補正2:魂魄状態
毎朝鏡で見ていた、見知った「俺の身体」でいやらしく嗤うソイツを見ても、俺自身にそれほど衝撃はなかった。
何となく察していたのもある。
あの「黒いの」は、感情こそ無かったけれど、意識だけはいっちょまえに持っていたのだ。
『肉体が欲しい』。
ヤツの望みはただそれだけだった。
触れられた部分から流れ込んでくる、憎悪にも似たその欲望に、俺の身体は屈したのだ。
当然俺も拒絶したし、自分の肉体を死守しようとしたけれど、ヤツの欲望はそれを上回って尚有り余るほどだった。
競り負けた結果、俺の「魂魄」は「肉体」から弾き出されたって寸法である。
臨死体験も真っ青だな。
ヤツが「何」なのかはやっぱりわからないし、ここが「何」なのかも相変わらずわからない。
「魂魄」状態になった俺がなぜまだ存在できているのかとか、なんで肉体が無いのに「みえて」いるのかとか、わからないこと尽くしで嫌になる。
『へぇ、まだ消えないの。器も無いのに大した精神力だね』
「生憎と、お前よりも怖いヤツに釘刺されちまったんでね。勝手に消えたらしこたま殴られんだよ」
『ふぅん』
俺の顔と俺の声で、俺が絶対にやらない表情を浮かべている。
見てて気持ちのいいもんじゃねーな。
「だから、とりあえずテメェぶっとばして、肉体取り戻さなきゃなんねーの」
殴られんのは御免だからな。
痛ぇんだよアレ。シャレにならん程度に。
『意気込んでるところ悪いんだけどさ、「おれ」、本体じゃないんだよね』
「知ってる。その『黒いの』の先に居るんだろ」
『あれ? バレちゃった?』
俺の肉体を奪った「黒いの」は、まだ俺の肉体にまとわりついたままなのだ。
それはある一点まで途切れる事無く繋がっていて、そしてその一点は、あの「歪み」に他ならない。
黒いもやのようなそれに覆われていて向こう側は見えないけれど、あの向こうにもきっと、澄麗が消えた歪みの向こうに見えていたのと同じ空があるんだろう。
『まぁバレたところで問題ないんだけどね。どうせキミはおれの「一部」にすら屈するんだ。意気がったところで、どうにもできないでしょ?』
「まぁ、そうだな」
素直に口にすれば、ソイツはちょっと意外そうな顔をした。
『認めるんだ?』
「そりゃ、たった今肉体の支配権ぶんどられたとこだしな」
敵わないことは十二分に理解している。
目の前に居るコイツはあの「黒いの」の一部分でしかなく、本体はあの「歪み」の向こう側で踏ん反り返ってるのも知ってる。
でも、だ。
「だからって諦める理由には、なんねーだろ?」
渾身のドヤ顔でそう言い切ったら、ソイツはきょとんとしたあと、心底面白い物を見たとでも言いたげに笑い出した。
『あはははは! そうだね、諦めないことは大切だ! おれも諦めなかったからこうやって肉体が手に入ったんだもんね!』
失礼にも程がある程度に笑い転げていたソイツは、ひとしきり笑った後、目尻に浮かんだ涙を楽しそうに拭って、俺の顔を真っ直ぐに見つめてきた。
『でもおれ、こんなに素敵な肉体を手放すつもりはサラサラないんだよね。なんでか知んないけど魔力との相性も異様にいいし』
「は? まりょく?」
聞き慣れない単語に首を傾げたところで、コイツが説明してくれるワケもなく。
『だからさ、キミとはここでお別れだ』
「え?」
『え?』
いや、フツウここは「面白い! ならばおれのところまでたどり着いてみせるんだな!!」とか言って俺のこと見逃してくれるシーンじゃね?
いや、ほら。あるじゃん。王道展開とかさ、あるじゃん?
主人公を気まぐれに見逃してさ、それが仇となって追いつめられる的なさ。
え? だよな?
『……一応コレキミの身体だし、表情見てたらなに考えてるのか何となくわかるけどさ。常識的に考えてよ?』
何だよ。
『他人から大切なモノを奪って、持ち主が死に物狂いでソレを取り返そうとしてくるのがわかってる状態で、人知れずその持ち主を葬り去らせるとして、だよ?』
「………おう」
なんということでしょう。
コイツの言いたいことがわかってしまった。
『葬り去るに決まってるじゃん、常識的に考えて』
「ですよねー!!」
まぁそうですよね!
俺自身常々そういうシチュ見るたびに「コイツなんで見逃してんだよバカじゃねーの」って思ってたしな!
芽は早いうちに摘んどかないと後々困るもんな! 雑草だってちっさい時なら労せず引っこ抜けるけど育ったらとんでもなくしぶとくなるもんな!
「よし! 待とう! ちょっと待とう!?」
『いや待たないよ? 待ってもおれにメリット無いし待たないよ?』
「そこをなんとか!!」
『何ともならんよ』
チクショウ!!
