補正3:黒龍
目を開くと、水の中だった。
「!?」
え!?
ちょっ、なっ、ウソだろ!?
だってさっき見えてたの青空だったじゃん!?
それがなんで初っ端水中!? てか水中スポーンとかヒドくないか!?
ちょ!! ともかく空気!! 水中で息とか出来るワケな……い?
…?
あれ? 息苦しくない…?
と、ここに来てやっと、正常な思考回路が戻ってきた。
混乱が一周して冷静になるってヤツだ。アレってマジだったんだな。
というワケで、現在地点、水中。
でも息苦しくないし、水に触れている感覚すらない。
原理はよくわからないが、たぶんだけど、アイツに肉体盗られたせいなんだと思う。今の俺は魂魄だけの状態だから、肉体が必要としてる呼吸は必要無いし、肉体が持ってた感覚器がないから水に触れてる感覚はない、ってことなんだろう。
一応、さっきの何も無いところとは違い、上下の差はある。
上を見れば空を映す水面が、下を見れば小石の積もった水底が、ちゃんと存在している。
さっき「歪み」の向こうに見えていたのはこの水面だったようだ。
水の透明度が高いから空が綺麗に見えて、誤解したらしい。
あと、非常に残念なことに、さっきパニクって暴れまくったのに、俺の身体は初期スポーン地点から1ミリたりとも移動していなかった。
なんでわかるかって?
だって、さっきから足下で揺れてる水草(淡水仕様)の位置が変わってない。
つまり、要するに、現在、俺は、自力で、動けない。
……んなアホな。
そりゃあ、肉体も無いし、この状態の俺が物質にさわれないんなら、推進力とかが生じるハズも無いんだけれども。
それにしたって不便すぎやしないか、この状況。
試しにもう一回もがいてみる。
平泳ぎ的な動きからクロール、ル○ンダイブに至まで、いろいろと。
結果。
徒労に終わった。
ああ…いや…うん…どれだけ激しく動いても疲れないのはいいんだが、こうも自分の行動が徒労に終わると精神的なダメージがハンパない…。
あとたぶん、客観的に今の状況を見たらもの凄く滑稽。
『……何奴かな』
「うおっ!?」
急に聞こえてきた声に、びっくりしてヘンなポーズになった。
…どんなポーズかは俺の名誉と自尊心のために伏せさせてもらう。
振り返ると、そこにいた――いや、「あった」のは、巨大なチカラの塊だった。
見た目は、なんか黒っぽい。
でもさっき俺の肉体を奪い去って行ったアイツみたいな邪悪さは全くない。
強いて何かに例えるなら、夜の海の色だ。波に月や星の光が当たって、チラチラ光ってる夜の海。
その夜の海に似た巨大なナニカが、金色の目を開いて俺を見ていた。
『…ほう? 珍しいな、御主。魂魄のクセによくそこまでカタチを保っている』
圧倒されて言葉が出なかった俺に向かって、ソイツは言葉を発した。
音、というよりも、直接魂に語りかけてくるような声だった。
「…俺が、見えるのか?」
正直、こんな状態だから誰にも認識されないんじゃないかと思ってた。
だから、こんな妙なヤツにでも、認識されてちょっとホッとしたのだ。
思わずどっかで聞いたようなセリフを吐いてしまった。あの肉体を奪ってったヤツ笑えねーじゃんとか言わずに見逃してほしい。本当に切実に怖かったのだ。察してくれ。お願いだから。厨二野郎(笑)とか言うな。
『ああ、見えるとも』
そう、確かに俺の言葉に答えて、夜の海に似たソイツは、今まで何をしても揺らがなかった俺の身体を震わせるような笑い声を発した。
低い、低い声だった。
腹の奥底を揺さぶるような、深く渋みのある声だった。
『まぁ、儂も似たような状況にあるからの、その為だろう。通常なら見えこそすれ、このように言葉を交わすことはできなんだろうな』
「どういう…?」
俺の疑問に、ソイツは何故か楽しそうに喉を鳴らす。
『端的に言えば、死んでおるの』
「は?」
え?
今なんて?
