ファーストライド
こうした生活が二月経とうとした頃、レイカから知らされた。
「デビュー戦を決めたわ」
ついに来たのだ。
苦しいトレーニングに明け暮れた日々。
嬉しいという気持ちよりも、開放感のほうが大きい気さえする。
ただ胸に湧くこの熱さは、新たな一歩への高揚感だろう。
「あなたには資質があったからもっと早くに決めても良かったのよ。でもせっかくの大型
ヒールのデビューじゃない、もりあがる相手をずっと探していたの」
…………やっぱ、ヒール役ですか。
「人気実力ともに上位に食い込むライダーよ。本来ならあなたの申し出を受けてもらえ
るような人じゃないの。でもオーバーホール明けの復帰戦だから肩慣らしに選ばれたのよ」
フライヤー(広告紙)を受け取る。
炎を吐くゴールドラッシュへ、太陽を背に飛び蹴りを仕掛ける青いローダー。
まるで特撮映画のポスターを見るようだ。
…………なるほど、わかりやすいブックだ。
今回の対戦相手のローダー名は「ディープスロート」。
複数のウイングがカウルに意匠された、大胆なそのフォルムは戦闘機を彷彿とさせる。
脇を飾る大きな主翼は開いたり閉じたりするみたいだけど、そのギミックは空力として
効果があるのかなぁ? ちょっとかっこよくて羨ましいぞ。
命名はきっと空対地ミサイルからだろう。
物騒な名前だけど、得意戦法も物騒だ。
超軽量の水冷250cc単気筒の瞬発力を活かしたハイジャンプからの急降下攻撃。
地面を這いまわる土木用ローダーは基本的に上への対処が苦手だ。
落石から守る天井板は視界を遮るし、そもそも土掘りが目的の腕は肩より上がらない。
だからジャンプで跳ね回られ、死界の位置からドロップキックでも打たれた日には、あ
っという間にボコボコだろう。
「どう?」
「ゴールドラッシュとの相性は最悪だと思う」
「そのとおりよ! 観客だってそれはわかってる。極悪ヒールが、華麗にジャンプを決め
るベビーフェイスからボコボコにされるのを見たくてフィールドに来るのよ!」
…………ボコボコにされるのは俺なのですが。
「だからあなたが勝てばメチャクチャ盛り上がるの。しかも狙うわ圧勝よ。どう考えても
不利な相手をヒールが一撃のもとに倒す。これは憎たらしいわ。強いヒールの登場に観客
は燃え上がるのよ」
それは確かに燃える展開だ、炎上するのは俺だけどな。
「わかった、やろう」
レイカは満足そうな表情を浮かべた。
「相手の戦法はこちらにとって不利だけど、逆に言えば戦法がわかる分だけ対策は立てや
すいの。これからの時間は渡底的にデビュー戦を想定したトレーニングにするから」
x x x
「34番ピット」
デビュー戦。磨きぬかれたフロアへ俺の愛機が立つ姿に感無量のつぶやきが出た。
こんな日が来るとは、ローダーバトルに参加する日が来るとは。
ペイントが施され金色に輝く相棒へ手を添える。
鉄パイプのみで形づくられた実用品でしかない重機。
それが身一つだった俺に生きる道を与え、今度は戦う術をくれた。
いくら感謝しても足りない。
どんな苦難が待ち構えていようと、こいつと一緒なら乗り越えられる。
泣きそうになったが、涙はバトル終了までとっておくべきだろう。
うん、終わってから一緒に泣こう。
「ほら!はやく、恥ずかしがってないで見せに行きなさいよ」
レイカの声がしたので振り向く。
振り向く…………うわぁ。
そこにはまばゆい輝きを放つ柚葉が立っていた。
エナメルのノースリーブにホットパンツ、ロングブーツまで純白だ。
腰の細さと胸のボリュームの対比に驚く、ヒールの効果もあるだろうけど、足が身長の
半分はあるんじゃないのか? 知らなかった、こんなにも柚葉が大人びていたなんて。
