少年は乙女を守りて怒りを迸らす。
「うっふふ~! ディユーちゃん、頑張っちゃったぞ!」
白い空間の中でクルクルと踊るように動く一人の天使のコスプレしたでぶったバーコードなおっさんこと、ディユーは誰とも無しに言葉を発し続ける。
「欲がないツンデレな……えっと?……みや子? みかび?…………まあ、名前なんてどうでも良いわぁ!」
クルクルと回っていたディユーは背中に映えた小さな白い羽根をピコピコと動かし、両手を顎の下に寄せてブリッ子なポーズを決めた。
「“普通に最後まで生きられる”なんて、つまんないと思わなーい? やっぱりぃ、乙女として生まれたからには格好いい男にチヤホヤされてぇ、大きな障害を乗り越えてハッピーエンド!、よねぇ!」
ブリッ子なポーズのままでキャアキャア、と黄色い声を上げ続けるディユー。
「だからぁ、あの小っちゃい村を旅立つ切っ掛けと、みや子? ちゃんの好みが分かんないから適当に出会うようにしたのよぉ! まずは年下の可愛い子ちゃんでしょ! 次に影のある不器用な年上!
それと、恋はライバルがいる方が盛り上がるわよねえ……ってことで、神官ちゃんは恋のライバルでしょぉ!」
キャアキャアと黄色い声を上げていたディユーは、人差し指を唇に当ててニッコリと微笑む。
「これからも良い男と過酷な運命が待ってるかもだけどぉ、ディユーちゃんの加護があるからバッチリ大丈夫っ! だからぁ、心ゆくまで楽しむんだぞぉ!!」
満面の笑みを浮かべ背中の羽根をせわしなく動かしながら、両手を振るディユー。
「……ふっざけんなあぁぁぁっっ!! このハゲ散らかしたコスプレデブ親父ぃぃぃっっ!!!」
まったねー、と手を振る鬱陶しい上に、苛立ちしか生まない脳裏へと浮かんだディユーの言動にアンジェは心の中でだけで怒りの叫び声を上げるのだった。
※※※※※※※※※※
「……え……さま……えいゆ……様……英雄様っ!!」
「……はっっ?!」
当たってしまった嫌な予感に思わず思考を飛ばしていた先でディユーの幻影を見ていたアンジェの身体を揺すり、英雄と呼ぶ少女の声が思考を取り戻させる。
「……英雄様って呼ぶんじゃねえよ……絶対に人違いだ……!」
脳裏に浮かんだ己の想像の産物であるはずのディユーの言動に、ガリガリと精神力を削られて疲労感を漂わせるアンジェ。
だが、心の何処かではアンジェの想像したディユーの言動が外れてはいないとヒシヒシと感じてしまった。
「いいえっ! そのようなことは有りませんっ! だって、私の受けた神託通りに出会ったのですものっ!
“漆黒の髪と瞳”、“比類無き強さを誇りし者”、“ 逞しき体躯、鋭い眼光”、そして“音に聞く益荒男の如き英傑”!
その全てを網羅している御方など、貴方様以外にはいませんわっ!!」
「……あのよぉ……お嬢ちゃんは最初に俺のことを“人食いグリズリー”だとか叫んでなかったか?」
瞳をキラキラと輝かせたノエルの言葉に、アンジェは思わず遠い目をしてしまう。
あの神の影響で英雄と呼ばれるくらいならば人食い熊の方がまだマシだ、と……。
「そのことに関しましては海よりも深く、ふかーくっ、反省致しておりますっ!
神託を受けし英雄様を見誤るなど、この私の節穴の眼と恐怖心に惑わされた己の至らなさを恥じ入るばかりですっっ!! 本当に申し訳ありませんでしたっっ!!!