『もう死んでおるでの、儂。ついさっきだが、確かに死んでおるでな。今ここに居る儂は、言うなれば幽霊。御主とは少し様相は違うがの』
あっけらかんとソイツはのたまった。
「はあああああああああああああああ!?」
俺は、チカラの限り叫んだ。
いや、肉体は無いから叫んだつもりになってるだけなんだけど。
「は!? 死んでる?! なんで!? え?! ってことは俺も死んで…?」
『落ち着かんか。あと御主は死んではおらん』
「え? 生きてる? よかった! …って、これが落ち着いてられるか!!」
え? なんなのこの状況。
俺が今話してるのは幽霊だって? そんなバカな。
というか、そんなことよりもだ。
「あんたみたいな存在感放つ幽霊がいて堪るかよ!」
この御人、自身を「幽霊だ」とのたまっているクセに妙に存在感があるのだ。
まず見た目。
先述の通り、星の光を照り返す夜の海みたいな身体をしている。
しかも身体が大きすぎて全貌が見えない。辛うじて今俺の目の前にあるのが頭部なんだろうってのがわかる程度だ。
そこに、月みたいな金色の目が光ってる。
黒っぽい見た目に相余ってひときわ輝いて見えた。
…言われてみれば確かに、その輪郭はなんだかぼやけていて、強いて表現するなら色付きの気体みたいな頼りないカンジだけれども。枠組みを失ってカタチを崩す寸前、みたいに見えなくもないけれども。
それにしたって、その巨体と存在感は、「幽霊」と表現するには大きすぎる。
『ふむ。まぁ御主の言い分もわからんでもない』
俺渾身の指摘に、夜の海に似たソイツは顎らしき部分に手をあてて何事か考えるような仕草をした。デカいくせに妙に人間くさい仕草だ。
『そうよな……言い換えるなら儂は、思念体、かの』
「思念体?」
『そう。これでも随分長く生きておったでな、肉体に宿っておった意思もそれなりに強固なのよ。今の儂は、まぁ、言わばその残りカスだの』
「お前のような残りカスがあって堪るか」
コイツで残りカスなら本体はどれほどのものなのか。
想像したくもねーな。
『御主はそう言うが、もう幾分もせぬうちに霧散して消えてしまうような、脆弱な存在じゃて』
「は? 脆弱? あんたが?」
『是。肉体と言う確固たる依り代を失ねた今、意思の残滓に過ぎぬ儂は遠からず消失する』
肉体。
また肉体か。
そんなに大事な存在なのかね、肉体って。
「…そういやアイツも肉体がどうこう言ってたな…」
『うん? アイツとはもしや、狭間から出てきたアレのことかの?』
面白くなさそうに目を眇めるヤツに、頷いて見せる。
「狭間って、あの『歪み』のことだろ? だとしたらソイツだ。俺の肉体奪ってったヤツ。俺がこうなった元凶」
そうだ。
よくよく思い返せばアイツが全ての元凶なのだ。
アイツさえいなければ、俺は肉体を奪われることも無かったし、澄麗と離れ離れになることも無かったのに。
…思い返した腹立ってきた。
『ほう、彼奴…。となると、御主がここへ来た原因か』
「え? や、それは、どうだろう」
『いや、原因だろうな』
妙に断言するソイツに、俺は首を傾げるしか無い。
確かに現状を作り出した元凶ではあるんだが、それと俺が「ここ」にいることとは関係が無いように思えるのだが。
『本来なら、あの空間には迷い込んだ時点で仕舞いなのだ。御主の居たあちらの世界と、儂の居るこちらの世界両方に狭間が出来る事など万に一つあれば良い程度』
「は?」
あちらとこちら、って……え?
つまり、なんだ? ここってもしかして…。
「…異世界?」
『なんじゃ? 今気付きおったのか?』
えええええええ。
いや、そりゃ薄々そんな気はしてたけれども。
「…マジ?」
『御主の言葉を借りるなら、マジ、だの』
頷くソイツに、俺は力無い視線をくれるしかない。
というか、今、「迷い込んだ時点で仕舞い」とかいう恐ろしい言葉が聞こえてきた気がするんだけど。
え? なに?
俺ら最悪あの場所にずっと居ることになってたワケ?
……笑えねぇな。
俄に背筋が寒くなった俺のことなどおかまい無しに、ソイツの話は続く。
『まぁよい。つまりだ、意思とは即ち、チカラ。此度はあの…何と言えば良いかの。とりあえず「邪悪」とでも言っておくか。あの「邪悪」の意思が、歪みを作ったのであろう』
邪悪ってのは、きっとあの「黒いの」のことだろう。
邪悪、か。確かにそんなカンジだ。
「そういや、肉体が欲しかった、とか言ってたけど、関係あるのか?」
『ある。確固たる肉体がなければ、意思のチカラは弱まるからの』
なんか得心いったように頷いてるけど俺にはサッパリだ。
というか、「チカラが弱まる」って、アレでか?
