本編
___彼は、不思議な人だ。
普段はとても無口で、ひたむきに努力を続けている。
しかし、親しい相手にはよくしゃべり、よく笑う。
周りと少しツボがずれている。
ハードルを少し雑なフォームで跳んでいく姿は、部員を魅了する。
廊下ですれ違って挨拶すると、手を振って小さい声で「おはよう」と返してくれる。
部活が自主練習の日にも、彼はグラウンドにやってくる。でも練習はしないことが多い。
彼女は彼を、よく見ていた。
ただ、興味本位で。
知らぬ間に、好きになるとは知らずして。
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京都府立K高校へこの春に入学した香野智生は、陸上部のマネージャーである。
智生は、見た目は可も無く不可もなくといった感じで、性格は裏表の無いバカ正直者。
頭の回転は速く、物事を進めたりまとめたりする事に関しては人一倍うまい。
暗記力も上の中ほどで、成績も学科2位を誇る。
ただ、物凄く不器用でそそっかしい一面が多々あり、何事にも1位になれない。
人間関係を作るのもド下手だ。
このK高校陸上部には、総数26名の部員がいる。
3年生が引退する前までは41名であったが、引退して1,2年生のみとなった今はこれだけだ。
ここの内訳は、マネージャー2名、短距離パート13名、中長距離パート8名、跳躍パート2名、投擲パート1名である。
この短距離パート13名のうち、2名は400mHを主としている。
この400mHを主としている2名のうち、1名の名前を丘高遥という。
智生は、入部してから3ヶ月ほど経ったころ、この丘高に興味を示すようになった。
なんといっても、不思議な人間なのだ。
中学生の頃はサッカー部のくせに、陸上が好きすぎて、陸上に関することは一切手を抜かない。
2年でありながら、3年生に混ざって400mリレーに出場するほどの足の速さ。
ハードルなんか、雑なくせに軽やかに跳んでいく。
中学生から陸上に携わっている智生からすれば、おかしなことだった。
陸上なんか、練習は苦しいわりに結果はあまり自分についてこなくて、それは自分の努力が足りないのだとわかっていながらも、手を抜かずにはいられない。
そんな競技なのに、丘高はそれが楽しいのだとばかりに完璧にやりこなす。
見ているだけで、興味がそそられた。
この人はどんなことを考えて走っていて、どうして完璧にやりこなそうとするのだろう?と、疑問がたくさん頭に浮かんだ。
そんなうちに、智生は丘高をよく見るようになった。
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「今日はK会館行きかな?!」
「いーや、K行きだね。だってもう55分だし。あ、準急きた、あ、もうこれは次の58分だわ」
「まじふざけてるわ、7分までゆっくり歩くし」
「あと3分もすれば着くわ!!」
「私どっちでもいい~」
「こいつやっぱ線路に落とすべきだわ...」
毎日、智生と並んで帰るのは山上久と上ノ内帆乃である。
同じ陸上部員の同級生であり、電車通学組みだ。
山上はT駅で地下鉄に乗り換え(地下鉄に一本でいける電車が来れば、智生が乗り換えしなければならない)で、上ノ内は3駅言ったTB駅で京阪電車に乗り換え。
ちなみに智生は終点までいってJR線に乗り換えである。智生が一番田舎者なのだ。
のろのろと歩き、ホームにたどり着くと、丁度放送が入った。
『3番乗り場に、普通K行きば参ります。危険ですので、黄色の線の内側でお待ちください』
「仕方ない、今日はこっちで我慢してやるか」
「そうだそうだ、私は乗り換えに時間がかかるんでな」
「田舎だもんね」
「関係ねぇよ」
電車が到着し、乗り込む。
約3分前にも電車があったため、車中はそこそこ空いている。
だが3人一緒なため並んで座れる場所はないので、入って置く側のドアの前に集まって立った。
「ねー聞いて、今日森田先輩がさぁ」
「うん、どしたの」
「八野先輩と一緒に矢部先輩にちょっかいかけたの!そしたらさぁ」
先輩大好きな山上の話に耳を傾けながら、智生はふと右を向いた。
そこには、先輩マネージャーの白川梨都と丘高が2人揃って乗車していた。
3人とも気づかず乗っていたため、びっくりした智生は山上と上ノ内に「ね、ちょ、先輩乗ってるって」と、慌てて2人に頭を下げた。
向こうも気づいて、白川は満面の笑みで手を振り、丘高もけだるげに手を振る。
「梨都先輩も乗ってたんだ」
「よかったじゃん、地下鉄一緒でしょ」
「うん、話してもらえるかな~」
「大丈夫大丈夫、梨都先輩優しいから」
電車はTB駅に着き、上ノ内が降車。
5分後にはT駅に着き、山上も降りていく。
「寝過ごさないでね」
「むしろ寝過ごして近鉄路線一周するわ」
「行ったな?やれよ?」
「やらねぇよ、ばいばい」
「ばーいばい」
扉が閉まり、電車が出発する。
終点までは約15分弱ほどだ。ぼーっと過ごすしかない。(携帯は校則で禁止されているため持ってきていない)
そう思ってつり革を掴んだと同時くらいに、こつんこつんと、足音が聞こえてきた。
こんながらがらの車中で誰がこっちに移動してくるんだと横を向くと、真横には大きな壁。
...ではなく、丘高が鞄を持って立っていた。
「え...」
「お疲れ」
「あ、はい、お疲れ様です」
びっくりしすぎて、挙動不審になる智生。
よく丘高を見てはいるが、近距離ではなしたことなど一度もない。
どうしてこのタイミングで隣りに来たのかも分からない。
「今日、葉月も隼人もいないんだ。白川も降りちゃったし」
「あ、あー、そういえばそうですね。先に帰られたんですか?」
「整骨医院だって」
「なるほど...故障してらっしゃいましたね」
どう会話を広げていいのか分からず、とりあえず返せるだけ返して、ふと気づく。
丘高はおそらく、一緒に帰る人がおらず寂しくなってしまい、後輩でもいいからと智生の元へきたのだ。
合点がいって、「なるほどね」と心でつぶやく智生。
と同時に、よく分からない残念感がずとんっと心に落ちる。
「1年大変そうだな」
「まぁ...そうですねぇ。問題児ばっかりで手のつけようがないです。先輩から一発ガツンといってほしいもんです」
「いや、俺が言っても怖くないし...」
「んー、先輩怒ったことないですし、逆に怖いと思いますよ。効果ありです」
「...香野さんって怖いよね」
「えー、どこからそうなったんですか。怖くないですよ、多分」
なんとなく会話らしい会話になってきた頃、終点に到着。
二人揃って降車し、丘高もJR線に乗り換えだというので一緒にJRの改札に向かう。
「丘高先輩は何線に乗るんですか?」
「O線。香野さんS線だろ」
「はい、そうです。田舎の路線です」
「確かに。あー、俺oノ坂峠近いんだ。R西に住んでるから」
「へぇ!あ、あのへんなんですね!...駅近いですか?」
「いや、最寄までかなり」
「大変ですねぇ...」
智生と丘高の家は、近いとはいい難いが、田舎に住んでいる智生にしてはまだ近い距離にあった。
よくわからない親近感がわくが、これは智生によるかってな親近感だ。
親しい人にしか笑わない丘高からすれば、親近感もへったくれもあるいまい。
「そういえば、さっき私のこと怖いっていいましたよね」
「あ、ごめん」
「いやいいんです、確かにどちらかというと怖い気もするので...。」
「自覚してるのかよ」
声音が少し笑ったなと思い、智生は丘高のほうを向いた。
すると、彼は笑っていた。
呆れたように、白い歯をみせて、にっこりと。
「あ、え....」
「それじゃ、おつかれ」
「お、おつかれさまです!」
智生と丘高の路線のホームは真逆なため、改札を入ってすぐ別れる。
「...嘘、笑ってくれた....?」
つぶやいた直後、智生の乗る電車の放送がかかった。
『33番のりばに、折り返し、普通K行きが参ります。危険ですから__』
びっくりと喜びと不思議が入り混じった感情のまま、智生は階段を駆け下りた。
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時は平穏に過ぎ去り、夏休みが終わり、9月に入った。
相変わらず、智生はよく丘高を見ている。
けれど、感情には変化があった。
気になる。ただ、なにか分からないけれど、ただただ丘高が気になるのだ。
興味本位...とは、またちがった、なにか。
挨拶してもらえたら、話してもらえたら、嬉しくって、どうしようもなくなっていた。
智生は、9月の、丘高の誕生日が訪れる少し前に。
「私、丘高先輩のこと好きなんだ...」
___興味本位のそれは、知らない間に、好意のそれに変わっていた。
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智生が自分の気持ちに気づいたのは、とある朝だった。
智生の朝は早い。
6時起床で、6時50分には家を出て駅に向かう。
JR線では約30分ほど電車に揺られ、人ごみの中を吐きそうになりながら近鉄線まで歩く。
近鉄線には約4分ほどで到着し、そこから10分間はお暇タイムだ。
なんせ7時半に近鉄線のホームに着くのだが、7時42分までは電車が来ないのだ。
