少年は過去を語りて慟哭す。
薄暗かった周囲も、夜の闇に包まれて焚き火の明かりだけが森を照らし出す。
「す、すんません……僕、結局アンジェさんの分も食べちまって……」
しゅんとした様子で項垂れて謝るのは、手渡された肉だけでなく夢中で目の前に差し出されたアンジェの分の肉まで食べてしまったランスだった。
「別にかまわねえよ。 肉なんざ、適当に狩ればいつでも食えるしな。」
携帯していた干し肉を囓りながらアンジェは呟き、謝り続けるランスに苦笑する。
「……それよりも、別に話せねえならそれでも良いんだけどよぉ、何で自分が弱いって分かってるお前みてえなガキがこんな危険な森の中にいるんだよ?
お前は言葉を交わした限りじゃあ、慎重そうな性格だし若気の至りって感じでも無さそうだからな。」
アンジェが見た限り、恐怖に震えながらも弟と同じくらいの年齢に見えるランスの年の割には冷静な判断力に、魔物や盗賊がいると分かっている森の中に進んで一人で入るとは思えなかった。
「…………助けて頂きやした恩人ですし……でも、楽しい話しじゃ無いっすから……」
「別にかまわねえ。 こんな場所で会ったのも何かの縁。 寝るには早えし、ただの食後の雑談だ。」
話せば話すほどに、外見とは全く違った印象を受けるアンジェの言葉に、生まれて初めて腹一杯食べて満たされた想いのランスは、ぽつり、ぽつりと語り出した。
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僕の産まれた村は、お世辞にも裕福とは言い難い村っす。
十にもなってない内に父を亡くし、兄ちゃんと母ちゃん二人と小さな畑を耕し続ける毎日だったけど、幸せだったっすよ。
「母ちゃんっ! ランスっ! 俺は冒険者になって一旗揚げて、絶対に二人に楽をさせてやるからな!!」
そんな毎日に転機が訪れたのは、貧しくとも明るい笑顔を絶やさぬ兄の一言っす。
小さかった僕に比べれば大きいんすけど、一般的な体格だった大好きな兄ちゃん。
母ちゃんは最初は反対したんすけど、最後には諦めない兄ちゃんに折れて少しずつ貯め続けていた精一杯の金で買える一振りの短剣を与えて、僕を抱きしめながらその背を見送ったっす。
……けど、数年後に僕達の元へと届いたのは兄ちゃんの死だけ。
依頼中に魔物に喰われたとかで死体も無かったすけど、母ちゃんが渡した短剣だけが届けられやした。
それからの母ちゃんは兄ちゃんを止められなかった自分を責めて、寝込みがちになって……僕を残して兄ちゃんの元に逝っちまいやした。
残された僕はまだ十三、だけどもう十三っすよ。
村長が僕の面倒を見るとか言ってたんすけど、あの眼は只で手に入る労働力目当てとしか思えなかったんす。
現に、村長のとこの下働きは孤児ばっかなんすけど、使い潰されるように働かされている姿を見たことが有りやしたから。
色々と身の振り方を考えたんすけど、働かされて病気になって死ぬくらいなら、大好きな兄ちゃんが見た景色の一つも見て殺された方がマシな気がしたんすよ。
村長にも弱い僕が村を出ればすぐに殺されて終わりだと言われやした。
それでも、小さな畑を村長に買って貰って……まあ、買い叩かれましたけど、少しの路銀を懐に兄ちゃんの短剣を腰に差して旅立ったっす。
……先に言っておきやすが、この危険な森を僕一人で越えられるとは思ってやせん。
だから、森を通り抜ける商人の馬車に何度も交渉して下働きをする変わりに乗せて貰うことになりやした。
……でも、森の中で盗賊の集団に襲われて逃げるために価値の低い荷物から商人が捨てろと護衛の冒険者達に命令して……一番最初に……僕は荷台から落とされちまいやした。
そんで盗賊達に金目のモンを持ってないって袋叩きにされて……無いよりマシだって短剣を奪われて……アンジェさんに助けられたんすよ。
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へらりと笑ってアンジェを見上げるランス。
「本当にバカな話しだと思いやせんか? 身の程知らずにも村を飛び出して、盗賊の前に一番要らない物として捨てられて、形見の短剣をさっさと渡せば此処まで痛い思いもせずに死ねてたかもしれねえってのに…………ほんと、バカっすよねえ…………。」
己に対してへらへらと自嘲の笑みを浮かべ続けるランスの語った話しを黙って聞き続けたアンジェは、一度瞼を閉じてから目の前の小さな身体に激情を潜ませた少年に問いかける。
「確かにバカな野郎だな……笑ってる癖にてめえが泣いていることにも気付か無いバカは見たことがねえ。」
「……え……? あれ、いつの間に……なんで僕は泣いて……」
アンジェの言葉に始めて己が涙を流している事に気がついたランスは、慌てて涙を止めようとするが次々と溢れる大粒の涙は止まることはなかった。
「てめえは貧しくっても家族が大好きだったんだろうが。 そんな家族の形見とも言える短剣を、どんなに傷付けられようが奪われたくない一心で抗った。
初めて会った奴の前でみっともねえ姿を晒しちまうほどに、てめえにとっちゃ大切なモンを簡単に諦められんのか?」
ランスは無表情に言い放ったアンジェの言葉に唇を噛みしめ、心を埋め尽くす激情のままに吼える。
「僕はあんたみたいに強くないすよっっ!! 蹴られようが、踏みつぶされようが母ちゃんと兄ちゃんの思い出の籠もった短剣を取り戻そうと足掻いても、駄目だったっっ!!
