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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

キメラの檻

 VRMMO〈ユグドラシルワールド〉のゲーム内の一角で二人のアバターが対峙していた。

 場所はネットランキング・ダンジョン編第五位に輝いた【キメラの檻】と命名された個人経営のコロシアム型ダンジョンだ。

 迷宮型が罠や魔物を配置して最深部までの侵入を防ぐダンジョンであるのに対して、コロシアム型は宿主であるプレイヤーが他のプレイヤーと差しで戦う決闘場となっている。

 コロシアム型は宿主によってルールが異なる。ここ【キメラの檻】のルールはアイテムを賭けてそのレア度に応じて宿主が設けたランクに挑戦できるというものだ。例えばAランクのレア武器を持ち込めば同ランクか一つ上のSランクの挑戦ができ、宿主に勝てば何の不利益も無しにSランクの武具等のアイテムを得ることができる。もちろん負けてしまえば賭けたアイテムは宿主のものだ。

 故に宿主は強者でなくてはならない。

 そして観戦モードを利用した顧客たちを虜にする『魅せプレイ』というものをしなければ経営は成り立たない

 そのカリスマ的ゲームスキルと〈ユグドラシルワールド〉に廃人の如く膨大な労力と時間と金を使った男こそが高梨宗一郎――キャラクター名ゼロス。

 ゼロスの姿は眉目秀麗な顔立ちではあるが肌の血の気が薄い。その病気的なまでに白い肌をわざと晒すように彼の服装は病院の患者のような格好だ。とてもじゃないがこれから決闘する人間の防具ではない。

 だが、彼のその姿を責めるものは誰ひとりいない。

 彼の目の前に佇んでいる挑戦者の男もアイテムの最終チャックをして勝つことに余念がない。コロシアムを埋め尽くすプレイヤーたちは固唾を呑んで観客として彼らを見守っていた。


「それでは始めましょうか、ガシュ―さん」

「おう、よろしくな」


 言葉を投げかけるとガシュ―と呼ばれた男が頷く。


「ミラ、合図を頼むよ」


 ゼロスが観客席を割るように陣取られた高台を見上げる。そこには美しいヴァルキリ―のNPCが無表情で突っ立っている。傍らには彼女の身長を上回る銅鑼が配置されており、それはコロシアム型の代名詞ともなっていた。

 ミラが撥を手にし構えると同時にゼロスとガシュ―の視線が交差する。

 言葉はもういらない。

 後はこれから始まる決闘と言う名の遊びを楽しむだけだ。

 観客席に静寂が舞い降り、二人のゲーマーが不敵に笑った瞬間、戦いのゴングが鳴り響いた。

 最初に行動したのはゼロスだ。

 土埃を撒き散らしガシュ―の懐まで即座に距離を詰める。

 頭にはいつの間にか黒い巻き角が生えており、両腕は筋肉により胴周りほど肥大化していた。

 

 ――変身が始まったか!


 ガシュ―は冷静に分析しながら盾を構えゼロスの攻撃を受け流し後方へと下がり距離をとった。

 ゼロスの変化は止まらない。

 沸騰した水のようにぼこぼこと身体が膨らむと、服は筋肉によって引き裂かれ足には太く鋭い爪が伸びる。肌は胸から全身に広がるようくすんでいき、美しかった顔は見る影も無く歪み、次の瞬間にはライオンの顔を形成していた。


『があああああああああ!』


 咆哮が空気を震わし、大地が割れ、衝撃がガシュ―を襲う。

 それは【獣王の咆哮】という固有スキルだ。近~遠距離に風属性の中ダメージと行動不可の追加効果がある。対象者のレベルと発動者との距離に効果が左右されるが、その範囲は半径二十メートルにも及ぶ。


「くっ」


 ガシュ―はもろにその影響を受けることとなり、その隙にまたゼロスは疾走した。


「逃がしませんよ」


 驚異的な脚力を魅せ飛び上がると、不自然に膨れ上がった剛腕をガシュ―に向かって振り下ろした。


「あっぶねーな! この化け物め!」


 行動不能の追加効果が解け、盾で受け止めることに成功したガシュ―は楽しそうに悪態を吐く。そろそろ反撃でもしようかと剣を持った手に力を入れる――が、ちくりと太ももに違和感を得る。

 蛇だ。

 ゼロスの尻尾が蛇となって噛みついていたのだ。

 おいおいおい! 今度は本格的に動けねえ!

