再び巡り会いしは強き者なり。
脆弱な獲物を仕留めて空腹を満たそうとした己の邪魔をした存在へと、グラウ・グリズリーの殺意を帯びた咆吼が轟く。
「グゥオォォォォッッッ!!!」
その咆吼はファモリットの森の木々を風も無いのに揺らし、大地すらも震えさせる。
「……くっっ!」
本能を揺さ振り、恐怖を引きずり出すような咆吼を真っ正面から受け止めることになったオスカーは、小さく呻き声を漏らして身体を固くする。
夜の訪れを感じて周辺の木々で休んでいた鳥や小さな動物たちが、本能的な恐怖から逃げるように一斉に動き出す。
だが、鳥達のようにオスカーは逃げることは許されない。
なぜなら、その背に庇う二度目の咆吼を受けたことで顔を青ざめさせて震えている護衛対象を生き延びさせなければならないからだ。
「腰を抜かしてる暇はありませんからね、脳天気お嬢様!私が魔法を放って隙を作りますから、全力で走って下さいっ!!」
「わ、分かりましたっ」
人間の足より遥かに太く強靱な後ろ足で立ち上がり、仁王立ちするかの如く天を仰いで咆吼を上げたグラウ・グリズリーの開ききった瞳孔を宿す獣の眼が二人を射貫く。
多少の魔法を放つことが出来たとしても、己よりも実力は遥かに格下であると察したグラウ・グリズリーは一気に美味そうな獲物を仕留めようと素早い身のこなしで動き出す。
グラウ・グリズリーにとっては数歩にも満たない距離を一気に詰め、丸太よりも遥かに太い豪腕を振りかぶる。
「眼を閉じろっ、お嬢様っっ!!」
受け止めることすら人間には出来ない威力を秘めた攻撃を放つグラウ・グリズリーに向かって、オスカーは睨み合っている際に呪文を唱え完成していた魔法を発動する。
「グギャアァァッッッ?!」
顔面に目掛けて発動されたオスカーの魔法が、グラウ・グリズリーの視界を白く染め上げた。
己に狩られるだけの格下の獲物が放った予想外の激しい光の反撃に、視界を焼かれたグラウ・グリズリーは攻撃を中断し、顔面を押さえて仰け反ってしまう。
「行けっお嬢様っっ!!」
厳しい表情を浮かべたオスカーは背後にいるノエルに向かって、振り返ることもなく逃げろと叫ぶ。
「ぜ、絶対に助けを呼んで来ますっ!」
オスカーの忠告に従い視界を焼く魔法の光による目眩ましの影響を受けることの無かったノエルは、竦んでいた身体を叱咤して脇目もふらずに走り出す。
「……クソ爺にだけは面倒を掛ける訳にはいかないからな。 ちゃんとエルネオアに生きて帰れよ、脳天気お嬢様。」
治癒魔法で多少は治癒していた捻った足を庇いながらも、一生懸命に助けを呼ぶことだけを考えて走り去っていくノエルの背中を見届けて、オスカーは小さく呟く。
だが、そのオスカーの小さな呟きは視界を焼かれて怒り狂ったグラウ・グリズリーの放つ、それだけで命を奪えそうな天地を揺るがす殺意に満ちた怒号により掻き消されてしまうのだった。
※※※※※※※※※※
「……はっ、はあっっ……早く英雄様をっ……うぐっっ……!」
グラウ・グリズリーの隙を突いて助けを呼ぶために、その場から離脱したと考えているノエルは一生懸命に走り続ける。
しかし、木の根に躓いた時に捻った足は多少治癒魔法で回復させたいたものの、再び熱を持ち始めノエルに痛みを与え始めていた。
「……痛いけどっっ、こんな痛みで足を止める訳にはいきませんっっ……!!」
ノエルは足を動かすたびに走る痛みに唇を噛みしめ、必死の思いでグラウ・グリズリーと対峙しているであろうオスカーを助けるためにも、走る速さを緩めることなく駆け続ける。
「えっ?!……くっ、こんな時に限って……!!」
オスカーが指し示した方向へと向かって必死で走り続けるノエルだったが、進行方向にいる魔物の姿を見つけて歯がみする。
「ぎゃ? ぎゃおっ!」
「ぐぎゃ!」
それは緑色の身体に醜悪な姿を持つ五体のゴブリン達だった。
