斯くして歳月は流れた。
とある村の二人の夫婦の間に、益荒男ことアンジェが爆誕してはや十五年の年月が過ぎ去ろうとしていた。
冒険者を引退した厳つい顔つきの父マークと、大らかで天然な性格の母リーシャの愛情を受けて、もう一人の家族も誕生し姉として慕われ、アンジェは怪我も、病も、魔物さえも蹴散らしてすくすくと育っていった……。
生前の“北条 雅”との余りにも掛け離れた姿に、死んだ魚のような眼をしてしまうアンジェの心を置き去りにして……身体だけが育ちに、育ちまくったのである。
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「やっと見つけたわよっ! アンジェったらこんな所で油を売って何をしてんのよっっ!!」
赤みがかった髪をポニーテールのように結んだ少女、クリスは村はずれの大木の上で昼寝をする見間違えることなどあり得ない大柄な体躯を持った人物の姿を見つけ、咎めるように声を荒げた。
「……クリスか。 俺に何のようだよ? 今日の分の俺の仕事は終わってるはずだぜ?」
大木の枝に座り、身体を預けて目を瞑っていたアンジェは、聞こえてきた幼なじみの声に反応してうっすらと瞼を開く。
「何よ、その言葉使いと服装はっ! 貴女、年頃の女の子でしょ! 悪ガキみたいな言葉使いと服装をしてんじゃないわよ! リーシャさんが泣いちゃっても知らないわよ!!」
アンジェが無条件の愛情を示してくれる母親に一番弱いと知っているクリスは、乱暴な言葉を諫めるためにリーシェの名前を引き合いに出す。
「……ちっ!……私の外見に合わせた言葉使いをしているだけじゃないですか。 誰も好きこのんで乱暴な言葉使いなど致しません。……この外見で、この言葉使いは違和感以外無いんですよ。」
おっとりとした笑顔をいつも浮かべている母親の困ったような、悲しそうな表情を安易に思い浮かべてしまったアンジェは、舌打ちをしてから言葉使いを元に戻した。
「舌打ちしないっ!……アンジェってばいつもそんな風に言うけど、私は別に違和感なんて感じないわよ? だいたい、私より料理だって、お裁縫だって上手じゃない! 村長のおじじ様だって認める腕前じゃないの!」
「……料理や裁縫の腕前はともかく、言葉使いに関して違和感を感じないのはクリスと家族だけですよ。 一般的な方々から見れば違和感しか感じません。 それに、私の身体の大きさだとお母さんの服を直して着ることなど出来ませんし、お父さんの服だって入らないんですよ。……いつの間にか、お父さんより身長も大きくなってしまいましたし……そんな私がクリスのように素朴ながらも可愛らしい女性用の服装をしていても似合わないんです。」
己の外見を頭に思い浮かべるアンジェはまるで死んだ魚のような目をしていた。
そう……生まれ変わったアンジェの容姿は、以前より遥かに様変わりしていたのだ。
どこから見ても平凡な容姿の平均的な体格の女子高生だった“北条 雅”。
……しかし、生まれ変わった彼女の容姿はがらりと変わっていた。
獲物を狙う猛禽類のような鋭い眼差し、気迫と強すぎる意志の宿った苛烈で獰猛な印象を受ける瞳。
太く凛々しい眉に、歴戦の猛者を思わせるような凶悪な風格漂う……どこか悪役の頭目を思い起こさせるその容貌。
女性としてのしなやかさを宿しながらも、全身が鎧のような筋肉に包まれた鋼の如き強靱な体躯を持った一般的な成人男性よりも頭一つは高い身長を有する大柄な肉体。
……彼女は性別は女性でありながら、音に聞く益荒男の如き容姿へと生まれ変わっていたのだ。
「(……あんのコスプレ天使デブ……ハゲ散らかった頭部を綺麗さっぱりバーコードを引きちぎって、残り少ない希望を叩き潰してやれば良かった!!