 【毒蛇のアギト】はリーチが短いという短所はあるが、耐性がない相手を確実に麻痺させることができる優れたスキルだ。その変わり持続時間も短い。

 麻痺が解ける前にゼロスはその巨大な手でガシュ―を鷲掴みにすると、野球選手のように大きく 振りかぶり闘技場の壁へと投げ飛ばし叩きつけた。

 轟音が響き、建造物破壊エフェクトが埃のように空を舞う。

 大抵、このコンボでほとんどのモンスターとプレイヤーは倒されてしまうのだが、ガシューはその枠に当てはまらなかった。


「隙だらけだぜ!」


 仁王立ちしていたゼロスの背後にガシューが突然現れる。

 【瞬歩】と呼ばれる移動スキルだ。上級魔法と同じぐらいMPを消費して目線に映った場所に瞬間移動する高難度の技である。

 使用法も難しく、視界が急激に切り替わるので酔うプレイヤーが後を絶たずお蔵入りしてしまうのではないかと一時期噂されていた。だが廃人プレイヤーの中から使いこなせるものが出てきた時から【瞬歩】は上位陣営には必須スキルとなった。

 ガシューはその上位プレイヤーであり世界ランキング三位の実力者である。

 【瞬歩】から攻撃に転じ、そのまま斬り伏せることもできたのだが、今回は相手が悪かった。

いらっしゃい。

 内心でそう呟き、ほくそ笑んだゼロスは首から生えた山羊の頭が動いたのを感じ取った。そして背後からは雷が落ちる音と「ぐわっ」という驚きの声が上がる。


「な、なんだそりゃ?」


 困惑を隠しきれないのかガシューが試合中にも関わらず質問をしてくる。


「これは【山羊の逆鱗】という固有オートスキルです。私を背後から狙う敵は全て山羊の怒りに触れ雷魔法で撃ち落とされます」

「オートスキルだあ!? ちなみにMPは?」

「もちろん消費しません」

「うへ、でも今の威力は中級魔法ぐらいだろ? それなら防具と魔法で耐性を上げりゃ――」

「ちなみに、しつこく背後から攻撃すると上級以上の魔法が発動します」

「……」

「正々堂々、正面から戦いましょう」


 ガシューは苦虫を噛み潰したかのような渋面を作った。


「この化け物め」

「褒め言葉ですね。なんたって私はキメラですから」


 山羊が鳴き、毒蛇が口を開け威嚇する。そして宗一郎の顔とリンクしている黒巻き角を生やしたライオンはにっこりと口角を器用に上げほほ笑むのだった。


 高梨宗一郎二十六歳独身サラリーマン

 〈ユグドラシルワールド〉プレイヤーキャラ名ゼロス・クライン・ファールド

 種族〈キメラ〉

 職業〈選択不可〉


 特殊能力――〈獣化〉


    1


「まさか負けちまうとはな~」

「ふっふっふ。私もこの日のために色々と準備しましたからね」


 決闘を終えた二人はキメラの檻の地下二階のゲストルームに移動しくつろいでいた。

 結果はゼロスの圧勝。

 三頭による広範囲三色ブレスが直撃したのが決め手だった。


「キメラがキマイラになるとかありかよ」

「さあ? 似てるからいいんじゃないですか?」


 半眼で睨んでくるガシューに涼しい顔で答える。

 そこには勝者の優越感が見て取れた。


「不遇種族のくせになぁ……ゼロスには毎回驚かされる」


 昔を懐かしむように感慨を込めてガシューはそう呟いた。

 ゼロスは照れているのか口元を緩めるだけで返事をしようとはしなかった。

 この〈ユグドラシルワールド〉略してユーワールドにおいてキメラとは不人気の種族だ。

 アップデートにより追加された当初はその変身能力の多彩さと単純なかっこよさで爆発的な人気をさらったが、並外れた弱さに挫折するプレイヤーが途絶えることはなかった。しかも運営は改良する気はないと宣言してしまったので、新規のプレイヤーが前情報すこしでも齧っていれば絶対に選ばないだろうとまで言われている。

 ではなぜ、そんなキメラを選んだ宗一郎が強いのかと聞かれれば、答えは単純である。


「言っとくが褒めてねーぞ、この廃人が」

「いえいえ、素直に褒め言葉として受け取っておきますよ」


 宗一郎が重課金のゲーマーだからだ。


「ここまで来るのにかなり苦労しましたよ。会社とユーワールドを行ったり来たり。最初から余りにも弱すぎるから誰もパーティーを組んでくれませんしね」

「変身前は縛りプレイ並の低性能。変身後は他の種族と比べステが高いだけで装備もまともな物がない。おまけに語尾に『ワン』とか『にゃん』とか果てには『ブヒイイイ』って叫ぶような奴とは誰もやりたくねえわな」