つきましては、英雄様の世直しの旅にこの私めもご同行させて頂けないでしょうか? 治癒魔法ならば使えますから、何かの役には立てるかと思うのですっっ!! それに、私の父はエルネオアの……」
死んだ魚のような眼になっていくアンジェの両手を握り締め、前のめりになる程に興奮した様子で喋り続けるノエル。
「いや、恥じ入らなくて良いから。 俺のことは人食いグリズリーで良いから。 あれだったら、俺はちょっと来年の春まで冬眠しとくから……ランス、後は頼んだ……。」
「アンジェさあぁぁぁんっっ?! ダメっすよ! アンジェさんは人食い熊じゃないっすから、冬眠は出来ないっす!! しっかりしてくださいっっ!!!」
どんどん虚ろになっていくアンジェの眼と発する言葉の内容にランスが悲壮な表情を浮かべ、キッとノエルへと鋭い眼差しを送る。
「いい加減にするっすよ! お嬢様だと思って一応は遠慮していたんすけれど、アンジェさんに迷惑を掛けるなら誰が相手でも僕が許さないっす!!」
アンジェの手を握り締めるノエルの手にチョップをして切り離し、小さなその背にアンジェを庇うランスは頬を怒りで紅く染め上げて叫ぶ。
「きゃっ?!……いきなり何をされますのっ! 私は英雄様のお側に置いて頂こうと言葉を尽くしていただけではありませんか!」
アンジェから切り離された手を胸元へと引っ込めたノエルは、己の邪魔をしたランスへムッとした眼差しを送る。
「だったら、少しはその言葉を受け取っているアンジェさんの表情を見たらどうっすか! すっごく困った顔をしてるじゃないすかっっ! 相手の気持ちも考えずに一方的に言葉を並べるのが、人に何かを頼む時の礼儀……いえ、自分が言っていた貴族や平民関係なく通すべき筋ってもんなんっすか!!」
ノエルの行動は可笑しいのだと、面と向かって告げるランスの言葉にノエルの瞳が揺れた。
「そ、そんなことは有りませんわっ! 英雄様に私の想いを伝えたくて……」
ランスの言葉により興奮していたノエルの熱が急激に冷め、その視線を想いを伝えたかった相手であるアンジェへと向ける。
迷惑など掛けていないと、と言いたかったノエルの言葉はアンジェの項垂れて疲れたような、諦念の情が浮かんだ眼差しの前に音にすることが出来なかった。
「……私は……」
自分の熱い思いを少しでも伝えたかっただけだが、アンジェにとっては辛い時間を強いたことを理解したことで、ノエルは二の句を継げなくなってしまう。
「そっちのお兄さんも、少しは命の恩人相手に迷惑を掛けるこの人を諫めたらどうっすか!!!」
「……私の仕事はお嬢様の身の安全を図る護衛であって、それ以上では有りません。 実際に、あのような状態になったお嬢様は諫める言葉は聞きませんので無駄かと。
事実、旦那様よりも人生経験を積ませるためにも自己責任の下で動くならば邪魔をしなくて良い、身の安全を確保すること以外は極力手を出すな、と命じられていますから。
おそらく旦那様も、お嬢様が此処まで馬鹿な真似をされるとは想定されていなかったのでしょう。」
強い意志を宿した光をその眼差しに浮かべたランスに、矛先を向けられたオスカーは無表情に淡々と答える。
その言葉を耳にしたノエルは傷ついた表情を浮かべ、震える声でオスカーへと問いかけた。
「……オスカーは、お父様に命じられたから私の側にいてくれたの? だから、ずっと私を護ってくれていたの?」
「はい、それ以外に理由は有りません。」
はっきりと告げられたオスカーの言葉にノエルは衝撃を受けた表情を浮かべ、唇を噛みしめて身を翻す。
「ふへっ?! ちょ、お嬢さんっ森に行ったら危ないっすよ……って、どうするんすかっ! 一人で行っちゃいましたよっ?!」
身を翻して走り出したノエルの姿に焦って止めようと伸ばしたランスの手は振り払われ、一直線に暗くなり始めた森の中へとその姿が消えていく。
「お二人ともご迷惑をお掛けしました。
……ご迷惑ついでに申し訳ないのですが、お嬢様が御一人で戻ってこられた時にどうか保護してエルネオアまで連れて行ってはくれませんか?」
消えかけたノエルの姿を冷静に見詰めながらオスカーは呟く。
「……死ぬ気か?」
「えぇっっ?!」
死を覚悟した者特有の鬼気迫った物を感じ取ったアンジェは、項垂れていた顔を上げてオスカーを睨み付ける。
「護衛が護衛対象を護ることは当然でしょう。……それに、俺が死んだところで特に問題も、どうしても生きなければならない理由も無いからな。」
これが報酬だと、オスカーは懐にしまっていた通貨の入った皮袋をアンジェへと投げ渡し、さっさと身を翻してノエルを追いかけてその身を暗い森の中へと消してしまうのだった。




