05話 ペロペロペロペロ
大殻司は一見すると、爽やかなスポーツ少年に見えるだろう。
実際、サッカー部であると思われるユニフォームを身に着けているし、スパイクだって履いている。
そして、脇にはサッカーボールを抱えている。
だがよく見てもらいたい。
抱えたサッカーボールを、脇にこすりつけるようにして、快感に悶える表情をしているではないか……。
「こ、この硬いボールが脇にこすれる感触が……た、たまらない……」
頬を朱にそめて、下半身をモゾモゾとしだす姿を形容する言葉はただ一つ。
「変態だな……」
「変態ですの」
「変態だにゃ」
三人満場一致で、変態だと認定された。
「僕は変態じゃない! サッカーをこよなく愛する男、大殻司さ!」
「ちょっと疑問なんだが……お前が愛しているのは、サッカーじゃなくて、サッカーボール単体ではないのか?」
「ギクッ!!」
擬音を口ではっきり言う人をはじめてみた。と、五歌は思った。
「ふふふ、よくぞ見抜いたね! 確かに、僕はサッカーよりもサッカーボールを愛している!! だが、バスケットボールも結構好きだし、テニスボールだってアレはアレでいいものだと思っている。それぞれ、いろいろな個性があって、僕に快感をもたらせてくれるんだ! どうだい凄いだろ? 何か問題でもあるかい?」
むしろ、問題以外の何物があるのだろうかと、三人は頭を痛めた。
「お前はサッカー少年でも何でもない、ただのボールフェチの変態だ!!」
「そうだ!」
あっさり肯定されてしまっては、言い返す言葉もなくなってしまった。
「だが、一番好きなボールはサッカーボールなんだ! この大きさと触感が最高なんだ! 君たちにもきっとこの良さがわかってくれると、僕は信じているよ!」
ニコッと、白い歯を輝かせて、司は満面の笑み見せた。
「知らなかったにゃ、こいつがこんな変態だったにゃんて……」
「わたくしも、スポーツクラスのサッカー少年系主人公だと思い込んでいたんですの……」
「むしろ、この学校には変態しかいないだろ……」
どうやら、大殻司はサッカー少年として名を馳せていた存在であって、サッカーボールフェチの変態であるとは、今まで誰にも認識されていなかったようだった。
サッカー部のユニフォームを着て、爽やかな笑顔をした少年が皆、スポーツ選手だとは限らないのだ。
「さぁ、那由多五歌君! 僕と勝負だよ!」
「何をどうやって勝負するんだよ……まさか、サッカーで勝負とは言わないよな?」
いくら変態だとはいえ、先ほどの教室の扉を突き破るキック力を持つ男である。サッカーの腕前も相当のものであると容易く想像がついた。
「サッカーのルールなんて僕は知らないさッ!」
爽やかに自分がアホだということを、これほどまでにかっこ良く言える男はそういなかった。
「僕は、サッカーボールが好きなだけで、サッカーはこれといって別にどうでもいいんだッ!」
「なら何で勝負するんだ……」
「友情、愛情勝負だ!」
「友情愛情勝負だと!?」
大げさに驚いたリアクションを取った五歌であったが、勿論意味はわかってはいない。
「皆も知っての通り、僕にはこのサッカーボールが親友であり、恋人でもある。君の親友と恋人と、どちらがより親友かつ、恋人であるかで、優劣を決するんだ!」
「そうか……意味がわからないぜ……」
「那由多ちん、気をつけるにゃ! これは今までの戦いとは違うにゃ。今までのソロ戦とは違い、三対三のパーティー戦なのにゃ!」
「まてまて、あいつは一人だろ?」
確かに、大殻司は一人だった。
「違うにゃ? 大殻司とサッカーボールとサッカーボールで三人にゃ!」
「それは色々とおかしいだろ?」
「確かに突っ込みどころ満載ですけれど、サッカーボールを、親友かつ恋人だと宣言している以上そうなるんですの」
「そうなるのかよ!」
そうなるんです。
「三対三のバトルなのに、五歌には親友がいないのですの、これは不利なのですの」
「その言い方だと、俺は友達が居ないみたいに聞こえてへこむからやめてくれ……」
「ごめんですの。でも、可愛い超彼女がいるからいいですの! こうなったら、わたくしが一人で親友と恋人のポジションを担うんですの!」
《超彼女》七華は息巻いた。
ここで、良いところを見せて、超彼女としてのポジションを確固たるものとしたいのだ。
だが、みんなは忘れてはいないだろうか? 親友といえば……。
「親友ならここにいるぜ!!」
教室の後ろから、声が掛かる。
そう! その声の主こそ、みんなとっくに忘れているであろう、友田信之介その人である。
「流石に、なのかちんに負担が多すぎるにゃ。だから今回だけ最桃が親友として参戦するにゃ!」
「いや、だから、親友ならここにいるぜ?」
「そうか、よくわからないけど済まない、恩に着るぜ」
「いいってことにゃ! でも、親友でいながらいつしか愛情に変わっていくタイプのあれだにゃ? そこんところが大事なんだにゃ!」
最桃は、子猫のように舌をぺろっと出してウインクしてみせた。
「だから、親友ならここにいるってば! ねぇ! ねぇってば!」
信之介の声は、何処の誰にも届くこと無く、虚しく掻き消えていった。
そして、自分の存在が不必要であるとわかった信之介は、ドナドナを歌いながら一人寂しく教室から去っていった。
「ふっ、どうやら親友と恋人は揃ったようだね! まずは、親友勝負といこうぜッ!」
「望むところにゃ!」
最桃は両手を上に掲げ、何かの拳法のようなポーズをとって威嚇した。
「さぁ! 僕が、どれだけこのサッカーボールと熱い友情を分かち合っているか、これを見るがいい!!」
司はサッカーボールを自分の顔の位置までに持ち上げるとおもむろに……。
ペロペロペロペロペロペロ。
「!?」
五歌たちは驚愕した。
「ペロペロペロペロペロペロ、ペロリンチョ」
なんと、大殻司はサッカーボールを執拗に舐めまわしたのだ!!