「あれは呪いですよ。オークに変身していたら「この萌え豚が!」と罵られ何度PKされたことか。自分でもよく耐えられたと感心してます」


 キメラの獣化初期は獣耳や尻尾が生えるだけの可愛いだけなのだが何故か語尾にその変身した動物にまつわる語尾を強制的に付けられるプログラムがされていた。大多数のプレイヤーが運営に抗議したのだが、改善されることなく放置された謎仕様のひとつである。

 だが、男女問わず羞恥心に負けたプレイヤーが他の種族に転生する中、宗一郎は負けなかった。


「それでも続けられたのがお前のすごいところだよ。普通だったら他の連中のようにさっさと転生してキャラクターの創り直しだ」


 ユーワールドの転生システムはプレイヤーに与えられた一回限りの権限だ。

 種族、もしくは顔や体系などに不満などがあった場合、転生システムを利用することでキャラクリエイトのやり直しが可能となっている。


「私のようにキメラから始めた人は大抵一週ぐらいで他の種族に流れちゃいましたからね~」


 あはは、と口だけで笑うゼロスからは哀愁が漂っていた。


「……」


 ガシューはゼロスの最初期時代からの友人ではないため当時のことを知らない。だが、その時にゼロスがソロプレイ専門になる決意をしたのではないかと疑っている。過去を掘り起こす気はないが、それがなければ今頃同じチームでこのゲームを遊べていたかと思うと残念で仕方がなかった。


「ゼロスはあれだよな――」


 また懲りもせず「俺のチームに来ないか?」という言葉を呑みこむため、ガシューは話を続けた。


「NPCにご執心だから転生しなかったんだろ?」

「……ふっ、そうですね。転生して獣化できなくなるより、私が創りだしたサポートキャラがリセットされると知った時の方が決意は固まりましたね」


 キメラという不遇種族だけに許された特権のなかに旅のサポートキャラとしてNPCを創りパーティーに加えることができるという仕様がある。

 他のプレイヤーが和気藹々と友人や仲間同士でパーティーを組む中、キメラ種族はNPCと一緒にクエストをこなす。

 要は必然的にぼっちプレイヤーになってしまうキメラに対しての救済処置である。

 ゼロスはキャラメイクの際にサポートキャラにも自分なりのこだわりを見せ、最高の美少女を創りだしていたため、そのキャラを消すことなどできなかったのだ。


「お前が最初に創ったそのキャラ、並大抵のプレイヤーより強いらしいな。今は何してんだ?」

「このコロシアムを管理するメイド長ですよ」

「はあ?」


 クエストやフィールドに連れて行ってるものだと思っていたのだが、ゼロスの答えはガシューの予想の斜め上をいっていた。


「NPCってのは掃除や洗濯でもしてくれんのか?」

「ははは、違いますよ。ただの設定ですって、せってい。レベルもステも限界突破してるんで、やることがないから私の趣味でメイド服を着せてアイテム保管庫辺りに陣取ってもらってます」