見慣れたはずの幼なじみの変貌に動揺が隠せない。
大胆に出された太ももへ目が行くのを懸命にこらえ、視線を上げたら、引かれたシャド
ーの色っぽさに俺の顔が熱っぽくなるのがわかった。
「どう?やっぱり変かな?」
「そんなことない、すごく似合ってるよ、別人みたいで戸惑ったんだ」
「褒めてもらえると嬉しいね。恥ずかしいのをがんばってよかった」
ほんとうに似合ってる。
率直に気持ちを伝えた。どんな世辞よりそれが一番だと思ったから。
「ありがとう、でもピットの中ってちょっと暑いかも」
「お二人さん、あんまり試合前にイチャついてると疲れて負けちゃうわよ」
「…………」
「…………」
レイカにからかわれてしまった。
軽口でも返せばよかったけど、ノドに声が引っかかって出てこない。
俺の顔が真っ赤なのは自覚してるけど、柚葉の顔も真っ赤だった。
「予想以上だわ。張り込んだかいがあった。今度私のバトルの時にも貸してね? シウの
黒と柚葉の白があればいっそう映えるわ」
それは男ならきっと誰だって見たいぞ!
爆音レベルでBGMが鳴っている。
俺のデビューの日なので、優先的にこちらのテーマソングを流してもらえるのだが。
アーティスト名:グローバル・エネミー
攻撃的なリリックのラップミュージックが流れる。
すでにチラホラとブーイングが起きてるようだ。
…………渡底してるなぁレイカ。
ここまで来ると笑みすら浮かぶ。
真っ暗な中を、コンベアにローダーともども乗せられフィールド中央に向かう。
もうすぐ、もうすぐデビューの時だ。
よし、一発キメてやるぞ!
暗闇に一筋のスポットライトが突き刺ささる。
ブラックレザーのジャケットにボトム、髪は金髪ウェーブのロング。
紛うことなきヒールのお出ましだ。こいつは悪い奴だ。
きっと酷いことをするんだろう。
ズルい技でさんざんベビーフェイスを苦しめるに違いない。
こんな奴にはブーイングするしかない、そうだブーイングだ!
ウオオオオォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!
圧倒的な悪意の波にフィールドが揺れる。
調子づいたのか、抑えてた客まで釣られて声を荒げる。
罵声が止まない、ドンドンとボリュームが大きくなっていく。
とんでもない奴が現れたのだ、みんなブーイングしないと!
悪い男は正義の味方が懲らしめないとダメなんだ!!
「ふ」
口からついに空気が漏れた。
あまりに予定どおり行くものだから、笑いを堪えるのが大変だった。
チラリと柚葉に目をやる。
立派なものだ。
腹をくくったか、身じろぎ一つせずパラソルを手にシャンと立っている。
「アイ・アム・ナンバーーーーワーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!」
勢いよくジャケットをまくり上げ、差し指を高くかざして叫んだ。
ウオオオオォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
ウオオオオォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
オーバーハングする観客席から、ブーイングの嵐がサラウンドで被さってくる。
こりゃすげぇや。
ここで一つアドリブを入れたらどうなる? もっと盛り上がるかな?
となりの柚葉の肩に手をやり引き寄せる。
「あっ」という声とともに彼女はパラソルを落としてしまう。
その隙に頬へキス。
パン!!
とっさに柚葉がビンタをくれた。
目に涙が浮かんでいる。本気のビンタだ。
ナイス柚葉!バッチリの反応だぜ!!
