06話 精神支配(サイコジャック)
「さぁ、次は恋人勝負ですの!」
遂に自分の出番がきたのだと、七華はやる気満々の表情を見せた。
「何でも来いですの! キ、キスでもいいですの! いいですの!」
先ほどの、最桃と五歌のペロペロペロペロに対向するようには『キス』しかない。
そう思ったのだ。
だが、実際の心中は……。
――ひ、人前でキスとかありえないんですの……。ペロペロなんて論外ですのっ! そんな恥ずかしいことをするような破廉恥極まりない人達は頭がどうかしている人なんですの!!
ウブウブで可愛い思考の七華なのだった。
「はははっ、キスなんて、そんな簡単なものじゃ勝負になりはしないよッ」
確かに、ボールをペロペロと舐め回す男にとって、ボールにキスをすることなどわけのない事だ。
「ならなにで勝負するんですの!」
「恋人同士といえば、相手の気持を理解していて当然。そう、以心伝心で勝負だ!」
七華はその言葉を聞いて、内心ほっと息をついた。
もしキス勝負だったら、どうしたらいいのかさっぱりわからなかったのだ。
けれど、胸の奥底にキスが出来なくて残念がる思いがあることに、この時の七華はまだ気がついてはいなかった。
「わかったですの。超彼女であるわたくしにかかれば、五歌が何を考えているかだなんて、余裕のよっちゃんでわかるんですの」
「おいおい、本当かよ……」
「本当なんですの! ほら、五歌」
「なんだよ」
「わたくしの目を見つめるんですの……」
「え?」
「はやくですの」
「あ、ああ」
二人は向かい合うと言葉なく見つめ合った。
相手の瞳の中に、自分の姿が映る。
そこには、緊張でこわばった顔をした少女が映っていた。
――ああ、わたくしはこんな顔を五歌にみせてしまっているんですのね……。恥ずかしいですの……。でも、でも、ずっとこうして見つめ続けていたいですの……。
瞳に映る自分の姿が、安らかな表情に変化をしていく。
七歌の心が映し出されていく。
それに反応するように、五歌の表情もほころんでいく。
ここに、なごやかに微笑み合い見つめ合う仲睦まじい一組のカップルの姿があった。
「うぐぐぐ、いい雰囲気になっているのにゃ……。なんだか、胸の中がムカムカするのにゃ……」
「ほお、瞳と瞳で通じ合うというわけだねッ! なかなかやるじゃないかッ!」
見つめ合ったまま数分の時間が流れた。
「わかったんですの」
七華は、見つめたまま言葉を続けた。
「五歌の考えていること、それは……」
「それは……!?」
一同は固唾を呑んで、七華の次に続く言葉を待った。
「お金がほしい! ですのっ!!」
五歌を除く、クラス全員がどこぞのお笑い芸人の様にすっ転んだ。
「せ、正解だ……。何故それがわかった!?」
さらに、クラス全員がコケた。
「うふふふ、超彼女にはなんでもお見通しなんですの」
そう微笑んだ七華だったが、実際の所は目を見つめるだけで相手の気持がわかるはずなんてなかった。
わかったのは――そう、自分の相手に対する気持ちだけだった。
――わたくしは、本当に五歌のことを好きになってしまっているようなんですの……。
五歌の瞳に映り続けていた自分の姿は、恋をする少女のものであると、わかったのだ。
あと、五歌がお金のことを考えているとわかったのは、基本的にこの男はお金が全てであり、勝負のさなかであっても基本お金のことしか頭にないであろうという、以心伝心とは全く関係なく推理からだった。
「君たちの力見せてもらったよッ! 今度は僕達の番だッ! いくよボール君!」
大殻司とサッカーボールは見つめ合った。
いや、サッカーボールに目があるわけはないので、それは正しい表現ではない。
その間約五秒。
「ふふふ、君たちのようなにわか恋人とは違い、僕らはほんの少しで相手の気持を理解することが出来るのさッ」
「なんだかわからないけど、凄い余裕なのにゃ……」
「ふっ、この勝負は俺と七華の勝ちさ」
「にゃんですと?」
「やっぱり、五歌のわたくしの愛の力は偉大だということですの?」
「いや、見ていればわかるさ」
三人は大殻司の動向に注目した。
「さぁ、ボール君、僕が何を考えているか言ってみてくれたまえッ!」
……。
…………。
………………。
空白の時間が流れた。
「どうした、ボール君ッ! 僕の気持ちを理解しているはずだろう! さぁ言うんだッ!!」
…………………………。
「まさかだにゃ! 盲点だったにゃ!!」
最桃はこの状況をやっと理解した。
「そう、ボールは喋れないので答えを言うことが出来ないのさ!」
「これが、五歌が勝利を確信した理由だったんですのね……」
あまりのくだらなさに、七華は呆れ顔をした。
「どうしたんだァァァァ! 僕との愛情があれば、口を聞くくらいなんてことないはずだろォォォォッ!!」
大殻司は絶叫した。
だが、その絶叫にもサッカーボールは答えてはくれなかった。
「くそぅ、僕とサッカーボールとは、絶えず昼夜を共にして過ごしてきた親友であり恋人であるというのに、口を聞いてくれることすらしてくれないなんてッ!!」
昼夜を共に過ごしてきている間に、それに気がついていなかったことのほうが驚きだった。
「何時もながら、これといったことをしないまま勝利したようだな……」