「なるほどな」

「ちなみに、ガシューさんでもうちの娘たちには勝てないと思いますよ」

「ほう、言うじゃないか」


 まるで自分の娘自慢をする親バカのようで内心笑いを堪えるのに必死なガシューだが、内容自体はおもしろいものではなかった。

 トッププレイヤーとしてユーワールドに名を馳せているガシューとして、ただのNPCに負けると言われては立つ瀬がない。


「ぜひとも戦って俺が強いと証明したいところだな」

「じゃあ私の獣化――モデル・キマイラに勝ってから挑戦してください。あの娘たちは私が今日使った獣化より強いですから」

「なん……だと……!?」


 ありえない、とガシューは一蹴したかったが、ゼロスはつまらない嘘を吐くような人間ではない。

 しかし、それが事実ならば個人ランキングの上位陣数名しか勝てないという話になり、もはやゲームバランス崩壊だ。


「しかも娘たちって、何人そのチートNPC囲んでんだよ! お前は!」

「チートじゃないですよ。流石にそこまで強いのは数名しか創れませんし、他の子たちはこのコロシアム基準で精々Aランク止まりばかりですって」

「それでも最強じゃねーか……」


 呆れて言葉が続かない。ドン引きである。

 廃人だとは思っていたがここまでとはガシューにも予想外だった。


「ちなみにその最強の一角があの娘たちです」


 ゼロスが指さしたのはバーカウンターの内側で無表情で佇む双子の美少女だった。


「あれは……上でも見たな。銅鑼を鳴らしてた子だ」


 コロシアム場ではヴァルキリーらしい鎧姿だったが、今はバーテンダーのような格好をしていたためガシューはすぐに気付かなかった。


「はい、金髪がミラ、銀髪がセラ。あのイベントで手に入れた双子のヴァルキリーです」

「あのってアレか、お前が本格的に有名になる切っ掛けになった惨劇か?」

「惨劇って……アレは他のプレイヤーの準備不足と運営のミスが原因じゃないですか。私は悪くありませんよ。それより見てください! 実はあの娘たちがどれほど可愛いか見せつけるためにガシューさんをここに呼んだんです!」

「……」

「ほらほら! そんな興味ないって顔しない! ほんと最高に可愛いんですから、私の自慢聞いていってくださいよ!」

「自慢話ほどうざくてつまらないものはな――」

「ミラー、セラー! 私の下まで来てくださーい!」

「聞けよ、俺の話」


 ガシューが無視されるなか、NPCであるミラとセラが所有者であるゼロスの声に反応しバーカウンターから出てくる。ミラとセラは有名絵師が原案しゲーム内で忠実に再現されたキャラクターだ。そういう方面に詳しくないガシューでも彼女たちは可愛いと思うし綺麗だと感じる。 だが、今更どこを自慢する必要があるのかさっぱりわからなかった。


「ふふ、この娘たちは顔もプロポーションも最高ですが、それだけじゃあないんですよ」


 ガシューの心の内を見透かすようにゼロスが語る。


「いいですか? 見ててください」


 素の身長がヴァルキリーたちより低いゼロスは座っていたソファーの上に立って目線を高くする。

 

 そして――


「二人はいつ見ても可愛いですね~」

 ミラとセラの頭へと手を伸ばし撫で始めた。しかも気持ちの悪い声付きである。


「……ぉぅ」


 ガシューは見守った。

 無表情でピクリとも動かない美少女NPCがだらしない笑みを浮かべる主人に撫でられる様を、そのシュールな光景を。

 このユーワールドにおいて十八禁に触れる行為はできない。というより文字通り触れることができない。性別に関わらず相手の胸や股間、胴体部分に触ろうとしてもまるで透明人間のように身体を通過してしまう仕様となっている。ただ頭、正確には頭頂部と肩、手と腕にはフレンド登録すれば触れられる仕様となっており、よくハイタッチなどがプレイヤー間で交わされる。

 NPCにも有効だとガシューは事前に知っていたが、実際に目にするとなんとも痛々しい光景に見えて心が痛んだ。

 しかもゼロスの手がミラとセラに跳ね除けられ、パシッと乾いた音がステレオで鳴ったことで思わず泣きそうになった。拒絶されているようにしか見えない。


「ね!! ガシューさん、最高でしょ!」

「お、おう」

「NPCを手に入れたらこんなこともできるんですよ。転生したくなったらいつでも相談に乗りますから」

「あ、ありがとな」


 一応、ゼロスなりにミラとセラの萌えポイントがあり、そこを紹介したつもりだったのだがそれはガシューには伝わらず失敗に終わった。


「いや―ミラとセラの可愛さをわかってくれる人がいて嬉しいですよ。……あれ? どうして泣いてるんですか? ガシューさん。泣き落としでもうちの娘は譲りませんからね!?」


 ぼっちプレイヤーを極めた男と無表情NPCにガシューの苦悩は理解できなかった。


   2


「さて、俺はそろそろ帰るよ」

「あ、もうそんな時間になりました?」

 ゼロスは腕と手首を使いメニュー・ウインドウを開き時間を確認する。随分と長居していたらしく、ゼロス自身もログアウトしなければならない時間になっていた。


「これは私も帰った方が良さそうですね。明日……というより今日の仕事に響きそうです」

「そうか、今日はお開きってことで、俺はこれからアイテムで根城まで飛びたいから帰還アイテムだけ使えるようにしてくれるか?」

「もちろんですよ……はい、終わりました」


 画面を操作し【キメラの檻】のゲストルームから帰還アイテムと魔法だけを使用できるように設定した。簡単にいえばダンジョン内でもル○ラやキメラのつ○さを使えるということだ。