地響きが起きている。
想定以上のすさまじいブーイングにレイカも驚きが隠せない。
「やるわね、アイツ」
「あのアドリブは良かった。観客は完全に渡を敵と見てる」
「美人でセクシーな柚葉ちゃんにブチュッだもんね、女の私すらイラッとしたもの」
「ここまで盛り上がると逆に対戦者はやりづらい」
「それは思わぬボーナスね、こんな歓声の中やれるのってランカーでも偶よ。渡は楽しん
でるみたいだけど、相手さんは予想外だから怖気づいちゃうでしょうね」
「お膳立てはできた」
「さぁ渡、パクっと食べちゃいなさい」
アクセルを何度もひねり、ブリッピングで調子を確かめる。
ビッグシングルの爆発するエキゾーストを響かせる。
いい感じだ。
柚葉がカンペキに仕上げてくれている。
これならきっと負けやしない。
エンジンが温まるのに呼応して集中力が増していくのが分かる。
うるさかったブーイングも遠くなる。
よし、早く、早くこい、スタートはまだか。
カーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
間髪入れずフルスロットル!
ダッシュで一気に距離を詰めて、相手に考える隙を与えない。
レッドゾーン目掛けてガンガンにエンジンを回してやる!
パイプフレームが風に泣くタイヤコンパウンドが熱に解く、メーターの針が弾け飛ぶ。
30メートルを数秒で食ってやった。
開幕早々に距離を詰められることは想定外だったのだろう、まだ相手方は固まってる。
俺はトップスピードのままハンドルを倒す、スロットルは開けっ放しでブレーキペダル
だけは踏み抜く。喰らえスライディング!
ディープスロートは我に返り、とっさにジャンプで後方に逃げた。
のろまなシングルが開始早々つっ込んでくるとは考えてなかった。
ただ焦りはしたが、よく見れば得意な形になってるではないか。
ライダーはほくそ笑む。
金ピカが停まった瞬間、ドロップキックをお見舞いしよう。
それでおしまい、いつものパターン。
ディープスロートが華麗に舞う。右へ左へ、前へ後ろへ。
観客は美しいマニューバに見惚れる。
こうでなくっちゃ、やはり正義の味方はこうでなくちゃ。
さぁ悪いやつをやっつけてくれ。
憎いヒールを這いつくばらせてくれ。
よし、ちゃんとジャンプを使ってくれたな、そうでないと困るんだ。
小刻みにダッシュを入れてゴールドラッシュを着地点から逃がす。
避けるだけに専念するなら反射神経で何とかなるんだ。それはレイカと確認済み。
あまりに当たらないものだからバッタ野郎もじれてきてる。
モーションが雑になってるのが分かるぞ。
そんな単調な動きでは次の機動まで読めてしまうぞ。
そろそろか? そろそろ締めに入るか?
ダッシュの幅をだんだんと短くする。勘づかれないように徐々にだ。
やがて半身でかわすまでに縮める。
空冷エンジンがヤレてきて、動けなくなってるように見えるだろ?
さぁ来い、ここだ。
ここに目掛けてドロップキックを撃ってこい。
その時、ディープスロートがいっそう高く宙に舞い上った。
トリックジャンプのショータイムはクライマックスに突入したのだ。
弧を描く美しい放物線に観客は目を奪われる。
頂点に達したそれは身を翻し、ミサイルとなってヒールのもとへ襲いかかった。
今だ!
ペダルを素早く蹴り込み、ギアを一気に2段落とす。
跳ね上がるレブ計を睨みつけ、クラッチワークで暴れるローダーをスリ足に宥める。
そう、もといた場所に誘い込むために。
果たして狙い通り、火花が舞い散るや同時に背後から土煙りが立ち登った!
溜めたパワーのありったけを開放し、エンジン猛るがままにハンドルをフルロック。
ステップを真横に筋力の限り踏み抜く!
オラァァァ!!
ズガガガガガガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンンン!!!!!!
