心に渦巻くは負の感情。
「……申し訳ありません、名乗ってもいない状況で焦りすぎました。
改めまして、私はノエル・リア・エルンスター。 ウェヌス教の神官を務めさせて頂いております。」
アンジェとランスに向かって淑女の礼を披露するのはウエーブの掛かった腰まである黄金の髪に碧眼を持つ、白を基調とした神官服を身に纏う可愛らしい少女、ノエル。
「私はノエル様の従者で、名をオスカー・シュバルツと申します。 この度は危ないところを助けて頂いたばかりか、礼を失した態度を取ってしまい申し訳なく思っています。」
同じくアンジェとランスに向かってノエルに続いて礼をするのは、黒髪を目元が見えないように長く伸ばした細身だがしっかりとした体躯の美丈夫、髪の隙間から覗く顔立ちは硬質な美しさを宿した青年、オスカー。
「おう、俺はアンジェだ。 こっちの小っこいのがランス。 王都よりも国境の方が遥かに近い小せえ村からエルネオアに向けて旅してんだ。」
「よろしくお願いしやす!」
自己紹介をする二人に対し、アンジェとランスも名乗り返す。
「(流石に命の恩人とは言え、良いとこのご令嬢ですなんてことは言いませんか。 まあ、彼女の外見や従者がいるという時点で貴族もしくは良いところのお嬢様だと言うことはバッチリと分かりますが……。)」
ノエルとオスカーの自己紹介の言葉と、その外見や主従関係を見てアンジェは考える。
「(……面倒なことにならなければ良いのですが……)」
面倒ごとに巻き込まれそうな予感をヒシヒシと感じて、笑顔を浮かべた裏でため息を付くのだった。
そして、自己紹介の後にそのまま続けられた二人の身の上話へと、アンジェとランスは耳を傾ける。
「私達がこのファモリットの森に来た理由は、私に神託が下ったからです。」
「神託……っすか?」
「…………」
真面目な表情を浮かべたノエルの言葉にランスはよく分かっていないのか首を傾げ、オスカーは不機嫌な様子を隠すためか無表情を貫き、アンジェに至っては命一杯不審そうな眼差しをノエルへと送ってしまった。
「お二人はウェヌス教をご存じですか?」
ノエルは己が大切にしているウェヌス教の象徴である“女性の横顔と羽根を模した紋章”のペンダントを二人へと見せながら問いかける。
「知ってるっすよ。 村にも小っちゃいっすけど教会が有りやしたから。」
「…………おう。」
“ウェヌス教”と言う言葉が出てから、徐々に表情はあまり変わらないものの不機嫌な雰囲気を纏い始めたアンジェの姿に、三人は戸惑ってしまう。
だが、躊躇いながらもノエルは嘘偽りなくアンジェへと自分たちの事情を話す必要があった。
……もし万が一にでも、目の前にいるアンジェやランスと共に行くことが出来なければ、ノエルだけならば自業自得であるが巻き込んでしまったという自覚のあるオスカーに危険を強いることになってしまうのだ。
「……えっと……そのウェヌス教の主神で有り、創世の女神であると同時に愛と美を司る慈愛の女神と言われているディユー様……」
女神の名をノエルが口にすると同時に、アンジェのいる方向よりボキリと骨を砕くような鈍い音が響いた。
「「「…………」」」
「わりぃな、嬢ちゃん。 俺のことは気にせずに続けてくれ。 折角狩ってきた獲物だから、新鮮な内に処理をしておかねえとなっっ!!!」
頬を引き攣らせたノエル、オスカー、ランスの視線の先には、爽やかな笑顔を浮かべたアンジェが頬に返り血を浴びながら森の中で狩ってきた大きな猪に似た魔物を解体している姿が有った。
「(創世のって所はまだ良いけれどっ、アレの何処がっ、あんっのっバーコードなデブ親父の何処に愛と美があると言うのですかっっ?! オッサン成分しか無い癖にっっ!!ヘソで茶が沸きますよっっ!!!
その上、慈愛ですって? 其処は“慈愛”じゃなくて、“自己愛”即ちナルシストの間違いでしょうっっ!!
