形見に導かれるは誠の心。
深い、深い森の中にある洞窟に盗賊達の根城はあった。
森の奥である以上魔物に襲われる危険性が高いその場所であったが、魔物を寄せ付けぬ結界を張るマジックアイテムのお陰で襲われることなど無かったのである。
もっとも、そのマジックアイテムすら旅行く商人から奪った物であったのだが……。
満月でありながら厚い雲が月の光を隠していたその夜、盗賊達はファモリットの森を通り抜けようとしていた幾人かの商人を襲い、護衛に付いていた冒険者達を数に物を言わせて排除し、沢山の金目の物を戦利品として奪いアジトへと凱旋していた。
勝利の美酒を掲げ、飲めや歌えやの宴は最高潮に達し、その騒ぐ盗賊達の中にはフリットの姿も有り今回己が刈り取った獲物の価値の低さに忌々しそうに酒を呷っていた。
「おいおい、フリットよぉ! 何湿気た面してやがるっ!!」
ここいら一帯の盗賊“鮮血の爪牙”を纏める頭であるギランは、仲間の中でも古株であるフリットに酒を片手に近付き声を掛ける。
「頭……湿気た面もしたくなるってモンだ! 今日、俺が殺った獲物は金目のモンなんざ、全く持ってなかったんだぜっっ!!」
その言葉に渋い顔をして応えたフリットに対して品のない大きな笑い声を夜の森に響かせながら、ギランはフリットの背を何度か叩く。
「そりゃあ運がなかったなっっ!! 明日はてめえも稼げるように見つけた中で一番良い獲物を任せてやるよっ! だから、機嫌を直してじゃんじゃん呑もうぜっっ!!!」
「……頭にそう言って貰えりゃあ安心ってモンだっ!
おいっ! 若けえのっ!! こっちに酒をもっと寄こさねえかっっ!!」
頭の言葉に機嫌を直したフリットの声に応えて何人かの下っ端が、フリットとギランの元へと酒瓶を持って近づいて来る。
……しかし、暗い闇夜が広がる森の中で赤い炎に照らし出された宴を楽しむ彼等はまだ知る由も無かった。
凶暴な魔物から彼等を護る結界が阻むことのない、魔物以上に強い力を持った存在がすぐ側まで迫っていることを……まだ知らなかったのである。
「ちっ! 頭達も人使いが荒いぜ! 自分達が飲む酒くらいてめえで取りに行きゃあ良いのによぉ。」
宴ともなれば次から次に飽きることなく沢山の酒を呷る彼等。
けれど、その酒は誰かが取りに行かねば自動的に現れる訳ではない。
そうなれば、その役目は立場の弱い者に回ってくるのは当然のことであった。
ブツクサと文句を言いながら酒瓶を取りに、宴の中心にある炎の明かりも届かない洞窟の中へと向かって歩く下っ端の一人。
……だが、代わり映えしない洞窟に足を踏み入れようとした途端に、洞窟の入り口の横にあった茂みに悲鳴を上げる間もなく引きずり込まれた。
宴の喧騒に紛れてゴキリという固い何かを砕いたような音が響き、周囲は静けさを取り戻したのだった。
※※※※※※※※※※
「……おい、何か可笑しくねえか?」
「ああ?」
まず、異変に気が付いたのはフリットを話し相手に良い気分で酒を飲み続けていたギランだった。
「……野郎共の数が少なすぎやしねえか?」
「確かに少ねえな。 けどよ、酒瓶を取りに行ったか、そこら辺でしょんべんでもしてんじゃねえか?」
ほろ酔い気分なフリットは気にするほどのことでもねえ、と酒を呷り続けるが、盗賊団を纏めるギランの頭の中には警鐘が鳴り響いていた。
「おいっっ! 野郎共、宴は終いだっ! 周囲を警戒しながら炎の近くに……」
何かを感じ取ったギランが残っている数十人の仲間達に対し大声を張り上げ、警戒を促そうとしたその時、上空より何かが飛来する。