瞬速の後ろ回し蹴りが炸裂した。
着地で身構える間もなく食らった蒼い巨人は、大地に横臥していた。
鉈で真っ二つに断ち切ったかのよう、ディープスロートは鋼鉄製フレームの腰椎から先を
蹴り飛ばされて泣き別れていた。
フイールドが静まり返る。
見るも哀れな残骸に観客が沈黙する。
正義の味方が負けたのだ、無残に暴力のもとに屈してしまったのだ。
数万の怨嗟が黒革の男に突き刺さる。
覚えていろ。
悪はいつか敗れるものなのだ。
観客は誓う。
また必ず見に来てやる。
あいつが惨めに這いつくばる姿を目にしてやると。
「アイ・アム・ナンバーーーーワーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!」
x x x
「最高だったわよ、あなた」
「新聞が酷いことになってるんだけど」
<ゴールドラッシュはカネ目当てに東の国からやってきた>
<ゴールドラッシュは金と女が大好きのクソ野郎>
<ゴールドラッシュは美人がいるとすぐに手を出す下劣人間>
<ゴールドラッシュはバトルが終わると女の家に帰っていく最低男>
デビュー戦なのに記者会見が開かれるという珍事に嫌な予感がした。
出席してみると、もののみごとに罵詈雑言な質問だらけ。
つい頭に血が上った俺は、興奮そのままキャラ通りの答えを返し続けた。
その結果がこのありさまだ。
「笑いが止まらないわ。新人のデビュー戦がメインのランカーバトルより大きく誌面で取
り上げられてるんだもの」
「柚葉ごめんね、酷いことになってて」
「いいよ、気にしないで。私は被害者扱いだから」
「…………」
「さぁ今晩は一日遅れの祝勝会、挨拶回りが終わったら、寄り道しないで真っ直ぐ帰って
くるのよ」
「ありがとう、でもその言い方だと子どもに言うみたいだな」
「渡は私たちの成果の結晶、つまり子どもと同じ」
「わかったよ、ママ。おつかいが済んだらまっすぐウチに帰ってくるね」
「~~~~~~~~~!」
事務局は大騒ぎでお祭状態だった。
みなさん総出の拍手によるお出迎え。
手渡される花束に埋もれながら、事務員さんたちへお礼を言って回る。
温かい言葉に思わず視界が潤みだし、頭を下げっぱなしで失礼なことをした。
岡山に来てよかった。
ビッグシティの人たちは心まで大きかった。
その後は大変だった。
私書箱がマッチングと取材依頼の書類で溢れかえっていたのだ。
すべて目を通し、持ち帰るものをピックアップする。
どれ一つとして粗略に扱えない。
ショービジネスの一員として幹を太くする努力は怠れない。
柚葉も面食らっていた。
ファンレターの数が尋常ではなかったのだ。
周到なナツキさんは、既に専用のレターボックスまで用意していた。
山の中には女性の名前のものも多数あり、柚葉は反応に困っているようだ。
ときどき俺宛のも紛れ込んでいたが、それはすぐに分かる。
なんせ封筒が黒塗りだったり、宛名が赤ペンとかで書かれてるからね。
「おつかれさん、昨日はナイスファイトだった」
帰りぎわ、ディープスロートのライダーと会った。
彼のお名前は大三郎さんといった。
オリーブのミリタリー風シャツがよく似合う、今風のお兄さんだった。
「どこのプロレスラーが賞金稼ぎに来たのかと思っていたから、君みたいな若い子がゴー
ルドラッシュの正体だったは驚いたよ」
金髪ロンゲのウイッグの効果は抜群だ!