第一、あれの何処が女神ですかっっ!! 性別自体からして可笑しいでしょうっっ!!!)」
狩ってきた獲物に八つ当たりを続け、爽やかな笑顔を浮かべているアンジェの内心は大荒れだった。
……幼い頃、村にあった小さな教会でウェヌス教に関する諸々を知ったアンジェは両親の手前、創世の女神を象ったという似ても似つかぬディユー女神のご神像をぶち壊したくて堪らない衝動を抑えることに苦労した思い出がある。
もっとも、何となくアンジェの心の苛立ちや怒りを感じ取ったリーシャは、二度とアンジェへと教会へ行くことを進めることはなかったのだった……。
そんな女神と言うべきか分からぬ神、ディユーとアンジェの関係など知る由も無い三人。
思わずノエルとオスカーはランスへと、このまま話を続けても大丈夫なのかと無言で問いかけてしまう。
「あ、あのアンジェさん、大丈夫っすか? えっと、僕にはアンジェさんがノエルさんの話を何で嫌がっているかは分かりやせんけど、辛いなら無理しないで欲しいっす。
……僕じゃ頼りないとは思いやすけど、辛い時は教えて下さい。 僕に出来ることなら何でもしますから。」
殺気や怒りなどの荒ぶる感情を心に押し込めてはいるものの、多少は漏れ出てしまっているアンジェへと怯えることなくランスは近付き、服の裾を引っ張って訴えかける。
たった数日の旅路といえど、ランスはアンジェが感情に任せて他者を傷付けはしないと言うことを理解していたのだ。
だからこそ、どんなに不穏な空気をアンジェが纏っていようとも、怯えることなく近付く事が出来たのである。
「……悪かったな、ランス。 心配掛けちまった。 俺は大丈夫だからよ、話を進めて貰っても良いか?」
「え、あ……わ、かりました。」
真っ直ぐに己を見詰めてくるランスの言葉にアンジェの荒ぶる心は徐々に平静を取り戻し、バツが悪そうにため息を付くと苦笑し、ノエルへと話を続けるように促した。
「ええっと……省略致しますが、私が普段通りに教会で祈りを捧げていた時に祭壇に掲げられている女神像が光輝き、聞いたことのない声が響き渡ったのです。」
戸惑いながらも言葉を続けるノエルは、神託を受けた時のことを思い出したのか興奮した様子で頬を微かに紅く染める。
「女神様は仰いました。
“この世に蔓延りし悪を討つ我が加護を受けし英雄が旅立ちの時を迎えた。 厚き信仰心を持つ乙女よ、己の願いすら翻し、過酷な旅を選びし英雄を支えよ。”と。」
ノエルは碧眼を輝かせ、芝居がかった動作で謳うように高らかに語り続ける。
「……おい、兄ちゃん。 あんたのとこのお嬢様はいつもこんな感じなのか?」
「……普段から、頭のネジが緩いとは思っていましたが、あの神託とやらを受けた時にどうやら抜け落ちてしまったようです。」
ジトッとした眼差しをノエルへと送るアンジェの問いかけに、オスカーは無表情にシレッと応えた。
「そして、女神様はこう続けられました。
“我が加護を受けし英雄は五の月にファモリットの森より現れん。 漆黒の髪と瞳を持ち、比類無き強さを誇りし者。 逞しき体躯、鋭い眼光、音に聞く益荒男の如き英傑なり。”!!」
ノエルの言葉が紡がれるたびに、アンジェの背中に嫌な汗が流れ落ちる。
「……なんだか……まるで……」
「……アンジェさんのことを言っているみたいっすね。」
オスカーとランスの視線がアンジェへと集中する。
「……漆黒の髪と瞳……凄く強い人……」
「いやいや、こんな黒髪、黒目の奴なんざ、はっ掃いて捨てるほどにいるんじぇねえか?」
ノエルの眼差しがアンジェへと向き、オスカーとランスの言葉を繰り返し、何かを確かめるように呟き始めた。
そんなノエルの様子に益々嫌な予感を覚え、アンジェは動揺してしまう。
「逞しい身体に、鋭い眼……音に聞く益荒男のようなその姿っっ!!」
呟けば呟くほどに熱を帯びていくノエルの眼差しに、面倒ごとになるとアンジェの頭の中で警鐘が鳴り続ける。
今までアンジェに怯えていたことが嘘のように、勢いよく近付いたノエル。
「貴方様こそ、私が神託を受けし英雄様だったのですねっっ!!!」
グワシッと逃げの体勢に入っていたアンジェの両手を掴むと、キラキラとした眼差しでファモリットの森に木霊するような大声で叫ぶのだった。




