1話
「はぁっ、はっ、はぁっ、はっ、畜生!」
一体どうしてこんな事に、こんな状況になっているのか全く理解できない。
異世界に来たと思ったら森の中で、周りに人は居なくて、何日も探索を続けているが一向に森を抜けられない。
挙句の果てには何度も襲われて、この何処かも分からない森の中で俺は走り、逃げ続ける。
腕を振る度、夢と希望が詰まった2つの大きな山が激しく揺れて邪魔臭い。
それは本来あるはずのない物だ。更に言えば、股と股の付け根にはあるはずの物が無い。
後方にちらりと目をやると、アレがまだ追いかけて来ている。
「「きぇぇぇっしゃぁぁぁっっ!」」
下卑で醜悪な姿をした緑色の生き物は、涎を撒き散らし棍棒のようなものを片手に振り回して追いかけてくる。
「おっと、うおっ!」
その一瞬足元への注意が疎かになり、木の根元へ足を引っ掛けて転倒した。
すぐに起き上がり逃げ出そうとするが、あっと言う間に囲まれる。
「ちょっ、ちょっとタイム!冷静に話し合おう。話せば分かり合える何事も!」
今の服装は数日のサバイバル生活の所為で、ところどころ汚れたり破れたりしている長袖の白いTシャツにGパン。武器と呼べるものは何も持っていない。
絶望。このままなぶり殺しにされて食われるのだろうか。否、もっと悲惨な運命が待っているような気がしてならない。
俺は男なのに、何故か今は女になっている。
そして俺を取り囲むゴブリンと呼ぶに相応しい生き物は、腰に巻きつけられたボロっちい布から、息子が元気一杯になった姿を覗かせている。
このままではヤられる。ヤられてしまう。
本来ならこの窮地に颯爽と現れ、華麗に助けるのが俺の役目だろう。セオリー通りならば。
でも違う、俺が襲われているのだ。これは俺が女になってしまったからなのだろうか。
じりじりとにじり寄って来たリーダー格と思しきゴブリンが、俺に手を伸ばした瞬間だった。
「ぎぎゃあああああああ」
視界の端の方のゴブリンが首を撥ね飛ばされた。一斉にゴブリンたちの視線がそっちに集まった。
二人の冒険者風の男達がこの場に乱入してくる。
一人は両手剣、もう一人は右手に剣、左手に盾を装備していた。
助かった。安堵と共にその二人を見守る。
「「きぃぃぃぃしゃぁぁっ!」」
ゴブリン達は奇声を上げて、俺を放置したまま二人に向かって行くが、呆気ないほど簡単に捌かれていく。
絶妙なコンビネーションだ。
盾と剣を持った男がゴブリンの攻撃を弾き、その隙に両手剣の男が首を撥ねる。
数分もしないうちに、15,6匹は居たであろうゴブリンは全滅した。
素晴らしい。俺が女だったら確実に惚れてただろう。否、俺の身体は女でも心は男だ。
「ありがとうございます。助かりました」
いそいそとゴブリンの首から下を回収している男達に礼を言う。
「いや……まぁ気にすんな」
「勿体無いがこの数はちょっと入りきらないな」
両手剣の男は、好青年のような眩い笑顔をこちらに向けてきたが、剣と盾の男はこちらに見向きもせず腰ぎんちゃくのような小さな袋に首なしゴブリンを詰め込んでいる。
(これで何とか人が居る街には行けそうだな。さっさと元の世界に帰りてぇ)
作業を見ているとひと段落ついたのか、剣と盾の男が話しかけてきた。
「お前、こんなところで何やってんだ?冒険者……でもないようだし貴族……でもないよな。不思議な格好をしているようだが」
「えっと、その~」
(一体どう説明しようか。異世界から来ましたーなんて言っても、この人たちじゃ事情が分からないだろうし困ったな)
「まぁ髪と瞳の色からしてヘディアル人で間違いないだろうが、言い淀むって事は訳ありって事だよな」
髪と瞳の色? どういうことだ?