オーバーホール明けなのにローダーを壊してしまったことへ謝罪したら、逆に一撃で折
られたから、腰のジョイントだけの被害で済んだと感謝されてしまった。
初対面とは思えないほど会話が噛み合い、プライベートでお付き合いしたい人だった。
いくつか話題を変えて、意気投合の証にガッチリと握手を決める。
そして、お互い今後の検討を祈る。
こんな素晴らしい人がデビュー戦の相手を務めてくださったことに感謝。
あのバトルは一生忘れないと思う。
ただ俺がヒール役だと、対戦するには荷が重いと苦笑されてしまった。
「みんないい人だったね」
「ここに来てよかった」
帰宅すると、レイカ邸は見事なまでの祝勝会場に変貌していた。
ママ呼ばわりでからかったため、折り紙チェーンとおめでとう花看板まである。
なんという手の込んだ仕返し。
この人たちは朝からずっとこれを作っていたのか…………
「時間が足りなかったから、いつもどおりのケータリングでごめんね」
そうレイカは謝ってきたけど、祝ってくれる気持ちだけで十分だった。
楽しかった。
アルコールはなくとも雰囲気だけで酔えた。
柚葉は途中からずっと泣いていた。
人は笑いながら泣けるものだとはじめて知った。
彼女たちと出会えた幸運に感謝しないといけない。
送り出してくれた棟梁に感謝しないといけない。
受け入れてくれた岡山の人たちにも感謝しないといけない。
そしてありがとうゴールドラッシュ。
x x x
寝疲れ気味で起きてくると、レイカがキッチンで朝食を作り始めていた。
「おはよう、もうすぐご飯が出来るわ。といってもサンドイッチだけど」
「おはよう、朝食を作ってる時間なんてあるの?」
「もうデビューしたんだから朝練はないわよ、これからは日常が始まるの」
慣れた仕草で髪を後ろに結わえ、エプロンを身につける仕草から目を離せなかった。
彼女は人数分のバゲットを切り出すと、手際よくトースターに並べていく。
細い指で茹で玉子を器用に剥けば、形も崩さずスライスしてしまう。
動きに無駄がなかった。好きで料理をする人の所作だった。
レイカの旦那になる人は、きっとこの光景を毎朝眺めるんだな。
そう思うとちょっと悔しい。
穏やかな空気が流れていた。
これが日常なんだ。
これからは、こういう雰囲気の中で一日が始まるんだな。
「手伝うよ」
席から立ってコーヒーの用意をする。
先にお湯を沸かしてカップを温めておくとしよう。
銘柄別にラベルが貼り分けられた密閉容器を手に取ると、豆の転がる音がした。
あ、この家ではちゃんとミルで粉に挽くんだ。
コーヒーミルも磨き抜かれている。
几帳面な主人の性格があらわれていた。
「あなた、レタスのほうもお願いね」
…………そういう言い方はやめなさい。
「料理もできるんだな、そういう家事とは無縁かと思っていたよ」
「所帯じみていてがっかり? 本当は料理も得意なのよ、時間がないから朝くらいしか作
らないけど」
「いや、俺がレイカのことを誤解していたんだと思う。チャンピオンだアイドルだと勝手
にイメージを作ってしまって、一人の女の子だって気づいてなかったんだ」
「いいこと教えてあげる。それ口説いてるようにしか聞こえないから、ほかの娘には言わ
ないほうがいいわよ」
「なっ」
肩を並べて料理をする。距離感がくすぐったくて、こそばゆい。
隣とタイミングが合うように見計らい、手早くレタスをちぎってスピナーを回す。トマ
トは薄くスライスして、キュウリは縦切りのあとに水気を拭き取る。
この空気を大切にしたいから、ことさら丁寧に手を動かした。
「あら、渡も結構できるのね、柚葉に甘えっきりだと思っていたわ」
「鉱山では食事が数少ない娯楽だからね、美味しく摂れるよう自分でも覚えたんだ」
褒めてもらえて嬉しかったからドレッシングまで作ろうかと提案したら、それは市販品
を使えと却下されました。
やがて、パジャマを寝崩したシウが起きてきた。
「おはよ…………コーヒーは濃い目でお願い」
3人で卓を囲んで食べる。
本当の家族みたいだ。
ゆったり朝を過ごすのって、ここに来てはじめてかもしれない。
何もかもがピカピで光って見える。
こういうのもいいよなぁ、都会の生活って気がする。
サンドイッチとコーヒーの朝食でもテントで食うのとは大違いだ。
「柚葉はまだ起きてこないわね」
「疲れが一気に出たみたいでまだグッタリしてた。別に朝は弱くないんだけどな」
「あなたが寝かさないからでしょ、すこしは恋人を気遣ってやりなさい」
ん? 俺と柚葉って恋人じゃないよ?
