家族の教えと形見の短剣。
「だっ……誰だ、てめえっっ?!」
満月を背に立つ漢が、盗賊の頭を掴んでいた手を離せばドサリと大きな音を立てて、その亡骸は地に落ちる。
「別に俺が誰だろうと関係ねえと思うが……そうだな、闇に潜んで悪を討つ、旅人その一ってところか?」
周囲の凄惨な光景など気にも留めずに、アンジェはまるで世間話をするかのように話す。
「ぐっ……わ、けのわかんねえことを言うんじゃねえっっ!
てめえは何が目的でこんな真似をしやがったっっ!! 仲間は他にもいるんだ、無事に帰れると……」
「いや、生き残ってるのはてめえだけだぜ。 後で面倒くせえことにならねえように人数を確認して殺ったしな。……ま、お前が俺の言葉を信じようが信じまいがどうでも良いがな。」
絶対的な強者を前にして狩られる立場に転落してしまったフリットは怯える心を奮い立たせて怒鳴り声を上げるが、アンジェは何でも無いことのように相手にとっては恐ろしい事実をこともなげに伝える。
「……ウソだろ……何十人もいたんだぞ……」
アンジェの面倒臭そうに告げられた言葉の内容にフリットは動揺してしまう。
「わ、分かったっ! だったらよう、手を組まねえか?」
「ああ゛?」
引き攣った媚びを売るような笑みを浮かべたフリットは、アンジェへと交渉を持ちかける。
「俺はな、この森の地理にめちゃくちゃ詳しいんだよ。 だ、だから……てめ、じゃなくて、貴方様みたいにお強い方が頭をやってくれりゃあ百人力、いや千人力ってモンだっ!!
この森は城塞都市エルネオアまでの危険だが最短距離だから、せっかちな商人っていうカモが沢山通るんだ。 すげえ儲かる良い狩り場なんだっっ!!!」
だから、と言葉を続けるフリットをアンジェは静かな凪いだ瞳で見つめ、否定の言葉すら発することはなかった。
その態度に脈があると考えたフリットの命の危機を脱するための熱弁は勢いをましていく。
……だが、フリットのアンジェを勧誘する熱弁は突然途切れることとなる。
「…………っっ!!!」
「うぎゃっっ?!」
短剣を片手に熱弁を振るっていたフリットの背後から静かに近付いた小さな影が、渾身の蹴りを膝関節の裏目掛けて放つ。
膝カックンの要領で体勢を崩してしまったフリットは、身体が地面に倒れる前に手を付こうと短剣を握っていた手を離してしまう。
小さい影は素早く地面に落ちた短剣を拾い上げ、震える手でその切っ先をフリットへと向ける。
「……て、めえはっあの時の糞ガキじゃねえかっっ!!!」
怒鳴るフリットに対して短剣を向けるランスの両手は震えながらも、その眼差しは一方的にいたぶられ続けた時とは違い強い意志が宿っていた。
「たっ……短剣は確かに返して貰ったっす!!」
小さく痩せた身体は変わらないはずなのに、数時間前の全てを諦め掛けていたはずのランスとは違い燃え上がるような覚悟を宿した瞳に一瞬フリットは気圧されてしまう。
「……この糞ガキがあぁぁぁっっ!!!」
一方的にいたぶり、搾取した格下の相手に一瞬でも気圧されたことに気が付いたフリットは、その事実を誤魔化すようにランスへと拳を振り上げる。
「……やあぁぁぁぁっっ!!!」
己へと振り下ろされる拳を瞼を閉じることなくしっかりと見据え、フリットの怒りにまかせた拳を避けることよりも一矢報いることを選択し、ランスは勇気を振り絞って前へと強く足を踏み出す。
弱い獲物が己に牙を向けることなど考えもしていなかったフリットの拳は、前へと強く踏み出したランスの小柄な身体を捕らえることなく空を切る。
両手で構えたランスの牙がフリットの腹部を捕らえようとした……が、それよりも早くフリットの身体は宙を舞う。
「家族の形見を血で汚すんじぇねえよ。」
「ぎゃひゅっっ」
フリットの腹部に穿たれようとしたランスの形見の短剣が血で汚れる前に、いつの間にか移動していたアンジェがランスの手首を掴んで止め、フリットの顔面を殴り飛ばしたのだ。
アンジェの拳の衝撃に耐えきれずに大空を舞うことになったフリットの身体は大地に頭から鈍い音を立てて着地し、再び動き出すことはなかった。
「……アン……ジェさ、ん……ぼく……ぼくっ、ごめっなさいっっ!!」
動きを制止されたことやフリットの身体が宙を舞う光景を呆然とした様子で見送ったランスだったが、視線をアンジェへと向け、謝罪の言葉を告げながら涙を浮かべる。
命の恩人に対して疑心暗鬼に陥り、優しい心配りに眼を向けず疑い続けてしまったばかりか、まともに感謝の言葉すら伝えることが出来なかった事をランスは心から恥じていた。
そればかりか、己の形見の短剣を取り戻したいという願いにアンジェを巻き込んでしまったことを申し訳なく思ったのだ。
「お、おいっ! 何で泣くんだよっっ?!」
いきなり泣き出したランスに対して今までの冷静な様子が嘘のように慌てだしたアンジェは、取り敢えず盛大に泣き出したランスを担ぎ上げ、自分には必要ない魔物よけのマジックアイテムだけは破壊してさっさと盗賊達の根城を後にするのだった。
……魔物よけの結界が無くなった亡骸だけが横たわる盗賊の根城に、魔物達がすぐに集まったのは語るまでも無いことであった。
※※※※※※※※※※
盗賊達の根城を襲撃する前に焚き火をいていた場所まで戻ったランスを担ぎ上げたアンジェ。
「お前ね、安全な場所で待機しとくように言っただろう。 あの盗賊の背後に近付いている気配を感じた時はひやひやしたじゃねえか。
……それに、いきなり泣き出したりしてどうしたんだ? お前の探してた形見の短剣なんだろう?」
アンジェはランスを地面に下ろしてから困惑した表情で問いかけた。
「……ぼく、は……アンジェさんに゛っ、ひっく……だすけてもらったのにっ!……おれっ、お礼すら言ってなっ……くて……な゛のに、剣を……」
涙や鼻水で顔をグシャグシャにしたランスは、嗚咽で引き攣ってしまっている声で必死にアンジェへと考えたことを伝えようとする。
「…………あー……なんつーか……」
途切れながら懸命に伝えようとするランスの思いを、アンジェは全てではないが一部分だけは察することが出来た。
「礼も言えなかったのに、形見まで俺に取り戻させることになっちまったことが申し訳なかったってことか?」
「ぞれだけじゃ、無いんすよっっ!