「どうペロ? ペロペロペロ、これが僕とサッカーボールとのペロペロ、友ペロの証だペロペロペロ」
ペロペロペロペロペロペロ。
耳障りこの上ない音が、教室中に蔓延した。
唾液でテカテカと異様に光るサッカーボール、首を上下させながら執拗に舌を這わす姿は、スポーツ少年のそれを微塵にも感じさせるはずもなく、紛れも無い変態のそれであった。
その異様な姿に、目を伏せる耳を閉じるクラスメイト達、更には吐き気をもよおすものすらも現れていた。
「ここまでの変態だったとは、予想を大きく上回っていた……」
「気持ち悪いですの……」
「これと、どう戦えばいいんだにゃ!?」
五歌達は、大ダメージを受け崩れ落ちるように膝をついた。
「どうだい、君は親友とこんな素敵なスキンシップを取り合うことが出来るのかい、ペロペロペロペロペロペロ」
すでに勝利を確信したのか、司の表情には余裕すら感じられた。そして、更に加速するようにペロペロペロを続けた。
「これに対向するには、最桃も那由多ちんにペロペロされるしかないにゃ……。でも、そんなの無理にゃ……恥ずかしいにゃ……」
最桃は、活発で天真爛漫な性格であるとはいえ、紛れも無い乙女である。
同い年の男子にペロペロペロされることなど出来るはずもなかった。
最桃は、うつ向いて身体を震わせた。そして、自分がどれだけ無力であるかということに、悔し涙を浮かべた。
「どうしたんだよ。元気なのがお前の良いところだろ? いいんだよ、こんな馬鹿げた勝負なんてさ。だからさ……元気、だせよ?」
こんな気を利かせた台詞は五歌にとって不得意なところだろう。それでも最桃を気遣って優しく微笑みかける姿をみて、最桃の心の奥が『キュン』と鳴る音が聞こえた。
――あれれ、これはもしかして……那由多ちんのことを本当に好きに……にゃにゃにゃにゃぁぁぁぁぁ!!
『チョロインP五百アップ』
グッと、小さく拳を握りこむ。出来るはずだと、自分で自分を鼓舞する。
そして、最桃は決意した。
「うにゃあああああああああ!!」
雄叫びを上げる、それは復活の狼煙である!!
「で、出来るにゃ!! 最桃だって、これくらいのことは、出来るんだにゃ! 五歌! 最桃をペロペロしていいんだにゃ!」
無意識の内に、最桃は『五歌』と呼び捨てにしていた。
「え?」
最桃は五歌の正面に向かい合うようにたつと、ほっぺたを五歌に向けてつきだす。
「ちょ、ちょっと待つですの! それは色々とおかしいですの! そういうのは、むしろ親友とではなくて、彼女とやるものですのォォォォ?」
「五歌がペロペロしてくれないなら、こっちからいくんだにゃ!!」
「ま、待て!」
そんな五歌の制止の声も、七華の絶叫も、もう最桃の耳には入りはしない。
恋した女の子を止めるものなど無いもないのだ。
最桃は五歌の身体を抱きしめて、身動きを取れないようにすると、おもむろに頬に舌を這わせた。
「ペロペロペロ……」
「お、おい……」
熱い吐息が、五歌の顔にふりかかる。舌が頬を濡らしていく、唾液の滴るのが見える。
「もっと……もっと、ペロペロするにゃ……」
最桃の言葉に、明らかにいつもとは違う艶かしさが満ちていた。
うっとりとした恍惚とした眼は、すでに発情している雌そのものであった。
「五歌、五歌、五歌、だいす……」
「そこまでですのっ!」
二人の身体を引き裂くように強引に割ってはいったのは、顔を真赤にさせた七華だった。
それは照れによるものか、怒りによるのものか。きっと両方に違いない。
「ストップですの! おかしいですの! こんな友情どこの世界にあるんですの!! 馬鹿ですの!! アホですの!!」
その言葉に、最桃はやっと正気を取り戻したのか、海老反るように後ろにジャンプをした。
「はっ! と、とんでも無いことをやってしまっていたんだにゃ……。でも……気持ち良かった……にゃっ?」
五歌に魅惑の瞳を向けて問う。
「はい、気持よかったです」
背筋をぴーんと正して、直立不動で五歌は答えた。
その普段に見せることのない真面目な顔を見て、最桃は微笑んだ。
「おかしいですのぉぉ! 二人共完全におかしいですの!! もう金輪際ひっつくの禁止ですの!!」
七華は、二人を睨みつけたまま仁王立ちをして、凄んでみせた。
「五歌は、七華の彼氏なんですの!! とったらダメなんですのォォ……。馬鹿ぁぁ」
顔から凄みが失われ、一転して七華は泣きじゃくった。
まるで、幼女のように泣きじゃくった。
「いい勝負になりそうだねっ!! ペロペロペロペロ」
司は、そのやり取りを見て、この三人が強大な敵であることを認識した。
「僕も本気を出さなければいけないペロペロペロ」
しかし、サッカーボールを舐めることはやめなかった……。