それは、宴の会場を明るく照らし出す燃え上がる炎を消し去るほどの大きな岩だった。
「なんだこりゃっっ?!」
突然明かりを奪われ、大岩が飛来したことに混乱した盗賊達は状況が把握できず驚きの声や悲鳴を上げる。
「てめえらっ落ち着けっっ!! 火が消えただけっっ……」
しかし、その声の持ち主達は一人、また一人と数を減らしていき、落ち着かせようと声を張り上げたギランの声も聞こえなくなってしまう。
「か、頭っっ?! おいっ! 誰かいねえのかっっ! 明かりを持って……」
怯える心を誤魔化すように腰に下げていた短剣を構え、怒声を響かせるフリットの声に応えるように空を覆っていた厚い雲に切れ間ができ、明るく輝く大きな満月が顔を覗かせる。
夜の闇を切り裂き、満月の光に照らし出された先程まで楽しい宴が広がっていたはずの場所に広がる光景に、フリットは言葉を途切れさせて眼を見開き絶句した。
「悪いな、火種は持ってねえんだ。 けどよ、この満月の光で十分だと思わねえか?」
満月に照らし出されたのはフリット以外の仲間達全員が地に伏し、頭ギランの有らぬ方向に曲がった首を掴んで立つ、一人の漢の姿であった。
※※※※※※※※※※
「な、何つう強さなんすかっっ……!」
闇に紛れてアンジェが確実に一人残さず盗賊を討ち取っていく姿を目撃することになったランスは、想像を遥かに超えるその強さに怯えてしまっていた。
「(あの人は森を出るまでの話し相手って言いやしたけど、本当は森を出て僕を売るつもりなんじゃ……。そうでなければ、あんな交換条件で短剣を取り返してくれるはずが有りやせん。……盗賊達に意識が向いている今のうちに逃げた方が…………)」
闘う力の無い己が戦闘に巻き込まれることがないように、待機を命じた姿を隠すには調度良い茂みの中でランスは逃げることを考える。
天使とも、悪魔の囁きとも取れる疑心暗鬼な考えに思考が囚われてしまったランスは、静かに身を翻そうとした。
だが、アンジェへと背を向けようとしたランスの眼に光る物が映る。
それは、夜空を覆っていた雲から覗いた月の光を反射する奪った盗賊が構える形見の短剣の刃の輝きだった。
「……兄ちゃん……母ちゃん……」
その形見の短剣の輝きに大切な兄と母の記憶が蘇る。
どんなに辛くとも、ひもじくとも、笑顔を絶やすことなく、他者を信じることの大切さを知っていた兄。
どんなに貧しくとも、疲れていようとも、笑顔を絶やさず、助け合うことの大切さを知っていた母。
「……僕は……」
短剣の輝きがまるで疑心暗鬼に陥ったランスの心を諭し、導くように失った家族の教えと生き様を思い出させていく。
「(……アンジェさんは……笑わなかった…………僕の身の上話を聞いても、弱い僕が旅立ったことも、裏切られてボロボロになったことも笑いやせんでした……。)」
助けたとしてもお礼が渡せるようには決して見えないランスを助けてくれた。
腹を空かせたランスに自分の分の肉すら何も言わずに差し出してくれた。
死ぬ覚悟で村を飛び出したことも、裏切られたことも、ただ黙って話しを聴いてくれた。
「……僕は……自分が恥ずかしいっ……!」
ランスに何かを求めることなく、沢山のことを当たり前のように“くれた”アンジェ。
短剣を取り戻すための交換条件だって、全てはランスの心を軽くするために出してくれた条件だったのだ。
一見すれば恐ろしく見える外見に惑わされ、アンジェの本質を見ようともしなかったランス。
「……僕はっっ!」
己の考えと行動を恥じ、唇を噛みしめ、顔を上げたランスの瞳には何かを決めた燃え上がる炎のような意思が宿っていたのだった。