僕は……アンジェさんを、ひっく……疑ってたっす!! その上、交換条件の約束も破ろうとしたんすよっっ!!!」
腕で乱暴にグシャグシャになった顔を拭い、ランスは額を地面に打ち付けるが如く勢いよく平伏して叫ぶ。
「今更っすけど、命を助けてくれてありがとうございましたっっ!!
見返りを求めもしない恩人にっ、僕は恩知らずにもほどが有ることを考えてたっす!!
本当にすみませんでしたっっ! こんな僕がお返し出来る価値ある物なんて、この短剣くらいっす!!!」
どうぞお納め下さい、と形見の短剣を差し出すランスの姿を見詰めるアンジェは片手で頭を掻いてため息を付く。
「……あのよぉ……形見って分かってる短剣なんざ貰っても、後味が悪いだけじゃねえか。 それに、俺は見返りが欲しくて行動してる訳じゃねえ。 てめえの信念に沿って行動してんだよ。……だから、その短剣は受け取れねえな。」
「ダメっす!! 僕は、自分の過ちをちゃんと正さなきゃいけないんすよっ!!
だって、兄ちゃんと母ちゃんが言ってやした、“どんなに貧しくとも受けた恩を忘れ、仇で返す奴はクソ野郎だ”って!!!」
困った表情を浮かべるアンジェへと畳み掛けるように、真剣な眼差しを浮かべたランスは腹の底から叫ぶ。
「……家族の教えって奴か……だったら、破る訳にはいかねえな。」
ランスの言葉を聴いたアンジェは思考を巡らせる。
暫し逡巡したアンジェはこれが一番の落としどころか、と形見の短剣を受け取ることなく、ランスを納得させる一つの提案を口にする。
「俺はな、親父から貰った立派な剣があるから短剣は使う予定はねえ。 だけど、それじゃあ納得できねえだろうから受け取ることにするぜ。
そして、俺との約束を破ろうとしたんだからよ、俺の話し相手になる時間を延長して城塞都市“エルネオア”まで努めて貰うってのはどうだ?」
「ありがとうございやす。 一度は約束も破ろうとしたんすから、一緒に連れて歩いて貰えるだけ有り難いっす。」
地面に勢いよく叩き付けたことで赤くなった額はそのままにして、早速アンジェへと短剣を渡そうと両手で捧げ持ち差し出す。
「じゃあ、遠慮無く受け取っとくぜ。」
そう言いながらも、アンジェがランスの持つ短剣に手を伸ばすことはなく、ランスは受け取ろうとしないアンジェに首を傾げてしまう。
「短剣を俺は受け取るが、それをどうしようと俺の勝手だよな?
俺は立派な剣を装備しているが、旅の話し相手が丸腰だと不安でたまらねえ。 だから、その短剣はお前に預けることにするぜ。」
「……へ?」
話しは終わりばかりに木にもたれ掛かって寝る体勢に入るアンジェへと、気の抜けた声を返す。
「……えぇぇぇぇっっ?! ダメっす! それじゃ意味が無いじゃないっすか!! 受け取って貰わないと……」
アンジェの言葉の意味を数拍遅れて理解したランスは驚きの声を上げて叫ぶ。
「俺の物をどうしようと俺の勝手だろうが。 つべこべ言わずに持っとけ。……明日も朝から歩くんだから、さっさと寝とけよ。」
「……で、でもっすね……」
既に眼を閉じかけているアンジェは返事を返すと同時に眠り始める。
「…………」
どうした物かとランスはしばらく落ち着かない様子で右往左往して悩み続けた。
その後、静かにじっとアンジェの眠りを妨げぬように見詰め、そのランスへの優しい心意気を悟り、再び滂沱の涙を流し始める。
「……アンジェ、ざん……ほんど、に……ひっく……あり、ありがと゛うございまずっっ!!!」
涙声になって深々と地面に頭を擦り付けるように泣き続けるランスの姿を、アンジェは狸寝入りしながら見詰め小さな微笑を浮かべるのだった。