残念ながら学校の最寄り駅に急行は止まらないので、自然と普通電車にしぼられてしまう。
この10分間の間、暇ではあるが、智生には習慣のようにやることがあった。
それは、丘高を探すことだった。
智生が3番ホームに並んでから少しすると、2番線と4番線に急行電車が到着し、大量に人が降車する。
4番線の急行から降車する人の流れがなだらかになるくらいに、丘高は改札をくぐる。
そこからは智生の観察スタートだ。
まず、丘高は気まぐれなため、急行で先にT駅まで行き、T駅で白川やその他の同級生と、私が乗る普通電車に乗り換える時と、普通電車に初めから乗ってくるときの2つがある。
急行で先に行くときは、必ず前から3つ目の扉から電車に入り、入り口の少し隣くらいに突っ立っている。
普通電車のときは、私が並んでいるところと同じところに並んで、乗車したら電車の隅にこれもまた突っ立っている。
智生としては同じ電車に乗っていたいところだが、6割くらいは急行で先にいってしまう事が多い。
これらの観察により気づいたことだが、丘高は白川のことが好きだということだ。
急行で先に行って後で乗り換えても、普通電車で行っても、最終到着時間は変わらない。
ということは、乗り換えをすることによって何か丘高に利益が生じるということになり、この利益はなにかと考えると、地下鉄でやってくる白川と一緒に電車を待ちたいからというところにあると考えられた。
わざわざ同い年の女の子と一緒に学校に行きたいということは、つまりそういうことなので、智生はすとんっと納得がいった。
その日、丘高はいつもより早い登場だった。
改札をくぐってきた時間は35分くらいで、「珍しく早いな」と心の中でつぶやき、どちらに乗るのかと丘高を追った。
すると、柱と人ですぐ見えなくなり、うわぁと嘆いて数秒後、智生の後方からどすんっと鈍い音がした。
この音は、うちの学校の校則、『置き勉は禁ずる』という鬼畜的なところから生まれた重たい鞄(通称Kバック)を置いたときの音である。
その音が聞こえたということは、K高校の生徒が、智生と同じ列に並んだということだ。
智生は丘高かどうか確認したくて、思わず後ろを向こうとした。...が、丘高を観察していることがバレると智生の社会的地位が底辺まで落ちる気がしたため、ぐっとこらえて電車を待った。
やがて電車が到着し、扉の前まで歩みよると、一部ガラス張りなっているところに後方が反射して、智生以降に並んでいる人々をうっすらと映し出す。
これで見える!!と意気込んだ智生は、じーっとガラスに目をやれば、頭一個分身長が違う人物が突っ立っているのが見えた。
もちろん、丘高だ。180cm手前の身長はそこらの成人男性より高く、分かりやすい。
智生の心が弾んだ。今日はゆっくり観察できる、そう思った矢先。
「智生~!今日は電車一緒じゃーん!!」
「え...」
こちらも智生の後方に並んでいたらしい、学科違いの友人、大川真美が智生に気づいて声をかけてきた。
あからさまにはしないが、内心ものすごくいやな顔をする智生。
なんせ、1人でじっくりと丘高を観察できるものだと喜んだ直後にこれだ、ちょっとストーカーちっくだよねと自負してはいるが趣味みたいなものなので普通にショックである。
「ん、んー、珍しいね。おはよ」
「おっはよ~ん」
2人で電車に乗り込み、入って奥の座席に腰を下ろす。
横に並んでいるタイプの座席なため、奥に座れば乗車する人たちを見ることができるため、必ず智生は奥側に座るようにしている。
もちろん、丘高は乗車してきた。
とりあえず大川は置いておいて、乗車してすぐの丘高を見上げて声を挨拶を交わす。
「おはようございます」
「ん、おはよ」
これもまた、小さくてを挙げて、私に聞こえるだけの声であいさつを返す丘高。
この小さく手を挙げるところがポイントなのだが、本人はたぶん無意識にしているのだろう。
丘高は智生と大川の斜め向かいほどの座席に座り、鞄をずとんっと床においた。
丘高が顔を前へ向けた後、少しだけ観察を開始したが、まったく身動きをとらない。
まぁいつものことではあるのだが、いつみても不思議である。
「今日って智生の学科体育ある~?」
「ん、うん、あるよー。しかもトレーニング」
「うわっ、おつだね」
「ほんとおつだわ」
大川とは学科が違うため体育が一緒にならない。
うちの高校には4つの学科があり、一つの学科に2つずつクラスが存在する。
この2クラスごとに体育や英語、数学は行われることになっている。
大川と話しつつ、ちらちらと丘高に目をやった。
朝のラッシュ時間が登校時間なため、人で直接的には丘高と目はあわない。
私のほうからは見えているが向こうからは見えていない、といった感じである。
だからとてもとても見やすい。ありがたい、人ごみ。吐きそうだけど。と心でよく人間様を拝んでいる智生。
電車が出発し、2,3駅すぎると人が減り、かなり見通しがよくなる。
今までは、ここまでくるとあまり見ないようにしていたが、あの電車で話しかけられた日以来気になって気になって仕方がなくなっていた。
そのため、そーっと、できるだけ丘高が違う方向を向いていそうなタイミングを見計らって視線を移動させる。....が、この日は失敗に終わった。
「あ」
がっつりと丘高と目を合わせてしまった。
慌てた智生はすばやく視線をそらし、大川との会話に必死になる。
やばい、やらかした。見てるのバレたよね、やばいよねこれ、やっちゃった。激しい自己嫌悪の末、もういいわどうにでもなれとでも言うように智生はもう一度丘高をみた。怖いものみたさというやつである。
すると、また目があった。
そして、丘高はじーっと智生を見つめた後、目をそらして、ふっと笑みをこぼしたのだ。
頭の中が真っ白になる智生。大川の話し声もまったく聞こえなくなった。
真っ白になった直後、どうして今笑ってくれたのだろう、どうして見つめていたのだろう、普通目をそらすだろあの先輩なら。なんで?どうして?...どういう気持ち?たくさんの疑問が智生の頭で交差する。
そもそも、どうして自分はこんなにも丘高が気になっているのだろう。目があったくらいでなにを少し、少し...喜んでいるのだろう。心の中までぐちゃぐちゃになる智生。
不意に大川の話し声が耳を駆け抜けた。
「まみさー、好きな人見つけるとすっごい心の中が忙しいの!!わかる!?なんか、うわーどうしよう話しかけようかなてか目あったじゃん!!どうしよ!!やっば!!みたいな?もーね、この気持ちわかってくれる?」
__好きな人を見つけると、心の中が忙しい。
智生のなかで、なにかがストンっとはまった瞬間だった。
あぁ、そうなのかと。
私は、私は。
「智生もそういうのあるよね~?」
智生は、知らぬ間に。
「...うん、ある。あった」
丘高のことを好きになっていたのだ。
「なに、生々しい反応だねぇ」
「すっごい最近の話だからね。生々しくもなるわ」
「なにそれー超乙女!」
興味本位のそれは、好意のそれに、あれよあれよとはや代わりを果たしたのである。
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自分の気持ちに気づいた智生は、珍しく積極的だった。智生なりには。
朝、丘高を見つけたら開口一番に挨拶を交わし、へたくそな笑顔を浮かべた。(智生的には自然体)
...その他はいつもとなんら変わりがなかったが。
それでも、観察の仕方が変わった。
丘高のしぐさをよくみるようになった。全体的な行動というよりかは、丘高個人としての、例えばよく髪を触るだとか照れると笑うだとか服の首元をよくひっぱるだとか。
あ、あと、指がとても綺麗な人だとわかった。長くてごつごつしていて、爪の形がとても綺麗なのだ。
手フェチな智生にはたまらない情報だった。
気のせいかもしれないが、あの目があった日から、丘高が普通電車に乗って登校することが多くなった。
さすがにもう目はあわないけれど、丘高自身たまに智生のほうを見ているときがあったりする。
向こうは多分、「あいつ変なの」といわんばかりの視線なんだろうけれど、智生からすればとてつもない喜びである。最高の進歩である。
そして、丘高の誕生日がやってきた。ちなみに丘高の誕生日が9月27日だということは白川から聞かされていた。というか白川が予定表に書いているのを見ていた。
智生は悩みに悩みまくった挙句、前々日の夜まで悩みまくった。お菓子をつくってあげようか、しかし突然どうでもいい後輩から手作りお菓子なんかもらったら毒でも仕込まれてんじゃねぇのかという具合に食べてもらえないかもしれない。いやそもそもどうでもいい後輩からプレゼントを貰うこと自体やばいことなのかもしれない。
どうしよう、あげるか、あげまいか...悩んだ挙句、智生は市販のお菓子の詰め合わせに手紙を添えて渡すことにした。
お菓子の詰め合わせの内容は、アル○ート・抹茶のクッキー・キャラメル・チョコレートだ。
詰め合わせの内容に関しては大して悩みもしなかったが、問題は手紙だった。
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Dear.丘高先輩
お誕生日おめでとうございます!
