[こころがおれそうだ]
【認識】にん‐しき.
1、ある物事を知り、その本質、意義などを理解すること。
2、哲学で、意欲、情緒とともに意識の基本的な働きの一つ。事物、事柄の何であるかを知ること。また知られた内容。
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いや、いくら俺が夢見る機能に不全を抱えているからって、これはさすがに不自由すぎる。
これは、ひょっとして、ひょっとするかもしれん。
見覚えのないネオショッキングママンにベットおよび我が家から首尾よく追い出されたおれの頭には、そんな言葉がぐるぐるといつまでも旋回していた。そもそもあの、異国情緒あふれる赤レンガの家を自然と「我が家」ととらえている時点で、おれの現実認識はどこかが決定的にバグってしまっているようだ。
何かがおかしかあないでしょうか。異議を唱えたいが、あいにくこの手の展開につきもののあれこれは俺の新しい人生のチュートリアルには含まれていなかったらしい。「小さい頃からなんだかみんなと違うなぁって思ってた」とか「前世の記憶がうっすらとある」とか「なんかファンタジーな格好した女の子に「やっと、見つけた……っ!」と声をかけられた」とか。
やたらとフレンドリーで存在感の軽い神様的なジジイとかが懇切丁寧に説明してくれないと右も左もわからないんだが。
しかしまぁ、俺が「ユウマ」になってしまった、それだけは現状として受け入れなくてはなるまい。
「ユウマ」――思えば小学校三年生の夏。中古ゲームショップで発掘してきた大昔の大作RPGに使用して以来のなじみある名前だ。あからさまなネタプレイや目に見えたクソゲーへの突貫、あるいはネットにアップする実況動画以外では基本的にこの名前を使い続けているだけあって、あの頭髪シャアピンクマザーに呼ばれても自然と受け入れることができた。本名と一切かぶってないんだけどな。
いや、しかし、ほんとうっかりしたネタ名が適用されなくてよかった。テキストの笑いの瞬発力を高めるためだけに用意した名前とか多岐にわたるのだ。「てめぇ」とか。どんなにけなげに世界のために戦っても「てめぇ」としか呼ばれない勇者とか笑いが止まらなかったが自分がそうなるとどれだけ居心地が悪かろうがあのニュー実家に引きこもってしまっていたかもしれない。「さぁ、おきなさいてめぇ」やばい一気にオカン度が増した。
派生形として世界中の人々がみさくら化する禁断の名前「らめぇ」などもあるが、こういう方向性のものもこれはこれで没になってよかったといえよう。髭のおっさんとかが「らめぇ……」だの「ふええ……」などと言い出したら俺はそのまま殺人鬼と化してもおかしくない。勇者の名前を名指しにするのは王様だの大臣だのおっさん率が高いからな。
そう、王様。
おれこと「ユウマ」はこれからお城に行かなくてはならないらしいのだが。
これはあれだろ。もうあれだ、様式美というか。
まず間違いなく、勇者認定的なことをされるんだろ。
権力者から勇者として指名されて冒険の旅に出かける、というのは、RPGにおけるテンプレートの一つだ。某ドラゴン探しシリーズの初代などが有名で、王道的な扱いを受けることも多い。個人的に言わせてもらえば「王道」というより「古典」だがな。実際、ジャパンRPGの多くは旅しているうちに勇者と呼ばれるようになったような展開のほうが多いと思う。そもそも勇者って呼ばれることのほうが最近は少ないようだし。
支度金とか心付けとかいってはした金を渡されるのもまた、様式美の一つであり、それに対する「やくそう十束分とかなめてますかコラ」などといったツッコミもまた、お約束である。
なんかこう、そういったお約束をさぁなぞってくださいね、と言わんばかりの空気を、ひしひしと感じる。
たとえば、おれが目覚めた時からなぜか身につけているこの鎧もそうだ。やたらと作りが良くてごちゃごちゃと装飾が多いのだが、古臭いというか、ムサいというか。昨今の主人公ってもうちょっとこう、お洒落でカジュアルな格好なもんじゃあないだろうか。こんなコスプレしづらそうなビジュアルの主人公いまどきいないだろう。そもそも「ベッドに鎧のまま」という状況がいかにもドット絵見下ろし視点の古典RPGを思わせる。
しかもこの鎧、その上、こう、何と言えばいいのか、うん。
しょぼい。どう転んでも立体化されなさそう。
覇気を感じないというか、決して安ものっぽいというわけじゃないのだが、間違っても付与魔法がどうのこうのとかそういう要素を感じない。どことなくロートル感の漂う、「昔はいいモノだったんだけどねぇ」みたいな。もうあと五十年くらいすれば古道具として価値が出るのかもしれないが、今現在ではただの「くたびれたよろい」だ。
何か勇者的ないわれがあるのかもしれないけど、うーん……。
重いし、蒸れるし、なんか埃っぽい臭いがするし。ぶっちゃけ着替えてしまいたい。
やくそう十束くらいのお金がもらえたとして、「かわのよろい」とか「ローブ」とか買えるだろうか。いや、この鎧の下に着てるのが、ひょっとして世にも有名な「ぬののふく」なのか? というか装備とかアイテムとかってどうなるんだろう。ステータスは? レベルは?
