魔を蹴散らすは漆黒の光。
いつも読んで下さりありがとうございます。
今回も引き続き戦闘描写が入りますので、苦手な方はご注意頂ければと思います。
どうぞよろしくお願いします。
「おいおい、此処は逢い引きに向かねえ場所だぜ。 いちゃつきたいなら余所でしな。」
地響きを立てながら大地に突き刺さった拳から、ノエル達を取り囲んでいた数多の蜘蛛の魔物に向かって衝撃波が放たれる。
弱った獲物を護るように現れた脅威を感じ取ったアラクネは素早い身のこなしで衝撃波を避けるが、部下である蜘蛛たちは避けること叶わず次々と巻き込まれていく。
「おい、あんたら大丈夫か?」
「……あ、助けて……ひぃぃぃっっ?!」
大地にめり込んだ拳を上げ、振り返った相手の顔を眼にしたノエルは悲鳴を上げて気絶する。
「……気絶して仕舞いやしたね。」
「(……私、一応命の恩人ですよね? 命の恩人の顔を直視して気絶とか……いい加減泣きますよ。)」
パタリと力なく倒れたノエルに、俵担ぎにされたままのランスは頬を引き攣らせ、アンジェは心の中で涙を流す。
その時、アンジェの長いコートの裾を引っ張る者がいた。
「おい、あんた大丈夫か?」
裾を引っ張った相手が鉄臭い血の臭いの持ち主だと悟ったアンジェは、ランスを地に降ろして漆黒の髪の青年、オスカーを抱き上げる。
「……たの……む……おじょ……さ、まを……」
失血により血の気が失せた青白い顔で呟くオスカーに、アンジェは厳しい表情を浮かべる。
「(……この人、血を失いすぎている。 このままでは確実に命を失ってしまう。)」
もしも、己が簡単に青年の言葉に頷けば一気に気が緩み、死の淵へと導きかねない危うさを悟ったアンジェ。
「うるせえ、黙ってろ。 他人の心配をする前にてめえのことを考えろ、馬鹿たれが!」
「ちょ、アンジェさん?!」
厳しい言葉を投げかけるアンジェにランスは眼を剥き驚いてしまうが、その真意を探るように青年とアンジェの横顔を交互に見て、何かを感じ取る。
「……ちっ! 魔法はクソ苦手だが、そんなことも言ってられねえか。
おい、目茶苦茶痛いかもしれねえが怨むんじゃねえぞ。」
「……な……に、あがっ……ぐっ……あっあ゛ぁ゛ぁぁぁぁっっ!!!」
アンジェの言葉が終わらぬうちに全身を襲った激痛にオスカーは絶叫を上げた。
「馬鹿がっ口を開くんじゃねえっっ!!……クソっ、これでも喰ってろっっ!!!」
「うぐっっ?!」
熱く燃えたぎる溶岩のように熱い力の奔流がオスカーの全身を余すことなく駆け巡る。
余りの激痛に叫び、歯を噛みしめたくとも口の中に入れられた何かに邪魔されてしまう。
それが何かを知ることよりも、悲鳴を上げられないならばせめて歯を喰いしばろうと有りっ丈の力を顎に込める。
オスカーの体中を駆け巡った激痛は数秒だったかもしれないし、数十秒だったかもしれない。
だが、少なくともオスカーにとっては永遠にも感じられた。
「……もう大丈夫……後は私に任せてゆっくりと休んで下さいね。」
波が引いていくように激痛が消え去った身体は、心地よい浮遊感に包まれていく。
「(……誰だ……?)」
その浮遊感の中でオスカーには、穏やかで優しい笑みを浮かべた漆黒の少女の姿が見えた。
思わず今までに出会った誰よりも優しいその笑みに惹かれ、手を伸ばそうとするが石のように重い身体は意思に反して動くことはなく、オスカーの意識はすぐに闇に落ちて行ったのだった。
「あ、アンジェさん……?!」
「ああ? 何だよ、ランス。」
怪我が治り、身体を蝕んでいた毒も消えて血色も良くなったが気絶したオスカーの口から、己の前腕を取り戻したアンジェがランスの声に視線を向ける。
「(……今の……僕の見間違いっすか?)」
アンジェが苦手だと言っていた魔法を発動させ、オスカーの傷が数秒もかからず治癒した際にランスの眼には、ほんの瞬き程の間であったがアンジェの姿が変わって見えたのだ。
ランスの脳裏には、艶やかな漆黒の髪と瞳を持つ穏やかで、優しい笑みを浮かべた少女の姿が焼き付いていた。
「……おい?……おい、ランス!」
「ひゃいっっ?!」
ボウッとした様子で脳裏に焼き付いた少女の幻影に見とれているランスを、アンジェの一喝が現実に呼び戻す。