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ここから一切進まなかった。
伝えることが無いわけではない。智生自身伝えたいことは山ほどあった。
あなたのフォームがとても好きです、走っている姿がとてもかっこいいです、いつも挨拶を返していただけて本当に嬉しいです、J大会やK大会・体育祭頑張ってください、球技大会も応援しています、丘高先輩の笑顔は私を元気にしてくれます___
しかし、これをすべて伝えるとかなりやばい奴だと自負しているため、一つ、多くて二つにしぼらなければならない。
どれをチョイスすべきなのか、はたまたどれをチョイスしてはいけないのか...恋愛下手の智生にはまったくもってわからなかった。
なんとか書き上げた手紙は、3枚目だった。(つまり2枚没にした)
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丘高先輩へ
お誕生日おめでとうございます!
お菓子の詰め合わせなんかですみません。
私、先輩が走っている姿がとても好きです!
大会や体育祭、応援してます!!
17歳の年、楽しんでくださいね。
香野
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そっとミニ封筒に手紙をしまい、お菓子の詰め合わせの中に一緒に入れ込む。
さあ、明日いつ、どのタイミングで渡そうか。
...なるようになれ、朝が来ればどうにでもなる。
そう考えた智生は、思ったよりすんなり眠りについた。
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いつも通りの登校だった。
けれど、心はそういかなかったらしい。
丘高のルートは急行からの乗り換えであったが、学校の最寄り駅では後姿を見かけ、心臓が跳ねた。
昨日は「まぁどうにでもなるだろハハ」程度の考えで眠りについた智生だったが、世の中そんなあまいわけがない。
タイミングがつかめない。いつ?どこで?どう渡す?脳内をぐるぐるぐるぐる回る。
「ちーーーーせ!!ねえ聞いてんの?」
「あ?ん?なに」
「あ?じゃないってばぁ、人の話くらいちゃんときいてよねぇ」
「聞いてんじゃん、あれだろ、ロシア人に轢かれかけたんだろ」
「どっからロシア人出てきた」
周りの喧騒や友達の話し声などなにも入ってきていないらしい。
とりあえず何かに轢かれかけたという話であることは分かったのでもういいだろう。
時はめぐりにめぐって、早々に放課後となった。本日は45分授業のためなおさら時の流れが速い。
変わらず部活動時間がやってきて、所定の場所(倉庫の入り口)で突っ立って、丘高を眺める。
長い脚はグラウンドの地面を軽やかに蹴って走り出し、風を切っていく。
好きだと意識してからは、走っている姿がことさらに輝いて見えていた。
動き作りの一環であるフロートを終えて、倉庫近くに戻ってくる丘高。
相手は智生のことを1mmも意識していないと分かっていながらも、近くにいる丘高を見ることはできなかった。
「そーいえば今日丘高の誕生日だね!!あとでハッピーバースデイ歌ってあげる!」
「いらない」
「照れんなって」
「照れてないしマジでいらん」
白川は彼氏もちだ。それも中々いけてるメンズである。
しかし、彼女に彼氏だのなんだのは関係なく、友達としてスキな相手とは容赦なくしゃべる。笑う。
きっと、丘高はそういう白川が好きなのだろう。よくしゃべって、よく笑って。つまりは喜怒哀楽がはっきりしている女性が。
残念ながら喜怒哀楽が常人より薄い智生は、落胆せざるを得なかった。
「短距離150のところに移動して~」
短距離リーダーの声で、丘高はのっそりと動き出す。
「いってらっしゃーい」
「ん、」
白川には彼氏がいるとわかっていながらも、むすっとしてしまう智生は、実は嫉妬深いらしい。
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「ねえ、智生。...どうしよう」
「ん?何、どうしたの」
部活の終わり際、先にダウンを終えた中距離パートの山上が智生に寄ってきた。
珍しくせつなめな声音で「どうしよう」などと言われれば、誰だって少し構えるだろう、それにのっとった形で、智生もファイティングポーズばりに構えた。
「今度のJ大会のマイル、出たいんだけどさ、あの2人に頼むのいやで...」
「ああ、そのことか」
マイルとは、1600mリレーといわれるリレーの別名のことだ。
1人400m(つまりトラック一周)を走り、それを4人の選手がバトンを繋げていくという、陸上選手であろうとなかろうとあまり出たくない種目なのだが、たまにこれを「かっこいい!」と言い出し出たがる選手もいる。
その変な選手が山上なわけだが、智生としては結構なことだと思っている。
普通のリレーとは段違いに辛い距離を全力で走り、バトンを繋ぐ。もう青春の一ページ感満載であるうえに、チームからの声援はこの上なく走者を勇者のようにしてくれる。
しかし、K高校陸上部の女子部員はマネージャーを抜いて6人。
このうち1人は跳躍パートなためリレー系には首を突っ込めない。
あとの5人、山内を抜いて4人はすべて短距離パートなのだが、2年の女子部員は足を故障しているためリレーに出ることができない。
すると残りは3人、この3人はすべて1年であり、体力もまだまだということもあってマイルに出ることを雰囲気として拒んでいた。
智生としては中距離パートの晴れ舞台に手をかしてやってもいいんじゃねぇのかと言った感じなのだが、どうもこのうち2人にその気はさらさらないらしい。
1人は「まぁ...いいけれど」くらいで、直接的に拒んでいなかった。この1人は上ノ内のことだ。
「いやとか言ってる場合でもないんじゃない?出たいなら説得しないと。...まぁでも、とりあえず先輩に相談してみるのがいいんじゃないのかな、あいつらそれでなくても問題児なわけだし、少し先輩にも考えてもらわないと」
なにかと問題を起こしまくりな女子部員が3人いるのだが、最近また行動が目に余る。
そろそろ報告しとかなければこちら的にやりにくくなるのは間違いない。
「そうだね...智生もいてくれるよね!?」
「あーはいはい、いますよ帆乃もつれて見守ってあげる」
「ありがとおおお!!」
ハグはいらねぇ離れろと山上をぐいぐい引き離していると、丁度キャプテンの声が飛んできた。
「ミーティングするから並んで!」
キャプテンの声に、部員一斉に足早に動き出す。
森のくまさん(可愛くない)のような顧問(以下、太田とする)の周りに集まり、太田を交えた円となる。
ミーティングの内容は簡素なもので、長話が嫌いな太田は事務連絡と気まぐれな話をして終わる。
ミーティングが終われば、グランド整備に入り、マネージャーは倉庫の片付けとなる。
「はい、じゃあ終わろうか」
『ありがとうございました、失礼します』
深々と頭を下げた後は、部員それぞれ散り散りとなる。
「梨都先輩」
「はーい?」
「ちょっといいですか?」
白川を呼び止め、マイルと問題児の1年について相談があると告げると、「じゃあグラウンド整備が終わったら、葉和と深下と丘高呼ぶわ!梨都も一緒に聞くね」と手っ取り早く段取りをしてくれた。
グラウンド整備が終わり、召集をうけた3人は倉庫の中に吸い込まれる。
他の部員が粗方帰ってから、白川がいつも通りのテンションで話を始めさせてくれる。
「久ちゃんと智生ちゃんから相談事だって」
「相談?またあの1年ども?」
少し口の悪い深下は心底「またかよ」といった表情を前面に押し出した。
「あ、すみません。そっちももちろんあるんですが、マイルのご相談が...。山上」
「は、はい。J大会でのマイルのことで...」
まさかマイルの話が出るとは思わなかったのか、3人は顔を見合わせた。
「私、マイルに出たいんです。先輩方が走っているの見て、とっても出たくなって。けど、あの2人は出る気なさそうで、どうしたらいいかわからなくて...」