私は……私はっ! 普通にっ! 平凡に最期まで生きたいとは言いましたが、厳つい上に大魔王のような雰囲気を纏った外見にした挙げ句の果てに人外の強さをくれと、一言でも言いましたかっ?! 私は言ってないでしょうっっ!!!)」
転生する前に会ったディユーの姿を思い浮かべながら、全てを諦めたような眼差しの中に怒りを燃え上がらせるアンジェ。
誰もが想像する清らかで光輝くような美しすぎる容姿の女神とは正反対に例え位置していようが、その頭部がバーコードであろうが、容姿がでぶった天使のコスプレをしたオッサンであろうとも、神は神。
“北条 雅”は、“アンジェ”として神であるディユーが管理する数多の世界の中の一つである剣と魔法と冒険、魔物が存在し、魔王と勇者がいるようなファンタジーな世界に生まれ変わってしまったのだ。
この危険に満ちた世界において平凡に生きていた“北条 雅”の肉体のままでは、彼女が望んだような“普通に最後まで生きること”すら難しかったのである。
それゆえに、彼女を転生させる際にどんな威力の魔法でも傷つかない強靱な身体、本気を出せば城さえも破壊し堅固な結界すらも砕くことができる戦闘能力、毒薬などの悪い影響を与える薬や精神的な魔法も効果を現す事が出来ない体質、そしてその力に見合った姿を神はサービスしてしまったのである。
確かに、“北条 雅”が望んだことを叶えるためには万歩譲って必要な事であったのかもしれない。
……だが、ただの女子高生であった少女が突然命を奪われ、訳も分からない状況で知り合いになりたくない性格と容姿の神と出会い、納得も出来ないままに別の世界に堕とされ、しかも女性として有り得ない姿にされてしまえば……笑顔で感謝など出来るはずもなかった……。
「だから、何度も言うけど私は違和感なんて感じないわ。 アンジェの考え過ぎよ。」
「……では何故、数十日前に私がクリスと一緒に村の中を歩いていた時に、この村に初めて来た行商人の方が私達を背後から呼び止め、振り向いた私の顔を見て絶叫を上げたのですか?」
ジトリとした視線を木の下にいるクリスへと投げかければ、クリスは視線を思わず反らして返答に窮してしまう。
「そ……それは……えっと……そう! 私達の背後に誰かいた……」
「誰もいませんでしたし、絶叫を上げた商人は私の顔を指さして“殺さないでくれっ!!”とか叫んでましたよね?」
「…………」
抑揚もなくクリスの言葉を遮るように続けられたアンジェの言葉に、クリスの額に一筋の汗が流れる。
「た……旅の行商人の人が恐がりだっただけよっ! アンジェは料理や裁縫の腕前は村一番なんだし、お嫁さんに欲しいって人がたくさん……」
「いくらある程度有名だった冒険者であるお父さんの血を引いているとは言え、10歳にも満たないうちから素手で魔物を殴り倒し、大の男さえも怯える強い魔物を細い木の枝で殴り殺すような嫁を貰いたがる男はいません。……“年頃だから、そろそろお嫁さんになる準備をしなきゃねえ”というような声を掛けてきた村の叔母さん方に、“確か貴女の息子さんは私と同じくらいの年齢ですね”と答えたら凍り付いたように動かなくなって、顔を蒼白にしましたが?」
同じく抑揚もなくクリスの言葉を遮って答えたアンジェに、クリスはますます視線を反らしてしまう。
「……話しに聞けば、私は生まれたその時より既にこのような顔立ちで、お産を手伝ってくれたあのオババ様すら腰を抜かし絶叫を上げて気絶し、しばらくぎっくり腰で寝込んだとお聞きしましたが?」
「……ごめん、アンジェ。」
これでもかとばかりに続けられたアンジェの身の上話にクリスもフォローの言葉が見当たらず、がっくりと項垂れてしまう。
「……はあ……すみません、クリス。 大人げないことをしてしまいました。……これでは八つ当たりですね。」
「ううん、私こそごめん。 私も、アンジェが容姿に関して悩んでいるのに無神経だった。」
萎れた花のように元気を無くしてしまったクリスへと、アンジェも苦笑を浮かべてしまうのだった……。