「お前な、本当にどうしたんだよ? 移動している間にどっか打ったのか?」
「す、すすす、すみませんっす! ちょっと、考え事をしちまってて……」
大丈夫です、と笑うランスに首を傾げながらも、アンジェはまあ良いか、と受け流す。
「さてさて、俺はあっちのご一行様の相手でもするかねえ。……ランス、此処には一匹たりとも通さねえ。 だから、気絶したそっちの二人を頼んだぜ。」
「はい! わかりやした!!」
己の声に応えて、短剣を構えるランスにアンジェは口角を上げる。
「おう、待たせたな。 悪いが、蜘蛛女は好みじゃねえ。 今なら見逃してやるから、さっさと森に帰りな。」
アンジェがオスカーの治療をしている間にも動くことはなかったアラクネは、ギチギチと蜘蛛の足を動かしながらアンジェを威嚇し続ける。
何度も襲いかかろうと隙を伺っていたアラクネだったが、跳びかかろうとする度に脳裏に浮かぶのは目の前の強大な敵にバラバラにされる己の死に際だった。
だが、それでも弱った美味そうな獲物を前にどうにかして一匹だけでも手に入らないかと思ってしまうアラクネ。
「逃げねえってことは闘うことがお望みか。……つーかよぉ、せめて上半身は他の蜘蛛と違って人間の女っぽい姿をしてんだから涎を垂らすなよ。」
嫌そうな表情を浮かべ、軽口を叩いていたアンジェだったが何故か眼を閉じて大きなため息を付く。
それを好機ととったアラクネの命の下で一斉に部下の蜘蛛たちがアンジェ目掛けて殺到し、余りの数に黒い壁となる。
同時に弱った獲物を狙うアラクネが部下の蜘蛛たちの壁に隠れるように俊敏な動きで駆け出し、アンジェの横を擦り抜けて自慢の強靱で粘着度の高い蜘蛛の糸を発射しようとした。
「おい……俺の横を素通りなんざ、良い度胸してんじゃねえか。」
アラクネの背後から聞こえてきた抑揚のない静かな声に、背筋に悪寒が走る。
振り向き様に蜘蛛の足の鋭い鉤爪で攻撃しようとするが…………アラクネは何故か地面に尻餅を付いてしまう。
何が起こったか分からず呆然とした表情で周囲を見渡せば、円形状になって屍を積み上げた部下達。
……そして、尻餅を付いたアラクネの周囲には黒々として太い関節と鋭い鉤爪を持った八本の足が転がっていた。
それが何かを悟ったアラクネは苦悶の絶叫を上げようとするが、すでにその首は胴体から離れて空高く舞い上がり、抜けるような空気の音しか聞こえることはなかったのだった。
「だから言っただろうが、さっさと森へ帰れってな。」
カチリと白刃を鞘へと戻しながら呟くアンジェは、既に興味を無くしたのか魔物達の屍に視線を向けることは無かった。
魔物を倒し終わったアンジェは、ランスの下へと歩み寄る。
「おい、怪我はねえか?」
「アンジェさんのお陰で怪我は無いっすよ。 だけど、やっぱりアンジェさんはすごいっすね!」
目にも留まらぬ速さで行われたアンジェの一連の剣技。
ランスの眼ではアンジェが剣を抜けば、瞬き程の間に取り囲んでいた蜘蛛の魔物の死骸が積み上がったように見えた。
そして、自分たちを狙っていたアラクネの背後へと瞬間移動したように現れたと同時に振るった刃は、強靱な甲殻に包まれているはずの蜘蛛の足を容易に断ち切り、気付いた時には首が宙を舞っていたのだ。
「よく村にきてた商人のおっちゃんに聞いたことがありやす。 アラクネっていう蜘蛛の魔物は普通程度の冒険者じゃあ相手にならないって。……それを冒険者じゃない、自称旅人が倒すって……」
何とも言えない表情を浮かべたランスの言葉に、アンジェは苦笑いを浮かべて話題を変えることを試みる。
「あー……ランス、一応その二人を成り行き上助けちまった以上は放置する訳にはいかねえよなあ……。」
「そうっすよねえ。 多分、このまま放置しとけば他の魔物が現れそうっす。」
アンジェはランスの言葉にそうだよなあ、と頭を掻いて二人を連れて移動することを決意する。
「距離は其処まで離れてねえし、昼食を喰った小川の近くまで戻るか。」
「はいっす!」
気絶したままの少女と青年を抱え上げたアンジェは、ランスを連れて森の出口に背を向けて歩き出すのだった。