どうも誤解があるようなので、訂正する。
「…………」
「…………」
「はぁ? なにアンタ! 恋人でもない女と毎日寝てるわけ?」
「不潔」
「いや、違う! 勘違いしてる。俺と柚葉はそんなことをまだしてない!!」
「”まだ”ってなによ、いつかするつもりなんでしょこのスケベ! 天然ヒール!!」
「うわぁ」
「そこ!ドン引きしない!! お前ら間違えてる。柚葉は家族なんだ、兄弟なんだ。だか
らそういう気持ちになったりしない、ことに及ぼうとか思わない」
「アンタらって血はつながってないし、ただの幼なじみじゃないの。普通に結婚できる間
柄でしょ」
「確かにそうだけど、でも違うんだ。なにかが異なってるはずなんだ」
「おはよう…………寝坊してごめんなさい」
救世主が現れた!やった形勢逆転だ!
「いいところに来た柚葉! こいつらに言ってやってくれ!! 俺らは結婚とか考えない
関係なんだって」
「…………もう少し寝てくる…………」
「もう死になさいよ…………」
「人でなし」
新しい家族ができた次の日、俺はその地位がゴミ虫以下となった。
柚葉がちゃんと起きてきたので、今後の生活について話し合うことにした。
レイカはこの家に住み続けていいと言ってくれた。
ただし部屋は柚葉と別にする。
家賃は今後はキッチリ払う、ちゃんと相場通りの金額で。
口を挟まれそうになったがこれは譲らなかった。
柚葉にも払わせる。
俺がメカニックとして彼女を雇い正当な報酬を支払う。そこから出す形にするのだ。
家事も役割分担をする。
今まで通りヘルパーに来てもらうのも有りだけど、さすがに4人もいて家事を他人任せ
は体裁が悪いだろう。しかも若者ばかりだしね。
分担表を作って、不満が出ないようきちんと割り振る。
シウは食事が作れないと嘆いていたが、トーストは焼けるようだし十分だろう。
パンうまいし。
まるで下宿で共同生活するみたいだなと思っていたら、レイカがそのまま口にした。
いや、ここは君たちのウチですよ? 居候は俺らの方ですから。
みんなで声を上げて笑った。
昼は中心街へ買い物に行くことにした。
これは柚葉たっての希望だった。
どうも初対面でレイカにファッション最低と言われたことを根に持っていたようで、落
ち着いたら岡山の一流店で服を揃えると誓っていたらしい。
そういや、いつの間にか化粧も変わってたよな。
デビュー戦の時と違い、ナチュラルメイクのままではあるけど。
”おしゃれな服装をしてきてね”そう言われたけど何を着ればいいのか困る。
普段はTシャツに革ジャンみたく雑な格好ばかりなものだから、どういうのがおしゃれ
なのか想像が及ばない。
迷ったあげく、タートルネックにシャツジャケットという無難な組み合わせに逃げてし
まった。 はい、しま○らのマネキン一式そのまま買いました。
「おまたせ。どう、この服、似合うかな?」
「なっ…………おまえ、その格好って」
玄関に現れたのは、惜しげもなく肌をさらしたロック風ファッションに身を包む、都会
的な雰囲気の女の子だった。
「ふふ、通販で揃えたんだ。ベルトだけは高くて手が出なかったから渡のを借りたよ」
「ああ…………アイレットベルトって結構な値段するもんな」
動揺して的外れな答えを返す俺が面白いのか、柚葉はコロコロと笑っている。
だって柚葉って巻きスカートにカーディガンといったカジュアル系、悪く言えば地味目
な服ばかりだったのに、今日と来たら太ももバーン、二の腕バーンだぞ。
「レイカが諭すんだ”魅せる仕事に就いたのだから、普段から見られることを意識しなさ
い、でないと私生活がバレた時に余計に恥をかくだけだ”って。だから、こういう派手な
服だって頑張って着るの。ノースリーブやミニスカートも普段着に選んじゃうんだよ」
柚葉はそう言って気合いのほどをアピールしてくるが、インナーが透ける生地のブラウ
スや、レースのティアードミニはあまりに刺激的で目のやり場に困る。
「ねぇ…………やっぱ、止めたほうがいいかな?」
俺の狼狽ぶりが酷かったのだろう、心配そうに上目遣いで尋ねてきた。
柚葉は頑張った。自分のキャラを変えるために一歩も二歩も踏み出した。
それを相方が汲まないようでどうする?