切実な悩みだった。
智生は選手登録をしていないため出てはやれない。心苦しいことこの上なかった。
「んー...そうだなあ。傍らは足も早いし体力もあるしでマイルにぴったりなんだよなぁ。けど出る気がないと。もう傍らはそもそも元気っズのくせに体力もない足も大したことない、出る気も無い。...悪条件だなぁ」
深下がうーんとうなる。
うなる深下の隣りで、葉和がおだやかに言った。
「人が集まらないなら仕方ない。...きっと、俺らが「出ろ」って言えば二人は出ると思うよ。上ノ内さんだって出るだろう?でもそれは俺たちの押し付けであって、本当に出たいっていう気持ちが無い。そんな中途半端な気持ちなやつらと一緒に走るのは、山上さんも気が進まないんじゃない?」
まったくの正論だと智生は頷いた。
中途半端に、「仕方ない、言われたから出てやるわ」という状況で出場したところで、なにを手に入れられるのか。
勝利なんてもってのほか、それ以外にも本来なら学べることを逃してしまうだろう。
葉和は山上をみて、ほがらかな笑みを浮かべた。
キャプテンらしい、頼りがいのある笑顔とも言う。
「...でも、でも、出たいんです...」
「久、久だって中途半端な気持ちで出たくないでしょ?まだK大会だってあるわけで、言ったら私たちはあと1年チャンスがあるわけだよ」
「だって!!だって諦めたくない。...あの2人に負けたみたいですっごくいや!!」
ただのわがままだ。智生の心は少しむかっとした。
確かに、向こうの意思に従って、「はいやめます」といっているようなもんだとは思う。
しかし、それも仕方の無いことだ。人の気持ちをどうにかできるかと聞かれたら、変な魔術師くらいしか「できます」なんて言わないだろう。そういうことなのだ。
それはただのわがままだろ、そう山上に告げようとした時。
「山上さん。俺は、それをただのわがままって言うんだと思う」
穏やかに、けれど突きつけるように___丘高は告げた。
山上は丘高を見上げて、唇をかんだ。図星であることは自分でもわかっているのだ。
ただ、プライドが、負けたくない!という気持ちを強くしすぎて、わがままを生み出してしまった。
「ちょ、丘高!!そんなこといわないであげてよね!?」
「いや、だって...遠まわしの言い方したって、伝わらないだろ」
その通りだ。人間そんなに賢くないのだから、率直に言ってもらわないと分からないこともある。
「そりゃ、まぁ...それでも!!」
「り、梨都先輩!大丈夫です、仰る通りです。...でも、やっぱり、諦め悪いみたいだから、ちゃんと話し合ってみます」
山上は決意を固めたように、白川率いる先輩4人に頷いた。
「おーーい丘高ぁ~~!俺がうーんって!うーんってうなった意味!!考える隙をくれよ!!」
「丘高は言うとき言うよね、いいと思うよ、腹立つけど」
「なんで俺褒められないの?」
深下と葉和は、笑いながら丘高をちょびっと罵倒した。
「久ちゃん、話し合いもまとまりそうになかったらまた言ってね?いつでも相談乗るからね」
「はい、ありがとうございます」
山上は深々と頭を下げる。
マイルに関しては、それなりに平穏に行くだろう。
「さあ、お次はなにかな~」
「あ...えっとですねぇ」
問題児1年(と呼ばれている1年4人)の話に移り、近頃の悪事をつらつらと並べ立て、
「ほんと、あの人たちにガツンときれてやってください!!!」
智生は大音量で訴えた。
おだやかな顔をして聞いていた葉和でさえ驚いていた。智生が大声を出すのが珍しかったのだろう。
「香野さんも苦労してるなぁ...わかった、まかしとけ、俺がきれてやるよ!」
「いややめて?深下きれたら収集つかない」
「ひどい。俺泣いちゃう」
ちゃかし半分、真剣半分で、問題児に関しての相談も幕を下ろした。
そこから30分ほど、問題児に関して雑談を踏まえてしゃべり倒した後、帰宅時間を知らせるチャイムが学校に鳴り響いた。
「さ、そろそろ着替えて帰るか」
「しゃー、あ、3人とも待っててよね、梨都も一緒に帰るから」
「はいはい」
「お疲れ様です~」と1人1人の先輩に告げながら、智生の頭はフル回転していた。
というか、今まで忘れていたことが頭の中に戻ってきてパニックになっていた。
完全にプレゼントのことを忘れていたのだ。山上のことや問題児のことで頭がぱっかぱかーだった。
更衣室にはいり、白川にも「お疲れ様です~」と感情移入しないまま声をかけ、制服と鞄をロッカーからひっぱりだす。
鞄をざざっとあけて、プレゼントを凝視した。
__どうしよう。本当にいつ渡そう。
智生の焦りはハンパではなかった。
とりあえず制服に着替えてしまおうと、心をできるだけ落ち着かせながら制服に着替え、練習着を袋の中にしまう。
すると、外からわいわいと話し声が聞こえ、その中に深下の笑い声を見つけた。
...これは、これは。
男子が更衣室から出てきたんだ!!
今しかない、瞬時に決心した智生は、山上・上ノ内・白川に気づかれないよう、平然と立ち上がり更衣室を出た。もちろん、プレゼントを両手で握って。
更衣室を出ると、どんぴしゃ、深下・葉和・丘高がもう着替え終わって外に出てきていた。
誰が鍵を体育職員室にもっていくかでわいわいとしていたらしい。
更衣室から出てきた智生に初めに気づいたのは、葉和だった。
「あ、おつかれさ~ん」
軽やかな労いの言葉に、「おつかれさまです」とできるだけ平然を装って返す。
葉和の反応で深下と丘高も智生に気づいた。
__本当は、丘高だけ呼び出して渡してしまいたいと思っていたが。
智生はまた決心した。よし、もう渡してしまおう。
ええーい、どうにでもな~れ!!完全に諦め状態である。
「あの!丘高先輩!」
「え、ん?」
急に呼ばれて、丘高は「なんだおい」というように首をかしげた。
丘高の下に歩みよって、プレゼントを差し出す。
「あのっ、お誕生日おめでとうございます。しょうもないもんですみません、よければどうぞ...!!」
物凄く早口でまくし立て、丘高の大きな手のひらにプレゼントを押し付ける。
数秒、ポカーンとしていた丘高だったが、次の瞬間には、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう...!うわ、嬉しい...」
はじめてみる、智生への満面の笑みだった。
数秒、いや、0.0001秒ほどだと思うが、思わず見とれてしまった。
「うーわ!丘高なんかにいいのかよ~?香野さんいい人!」
「感謝しろよ~丘高」
「わかってるって、ほんとありがとう」
改めて御礼を告げられ、焦った智生は、「いえいえいえいえいえ!!お、お疲れ様でした!!」とまた早くて謙遜と労いの言葉を発して、更衣室に逃げ帰った。
更衣室に入ると、外からは相変わらず3人の笑い声。
__よかった、喜んでもらえて。
自然と笑みがこぼれた。いやな顔をされないだけで満足だと思っていたが、まさか満面笑顔までも拝めるとは、今日はとても運がいいらしい。
「さ、かえろ!」
山上と上ノ内に声をかけると、「いやお前待ちだわ」とそう突っ込みをいれられ、いそいそと荷物を鞄に詰め込む。
この世にこんな重い鞄もって登校する女子高生いるの?と異論を申し立てたくなるKバックが、少しだけ、ほんの少しだけ軽く思えた。
---*----*----*----*----*----*---
次の日の朝、丘高の進路は急行からの乗り換えだった。
急行に乗っていく丘高を見届けながら、なんとなくうきうきとした気分を抑えられない智生。
もしかしたら、昨日ので何か関係が変わってくれるかもしれない。そんな期待からのうきうきである。
「智生おはよーう」
「おっはよ」
大川のあいさつにいつも通り答え、またひたすら電車を待つ。
なんにも心配なんてものはなかった。
なんにも、今は。
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学校に着くと、丁度2階の廊下で丘高と鉢合わせをする形となった。
2階にある職員室に用がある丘高と、職員室とは真反対の位置にある生徒指導部に向かう智生。