あんたみたいに強い奴には奪われて泣くか、取り戻そうとして虫けらみたいに嬲り殺されるしか無い僕達みたいな弱い人間の気持ちなんて分かる訳がないっす!!!」
怒りに支配された心で叫び続けたランス。
その叫びにアンジェが応えることなく沈黙を返し続ければ、徐々にランスの心は冷静さを取り戻していく。
「……あ……」
「………………。」
ランスが我に返った時にはすでに遅く、発してしまった言葉は翻すことが出来なくなってしまっていた。
「うっ……き、気に入らなければ殺せばいいっすよっ!……で、でも、出来れば短剣を取り戻してからにして欲しい、な……なんて……」
「…………」
沈黙を貫くアンジェに対し、ランスの表情は時間の経過と共に蒼白となっていく。
“母ちゃん、兄ちゃん……僕も今からそっちに逝くっすよ……”と、諦めに心が支配されそうになった時予想外の言葉がランスの耳に入ってくる。
「……この俺相手に其処まで言える奴は珍しいじゃねえか。……良いぜ、短剣を取り戻してやるよ。」
「えっ?……うえぇぇぇぇぇっっ?!」
アンジェの言葉にランスは己の耳を疑い、叫び声を上げてしまう。
「うるっせえな。」
「えっ、だってっっ……え? な、なんで、そんな考えに?」
動揺を隠しきれないランスへとアンジェはニヤリと笑って言葉を続ける。
「安心しな。 もちろん、只でしてやるとは言わねえからな。 交換条件がある。」
「あっ……そ、そうっすよね!」
無条件で己の望みを叶えると言われたならば、ランスはアンジェの真意を疑い続けて神経をすり減らすことになっただろう。
しかし、己の望みを叶える代わりに条件があると言われれば、戦々恐々としたランスの心も和らぐ。
「(……待つっす、自分。 こんなにも強そうな人からの交換条件って何なのか見当も付かないっすよね……もしも、アンジェさんにとっては簡単なことでも、僕では到底出来ない事を求められたら……)」
其処まで考えたランスの顔色は再びどんどんと蒼白となり、冷や汗が流れ始める。
「交換条件って言うのはな……」
「まっ、待ってくだ……」
アンジェの口にする交換条件を己が出来るとは到底思えず、ランスは一旦考える時間が欲しいと言葉を遮ろうとしたが、アンジェは慌てるランスに構うことなく交換条件を口にした。
「…………へ?……そ、そんなことで良いんすか?」
命がけの仕事や、多大な報酬、それが出来なければ盗賊に先頭を切って突っ込めなど、己の身の丈以上のことを要求されると思っていたランスは、拍子抜けした戸惑った表情を浮かべてしまう。
「そんなことって言うけどなあ……十分に難題だと思うがな。
……この俺の話し相手を森を抜けるまで続けにゃならないんだからよ。」
戸惑うランスに苦笑しながらアンジェは告げる。
アンジェが提示したのは、この森を抜けるまでの間だ己の話し相手を務めると言うことだった。
「生まれ故郷を旅立ってから、まともに会話したのはてめえくらいのものだぜ。 何かした訳でもないのによぉ……話しかけただけで怖がられるし、泣かれちまうんだ。」
何とも言えない視線を送ってくるランスから眼を反らし、遠い目をしてしまうアンジェ。
「(……私は普通にしているのに此処まで怖がられることになるとは、正直予想外でした……。やっぱり、村の人達はみんな優しかったんですねえ。 本当に私は産まれ育った環境は恵まれていたとしか言えません。 有り難いことです。)」
しみじみと故郷の有り難さを感じながら、アンジェは心からの感謝の念を心に大切な人達の笑顔を思い浮かべながら贈る。
「……んで? お前はどうする? 俺の提示した条件を呑んで……」
「お願いするっす!!」
逸れた思考を戻し、アンジェが戸惑うランスへともう一度問いかければ、その声を遮るようにランスは跪く。
「大切な形見の短剣を取り戻すために、僕に力を貸して下さいっっ!!!」
戸惑うことはあっても、迷うことはなく大切な物のために頭を下げるランスの姿にアンジェは口角を上げるのだった。