「そういえば私に翼が生えたら最寄りの街とかにひとっ飛びできたりするんですかね」

「ゲームが違うだろ。つかお前は変身したら空も海も関係なしにどこでもいけるだろ」


 帰還アイテムを眺めながらガシューがツッコミを入れる。


「――っと、そうだ。思い出した」

「?」

「今日ここに来た目的があったんだ。ちょっと待っててくれ」


 メニュー・ウインドウを開き「えーと、あれはどこに仕舞ったけな」など独り言を呟きながら目を上下に動かす。

 相当量のアイテムに目を通しているようだがお目当てのものが見つからないのか苦戦しているようだ。


「ちゃんとアイテムは整理した方がいいですよ。たまに思いがけず戦闘で使うんですから」

「うっせ、今日の試合前に必要なの取ってごちゃごちゃなんだよ――あ、あったあった。これだ」

「なんですか、それ」


 ガシューがアイテムボックスから取り出したのは、真っ白で片手で持てるくらいの大きさの箱だった。


「俺もよくわからん」

「わからんって……とと! 急に投げないでくださいよ!」


 ぽいっとゴミを捨てるかのように投げられ慌ててゼロスがキャッチするが、このユーワールドではアイテムを落としたところで壊れたりはしないので意味はない。条件反射に従っただけだ。


「そのアイテムの説明を読んでみてくれ」

「説明、ですか」


 ダブルクリックするようにアイテムを人差指で二回押す。するとゼロスの前にそのアイテムの説明表示ウインドウが現れた。


「……名無しのアイテムなんて珍しいですね。運営のミスですか? レア度も書いてない」

「俺は意図的にやってると思っている。問い合わせたらそのアイテムに関してお答えできることはありません、だとよ」

「(消耗品)このアイテムはプレイヤー専用ダンジョンで使用します。プレイヤールーム内でこのアイテムを具現化し、そのまま握り潰すことができれば魔法が発動します。ご武運を……いやいやいや、意味がわかりませんよ、これ。説明になってないじゃないですか。しかも握り潰すって……」

「変なアイテムだろ? ゼロスにあげるよ」

「えぇー」


 正直いらなかった。使い方は書いてあるがなにが起こるか明記されてないアイテムなんて貰っても手に余る。


「こんなパ○プンテみたいなアイテムいりませんよ。私、ギャンブル的なものには弱いんでリアルでもバーチャルでもやらないようにしてるんですから」


 ガチャ以外ね、と心の中で呟く。


「弱いって誘惑に負けるって意味だろどうせ」

「それは言わない約束ですよ」

「そんなゼロスに朗報だ! 実はそれ、前のイベントの優勝賞品の一つなんだ」

「……は? これが」

「そう、ぼっちのゼロスには参加する権利すらなかったチームイべの賞品」

「喧嘩売ってんですか!? 掘り返さないでくださいよ!」

「ははは、悪い悪い」


 一週間ほど前に開催されたイベントは単純なトーナメント形式のチーム戦だった。チームを組むには同じギルドに所属しているプレイヤー同士でなければならなかったため、NPCしかいないぼっちギルドのゼロスには無縁のイベントだったのだ。

 そしてそのイベントで見事優勝を果たしたのがガシューが所属していたチームだ。


「内のチーム……つか、ギルドでな、優勝したら賞品は山分け、ギルド全体のためになるように工夫しようって団長が宣言してて誰も異議なんてなかったんだ」

「はあ」

「んで、実際優勝して賞品の蓋を開けてみたらその問題児が現れたってわけよ」


 ガシューが箱を指さし忌々しそうに言葉を吐く。


「レア度も名前も書いてない肝心の使った時の効果もわからない。さっきも言ったが運営に問い合わせてもお答えできないの一点張り。そのくせ使うことは進めてくるんだぜ、きな臭いだろ?」