俺肉体ぶんどられたんだけど?
…そう言やなんか最後に「チカラが増幅してる」的なこと言ってたな。思いっきり滑ってたけど。見ててイタイタしかったけど。
じゃあやっぱり肉体があった方がチカラが強まるのか。肉体ってすげぇ。
『彼奴の意思が、時空を超えて御主を呼び寄せたのよ。この世界は御主の世界よりも、そのような事の起こりやすい土壌をしておるでな。まぁ、そうやすやすと起こることではないがの』
「ふぅん…」
よくわかんねーけど、魔法とかなんとか言ってたしそう言うことなんだろう。
知らねーけど。
って、
ちょっと待てよ。
さっきコイツ「肉体がなければ脆弱な存在」とか言ってたよな。
とすると、だ。
「…もしかして、俺のこの状況、ヤバい?」
『そうだの』
勿体ぶって溜めること数秒。
『ヤバい、の』
事も無げに、それどころかちょっと楽しげに目を細めてソイツが言い放った。
この時点で既に続きを聞くのが嫌になったけど、聞かないワケにはいかない。
「…具体例をお願いします」
『ふむ。そうじゃの、まずカタチを保持するのが難しくなるの。カタチが保てんかったら意思も霧散するのぉ。そうなったら……』
「そうなったら?」
たっぷり間をとってから、ソイツは茶目っ気たっぷりに目を細めた。
『早い話が消滅するかの』
「マジかよおおおおおおおおおおおおお!!」
マジかよ!!
消滅って、つまるところ「死ぬ」ってことだろ!?
せっかく窮地を脱したと思ったのに次の窮地すぐそこにあったってこと!?
ちょっとこれハードモードすぎやしませんかね?!
許すまじ「黒いの」!!
なんか「邪悪」とかかっこよさげな名前付けてもらってたけどお前なんか「何か黒いの」で充分だ!!
「はっ!! そうだ! あんた強そうだしなんとか出来ねーか!?」
『できんな、残念ながら』
「なんで!」
そう言われたところで、はいそうですかと引き下がるワケにはいかない。
俺には澄麗に殴られるという使命が―――失礼、もとい澄麗を見つけ出すという使命がある。
アイツが諦めてないのに、俺がここで諦めるわけにはいかない。
『いや、儂、死んどるし』
「あっ」
そうでした。
『御主が出てくる前に「邪悪」が出てきたのだが、儂、ソイツに「肩慣らしだ」とか言われて殺されたのよ』
またテメェか「黒いの」!!
どんだけ俺を追いつめたら気が済むんだよ!!
「ん?」
…ちょっと待てよ。
「……もしかして、あんたがそうなったのって、俺のせい?」
俺が「黒いの」に肉体盗られたから、殺された?
『ぬかせ』
「いや、でも」
『くどい』
言い募ったらぴしゃりと撥ね除けられた。
『儂が死んだのは、儂のチカラが及ばんかった為よ。その責を御主に押し付けるような卑怯、御主が許しても儂が許さぬわ』
その言葉に、喉元まで出懸かっていた言葉がわだかまる。
「それは…そうかもしんねーけど」
『はぁ…』
なお食い下がる俺に、ソイツは大仰な溜め息を吐いてみせた。
『では訊くがの。御主は、一匹の蝶の所為で竜巻が起きて、それが甚大な被害を起こしたとして、その蝶に被害の償いを求めるのかの?』
「…」
バタフライエフェクト、か。
意味は違うけど、言いたいことはわかる。
竜巻を起こした切っ掛けは確かに蝶だったかもしれないけれど、竜巻が起きた原因はもっと他にある。
例えば天気、気温、それまでの気象状況。
原因はそういった自然環境であって、蝶ではない。
だから、竜巻に関して、蝶を責めるのはお門違いも甚だしい、と。
でも、だ。
「…アレが自然災害だって言うのかよ」
『似たようなものよ。御主を異界から呼び寄せるようなモノぞ? それほどのチカラを持ったモノを、「災厄」と呼ばずして何と呼ぶのだ』
嘯く、思念体。
「……そうかも、な」
コイツがそれでいいんなら、これ以上何も言うまい。
「なぁ」
『うん?』
「名前。教えてくれよ」
『…名、とな』
礼は言わない。言えば無粋になる。
「うん。さっきから『あんた』としか言えなくて、呼びにくかったからさ」