職員室につながっている廊下と生徒指導部につながっている廊下は字型で、Lの一番上の先端に職員室、はねた先端に生徒指導部、といった具合だ。
前から歩いてくる丘高に、心臓をばくばくさせつつ、いつも通りにっこりと笑いながら挨拶をした。
「おはようございます」
このあと、丘高は小さな声で、手を振りながら、「おはよ」と優しい声音で返してくれる。心なしか表情をやわらかくして。...本来ならば。
「おはよう」
__しかし、今日の丘高は違った。
手は振らず、小さな声は変わらないが、表情も無表情のまま、ツンッとしたあいさつが返ってきた。
「...どうして」
確かに、丘高との関係が変化することを願った。
けれど、こんな変化は、一度も望んだためしがない。
ただ機嫌が悪いだけかもしれない。...だが、智生には、どうしてもそうだとは思えなかった。
丘高の態度についてしか思考がまわらず、回れ右をして教室へ戻る。生徒指導部には昼休み行くことにした。
教室に戻って自席に座り、ごつんっと額を机につける。
___きっと、昨日の手紙のせいだ。
プレゼントに関してはきっと、きっと純粋に喜んでいてくれた。
だが、手紙の内容。あれは丘高の許容範囲的なものを超えていたのかもしれない。
『好き』という単語が出てきたからか。そんな気がした。むしろそんな気しかしなかった。
いや、そもそも手紙というものが丘高的に邪魔だった可能性もある。
なおさら落ち込む智生。もう前には進めないと確信した。
「香野おはよー」
苗字つきでの挨拶が聞こえて、仕方なく顔をあげる。
ショートカットにしてから2ヶ月経ち、結ぶほどではないがそれなりに伸びた髪は、貞子かと突っ込みが入るように顔を隠した。
「おはよ」
「こえーよ、髪をのけろ髪を」
「髪のけても恐ろしいほどブスな顔だけど大丈夫?」
「あー遠慮しとくわ」
「遠慮すんなよ存分に怖がれ」
「ひいい!恐ろしい!!」
「私の守護神に呪われろ」
悪態をつきつつ、会話がショックを和らげてくれた。
挨拶してきた本人、十河雪子(断じて男である)に少しだけ感謝をする。
「で、なんで朝からテンション低いわけ?」
「眠いの、寝不足」
「昨日何時に寝たんだよ」
「10時」
「いいこじゃねぇか!お前何時間睡眠してんだよ!?てかそんなけ寝てんなら身長伸びろよ?!」
「のびねぇから困ってんだよふざけんなノッポ!!」
適当な言い訳をした矢先に嘘をつけないという欠点から墓穴を掘ってしまった。
加えて身長のことまで口を出されてはたまったものではない、こいつは成敗するべきだ。本気でそう考える智生。
思考が少しだけ回り始めたようだ。
「で?で、でで、ほんとにどうした」
「べっつにー、なーんもない。ほんとに寝不足。睡眠の質がよくなかったんじゃない?」
「ふーん...まぁ、それならいいけど。倒れんなよ」
「安心してください、倒れませんよ」
「やめとけ」
某ピン芸人の真似をしてみたが、笑顔が引き攣っていたらしい。ムリをするなと言わんばかりの表情を向けられた。
やめとけ、の直後に授業始まりのチャイムが鳴り響き、十河も自席へと小走りに帰っていく。
騒がしかった教室が少しだけ収まった。
3分ほどしてから1時間目(簿記)の先生が小走りに教室に入ってくる。
「はい、遅くなりました。きりーっつ」
おっさんのくせして常にテンションの高い簿記担当の先生は、走ってきたせいで暑いのかスーツのじゃけっとを無造作に脱ぐ。
「日直お願い」
「気をつけー、礼。...お願いします」
『お願いします』
着席、の合図はなしで各々腰を下ろす。
智生も例外ではなく、のっそりと腰を下ろして、簿記の問題集をのっそりと開いた。
「はい、じゃあ昨日の続きからいくぞ~」
なんの雑談もなしに、淡々と授業が進んでいく。
数学と科学以外、特に苦手は教科が存在しない智生は、ぼけーっとしながらも電卓をたたいて答えを書き込んでいく。隣りの席の男子がうなっているためちょくちょく助言をしながら。
50分の長い長い授業の5分前、後ろからトントンと肩をたたかれた。
「ん?」
「これ、十河から」
なぜか全体的に仲のいい智生のクラスは、男子生徒から女子生徒に手紙が回っても、仲を疑う人間は少ない。
特に、智生の真後ろの席の岡本直樹は、むしろ智生と十河の仲がなにか恋愛的な関係にならないかと期待しているほどだ。
不謹慎な野郎だと毎日1回はののしっている。
「ラブレターだったらいいのに...」
「ありえないだろ、おい」
「ありえてくれよ、俺はそういう、」
「岡本~、集中しろよ~あと3分~」
「は、はーい...」
注意を受けしゅんっとなった岡本に「ざまああ」と小声で言った智生は、背中をシャーペンと言う凶器で刺された。
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相変わらず、時は足早に進んでいく。部活動時間となった。
いつもなら軽やかな足取りが、今日はとても重い。足に重りでもついているかもしれない、本当にそうならどれだけ楽だろうと心の中で嘆く智生。
「あ、智生ちゃ~ん」
「梨都先輩、こんにちは」
「こんにちは~!今日はやけにゆっくりだねー、体調悪い?」
常に猛ダッシュで更衣室に向かっている智生を見ている白川は、とぼとぼと歩く智生を心配する。
「いえ、そういうのじゃないですよ!超元気です!」
「そう?ならいいんだけどね、ムリしちゃだめよ」
「はーい、ありがとうございます」
白川は、智生に甘く優しい。直々の後輩ということもあるが、陸上部というくくりの中で一番聞き分けのいい智生であるため、知らないうちに甘くなっていた。
着替えはいつも通り猛ダッシュで着替え、ダッシュでグラウンドに出る。
とぼとぼ歩いていたため、山上や上ノ内は先にグラウンドに着いていた。
マネージャーの定位置である倉庫にタオルや水筒を置いて、倉庫周辺の準備や掃除を始める。
「樋山、手空いてる?」
「........(頷いている)」
同級生の樋山太一は、ほとんど声を発さない。...否、発してはいるらしいが小声すぎて聞こえない。
そのため頷いたり、首を振ったりと動作的返事が多いタイプである。
初めは「めんどくせえな」と思っていた智生だが、半年も経てば馴れてきて、もはやそれが樋山のデフォとして成り立っている。
「じゃあそっちもって、ほい、せーの、ういー、あい、おっけ、ありがと」
「.....(手を挙げてぺこっと頭を下げる)」
微かに何か聞こえた気がしたので多分なにか言ったとはずだが、何も聞こえずとりあえずにこっと笑ってその場から退散する。
倉庫の中に入り、アイシングパックとバケツを準備し、ホワイトボードとメニュー表を机に出す。
ホワイトボードを出した直後、ぱたぱたぱたと足音が聞こえ、グラウンドに白川と丘高と葉和が姿を見せた。
「...こんにちは!」
「こんにちは~」
「こんにちは」
「ん」
丘高のことは見ないように、できるだけ葉和と白川を見て挨拶を交わす。
丘高自身も智生に目を向けないようにしていた。
「あ~!いつも準備ありがとうね~!」
「いえいえ、滅相もございません」
白川と話しつつ、気にしないようにしていた丘高が倉庫に入ってきた。
思わず体ごと外に向け、「私はあなたに1mmも興味がございません」と心の中で無理やりつぶやく。
自分の嘘に胸が痛くなった。
「アップするし並んで~!」
『はーい』
粗方部員が集まり、キャプテンの声でアップがはじまる。
丘高も例外ではないので、アップのスタート地点に走っていく。
「いってらっしゃ~い」
白川の声に反応した丘高は、右手をひらっと振る。
胸がギューーーーーッっと締め付けられ、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえる智生。
「智生ちゃん?」
「は、はい?」
「どしたの、ほんとに今日元気ないね」
「そーですね?あーあれですかね、寝不足だからかもですね」
「あらぁ、昨日何時に寝たの?」
「10時です」
「んー...そうね、寝不足はありえないよね」
昼も同じような会話を誰かとした気がするが気にしないことにした。