モンスターとかやっぱいるんだろうか。最初に遭遇するのはスライムなのか、ゴブリンなのか。あるいはふさふさ? デーモンだったらおれの心は即座に折れる。
この世界が夢だろうとなんだろうと、とりあえず家を追い出されてしまった以上、行動しないことには何にもならない。別にその辺に座り込んでボーっとしていたっていいのだが、どうもそういう何もしなくていい時間っていうのは、おれの性には合わないからな。そもそもそういうスローな時間のつぶし方ができるんならゲームの縛りプレイになんか手を出さん。
しかして、俺は初見のゲームに手を出す際は購入前からじっくりと情報を集め、パッケージを開けるとまず説明書をなめるように読み尽くすタイプなのだ。その上で効率無視した趣味プレイに没頭するぜいたく感は病みつきになるので非常にオススメと主張し続けているのだが、友人家族含めだれにも頷いてもらったことはない。「お前発売までの時間とかソフトの読み込み時間とか我慢できなくてはぁはぁ言いながら情報あさってるだけじゃん」とか失敬な事を言わないでほしい。ほんと、もう、言い返せないじゃん。純然たる事実じゃん。やめろよもう、泣くぞ。
「お兄ちゃん、パッケージあける時の目つきと息遣いがやばいよ。私の洗濯物見てる時よりやばいよ」などと妹にドン引きされた(そもそも妹の洗濯物相手にやばい目つきなどするわけがなかろう!)悲しい思い出はさておき。そんな俺にとって、自分が今いる世界の名前さえ分からないというのは、なかなかのストレスなのだった。
ゲームなら説明書がついてるし、今どきはネットでいくらでも情報をさらってこれるんだが。
こんなに手探りな冒険なんていつ以来だろうか。
とりあえず、これが夢か否かの判断は保留することにした。どう考えたって結論は出ないし、なんならいままで「おれ」が過ごしてきた人生のほうが夢だったのかもしれないとか、そういう自己認識に関する落とし穴にはまりかねないからな。「アイデンティティー不全」のバッドステータスは現実をうまくとらえられなくなって人生に重大な影響を及ぼすのだ。その上有効な治療法を寡聞にして知らない。これ以上に恐ろしいことはない。
とりあえず、目下おれの持つ情報は、「自分がユウマであること」「どうやら今日はお城に行く大切な日らしいこと」の二つだけ。そして現状は「いかにも古典RPGを思わせるが、どうも俺の知るどのゲームとも、微妙にシチュエーションが違う」というところか。
気になる事項としては、件のサイケデリックピンクのちょっと行っちゃった目つきとかもあるが、母親特有のむすこを起こしても起こしても寝るんだがいっそ寝かしつけてやろうか永遠に、的な感情の乱れだろう。実際、俺が起きてからの言動はごく普通の母親テンプレートに若干の作り物くささを足した程度に落ち着いていた。朝食の味だけ考えれば実家の母と交換してもいいぐらいだ。今のところは考慮しなくていいだろう。
考えるべき材料を、今ある現状にあてはめ、必要な行動を算出して、できうる限りそれに沿う。
ゲームだろうが、現実だろうが、人間、これができれば怖いものなんてないのだ。
大丈夫。やるべきことがある。手がかりが何もないわけじゃない。現実を認識できれば、自己認識も揺るがない。
問題は、だ。
「城、どこだ……?」
ミニマップがないと町でも迷うプレイヤーなんですよ、ワタクシ。