「そうですね」

「ダンジョンっつったらギルド全体に関わることだからな。使用するか否かで多数決を取ったんだ。結果は7対3で使わない方向に決定。お蔵入りとなったわけよ」

「ガシューさんはどっちに入れたんですか?」

「俺? 俺は反対派かな。あの運営が用意した不確定要素の多いアイテムなんて地雷みたいなもんだろ」

「話を聞いてる限りどう考えても貰っても嬉しくないんですけど……」


 ゼロスがわざとらしくアイテムを遠ざけるような仕草をする。


「だよなー正直に言うとそのアイテムの所為でトラブルが起きてなぁ、預かってて欲しいというのが本音だ」

「トラブル?」

「強行派がギルド内にいてな。そいつらが団長のプレイヤールームで勝手に使おうとしたんだよ」

「うわーそれは災難でしたね」

「もう最悪の一日だったわ。詳細は言っても面白くないことばかりだから省くけど最終的にそいつらは退団、アイテムは破棄しようって結論になったんだよ」

「へ~……あれ? そういえばよくその暴挙を阻止できましたね。誰かギルメンが尾行とかしてたんですか?」


 使われるはずだったアイテムを眺めながらゼロスは疑問を口にする。


「あぁそれはな、説明に使う時に握り潰すってあっただろ? 連中にそれができなかっただけなんだ」

「……ほう、なにか条件があるんですかね?」

「かもな。筋力をカンストしてる奴が潰そうとしても駄目だったらしいし他の要因が欲しかったんだろ」

「へぇ~」


 ガシューは説明しているうちに当時のことを思い出してきたのか段々と態度が投げやりになってきた。一方ゼロスはガシューの元ギルドメンバーが潰せないというアイテムに興味が湧いていた。自分ならできるんじゃないか、と。


「とにかく! それは問題の種にしかならんし、破棄しようとしてもなぜかコマンドが見当たらない。だけど委譲することはできる。だから団長と相談して考えた! ゼロスに譲ろうと!」

「急にすっ飛ばしてきましたね。私がでてくる理由がわからないんですけど」


 面倒臭くなってきたのかテンションを上げて結論に達しようとするのはガシューの悪い癖だ。長年の付き合いなので今更ゼロスは気にしないが。


「理由は多々あるが……簡単に言うとゼロスがぼっちだから渡してもこういった問題は起きないだろうという考えだ。もし他のギルドに渡して問題が起きてこっちの責任にされるのは勘弁願いたい」

「なるほど」

「最初にあげると言ったからには試しに使ってくれても構わないし、俺達としては預かってくれるだけでも助かる。だから頼む! 友人を助けると思って受け取ってくれ!」

「……わかりました。これは私が貰っておきますよ」

「本当か!」

「流石にガシューさんに頭を下げられたら断れませんよ」

「ありがたい、これを頼めるプレイヤーなんてゼロスぐらいしか浮かばなかったからほんと助かる。さっそく移譲しよう」


 ガシューが安堵の笑みを浮かべながらウインドウを操作する。数秒後、ゼロスの前に受けとるかどうかの了承パネルが現れ、すかさずOKボタンが押された。

 これで名無しのアイテムがゼロスのものとなった。


「最後に聞いておきますけど、これはもう私のものだと思っていいんですね?」


 アイテム欄にある不自然な空白を眺めながらゼロスはガシューに問う。後から必要になったから返してくれ、と言うような友人だとは思っていないが、対人関係での面倒事はうんざりなのでゼロスにとっては敢えて確認しなければいけない重要なことだ。


「ああ、それは問題ない。俺達のギルドの決定事項だ。もしゼロスがそのアイテムでレアな武器やアイテムを手に入れてもこちらは干渉しない。全部お前のもんだ」

「……なら、大丈夫そうですね」

「もしかして使うのか?」

「まだわかりませんが興味はでてきました」

「物好きだな」

「渡してきた本人が言わないでください」

「はは、それもそうだ。んじゃ、俺は帰るわ」

「はい、お疲れさまです」

「おうお疲れ。今日はありがとな。試合とかアイテムのこととか」

「気にしないでください。試合の方は次の挑戦を待ってますからね」

「おう! 次はぜってー勝つからな」


 それを捨て台詞に、ガシューは帰還アイテムを掲げ自分のホームへと帰っていった。透かさず変更した設定を元に戻し、抜かりはない。


「……さて、どうしようか、これ。ログアウトする前に試してみようかな」


 箱を掲げ思案する。

 口調が砕けたのはもちろんガシューがいなくなったからだ。

 宗一郎はガシューのことを友人だと思っているが、ネット上の相手だと丁寧な言葉遣いになってしまう癖があった。といってもリアルで友人がいるのかと問われれば宗一郎は黙ってしまうのだが。