今はまったく吊り合いが取れてないけれど、これからは俺が努力して彼女と組むに相応
しい人間になる番なんだ。
「ごめん、柚葉があまりに素敵に変わって頭が追いつかなかったんだ。ぜひ服はそのまま
でいて欲しい。こんなきれいな女の子と一緒に歩けるなんて光栄だよ」
褒めるにしても露骨すぎたかもしれない。
柚葉は耳を赤く染めるや俺の腕を取り絡めとると、ズルズル引きずっていくのだった。
ごめんなさい…………これは本当にダメです。勘弁して下さい………
「髪型も変えたんだな、変装のつもり?」
腕を組むのだけはどうにか許してもらい、駅まで進む道すがら尋ねた。
柚葉はトレードマークのポニーテールをアップに変えていた。
さっき激しく動揺したのは、見慣れない髪が他人に見せたからもあるのだろう。
そうに違いない。
「うん、コームで纏めただけなんだけど、結構ちがって見えない?」
確かにイメージはちがってると思う。カラーが入ってないのに軽快になってるものな。
ただ柚葉は身長があるから、もともと割りと目立つんだよ。
今日のミュールもかなりのハイヒール。バトルコスの時のブーツもヒールが高いから、
背の位置がちょうど同じくらいになっちゃってるのは変装として考えれば失敗だろう。
「微妙かも、ファンなら顔を見れば気づくかもってレベル」
「そっ………そう? でも男連れの娘の顔ってジロジロ見ないもんじゃないの?」
いや柚葉なら顔を見てくると思うぞ。
よし変装の定番、メガネを買うことにしよう。
アップの髪で変装した時には、紺のセルフレームだって偉い先生が言ってたしな。
目抜き通りを二人で歩く。
高級店が立ち並ぶ華やかな町並みとレトロな路面電車のギャップがおもしろい。
土と寺だけしかない京都とはぜんぜん違う。
先ほど買ったメガネおかげで、柚葉はもちろん俺もずいぶん気が楽になった。
ウインドウショッピングで冷やかして回る前に、先にお腹を満たしておくとしよう。
吉備の神様がおわす岡山で腹ペコは許されないのだ。
「お昼には早いけど混んじゃう前に食事にしよう、お祝いを兼ねて奢っちゃうぞ」
「すごい! 京都ではめったに奢ってくれなかったのに」
それを言ってはイカンでしょ…………
趣味がなくて貯金ばかりしてたから、ケチっぽかったけどさぁ。
「さぁ好きなものを言うがいい。可能な限り叶える努力をしよう」
「太っ腹なのか、わからないところが渡らしいね…………」
哀れみの目を向けてくる柚葉が希望したメニューは! メニューは!