アップから帰ってくる丘高を眺める。
遠くからだと目もあわない、智生が見ていることも気づかれない、素晴らしい状況である。
現状に甘え、いつも通り丘高を眺めた。
智生に向けられる笑顔は、もう一生ないのだろう。
考えても仕方の無いことを、頭の中でぐるぐるさせて、ひたすらショックを受けた。
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部活動時間のうち、8割はボーっと空を眺めた。
あと2割は丘高を遠くから眺めた。
智生は、なんとつまらないしょうもない時間なのかと、自分自身に腹がたっていた。
「智生ちゃん」
「へ、あ、はい?!」
白川に呼ばれ、驚いて視線をおろす智生。
「大丈夫?ほんとに具合悪くない?」
「あ、いえいえ!ほんとに何もないです!なんか今日はボーっとしちゃって、なんですかね、アハハ」
「なんかあった?」
「何か...あー、漢字の小テストで満点採れなかったからですかねぇ、いやあ私の心小さいなぁ!」
残念ながら演技がへたくそな智生は、白川によりいっそう心配されたが、なんとか取り繕い片付けの時間までボーっとすることができた。
ストレッチ場所を片付け、アイシングパックの中の氷を一通り流して干して、ホワイトボードとメニュー表を片つける。
机の真ん中まで移動してきていたティッシュも片つけようと手を伸ばした時、その隣りから長い手が伸びてきた。
「あ、」
「ごめん」
手の主は丘高で、このティッシュを移動させたのも丘高らしい。
ティッシュを三枚とって鼻をかみ、自らティッシュを元の場所に戻した。
どうも、智生の世話になるのがいやなのかもしれない。
よりいっそう心の傷をえぐられた智生は、無意識に丘高のほうを振り返った。
振り向くとは思っていなかったのか、丘高は少し驚く。
「...お疲れ様でした」
ぽつりと、小さく声をかけて、水筒とタオルと手帳を掴み挙げて倉庫から退散した。
なんとなく、丘高が智生の背中を追っていた気がしたが、それにどんな意味があるのか理解しがいものだった。
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「あ、香野さん!」
「え?あ、はい?」
山上と上ノ内と更衣室へ戻る最中だった。
智生を呼ぶ声に、3人共が振り返る。
「あれ、島野、どうしたの?」
智生を呼んだ声の主は、同じクラスの島野平祐だった。
入試の日、一緒に面接を受けたのがこの島野と上ノ内で、上ノ内はあまり印象になかったが島野は、やけに古めかしい名前だったため少しだけ濃い印象となっていた。
まさか同じクラスになるというオチを受けるとは思いもしなかったが。現在進行形で隣の席である。
少しぽっちゃり体型なため、テニス部所属と聞いたときは本気で面食らったことをよく覚えている。
「智生~先帰っといたほうがいい感じぃ?」
「うるせえ。まぁ、そうだね。先帰っといて」
「はーい、じゃあ~ねん」
「はいはい、また明日」
山上と上ノ内は空気を読みましたとばかりに更衣室へ退散していく。
智生としては、「空気もなにもただ呼び止められただけだから。というか早く内容話せよ」という感じである。
丘高のことで少し気がいらだっているのだろう。少し自制しようと浅く息を吐き出す。
「えっと...こっち、きてもらえたりする?」
島野が指差した先は更衣室の裏手側だった。
なぜそんなところへ行くのかわからず、思わず首をかしげる。
「え?そんな内密な話なの?」
まだまだ日は長いため、周りが暗いということは無い。が、さすがに男とマンツーマンで更衣室の裏でお話とはいただけなだろう。なにせ、更衣室の裏は本当に人がいない。ついでにこの裏に入るには植木をわけて入らなければならない。用務員のおじさんはなにをどう考えてここに植物を植えたのか。意味が分からない。
智生の前者の思考に気づいたのか、島野は苦笑いを浮かべた。
「まぁ...内緒話みたいなもん。そんなに時間取らせない、と、思う」
どえらく自信なさげな最後だったが、智生は「ん、まぁいいよ」と更衣室の裏へ足を向けた。
智生の心情としては、早く帰りたいという気持ち4割、あと6割は、島野の10m後ろに丘高の姿を見つけてしまい、はやくどこかへ逃げたいという気持ちだった。
がさがさと植木をわけて更衣室の裏手へまわる。日があまりあたらないため、薄暗くじめじめとしていて、少し気持ち悪い印象をあたえた。
「んでどしたの?」
「あ、えーっと...。その」
ほぼ仁王立ちする勢いで立っている智生に慄いているのか、言葉を発せずにいる島野。
どうにかしてやりたいが、智生は今から何が起こるのかまったく分かっていないため、首を傾げるしかない。
「島野?」
「....香野さんは、十河と仲いいよな」
「え?あー、まぁいいのかなぁ。十河誰にでも優しいから話してくれてるって言うのもあるけどね。それがどうしたの」
「....十河のことが、好きとかじゃないの?」
「好き?!あー、あ?好き、すきねぇ~...違うなぁ、あれは違うなぁ。なんていうの?男女間に友情は芽生えないって言うけど、十河との間にはむしろ友情しか芽生えないっていうか」
「岡本は?」
「岡本~?!ないない!!むしろアイツ私と十河の仲がどうにかならんかと細工しようとしてるからね。なにを細工するかはご想像にお任せるけども。だからまぁ一番ないわ」
確かに、十河はなかなかの男前で、結構なモテっぷりを発揮している。
岡本はちょっとお洒落的なセンスが欠けているためモテるとはかけ離れているが、愛されタイプといった感じだ。
だが、それに智生もあてはまるかと言われれば、結局は人それぞれであるためあてはまらなかった。
「そ、っか...。じゃ、じゃあさ。...好きな人とかいる?」
まさかの質問に仰け反りそうになりつつ、自分の上半身を押さえ込む智生。
「えー、あー、うーん...好きな人、好きな人ねえ...」
今日今さっき午前中に失恋しましたどうもこんにちは、とは言いにくい。
むしろ自分の傷を自分でえぐるようでとてもじゃないが言う気になれない。
「いるけど、まぁ...かなわぬ恋ってやつ?どーしようもないっていうかぁ~」
ちゃかしながらも、智生の頭はぐるぐるとまわる。
ほんとうにどうしようもなかった。智生にはこのどうしようもないことをどうにかする道具もなければ、元手もない。
「じゃ、あさ。...俺と付き合ってみませんか」
「....あ、....え?」
瞬時に起こったことが把握できず、呆然とする智生。
島野は2,3歩、智生に近づいたようだが、それに反応することもできない。
「俺、香野さんのことが好きなんだ。いつもいろんなこと教えてくれるしっかり者で。そのくせにたまに抜けててさ、可愛くて。....俺じゃダメかな」
ダメかな、ではなく、わけがわかっていない智生である、返事は到底返せない。
というか声が出なくて困っていた。
「香野さん?」
「あっ、ああ...あの、えと...。そ、の、返事は、おち、おちついてからでも、よろしくって...?」
完全にキャラを失いつつも、なんとか声を発する智生。
島野はそんな智生に、目を細めて優しく微笑んで、「うん、もちろん。ゆっくり考えて」と返事する。
「そんな急に返事もらえるなんて思ってないよ。むしろ突然だったのに聞いてくれてありがとう。...それじゃあ、また、明日」
はにかみながら小さく手を振って、島野は先に植木をかきわけて去っていった。
いまだ収拾のつかない智生は、その場から動けず、そのまま更衣室である建物の壁によれよれともたれかかった。
「嘘でしょ....。どういうことだこれ」
完全に色々と迷子になってしまった智生は、 ぼそっとつぶやく。
なにもかもが突然すぎて、思考が追いついていない。
今何を考えて、どうすればいいのか、まったく分からない。
とりあえず更衣室に戻ってどうにかしようと、壁から背中を離そうとした直後であった。
「香野?」
「はい?!あ、」
智生が考え込んでいる間にがさがさと植木を掻き分けていたため音が聞こえなかったが、いつのまにか十河が植木のすぐそばに立っていた。