「……ああ、そうだ。ミラ、セラ、カウンターの椅子に座って待機」


 こくりと双子の姉妹がシンクロ首肯をするのを確認する。

 NPCとはいえ棒立ちで待機させておくのは気が引け、何より違和感が強い。だからゼロスはよくこういった命令をする。


「よし、じゃあさっそく行きますか」


 双子姉妹を見送り、ゼロスは部屋を出る。

 コロシアムの地下は無駄に豪華になっており城をイメージした通路や玉座を設置し、誰でも魔王気分を味わえる造りとなっている。他にも水中戦を練習するためのプールや普通のリビングに道場や農園エリアに食堂等々。とにかく詰め込めるものを際限なく詰め込んだきてれつダンジョンとなっている。

 もちろん意味はある。

 玉座を設置したのは自分の獣化画像をネットにアップしキメラの檻を宣伝するためであり、プールは友人と遊びやNPCのため、リビングは広々とした空間ばかりで落ち着かなくなったため。農園や食堂は完全供給で食事ボーナスをクエスト前に受けるためだ。

 何一つとして無駄な物はない。ただガシューら友人数名には「詐欺だ!」「これ檻じゃねよ! 引き篭もりの籠城だよ!」と散々なお言葉をゼロスは頂いている。

 便利ならなんでもいいんですよーと開き直りながらゼロスは大理石の廊下を歩き玉座の間の前までたどり着く。

 そして、その巨大な扉を開けるのではなく隣にある壁と同化したちんまりとした扉をくぐり中に入っていった。

 そこは薄暗く大きめの椅子がぽつんと置いてあるだけのシンプルな部屋だ。

こ こがプレイヤールームと呼ばれる場所であり、コロシアムの運営、設定、設計、増築の全ての中枢となっている。


「ここで握り潰せばいいんですよね?」


 誰に問うでもなく、再確認するように疑問を口にする。


「……」


 一瞬、本当に使っていいのか迷いが生まれた。

 なにが起こるかわからないし、もしイベント発生キーアイテムだったら徹夜コースは間違いない。ガシューの所属しているギルドに対しての遠慮はないが、これが自分にとってメリットになるかは甚だ疑わしい。


「……握り、潰せなかった」


 ゼロスはガシューの言ったその言葉が耳に残っていた。

 これは対抗心だ。

 キメラという不遇種族から成り上がり、トッププレイヤーとまで謳われるようになったゼロス・クライン・ファールドが培ってきた、勝ちたいという欲求でもある。


「やろう」


 覚悟を決める。

 運営の罠だとしてもこれまで何度もイベントをこなし独りで、あるいはNPCたちと立ち向かってきた。そんな自分が高々用途がわからないだけのちっぽけなアイテム一つでここまで思い悩むのも馬鹿らしいと心で一蹴する。


「……」


 がしっと白い箱を鷲掴みにする。

 そしてゼロスはその箱を握り潰し――


「ふんっ!」


 握り潰そうと――


「はっ!」


 握りつぶ――


「てやっ!」


 にぎ――


「ふおおおおおおおおお!」


 プレイヤールームに憐れな男がいた。

 白い箱を握りながら奇声を発しているゼロスという男だ。


「なんでぇ!? おかしいだろこのアイテム!!」


 声が裏返り悲痛に叫ぶ。


「ふん、ふうううう!」


 気合の掛け声とともに力を入れた。もちろんゲームはステータス依存のため意味がある行為ではないが気持ちの問題だ。


「このっ、ぐっ……」


 両手で持ち押し込むように潰そうと試みる。


「はあああああああ!」


 箱を頭上に掲げサイ○人のような叫び声まで出てきた。今ならかめ○め波も撃てそうだ。

 だが……。


「マジか……これ」


 ゼロスには箱を潰せなかった。それどころか形すら変形しない。


「……悔しいな」


 箱を手放し、床にころんと落ちたそれを憎々しげに見下ろす。

 潰すと覚悟した手前、引きさがるのは負けた気がする。


「……本気でいくか」


 先程みっともない奇声を上げていた者のセリフではない気がするが、決して負け惜しみではない。


「この部屋だと……アレには変身できないから、またキマイラでいいか」


 ゼロスはそう言い、すぐさま試合中に使ったキマイラに獣化した。


「とと、いかんいかん」


 身長が約二倍に跳ね上がったことで角が天井にぶつかり、慌てて前傾になり視線を低くする。

 コロシアムの決闘中は段階を踏んで獣化していたが、あれは魅せプレイの一種である。本当はこのように一瞬で変身できるのだが、それよりも徐々に変化していった方が客受けがいいとわかり知ってからはそういうちょっとした演出をするようになった。