さっきは「消滅する」とか言われて混乱したけど、俺はまだ消える気はない。
澄麗を探すってのもあるし、ここで簡単にくたばっちゃあの「黒いの」にしてやられた気がしてムカつく。
まだ存在してるってことは、何か手があるということ。
言葉を借りるなら、「意思」があるんだから、まだ出来ることがある。
あの「黒いの」に出来て、俺に出来ない道理はない。
それに。
この、夜の海みたいにきれいなモノが「消滅する」ってのが信じられないってのもある。信じたくない、と言うべきかもしれないけど。
だから、カタチに、記憶に残るものが欲しかった。
俺が「那守夏」であるように、コイツにも名前ってカタチがあるのなら、手に取ってみたいと思った。
『…ヒトは、儂のを「黒龍公」と呼ぶが。それは呼称の一つであって、儂を示す名ではないな』
そう言って、「黒龍」は笑った。
『御主が決めてくれ。儂は、己を表す名を持たぬ』
「いいのか?」
『よい。儂が許す』
尊大に言い放った「黒龍」に、俺は言い得ない畏怖を覚えた。
俺など足下にも及ばないような、生命。
今から俺は、ソレに名をつけるんだ。
名前は、実はもう決めていた。
一目見た時に浮かんだ情景。
夜の海みたいな、静かで、それでいて畏怖を感じるような、そんな名前。
「——冥月」
呼んだ瞬間、揺らいでいた の輪郭が鮮明になったような気がした。
「冥月、なんてどうだ。冥は夜の海、それに月がかかって、冥月」
『めい、げつ』
黒龍――いや、冥月は、名前を噛み締めるように目を閉じた。
『…なんと。名とは、これほどまでに……』
そうして、何かを感じ取って、その金色の目をしっかりと開く。
『御主。名を何と言う』
「那守夏。神舞那守夏」
『そうか。ナスカ』
向けられた二つの月には、さっきまで感じ取れなかったチカラがあった。
その正体を知る前に、冥月が動く。
『ナスカ。確かに、受け取った』
チカラが、渦巻く。
さっき「黒いの」が魔法とやらを使った時に似ているけれど、このチカラに悪意はない。
冥月。その名を表したように、黒く澄んでうつくしいチカラの奔流。
「…なんもできねーんじゃなかったのかよ」
『先ほどまではな。今は違う』
冥月から溢れ出したチカラの渦が、俺を抱き込むように捕らえた。
それに逆らわず、受けいれる。
「名前つけただけだぞ?」
『そんなものよ、物事というものは』
「…いいのか?」
『よい。これは、御主より貰い受けたチカラ。なれば、御主に返すが道理よ』
「…別に、冥月が持っててもいいんだぜ?」
何をしようとしているのか知らないし、イマサラ拒むような真似もしないけど。
折角手に入れたものを、手放さなくてもいいのにとは、思う。
『どうせ朽ちた身、チカラなど持つだけ無用の長物』
「そう? なら、遠慮なく貰っとこうかな」
今は、どんな形であれ、チカラが欲しい。
今の俺は、場所を移動することすら出来ない脆弱なモノだから。
くれるってんなら、どんなもんでも貰うさ。
俺の身体にまとわりつくチカラが一際強く高まる。
それに合わせて、冥月の姿が薄くなっていった。
『――死して後、名を授かることとなろうとは。わからぬものよの』
ヒトと違う姿をした冥月の表情は、俺にはよくわからない。
けど確かに、冥月は笑っていた。
少なくとも俺には、そう感じられた。
『ナスカよ』
「おう」
金色の月が、細くなる。
『良い名を貰った。…有難う』
「……おう」
そうして、冥月は俺の前から姿を消した。
「俺からも、ありがとう」
そっと呟いて、目を閉じる。
纏うチカラが、質量を持つ。
指に、腕に、胴に、顔に、水が触れて肌を濡らす。
確かな感覚。
確かな質量。
それは、俺がついさっきまで奪われていたもの。
―――肉体が、構築された。
身体を動かせば、皮膚の上を水が滑る。
つめたい。ちゃんと、つめたい。
それに感極まって、今までと同じように口を開こうとして―――
「――――――っ??!」
口の中に水が入ってきて、溺れた。