「な、なんだ十河か...びっくりさせないでよ~...」
「ごめんごめん、いや、島野がこっから出てくんのたまたま見かけてさ。...なんかあった?」
十河は智生の隣りまできて、一緒に壁に背中をつけた。
どうやら話し相手になってくれるらしい。
「んー、ちゃかさない?」
「事と場合による」
「それだめなやつ、信用できないやつ」
「嘘だよ、んないかにもグロッキーな顔面してるやつちゃかしたらどんな嘔吐物がとんでくるか」
「ほんと失礼だな!!!...まぁいいんだけど、確かにグロッキーだからぁ」
いつも通りの会話をすると、少し緊張が和らぐ。
十河には智生を落ち着かせる力があるのかもしれない。ただ十河の話し口調やテンポによるものだが。
「で?どうした」
「...単刀直入に言おう。....あーーー、あはぁ~~....」
「なんだよ!単刀直入に言えよ?!言葉に意味見失ってんぞおい」
「だ~ってさ~...ほんとに何も言わない?いや何も言わないってのは逆に困るんだけど」
「どっちだよ。いいから言ってみろ、楽になるぞ」
手のひらを上にむけて、指をちょいちょいとまげて挑発する十河。
なぜか腹立つ挑発だったため「ふん!!!」「いってええ!!」手のひらにグーパンチをかましておいた。
「ててて...」
「...あのね。島野にこ、こく、告白、された」
「ほんとに単刀直入だな。まあ予想通りで安心した」
十河はその場にしゃがみ込み、智生を見上げてにっこり笑った。
「予想通り?」
「島野の視線とか行動とか見てたら予想くらいできるよ。まあ見られてる本人じゃ気づけないのも当たり前だけどな。まさか今日告白するとは思っても見なかったけど」
やれやれと、両腕をぷらぷらとさせる十河。
そんな予想をされているとは夢にも思っていなかった智生は、ぽかんと口をあけていた。
「口を閉じろ口を。とりあえず、島野ってめっちゃピュアだからさ、その告白に嘘はないと思うよ。だから率直に智生の気持ちを伝えてやってくれ、きっとそれで振られたとしても『ありがとう』って言って笑うよ、あいつなら」
智生の不安要素を一つでも消そうと尽力してくれているのだろう。
十河の表情はどこか我が子見つめる父親のような穏やかさだった。
その穏やかさに、智生の思考と心はなんとか正常に稼動し始める。
「うん、....そうする。もうちょっと、気持ちの整理してから」
「そうそう、まあゆっくりでいいんじゃないの?島野のことだから「ゆっくりでいいよ」とかいっただろ」
「よくわかったね、そのままそっくり言われたよ」
「だろうな、優しさ溢れるというか、保守的というか。...俺だったらもう少しがっつくかなって感じだけど」
思案顔の中に少しだけ黒い笑みを垣間見た気がするが気のせいだろう。
「一応聞くけど、今の心情としては?島野のことどうなの」
「うーん...嫌いじゃないし、むしろ友達としては普通より好きだよ。ほんと素で優しいし。けど、付き合うとかってなると、やっぱ違うよねぇって感じ」
「そっか。...そうかぁ」
「なにその意味深な頷き。」
「いーや、...香野、もしかして好きな人いんの?」
今の智生にとって、痛い話だった。
丘高のことが嫌いになったわけじゃない。それは自信をもって言える。
だが、丘高が智生のことを嫌ったとなれば、自分が丘高を好いていることが丘高にとって不利益となりえるわけだ。
だから、安易に好きだといっていいのか、わからなくなってしまった。
「....いるよ、うん」
「そう、か。じゃあ、そりゃ島野への返事はごめんなさいになるよな」
「うん。...島野には本当に悪いけどね」
島野を傷つけない、きちんとしたお断りの返事を考えよう。
ムリかもしれないけど、ちゃんと友達に戻りたい。
「帰るか」
「うん、そうだね」
智生と十河は、そろって植木へと歩く。
がさがさと植木を掻き分けて、更衣室の表へ戻ってくると、それまでは割りと人通りのあった更衣室前も静かになっていた。
「人いなくなっちゃったなぁ。思ったよりあそこにいたんだね」
「ああ、まぁ俺が校舎から出てきたのが5時で、今6時前だからな」
「あらまぁ。...あれ?ねえ、なんで十河更衣室の近くにいたの?校門と逆方向だよ、ここ」
マズいことを聞いてしまったのか、十河の目が泳いだ。
しかしマズいことが何か分からない智生は首を傾げる。
「んーあー、えーっと、ほら、あれ、鯔上に用事あってな!たまたまこっちに来たってわけ」
「あ、なるほど。十河は鯔上に優しいよねぇ、私あいつとは絶対しゃべらないって決めてるんだけど」
「それはそれで強情なもんだな、まあスキじゃないけどな、どちらかというと嫌い」
鯔上というのは、同じ学科・クラス・部活のガタイのいい男子生徒のことだ。
まったくといっていいほど周りの空気を読めないタイプなため、クラスを超えて他クラスや他学年にまで嫌われている所謂嫌われ者である。
「んーなこといいから早く着替えてこいよ」
「え、待っててくれんの?やっだ優しい十河くん!!」
「お前は切り替えが早いのか遅いのか。はいはい優しい十河くって無視かよ!!」
十河を無視して更衣室へと智生の小さな背中が消える。
ふーっと、更衣室前から大きなため息がもれたが、風の音にかき消された。
----*---*-----*----*----*----*---*---
「十河ーいいの?反対方向だよ、駅」
「いいよ、今日は塾ないし」
「ありがとうねぇ~」
十河は自転車通学、智生は電車通学なため、校門を出てすぐ2人は別の方向へと帰っていく。
「それで?智生の意中の相手って誰なわけ?」
「なにがそれで?だよ、なにも話繋がってないわ」
「いーじゃん教えてよ、ほらぁ~告白を共有した仲だろ?」
「なんの仲だよ調子のんな」
言ってなにに差し支えるか分からない。
もしかしたら十河が誰かに口をすべらせて、丘高の耳に入ってしまうかもしれない。
丘高が智生のことを良く思っていないのなら、それはとてもマズい。
「誰にも言わないよ俺、こう見えても口は堅い方だから」
「ホントに言ってんの?岡本に3秒くらいで流れそうなんだけど」
「アホか、岡本に流れるなら0.5秒」
「やめろおい」
カラカラカラと、自転車のタイヤの音が、田畑の景色に響く。
空には太陽が半分ほど顔をだし、濃いオレンジ色に染まっている。
さえぎるビルや建物がまったくない駅までの道は寂しくもあり、趣深い。
「なぁ」
「んー?なに?」
「その好きな人に告白すんの?」
「えぇ~、うーん。...しない、かな。多分その人から嫌われてるんだ、私。だから私が告白なんてしようもんなら、その人この世の終わりのような顔して逃げちゃうかも」
「そこまで嫌われてて好きってどういう神経してんだよ」
「あー...なんでだろう。でもーなんか、ずっと見てたからかな。その人のいいところも悪いところもたくさん見てきたから、簡単に諦められないんだと思う。しつこいよねほんと」
爽やかに笑い飛ばす智生の表情は、笑っているのに泣いていた。
十河はふと、朝の智生を思い出す。
「...そっか、まぁそれはそれでありなんじゃないって思うけどね。人間だれでもしつこいもんだよ。...ただ、もしかしたらそうやって嫌われてるのは一過性のものかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だから、諦めるのが少し早い気もするな」
「一過性、かぁ...」
一過性であるにしても、何故そう...何故、避けられるようになってしまったのか。
考える込む智生の方をぽんっとたたき、十河が歩みを制した。
智生を真正面に見据え、十河は呆れたように、けれど優しい表情を向けた。
「島野に断りの返事してから、その人にアタックしてみなよ。フラれたら俺が優しく慰めてやる」
十河の細長い腕が、智生の頭に伸びる。
優しく3つ叩いて、ゆらゆらと揺さぶる。
「十河...?」
「あ、そーいや俺今日弟迎えに行くんだったわ!ごめん駅まで送れない!」
自転車にまたがって、慌しく言葉を並べる十河。
それはどこか照れを隠すようで、智生は、泣きそうになりながら笑った。
