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その者、音に聞く益荒男の如き乙女なり。  作者: ぶるどっく
第三章 神に仕えし乙女と予言の英雄。

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去りし少女が出会うは忌避する魔物。


 アンジェ達の元から走り去ったノエルは、心を埋め尽くす悲しみと痛みに突き動かされるように走り続けていた。


「……うっ……くっっ……!」


 一心不乱に走り続けるノエルの視界は涙で歪み、その白い頬には大粒の涙が流れ落ち続けていた。


 嗚咽で引き付く喉から漏れるのは、意味を成さない言葉の羅列でしかない。


 ノエルの心は数ヶ月前に神官になってから、共に有った護衛のオスカーが突きつけた言葉の数々に胸が張り裂けそうなほどの痛みを感じていた。


「……ひっく……どして……!」


 流れ落ちる涙を手の甲で拭いながら走るノエルには、確かに笑うことはほとんど無かった物の少しずつでも仲良くなれていたと思っていた相手の心情が理解出来無かった。


 普段から無表情ではあったが、誘拐されそうになったり、騙されそうになったノエルを何時だって護ってくれた護衛のオスカー。


 そんな自分だけを守ってくれる、長い前髪の合間から覗く端整な顔立ちを持った異性を意識しない方が年頃の少女には難しい話だったのかもしれない。


 その上、裕福な貴族の家に生まれたノエルは与えられることに慣れ過ぎていた。


 他者から明確な拒絶の言葉を受け取った事が無いゆえに、どうして良いのか分からず余計に混乱してしまっていたのである。


「……ひっく、ひやっ?!」


 涙を流していたことで視界が歪み、注意力も散漫になっていたことで走り続けていたノエルは地面に突き出ていた木の根っこに気が付くことが出来ずに躓いてしまった。


「うぅ……いっ、たぁっ……!」


 固い地面に倒れたノエルは身体を起こそうとするが、利き足に走った鋭い痛みに小さな悲鳴を上げてしまう。


「うそ……足が……」


 ノエルは躓いた拍子に利き足を捻ってしまったらしく、少しでも動かせば走る鋭い痛みに顔を歪めてしまう。

 

 その上、徐々に捻った足首は熱を持ち始め、動かしていないにも関わらずジンジンと鈍い痛みが現れ始めた。


「……ど、どうすれば……うぅ、オスカー、助け、あっ……」


 思わず何時ものように、助けを求めて護衛のオスカーの名前を口にしてしまいそうになるノエル。


 しかし、ノエルはオスカーの知りたくなかった心の内を思い出し、言葉の途中で助けを求めることを躊躇い口を閉ざしてしまう。


「……自分で、何とかしなきゃいけませんよね……」


 固い地面に座り込んだ状態のノエルは涙で濡れた頬をハンカチで拭き、頑張らなくちゃ、と唇を噛みしめて顔を上げる。


 ゆっくりと治癒魔法を発動させ、ノエルは捻った利き足を癒していく。


「……あれ? 私はどちらから来たのでしょう……?」


 オスカーに頼ることは出来ずとも、夜の森は危険であることを思い出したノエルは怪我を癒しながら周囲を見渡し、感情にまかせるままに飛び出してしまったアンジェ達の元へと頭を下げて戻るべきだと考えていた。