訳も解らず首をかしげる俺を尻目に、剣と盾の男は両手剣の男に向き直り何か話し始める。
「俺達が助けた訳だから俺達の"物"にはなるだろうが、面倒事はごめんだ。とりあえず奴隷商に売ってもいいだろう」
「待て待て、正直この娘上玉すぎるでしょ。一生お目にかかれそうにないくらいだし、俺としては奴隷として飼いたいかな。なんかあった時はその時で考えればいいっしょ」
「……そうかもしれんな。PTも2人死んじまったし、奴隷も死んだ。これくらいのご褒美があってもいいかもしれん」
「だろ?とりあえず首輪つけようぜ。ある程度拘束力あるし街に帰ってから奴隷商に契約してもらおうぜ」
なんだか嫌な会話が聞こえてきた。奴隷? 奴隷ってあの奴隷? 奴隷とか簡便して欲しい、折角人がいるところへ行けると思ったのに。逃げないと……
「逃げようとしても無駄だよー」
後ずさりながらその場を離れようとすると、いつの間にか後ろに回りこまれていた。
がっしりと腕で身体を拘束され、両手で服の上から胸を鷲づかみにされる。
「うひょー、でけぇ!ははっ、やわらけーーーっ!はぁはぁはぁっ」
「い、痛っ」
俺自身ですら満足に触っていないたわわに実った果実を、力任せに弄ばれ変幻自在に形を変える。
気色悪い、男にベタベタと触られ弄くられるとは。
「おいおい、さっさと首輪つけろ」
そう言って剣と盾の男が正面からこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
俺はその姿を視界に捉えた瞬間、背筋が凍りついた。
性的欲求を満たすため、全身を嘗め回すかのようにいやらしい視線を送りながら、ニヤケ顔を抑えきれない男の顔を見たからではない。
剣と盾の男の背後に、森に生えている木々と同じくらいの背丈の巨人が、一つ目の巨人がいつの間にか居るのだ。
アレ程大きな身体でありながら、気配、足音、大地の振動が一切ない。
今度こそ終わった。この世界はベリーハードモードだったらしい。説明は受けていたとは言え俺がその世界に当たるとは
「あ、あ、あ、あで、ででで、でっで」
先ほどまで息を荒げていた両手剣の男の震えが伝わってくる。
その場から動けない、だが不思議と恐怖はなかった。
後ろの奴が尋常じゃない動揺の仕方をしているから、逆に冷静になれているのだろうか。
この状況、今までのより大分ましではないかと思えてきた。
相手は一体だ。今は拘束されて動けないが、十中八九後ろの奴が逃げ出すだろう。それぐらいの脅え方はしている。
2人をうまく囮にして逃げれば何とかいけるかもしれない。
一つ目の巨人はスッと剣と盾の男のすぐ背後まで迫ると、手に持っていた人間の等身大くらいあるハンマーで横なぎにした。
……今だ!
剣と盾の男は気づいていないだろうし、両手剣の男は一つ目の巨人に釘付けのはずだ。
俺は拘束が緩んだこの好機に逃げだそうとする。
真後ろからブオンッと風を強引に引き裂く音が聞こえたその刹那。
「「でたぁっ!!」」
ギュチャリという金属と肉がつぶれた音によって、男達の声はすぐにかき消された。
風圧で俺はバランスを失い前のめりに倒れる。
そんなまさか、有り得ないだろう。
逃げることを考えるのに夢中で、目の前の男の表情を、状態を、気にも留めていなかった。
表情は恐怖に彩られ、こちらに向かってくる事を止めて震えている事に気が付かなかった。
突きつけられた現実を否定したくて、まるでロボットのように首だけを動かし後ろを振り返ると、両手剣の男の変わりに一つ目の巨人が俺を見下ろしていた。