いつものパターンであるならば、ここで勝負は終わる……はずだった。
「ボール君、ボールくぅぅぅぅん」
床に倒れこみボールを胸に抱きしめながら、大殻司は泣いた。
ボールはすでに、ペロペロの唾液と涙とで、ベトベトになっていた。
「ボールくぅ……ふふふふふふふ」
「!?」
突如として涙を止め、笑い始めるその姿は異様と表現するのにふさわしいものだった。
そして、糸に釣られた操り人形のように、不自然な立ち上がり方をすると、恋人であり親友であるボールを地面に叩きつけ、跳ね上がってきたところを左足で力任せに踏みつけた。
バシンと地面とボールが擦れる音がこだました。
「勝負は、まだ終わってはいないよ。そう、主人公と主人公の勝負がね……」
口調すら全くの別人のように変わっていた。
そう、今まで語尾についていた『ッ』がなくなっているのだ。
「まるで人が変わったみたいですの……」
「そうだにゃ、まるで別人なのにゃ……」
二人は、顔つきと言動どころか、大殻司から発せられるオーラのようなものが、まるで別のものであるということに気がついた。
「もしかして……これは精神支配の能力にゃ!?」
「精神支配って……。それは上位主人公である、あの人の力なのですの……」
「おいおい、お前ら二人だけで何を喋ってるんだ?」
五歌には二人の言葉の意味がまるでわからなかった。
「逃げるにゃ! この場は那由多ちんの負けにしてでも逃げたほうがいいにゃ!」
「今の五歌の力では、まだ勝つことは出来ないんですの……」
「おいおい、だから何を言ってるんだよ、俺にわかるように言ってくれよ」
今までに無いシリアスな表情を見せる二人に、五歌は戸惑った。
「さぁ、勝負の続きをしよう。そうだな、PKで勝負をつけようか」
「おいおい、それってサッカーのあれだぞ?」
「そう、サッカーのあれだ」
「お前、サッカーのルール知らなかったはずじゃ?」
「ふふふ、そうだったかな。でも、サッカーのルールも知らないような僕が相手なのにPK勝負は怖くてできないかな?」
「なんだと! 変態にそこまで言われて黙っていられないな。良いだろう、やってやろうじゃないか!」
五歌には、まだ相手があのボールフェチの変態にしか見えてはいなかった。
明らかに相手は、ボールによって快楽を得ることのみを追求していた変態とは別人格であるというのに、その変化に気がつかないその訳は、五歌が場の空気を読む力をもっていないからである。
「駄目だにゃ……。本当にあの人が相手なら、五歌がかなう道理がないにゃ……」
最桃の悲痛な声も、五歌の耳には入りはしなかった。
※※※
五歌、最桃、七華、大殻司の四人はサッカーグラウンドへと場所を変えた。
この学園の校庭は、尋常でないほどに広い。
すべての部活の競技を一挙にやることなど容易い。
何故か、森や山などもあり、関ヶ原の戦いくらい出来ちゃうんじゃない? と思うほどの広大さだった。
ちなみに、全校生徒の人数は……秘密である。
さて、いつの間にか、グラウンドを囲むように見物客が集まりだしていた。
「そう言えば、忘れてたな……。あいつ、キック力だけはあったんだよな……」
ゴールライン上にたち、つけ慣れていないキーパー用のグローブをつけながらボヤいた。
確かに、最初の登場で教室の扉を破壊したのは記憶に新しいはずだった。
だが、その後の変態行動があまりにも強烈過ぎて、記憶から消されてしまっていたのだった。
「やっちゃったかなぁ……」
と、反省をしてみても後の祭りである。
しかも、話の流れ的に、五歌が先にキーパーをすることが決定してしまっていた。
「うん。なかなか良い身体だ。これなら、良いシュートが打てそうだな」
大殻司は、自分の身体のスペックを確かめるように柔軟運動をこなしていた。
「もし、本当に大殻司を操っているのが、あの人だとするならば、あの人は操る人間の潜在能力の全てを出し切ることが出来るにゃ……」
「ただでさえ、とんでも無いキック力を持つ大殻司の潜在能力を全て開放したとしたら、恐ろしいことになるんですの……」
二人はこの勝負を止めに入ろうと、何度と無くグランドに入ろうとしては躊躇していた。
この勝負を止めにはいることに踏み切れない理由。それは――五歌の潜在的な主人公力を信じていたのだ……。
「君の力をとくと見せてもらうとしよう。さぁ、行くよ!」
大殻司は、大きく足を振り上げると地面をえぐらんばかりの勢いで振り下ろした。その風圧たるや、周りにいた数人がバランスを崩して倒れるほどである。
左足に込められたパワーはすべてボールにダイレクトに伝えられ、ボールは唸るような轟音を上げ、あたかも弾丸のようにゴールに向かい一直線に飛んだ。
プロサッカー選手のシュートは百キロを超える速度を出すというが、このボールは音速に届かんとするほどの速度で五歌に向かっていた。
それは、もはやボールではなく殺人兵器の一種と呼ぶにふさわしい威力を秘めていた。
「あれ、俺ってば死ぬんじゃないの……」
目前に迫るボールを目にし、五歌は死を覚悟した。
その時、まるで時間がスローモーションに鳴るのを感じた。
――ああ、これが走馬灯ってやつか……。
金切声を上げる、七華と最桃の声が耳に入った。
――おいおい、そんな声出すなよ。って、あいつら泣いてないか?
