥッッッ」


 ……だが、その攻撃がオスカーの身体を捕らえることはなかった。


「……よぉ、兄ちゃん? また会ったな!」


 驚愕に眼を見開くオスカーの視界に映ったのは……ニイッと口角を上げて笑う、勇ましい(おとこ)の漆黒の背中だった。




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