「うん、いいよ。...ありがとう、また明日」
「あいよ、また明日な」
十河の表情はどこかすっきりしていて、ついでに智生の表情も、どこか吹っ切れていた。
さあ、逃げずに頑張ろう、心にそう誓う智生。
「ありがとう、十河」
----*----*---*----*----*---*---*---
告白されてから一週間後、島野に断りの返事をした智生。
「ごめん、島野。私ね、好きな人がいるんだ。だからごめんなさい」
深々と頭を下げる智生。
島野はどんな表情をしているのだろうか。少し、怖くなる。
「ああそんな!香野さん頭あげて!!?」
焦りの声音に頭を上げると、島野は、困ったような、けれど納得したような表情をしていた。
「ある意味捨て身で告白したも同然だから、気にしなくていいよ。むしろちゃんと返事くれてありがとう」
ありがとう、そういわれる筋合いが智生にはない。
それでもそう言ってくれる島野に、心がほわりと温かくなる。
「まぁ、俺はこう見えても諦めが悪いほうなので、もう少しだけ好きでいさせてね」
「あ、う、うん、いや、まぁ...うん?」
微妙な返事を返しながらも、肩の荷を一つ降ろせたと、ほっとする智生。
直後、真後ろの階段から声がかかった。
「はーーい、そこのお2人さ~ん!僕たちと一緒にかえりませう!」
「...おい十河。」
「はーい」
「お前岡本に言ったな?」
「だからいったじゃん、0.5秒で伝達されるって」
階段には、事情を粗方告げられて興奮冷めやらぬ様子の岡本と、にこやかにたたずむ十河。
本当に0.5秒で伝達されたかはともかく、縫い付けてやりたくなるほど口が柔らかいようだ。
「ほんっと...やってらんないわ」
「内心ホッとしてるくせに」
「うるせえ」
4人揃って、教室へと足を向ける。
岡本は島野に腕を絡ませて、ことの成り行きを聞きだそうと奮闘しているようだ。
「ねえ十河」
「なんだい香野くん」
「ちゃんと慰めてね」
「あーん?」
「よろしくね」
智生の一方的な会話に、十河はにやっと白い歯を見せて笑った。
「任せたまえ、香野くん」
-----*----*----*---*----*---*----
秋に差し掛かった朝は少し肌寒い。
手をすりすりと擦りながら、智生はいつもより2本早い電車に乗ろうとしていた。
島野に返事をしてから1週間後。少しずつ少しずつ、白川から丘高の情報を集め、ようやく朝の電車の時刻を入手したのだ。
白川曰く、
「んー、早くした理由自体は聞いたことないけど、あいつ課題とかぜんっぜんやってないから呼び出しとかくらってるんだと思うよ」
それが本当かどうかは分からないが、少なからずそんな毎日呼び出されるわけはない。
確実に避けられているのは一目瞭然だった。
けれど、智生は1週間じっくり考えて、告白を決意していた。
k電車にはちらほらとしか乗客がおらず、皆座席に腰掛けている。
智生も習って腰掛け、丘高が通らないかと電車の外を眺める。
数分して、電車の発車時刻となり、
「m島行き、まもなく発車いたします。」
アナウンスの声とともに、1人だけ全力ダッシュで社内に飛び込む乗客。
全力ダッシュの乗客が間一髪で滑り込み、扉があっという間に閉じられた。
そして、その乗客は、智生が待っていた人物__丘高だった。
息を切らしつつも、ふっと顔を上げる丘高。
ちょうど、智生と目が合ってしまった。
「お、おはよ、ございます」
「…おはよう。」
相変わらず、無表情での返事。
痛む心臓をきゅっと抑えて、智生は立ち去ろうとする丘高を引き止める。
「あのっ」
「…ん?」
少し驚いたように目をぱちぱちとしたあと、また無表情になった丘高は、智生の前で立ち止まる。
「お話があります、なので、一緒に行きませんか」
緊張をまとった声は尻つぼみになり、最後の「か」は聞こえたか定かじゃない。
「…隣いい?」
「は、はい!」
丘高は智生の隣に腰を下ろし、どかっとカバンを床に下ろす。
かばんを抱きかかえて縮こまる智生はかばんの音にびくっと肩をゆらした。
「あ、ごめん」
「え?あ、いえ!いえ…。」
「…話?」
「あっ、はい。お話を、お話をね…」
切り出し方わ考えていなかった智生は、そのまま口ごもる。
自分のかばんをじっと見つめて、心臓をばくばくさせて。
「…先輩の、誕生日に渡した。…手紙、嫌な気持ちに、させてしまいましたか?」
とにかく、一番に確認したいことだった。
嫌な気持ちにさせてしまったなら、きちんと謝らなければならない。
「え?…なんで?」
「えっ、あ、いや…。…誕生日プレゼントを渡してから、先輩と、1度も目を合わせられなくて。…きっと嫌な気分を思い出しちゃうんだろうなって、思って…。その、その!嫌な気持ちにさせたなら本当にすみません」
丘高の方を向いて、精一杯頭を下げる。
ごめんなさい、嫌な気持ちにさせてごめんなさい。決して先輩を傷つけたかったわけじゃないんです。__智生は心の中で必死に謝る。
「いや…別に、嫌な気持ちにとかはなかった。」
丘高の言葉に顔を上げる。
気まずそうに、けれど、少し困惑したように頭を搔いた。
「ただ、戸惑った。…そんなこと、白川以外に言われたことなかったし」
白川よく丘高に、
「丘高の走り方すっごい好きなんだよね〜!!足長いし、まじずるい」
そう言って無意識に丘高を褒めていた。
智生自身もよく思っていたことだが、決して思い出して書いた、ということではない。断じて。
「…避けてるように見えた?」
「…はい」
そう返事すると、丘高は困り顔のまま、笑った。
「ごめん。確かに、避けてた。…どう挨拶したらいいのかわからなくなってた」
「じゃ、じゃぁ…嫌いになった、とかじゃ、ないですか?いやその、元々嫌いだったらあれなんですけど…」
智生のたどたどしい問い。丘高はきょとん、とした。
そして、直後、顔を両手で抑えて下を向いてしまった。
「え?!あのっ、」
「いや、ごめん…やっぱり、香野さんって怖い」
「!?ご、ごめんなさい!?」
怖いというわりに、えらく楽しそうな声音の丘高。
わけがわからず、あわあわと丘高を見る智生。
「嫌いじゃない、好きだよ」
「は、はい!…はい?」
__風と一緒に、ゆらりと流れるように、丘高の口から出た言葉。
智生はつい、聞き返してしまった。
「俺、白川のことが好きだった。…だけど、知らない間に、香野さんのことばっか見てた。そん時にあの手紙だったから、ほぼ意識的に避けるような真似した。…本当にごめん。」
「その、そ…の?」
未だに頭が現実に追いつかず、なにを聞いているのかすら分からない智生。
そんな智生を見て、よりいっそう丘高は笑みを広げた。
「香野さんが好き…ってこと」
パンクした。
智生の、わりと容量のいい頭が、パンクした瞬間だった。
「香野さんとよく目が合ったから、…香野さんも意識してるかもとか思ったんだけど…違うかったか…」
「ち、ちがわ!ちがわないっす!あ、違わないで、です!!私、丘高先輩のこと、大好きんです!!」
完全に、勢いだった。
否定とともに、全身全霊で、伝えたいことがぽろりと口から出ていた。
言ってからは、後の祭り。
「…馬鹿正直」
丘高は声を出して笑った。
黒い肌に映える、白い歯を見せて。
「しょ、正直者は嫌いですか」
「全然」
大きな手のひらで、智生の頭を優しく叩く。
ずっと触れてみたかった手のひらは、まだ眠いのか、それとも照れて火照っているのか、ほんのり温かい。
『次は〜M島〜M島です。お出口、左側です。』
車掌のアナウンスに、二人揃って立ち上がる。
「今日の部活、ハードルの練習あるから」
「…?はい、大会前ですもんね」
「見とけよ」
照れ笑いを浮かべて、電車から降りる丘高。
「走っている姿が好き」という智生の言葉は、えらく丘高に影響していたようだ。
「はい!ずっと見てます!!」
駅の階段を、並んで登っていく。
いつの日か夢見た、素敵な1日が始まろうとしていた。
やっとこさ完全いたしました…1発完結ものです!!!!
あ、本編ってあるのは、おまけ的なのを書こうと思ってます( ˶´⚰︎`˵ )
少し待っててね!
そしてそして、読んでくださった皆様方に、最大の感謝を!!