 「ちっちゃい」


 先程は両手で握っても隠しきれなかった箱だが、今のキマイラ化したゼロスにとってそれは親指と人差し指で挟める角砂糖みたいなものだ。


「……えいっ」


 ぷちっと潰れた空気のような音をだし、その箱は跡形も無く消え去った。


「え?」


 余りにも呆気なかった。

 そして、驚いている余裕は残されていなかった。


「うお! 眩しっ!?」


 箱が存在していた場所が輝きだし、部屋に光が溢れゼロスを包み込む。

 そして――


「……? なんだったんだ?」


 何も起こらなかった。少なくともゼロスにはそう見えた。


「イベントは? なにかアイテムが落ちてるなんてこと……いてっ」


 顔を上げ部屋を見渡そうとして天井にまたぶつかる。


「……ん?」


 ゼロスは違和感を得た。

 ゲームでキャラクターがダメージを受けるとつい「痛い」と呟いてしまう癖があるが、今回は角の付根の部分に衝撃が走ったのだ。


「ん~?」


 ぽりぽりと頭を掻く。

 どちらにしろ実際は痛くも痒くもないのだがユーワールドでそのような触覚に関する仕様は存在しないためゼロスには不思議でしかたなかった。

 ドンドンと角で天井を突く。


「やっぱり変だ。角や頭に触ると感触がある。これは運営に報告しないと駄目だな」


 ゼロスは箱のことは一先ず後回し直面している問題を解決することにした。

 腕を振り、手首をスナップさせる。

 ゲストルームでもやったメニュー・ウインドウ起動シグナルだ。

 だが、


「あ、あれ?」


 ゼロスはまた腕と手首を振る。


「ウインドウがでねえ!」


 何度同じことをやってもメニューが起動せず、傍から見ると大型キマイラが謎の踊りをやっているようにしか見えない光景が完成していた。


「結構このゲームやってるがこんな経験は初めてだなぁ。しょうがない、強制終了させるか……え~と、顔を上に向けて名前と強制終了って叫ぶんだよな?」


 強制終了とは緊急処置として設置されたログアウト方法だ。ゲームを起動するたびに説明を受けるのでゼロス含め全プレイヤー耳たこの常識となっている。


「高梨宗一郎、プレイヤー名ゼロス・クライン・ファールド、強制終了!」


 キマイラが咆哮する。

 しかし、なんの反応も返ってこない。虚しい静寂が落ちるだけで、宗一郎が慣れ親しんだ現実の部屋に帰れることはなかった。


「いやいやいや! 嘘だろ!?」


 ここで初めて宗一郎は焦り始めた。ウインドウが出ない不具合というのは他のゲームでも遭ったと耳にしたことがあるので心構えはできていた。それでも強制終了が効かないというのはありえない。


「高梨宗一郎! プレイヤー名ゼロス・クライン・ファールド! 強制終了!!」


 叫ぶ。


「強制終了!!」


 叫ぶ。


「なんなんだこれは! デスゲームじゃあるまいし!」


 デスゲーム――仮想世界に取り残されクリアできるまで現実に戻ることのできない……という設定のフィクション。

 そう、あくまでフィクションだ。


「……まだ決まったわけじゃない。落ち着け、落ち着くんだ。強制終了のやり方が間違ってるのかもしれないし、一端町に出て他のプレイヤーに教えてもらおう」


 自分に言い聞かせるようにゼロスは呟く。


「まさかこれがあの箱のイベントってことないよな……って、ん?」


 箱の影響を疑いだしたゼロスの耳に小気味の好い規則的なノック音が聞こえてきた。


「はいはーい、今出まーす」


 どすんどすんとキマイラのままドアまで向かいドアノブに手を掛け、ふと我に返る。

 あれ? 誰だこれ? うちのダンジョンにはプレイヤーは俺しかいないし後はNPCだけ。でも、NPCにはそんな機能ついてないはず――


「失礼します。ご主人様、先程から大きな音がこちらから響いておりますが……なにかございましたか?」


 ドアを開いた瞬間、ゼロスの常識は覆された。


「んなっ! は? ええ!?」


 ライオンの口をあんぐりと開け硬直する。


「ご主人様? どうかされましたか?」


 登場したのはまさにそのNPCの一人であり、ゼロスの旅を始めからサポートし苦楽を共にしてきた最高の相棒。エルフからハイ・エルフ、そして最終的に最皇位種のエルフ・クイーンとなった最強のメイド長アイリスが、小首を傾げ心配そうな表情でこちらを見つめてきたのだった。



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