ドヤ顔で啖呵きってコレかよ!!
確実に澄麗に殴られるじゃねーか!!
あっ
死んだら殴られることも出来ないんだよな…。
こんなことになるんならもっと殴られときゃ良かった…。
『ねぇ急に変態じみたこと考えて勝手にヘコむのやめてくんない?』
「何故わかった?!」
クソッ、ちょっと調子乗って「あれ? これ主人公っぽくね? 冒険物の主人公っぽくね?? ファンタジー物の主人公っぽくね??」とか喜んでたらこれだよ!
どうせ俺は「大きな災厄の前になんかそれっぽい物に巻き込まれて死ぬ一般人ポジション」だよ!!
今頃橋の崩落を始めとして世界の崩壊とかなんかそんなんが始まってるんだろ?
澄麗の方は澄麗の方でなんかいろいろやってるんだろ? 知らねーけど。
『さて、お遊びもこの辺にして、さっさと終わらせようか。おれもこの場所に長時間居たくないし』
焦る俺を余所に、なんか黒っぽいもんをまとわりつかせて最高に悪役なオーラを醸し出し始めたソイツは、俺の顔をしてにっこりと笑った。
『肉体を手に入れた今なら、この場所でも魔法が使えるだろうし』
「え?」
え?
今なんて?
『喜びなよ。キミは、おれの最初の犠牲者だ』
ちょっと耳を疑う単語を躊躇いもなく発したソイツは、困惑する俺のことなどガン無視して、俺の方に両手を向けてきた。
『…む。やっぱちょっと勝手が違うな…。仕方ない』
ヤバい。
何か知らんがなんかする気だ。
魔法とか言ってたし、俺の常識が当てはまらないタイプの人種かもしれない。
いや、厨二病とかそう言う類いのモンじゃなくて。
だって、ほら。なんかあいつ、もともとは黒いもやっとした物なワケだし。
魔力がどうとか言ってたし、魔法が使える系のヒトかもしれん。
いや厳密に言えばヒトじゃないんだけど。
どうする!?
どうにかしようにも俺は魂魄、つまり早い話が幽霊状態なワケで。
この場所は見渡す限りなんもなくて。
唯一の脱出口らしき「歪み」はアイツの後ろで。
まぁ、なんだ。
つまりは。
「詰んだ…?」
『そう言うこと! じゃあ恨まないで消えちゃってね!』
黒いモヤモヤをオーラみたいに纏った俺の姿をしたソイツは、何故か某有名少年マンガの主人公が必殺技を放つ時みたいな格好をしていた。
えっ。
俺の姿でそう言う格好するのやめてもらえません?
『燃え尽きろ! 終末の劫炎!!』
うわぁやりやがったコイツ!!
何かイタい技名まで叫びやがった!!
だがあまりのイタさに身悶えている場合ではない。
相手は俺の想像の範囲外に居る存在、何があってもおかしくはない。
無駄だろうとは思うが、両腕を顔の前にクロスさせて衝撃に備える。
そして、俺の全身を、強い風が吹き抜けていって―――
……え?
『あはは…あははははははははは!!!!』
え?
あれ??
『すごい! すごいや!! まさか肉体を持つってことが、ここまですごいことだなんて思わなかった!!』
え? いや、あの…?
『ナスカくん、だっけ? こんな素敵な肉体を、どうもありがとうね! まぁもう聞こえてないだろうけど! あはははははははは!!』
いやフツウに聞こえてますよ?
というかこの状況、なんだ?
まず、俺の身体にまとわりつくように風が吹いている。
そして、俺の身体には特に変化がない。
さらに、ラスボスの風格を漂わせた俺の肉体を乗っ取ったヤツは、そんな俺の状況を見て勝ち誇ったように笑っている。
…なんだこれ。
なんなんだこの状況。
『とはいえ、この場所でこの威力、か。戻ったらもっとすごいんだろうな。しばらくはおとなしくして、カラダが馴染むのを待った方がよさそうかな』
混乱する俺には見向きもせず、厨二野郎は大仰な仕草で身を翻して、「歪み」の方へと去って行った。
え?
俺放置ですか?
いや、いいんですけど。その方が助かるんですけど。
でも大見得切ってたのに放置なんですか?
なんかすごい技名っぽいの叫んでたのに放置なんですか?
確かにこの何も無い空間に風を巻き起こしたのはすごいと思うけどそれだけなんですか??
魔法ってコレのことなんですか??
二転三転していく状況についていけず、俺は思わず、カッコつけて去っていく俺の肉体をそのまま見送ってしまった。
後に残ったのは、呆然とする俺と、渦巻く風と、開いたままの「歪み」だけ。
いやさ、でもさ、仕方ないと思うんだよ。
目の前でいきなり厨二劇場展開されてみ? なんもできねーから。
「………えぇー…?」
いろいろとよくわからないけど、とりあえず助かったらしい。
釈然としない思いを抱えつつ、俺は無抵抗で、青空を映している「歪み」の方へと吸い込まれていった。