それを知覚する時間があったんかどうかはわからない。けれど、五歌には二人が泣いているのを感じ取ることができていた。
――女を二人泣かせて、死ぬとかさ……。男としてどうなんだろうな……。
一秒の百分の一の時間を、五歌は実感する事ができていた。
そして、ボールが顔面に迫った時に、五歌が思ったこと……。
それは……。
――百万円使い切りたかったなぁ……。
だった。
ボールは五歌の顔面を破砕して、首から上を根こそぎ奪いとったままゴールに突き刺さる。
そう思われた瞬間。
音速に近いボールを迫るように、突如として遥か彼方の虚空から一陣の光の矢が現れた。
それを知覚出来たのは、死を目前とした五歌のみであった。
光の矢は安々とボールを貫いた後に、急激に天高く上昇すると、今度は地面にめがけて急降下を始めた。
そしていくら加速度を落とした光の矢は、地面へと突き刺さり爆音と共にグラウンドにクレーターを作った。
「い、生きてる……」
爆発によって舞う土煙から、両腕で顔面を覆うようにして、五歌は自分がまだ生きているということを実感した。
爆発に驚いた見物客が一同にざわめきの声を挙げだす。
「なんだなんだ?」
「何が起こったんだ?」
「爆発したぞ?」
「えっ、ボールは? ボールはどこなの?」
ボールはすでに、光の矢によって跡形なく消し去られていた。
「何か余計な邪魔がはいったようですね。それに、この身体はもう限界のようです。この勝負はあなたの勝ちをしましょう」
大殻司の身体は、今のシュートを放つことによって、両足の筋繊維を断裂していた。
釣り上げていた糸が切れたように、大殻司はその場に倒れこんだままピクリとも動かなくなった。
まさか、死んでしまったのでは?
「ボール、僕のボールがァァァァッ! 無いよぉ、僕のボールがないよォォッ! 誰か、ボールをくれよぉォォッ!!」
大殻司はゾンビのごとく、地面を這いずり回りボールを求めてどこかしらに去っていった。
こうして、サッカーボールフェチ男こと、大殻司は勝負に敗れたのだ。
「や、やったですの……」
「やったにゃ! やんたんだっにゃ!」
七華と最桃は一斉に五歌のもとに駆け出す。
お互いがお互いを弾き飛ばすように先を争いながら、五歌のもとへと全速力で。
「とうっ! ですのっ!」
五歌まで後数歩ということろで、七華は頭を大きく振励乱し、最桃の顔面に自慢の金髪縦ロールを食らわせた。
「うにゃっ!」
「金髪縦ロールは伊達じゃないんですの!」
七華は最桃がひるんだ隙を突いて、数歩先んじて五歌の胸へと飛び込む。
「良かったんですの! 五歌にもしものことがあったら、わたくしは……わたくしは………うわぁぁぁん」
七華は泣いた。
今日一日だけで、この少女は何度泣いたことだろうか。
それも全部、この五歌という男のためだけに、七華は何度も涙を流したのだ。
「大丈夫だから安心しろ、な?」
五歌は、七華の頭を優しくなでた。
「ふにゃ……」
泣き顔のまま、七華は五歌を見つめる。
「そこまでにゃっ!」
最桃のフライングクロスチョップが七華の首筋に炸裂した。
「痛いですの!」
「ズルした罰だにゃ!」
ワーだの、キャーだの。いつもの二人の言い争いが始まる。
「しかし、これは……」
五歌は地面に突き刺さっている矢を見つけた。
「まさか、このタイミングで矢文が来るとは……」
地面に突き刺さった矢を抜きながら、矢尻についている文に目をやる。
「は?」
「にゃ?」
二人は言い争いをやめて、やっと矢に注目をした。
「矢文ってなんですの?」
「ん? これだよ」
五歌は矢尻についている手紙を広げると、少し迷いながらも七華たちに見せた。
「ふむふむ、五歌様いかがお過ごしでしょうか?」
「わたしはいつも、五歌様のことを想っております。にゃ?」
その手紙に書かれている内容は、恋に焦がれる少女が五歌に出したものに相違なかった。
「これはあれだ、田舎の彼女からの矢文なんだわ」
「はぁああああああああああああああ?!」
この日一番の驚きの雄叫びを上げる二人だった。