ゴブリン達も走ってくるノエルの姿を認め、ギャオギャオと声を上げて手に持つ木の棒などをそれぞれに構え始める。
「……貴方達に構っている時間は無いのです! 其処をお退きなさいっっ!!」
騒ぐゴブリン達をキッと睨み付けて言い放ちながら、ノエルは走る速度を緩めることなく突っ込んで行く。
「……きゃんっっ?!」
「「「「「…………」」」」」
しかし、ノエルはゴブリン達の存在に気を取られるあまり、彼等の数歩前に有った地面から突き出た石に気が付くことが出来ずに再び転んでしまった。
暫しの沈黙が周囲を包み込み、いきなり目の前で転んだ獲物に対してゴブリン達も戸惑った雰囲気を纏う。
「あうぅぅ……くっ、私の足を止めるために罠を仕掛けていたのですね?!」
「「「「「…………」」」」」
あまり知能の高くないゴブリン達は、目の前にいる勝手に何かを納得している獲物に対して攻撃に転じてしまっても良いのか微妙に困惑してしまい、手を出すことが出来ずにいた。
「……ゴブリンを呆れさせるとか……なんつーか、そんな奴は初めて見たんだが……」
「僕もっすよ、アンジェさん。 普通はあんまりそんな場面に出くわすことはないと思いやす。」
ゴブリンを戸惑わせる神官という何とも言えない場面を目撃し、それぞれに微妙に可哀想なものを見るような複雑な表情を浮かべぼそりと呟いた者達がいた。
「あっ、英雄様っっ! ランスさんっっ!」
顔面からベシャリと地面へと倒れてしまったノエルは、一刻も早く会いたかった人物達が草むらを掻き分けて登場したことに気が付いて勢いよく顔を上げる。
「……英雄様って呼ぶんじゃねえっ! 人違いだって言ってんだろうがっっ!!」
「……なんか、あんまり反省して無くないっすか?」
地面から起き上がると同時に上げたノエルの叫び声にアンジェは頬を引き攣らせ否定の声を叫び、ランスは眉を寄せて唇を尖らせる。
そんな二人の存在により、戸惑っていた雰囲気を払拭したゴブリン達はギャオギャオと好戦的な声を上げ始め、アンジェ達へと視線を向けるが……
「ああん? 殺る気かてめえら?」
「「「「「……ヒッ……ギャアァァァァッッ!!!」」」」」
殺意に満ちた獰猛な眼光でゴブリン達を睨め付け、魔王の如き重厚な気配を纏ったアンジェの姿にゴブリン達は躊躇うことなく一目散に逃げ出した。
「……さ、流石っすね! アンジェさん! 闘わずして勝つなんてっ!!」
「……泣いて良いか?」
アンジェ本人としてはノエルの己を呼ぶ呼び名に多少は苛立ってはいたものの、其処まで殺気を纏った恐ろしい雰囲気を出しているつもりは無かったのだ。
だが、己の姿を見て一目散に逃げ出したゴブリン達の反応にアンジェは苦い表情を浮かべて顔を顰めてしまう。
何となくアンジェの気持ちを察したランスが、少しでもアンジェを元気付けようと明るい声を上げる。
「えっと……美味く言えないっすけど、アンジェさんは怖くないですよ。 ゴブリン達はアンジェさんの優しさを知らないから、逃げ出しただけで……本当のアンジェさんを知ったら逃げたり何かしないと思いやす!」
だから落ち込まないで欲しいっすよ、と心配そうに大きな瞳で見上げるランスの心配そうな表情に、アンジェは表情を緩めてしまう。
「ありがとよ、ランス。」
「えへへ……アンジェさんを元気付けられたなら良かったっすよ!!」
ぽん、と己の頭を撫でるアンジェの大きな手に、ランスは満面の笑みを浮かべるのだった。
しかし、アンジェとランスの穏やかな時間は残念な事に長くは続かなかったのである。
「お取り込みの所を申し訳ありません、英雄様っ! でも……でもっ、早くしないとオスカーがっっ!! お願いです、英雄様っっ!! オスカーを助けて下さいっっ!!!」
二人の会話が一段落したと感じ取ったノエルが、必死の形相を浮かべてアンジェへと向けて深く頭を下げたのだった。