<ラーメン>
ラーメンっすか。
ラーメン、たしかに美味しいけど、大好きだけど。こんな時に食べなくても。
てっきり気を使ってるのかと思ったが、どうも柚葉の本心らしい。
ガイドブックを呼んで楽しみにしていたようなのだ、岡山ラーメンを。
綺麗になってもこういうところは変わらないんだな…………ちょっと嬉しかった。
おのぼりさんの正しい行動として、行列の評判店にあえて行くことにした。
まだ昼前だから、待ち時間も美味のためのスパイスていどだ。
「さぁさぁ、好きなものを注文するんだぞ」
「ありがとう、じゃあチャーシュー麺を注文しちゃうね」
「よしよし、たくさん食べなさい。ニンニクだって追加していいぞ、栄養をとって早く大
きくなるんだ」
「それはやめておくね」
あらノリが悪い。
15分待って食べたラーメンはとても美味しかった。
また来ようと思う。
そうだ今度はレイカとシウも誘いたいな。
女王様と幼女が麺をすすってる姿はきっと愉快だぞ。
腹ごなしのウインドショッピングをして歩く俺たちは、ついに本日の目的地に着いた。
その名はTENNENYA本店。
全国規模の一流デパートだが、本店はここ岡山にあるのだ。
若者なら一度はその名に憧れるだろう。
そして敷居の高さに打ちのめされるだろう。
背筋を伸ばして、いざ店に踏み入る。
背中を丸めて帰路につく。
なんという無力感。
敗残兵の気持ちが今はよく分かる。
「高かったね」
ギャラはレイカに渡したから俺たちには貯金しか残っていない。
金銭感覚が京都のままなものだから、格の違いに打ちのめされた。
「一桁違うんじゃない? って服ばかり勧められてすごく困ったよ」
「あ~それは、お前バレてたんだ」
「えっ」
「一流店だからサインこそ求められなかったけど、妙に店員が多くついてきただろ。あれ
、媚び売って常連になってもらおうとしてたんだよ」
「…………」
柚葉は戸惑ってるな。
無理もない。鉱山のおっちゃんのマドンナから、いきなりアイドルの一員だ。
「まぁレイカが言うように、人前では立ち居振る舞いに気を付ければいいってだけだよ、
家に帰ればダラしなくても見てる奴はいないから」
「服だけは頑張ってみたけど、気持ちの方はまだ実感がわかない」
「そうか? 事務局にメチャクチャ出演依頼が来てたじゃん。それだけデビュー戦で輝い
ていたんだよ。ビンタとか最高だった」
「バカ………… でも、私は渡としか組むつもりはないよ」
「サンキュ、そりゃ助かる。俺のブラックレザーは柚葉の白でないと合わないし、空気
を読んで動けるのは、お前だけだからな」
「ふふ、またビンタしてあげるよ」
「いいね、変な性癖に目覚めそう」
「バカ」
x x x
生活が安定し始める。
週2のバトルを中心にマッチング交渉をするのが日課となる。
ありがたいことにゴールドラッシュは引く手あまただ。
魅力的なカードを組んでいくうちにバトル枠の一つが週末で確定となった。
メインプログラムに昇格したということである。
ランカー戦でないのにメイン扱いは例外中の例外だ。
やっかみが怖いので、できるだけ他のライダーとも交友を増やすことにした。
業界の常識を覚えていく、すると懸念が湧いてきた。
それはやがて解決すべき問題であると確信するようになった。
「渡、お疲れさま」
「トレーニングの時間が制限されるのは、結構しんどいことなんだな」
「新人の頃と違って暇もなくなってるしね」
「先日壊したパーツの請求書を処理してくれてたんだな、ありがとう」
「いいよ、非番の人間がフォローすれば遊びに行く時間も作れるから」
「レイカとシウは?」
「二人とも来月から始まるリーグ戦の打ち合わせで遅くなるみたい」
「じゃあ食事と風呂掃除は俺がやっとくよ。それと柚葉、今週末は展示場周りするから空
けといてくれないか」
「分かってる、もう予定組んでるから」
渡のデビュー戦まで到達しましたので、一旦切らせて頂きます。
視点がコロコロと変わるバトルの描写がうまく行ってないと思います。
どうにか技術を物にして、もう少し整理した文章が書けるようになりたいです。
次章は明日に投稿します。