「……っっ……!」


 だが、自分を取り巻く状況をやっと理解するに至ったノエルの顔から音を立てて血の気が引いていく。


 発動していた治癒魔法の淡い光が揺らぎ、発動者であるノエルの感情に従って捻った足を多少は治癒した状態で効果が途切れてしまう。


 ノエルが青ざめるのも無理はないことだった。


 なぜなら、夜が迫り始めた深い森の中はノエルの眼には同じような風景にしか見えず、感情のままに走り続けていたゆえにどの道を通ったかなど覚えているはずも無かったのだ。 


「や、だ……だれか……誰かいませんかっっ!」


 時間が経つにつれて降り始める夜の帳と、活発になる魔物達の時間の訪れにノエルの表情に焦りが浮かび、助けを求める叫び声を上げてしまう。


 神官では有っても多少の戦闘訓練しか受けていない、悪く言えば戦闘に関する才能が開花することの無かった下級の治癒魔法が使えるだけのノエル。


 治癒魔法が使える以外は所詮ノエルは只の少女でしかないのだ。


 戦闘力の低い少女が一人で魔物の蠢く夜の森を乗り切れるほど、世界は甘くなど無いことを例え深層の令嬢であろうとも知識としては持ち合わせていた。


 それゆえに、不安と恐怖から助けを求めて叫んでしまったノエル。


 しかし、その声が呼び寄せてしまった物はノエルの望んだ物では無かった。


「……っ?!」


 ガサリ、とノエルから少し離れた木々の影から黒い影がのっそりと姿を現す。


「……っ……あ、やっ……」


 その冷たい地面に座り込んでしまっているノエルにとっては見上げるように大きな黒い影。


 それが、何者なのかを脳内にある知識と照らし合わせて理解したノエルは大きく眼を見開き、怯えきった表情を浮かべて少しでも逃げようと震える身体で後ずさる。


 その大きな黒い影はノエルが対応できる存在では無かったのだ。


 濃灰色の剛毛に包まれた小山のように巨大な体躯。


 大きな口の中に並ぶのは鋭く太い獲物の肉を喰い千切る数多の牙。


 丸太のように太い強靱な四肢の先には憐れな獲物の肉を引き裂く凶悪な爪。


「グルゥ……ガアァァァァッッッ!!!」


 爛々と光輝く金色の瞳孔の開いた眼、大きな口から挨拶代わりに大きな叫び声を上げた強暴な魔物。


「ひっっ……グラウ・グリズリーっっ……!!」


 恐怖でひきつった喉から絞り出すように、ノエルは現れた魔物の名を口にする。


 この数多の魔物蠢くファモリットの森において一、ニを争う強さを持つ存在である別名“人喰いグリズリー”。


 実力の有る冒険者達すら出会うことを忌避する敵に、ノエルは運悪く出会ってしまったのだ。


 至近距離から発せられたグラウ・グリズリーの咆哮だけで、既にノエルの身体は死の恐怖で動けなくなってしまっていた。


 そんな挨拶変わりの咆哮一つで怯えきって動けなくなった弱い獲物へと、グラウ・グリズリーは空腹を満たすために涎を垂らしながらゆっくりと近付いて行く。


 目の前まで死が迫っていることは分かっていても、恐怖に支配されてしまったノエルは逃げることすら出来ず、全てを諦めて眼を固く閉じることしか出来無かった。


 己の身体に突き立てられであろう凶悪な爪や鋭い牙の感触に怯え、悲鳴すら上げることが出来ないノエル。


 しかし、突如大きな体躯に似合わぬ俊敏な動きでグラウ・グリズリーが、己目掛けて向かってくる魔力の塊を察知してその場より飛び退く。


「貴女は死ぬ気ですかっっ! 一応なりとも、貴女の護衛を務めている以上は私より先に死なれると困るんですっっ!!」


「っっ?!」


 小さな竜巻の如き烈風の魔法をグラウ・グリズリー目掛けて放ったのは、昂ぶった感情に急き立てられるように走り去ったノエルをやっと探し出したオスカーであった。


「……オス、カー……どうして……?」


 グラウ・グリズリーから己を庇うように立つ、見慣れた頼もしいオスカーの背中にノエルは呆然とした表情を浮かべてしまう。


「言ったはずです。 私はお嬢様の護衛です。 其処に、私の感情は必要ない、と。」


「……っ……」


 繰り返されたオスカーの言葉にノエルはギュッと両手を握り締め、俯いてしまう。


「温室育ちな世間知らずで、人に悪意を向けられたことなどほとんど無いお嬢様。 周囲の人間の感情も省みずに、突っ走った挙げ句の果てに面倒ごとに巻き込まれて、いつも他人に尻ぬぐいをさせる貴女が私は嫌いです。」


「……あう……」


 互いの力量を測っているのか、睨み合うオスカーとグラウ・グリズリー。


 視線は決して凶悪な魔物から離すことなく、オスカーは日々心に想っていたことを吐き出し続ける。


「謂われない暴力も、人から向けられる冷たい視線も浴びたことが無いから、脳天気にも善人しかいないとばかりに行動する、見るからに怪しい奴らすら信じるあんたが大っ嫌いだっっ!!

 ……だが……その脳天気でアホな暴走しかしないあんただが、他人を信じようとする心根だけは嫌いじゃない。」


「……え? オスカー……、今なんて……?」


 俯いていた顔を勢いよく上げたノエルは驚いた表情を浮かべ、オスカーの背中へと問いかける。


「何度も言うはずがないでしょう、この脳天気お嬢様。 私があれの相手をしている間にさっさと逃げて下さい。」


 はんっ、とノエルの問いかけを鼻で笑ったオスカーは、さっさと逃げろとノエルへと告げる。


「で、でも……そんなことをしたらオスカーが……」


「あのアラクネの時と同じ過ちを犯す気ですか、脳天気お嬢様?……貴女のお守りをしながら戦える相手ではないんですよ。 第一、貴女がさっさっと逃げて彼等に助けを求めてくれれば、私も死なずに済みますよ。」


 逃げ道はあちらです、とジワジワと攻撃態勢に入りつつあるグラウ・グリズリーへと意識を集中しながらオスカーはノエルへと告げた。


「……彼等……英雄様なら……! わかったわ、オスカー! 必ず助けを呼んで来ます!!」


 二人とも助かると希望の光を見出したノエルの言葉を聴き、オスカーは微かに口角を上げてノエルを逃がす機会を静かに伺うのだった。




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